Noと言ってほしくて

相沢蒼依

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Please say no:揺れる気持ちと戸惑う距離感3

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 朝食を食べ終えてから、執務室に入る。午後3時まで休憩していろと命じたはずのキサラギが、何故だか部屋の隅に立っていた。

「どうした? 遠慮せずに休憩したらどうだ?」

 さっきまでの苛立ちが再燃しそうになり、素っ気なく言い放ってしまった。

 チラリとキサラギを一瞥し、執務室のデスクに向かいながら、小さなため息をついた。冷静でいようと思えば思うほど、コントロールが難しくてままならない。

(僕のキスのことは、ちょっと横に退けておこう――キサラギが一晩中あの体勢で寝ていたのなら、肩や腰など痛めいているかもしれない。本来ならもっと、労うようなあたたかい言葉を、かけなければならないのに……)

 ギシッと音を立てて椅子に座ると、それを合図にしたように、キサラギが傍らにやって来た。

「少々、失礼いたします」

 言うや否や僕の右手をそっと手にとり、着ていたワイシャツの袖のボタンを器用に外して、右手首を露にする。

「やはり……。痕が残ってしまいましたね。痛みはございませんか?」

 気遣うように言いながら、大きな手で優しく撫でさすってくれた。その手がどうにもくすぐったくて、乱暴に右手を引き抜き、背中に隠す。ついでに早朝の出来事をまざまざと思い出し、頬が勝手に熱を持つ。

(――くそっ! すごく恥ずかしいではないか)

「こっ、これくらい痛くも痒くもない! お前は気にせず、とっとと自分の部屋に戻れ!!」

 自分の顔を見られたくなくて、そっぽを向きながら怒鳴るように言ってやった。

「いいえ、そうは参りませんっ!」

 珍しく声を荒げたキサラギは、背中に隠した僕の右腕を強引に引っ張り出して、自分の胸に押し当てる。手の平から伝わってくるバクバクという激しい鼓動が、冷静な顔をしているキサラギとは真逆で驚いてしまい、まじまじと顔を見つめてしまった。

 あまりの様子に声が出せないでいると、はじめから用意していたのだろう、ポケットから湿布と包帯を取り出して、痕が残っている手首に治療を始める。

「痛みなどないと言ってるだろう。勝手に治療をするな」

「……湿布を貼れば、早く痣は消えます。それにこれは私が注意を怠り、マイプリンスに付けてしまったものですから。本当に申し訳ございません……」

「あの、今朝のことは、どうして――」

 どうにも言い出しにくいものをやっと口にすると、包帯を巻いていた手が一瞬だけ止まった。だけどすぐに再開させ、手際よく綺麗に巻いていく。

「実はプライベートなことで、深く悩んでおりまして。落ち込んでいたところだったんです」

「そうか……」

「その落ち込んでいるところに、エドワード様から優しくお声をかけて戴いた上に、頭を撫でながら抱きしめられて……。つい嬉しくなってしまいました」

 跪きながら包帯を巻きつつ、泣きそうな笑みを浮かべながら、僕を仰ぎ見るキサラギ。

(そういえば今まで、コイツの悩みなんて聞いたことがなかったな。だが、解せぬ。嬉しかったのなら何故あの体勢から押し倒し、僕にキスをしたのだろうか?)

 キサラギの言葉にそっと眉をひそめると、視線を再び手元に戻す。

「ずっと前から、お慕いしている方がいるんです。瞳がエドワード様にどこか似ておられて、とても綺麗なお顔立ちをしているお方なんです。どんなにお慕いしても、自分とは釣り合わない身分をお持ちで、しかも片想いなんです」

「片想い?」

「ええ。そのお方は、別なお方を愛しておいでですから……」

(それって、僕と同じじゃないか――)

「……釣り合わない身分とは、相手は王族か?」

「はい。一介の執事が愛するなんて、恐れ多いお方でございます」

「辛いな、それは。僕が何とかしてやりたいが、色恋沙汰はどうも得意じゃないから……」

 そう言うと、キサラギは口元だけで柔らかく微笑む。微笑んでいるのだけれど、いつも優しげに映る瞳が、切なそうに揺れ動いた。

「似ているからといって、エドワード様へ手を出してしまった私に、そのような優しいお言葉をかけて戴き、本当に有り難うございます」

「もう、やめておけ」

「いえ、やめるわけには参りません。せめて想うくらい、自由にさせて戴きたく――」

「そうじゃなくて、お前……」

 コイツ、全然分かっていないようだな。

「エドワード様のご命令があっても、これだけは絶対に譲ることは出来ません!」

「これじゃあ、執務に差し支えるであろう?」

「私の想いは、邪魔になると仰りたいのでしょうか?」

「そうじゃなくて、まったく……。キサラギお前、どこを見ているんだ? こんなに包帯をグルグル巻きにされ腕を太くされては、書き物が出来ないであろう。お前の思いやりは、ときとして暴走してしまって、笑わずにはいられないぞ!」

 僕の言葉にキサラギはやっと気がつき、ショックを受ける表情を浮かべた。

「もも、申し訳ありませんっ、マイプリンス! 今すぐお直しいたします」

「お前がどこの誰を想っていようが、僕は止めはしない。安心して思う存分に、好きなだけ想えばいい」

 その言葉に、巻き戻していた包帯を手から落としたので拾ってやると、何故か手先が震えている様子だった。不思議に思ってキサラギの顔を見たら、下唇を噛みしめ、どこか辛そうな顔をしていた。

「おい、やっぱりどこか具合が悪いんじゃないか?」

「……そうですね。やはり、寝不足気味なのがいけないようです。これを巻き終えましたら、すぐさま部屋に戻ります」

 僕から包帯を受け取り、手早く腕から巻き戻して、執務に支障の出ない厚さにして止めてくれる。その間、キサラギの事が気になり、ずっと見つめていたのだけれど、何も発することなく作業を終えて「失礼いたしました」と一言だけ告げ、執務室を出て行った。

 思いやりの足りない自分が、キサラギを傷つけるような物言いを、どこかでしてしまったのだろうか?

 それだけが気掛かりで、気持ちが余計に落ち着かなくなってしまった。もしかしたら、嫌われてしまったのかもしれない――

 そう思うと絞めつけられるように、胸がきゅっと痛くなったのだった。
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