見えないライン

相沢蒼依

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課外授業:苦手な教師

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「ホントに、ウチの目と鼻の先だ」

 NHKが住んでいるボロアパートは、通学路で使ってる道路に面していた。

「えっと、うちに送ってくれるハズじゃなかったでしたっけ?」

「ちょっと話が長くなりそうだから、自宅に寄った。悪いが少しだけ、外で待っていてくれるか。家の中をちょっとだけ片付けてくる」

 話が長くなるなんて、一体何を話すつもりなんだろう?

 一抹の不安を抱えながら、アパート一階の角部屋の前に待ちぼうけを食らった。足元には手作りなんだろうか、学校の授業で作ったような郵便受けがぽつんと置いてあったので、思わずしゃがみ込んで、まじまじと観察してみる。

 板のところどころがハートや星の形にくり貫かれていて、色も赤とピンクで綺麗に塗装されていた。

 郵便受けの上に、三角刀で丁寧に彫った『三木』という文字。全体の作りを見たら、女子が作ったのは明らかなものだった。。もしかして三木のヤツ、女子生徒と付き合ってるかも――

「待たせたな、入っていいぞー」
 
 扉から顔だけひょっこり出すNHK。その声にハッとし、慌てて立ち上がった。

「あーそれ、可愛いだろ。身内が授業で作ったのを、プレゼントしてくれたんだ」

「へえ、そうなんだ。ふーん」

「お前が考えるような、不純な付き合いを僕はしないって。ガキには一切、興味が沸かん。どこかの政経教師みたいに見境のないヤツも、実際にはいるけどなー」

 言いながら私のオデコに、ぺちっとデコピンをする。

「いったいなぁ、もう!」

「お前の考えてることは全部が筒抜けだ、顔に出すぎ。さっさと中に入らないと、誰かに見られるかもよ? 一緒にいるところを見られたくないんだろ」

 そのセリフに我に返って前後左右をしっかり確認し、NHK宅の中に足を踏み入れた。

「お邪魔しまーす……」

 デコピンされたオデコをさすりながら入ると1DKの部屋の壁一面に、本がぎっしりといった感じで整然と本棚に置かれていた。

「すごっ、何か図書館みたい……」

「まーな、一応国語の教師だからさ。これでもまだ足りないくらいなんだぞ」

 本棚に近づいて背表紙をチェックしてみたけど、さっぱり分からない代物ばかりだった。

「地震が起きたら、本に潰されて死んじゃうんじゃない?」

 振り返って呆れながら言ってやると、肩を揺すって何故か嬉しそうに笑う。

「それはそれで本望だな。ところでコーヒー淹れるけど飲むか?」

「ごめん、コーヒー苦くて飲めないや。苦くないのなら、何でも飲めるけど」

 ガスコンロにやかんをセットしてお湯を沸かすNHKの背中に答えると、はあ!? と呆れた声が返ってきた。

「お前普段から、甘いものばかり食べてるだろ。だから苦いものを口にしないんだ。味覚障害になるぞ、まったくー」

 なぜか憤怒して、ぶつくさ言いながら台所でお茶の用意をする。

 数分後――私の目の前に用意されたのは、バニラの香り漂うコーヒーだった。

「えっと私、コーヒー飲めないんだけど……」

「苦くて飲めないから飲まないなんて、子どもみたいなこと言ってんじゃねーよ。騙されたと思って飲め!」

 メガネを無意味に上げながら力説するNHKに、仕方なくマグカップを手に取り、恐るおそる口をつけてみた。

「あ、微妙に甘いかも――」

「そりゃそうだ、ちょっとだけ砂糖入れてあるからな。苦味も、そんなに感じないだろ?」

「うん、このコーヒーなら飲めるよ」

「ライオン印のバニラマカダミアだ。そのバニラの香りで、苦味が感じにくくなっているんだぞ。コーヒーが全部苦くて、美味しくないという先入観があると損をする」

「そうだね……」

 先生らしく諭すように告げるNHKの言葉に、もう一度コーヒーを飲んでみた。ほんのり甘いコーヒーが、じわりと心を癒していく感じがする。

「コーヒーに限らず他の苦手なことも、見方を変えれば苦手意識がなくなるんだ。逃げずにどんなことにも、チャレンジしろよな。その経験が、絶対文章に生かされるんだから」

 コーヒーを美味しそうにすすりながら、こっちを見る。いつもの気だるい感じじゃなく、生き生きしたその様子を目の当たりにして、逆に戸惑ってしまった。

 死んだ魚の目とまではいかないけれど覇気のない先生だったのに、一体何の理由で元気ハツラツなんだろうか。

「さて、と……。本題はここからだ。まずはカップをテーブルに置け、坂本」

 本題って創作ノートの中身のことだよね。例の赤と青の枠の秘密が、ついに分かるんだ――

 ごくりと喉を鳴らし言われた通り、テーブルにカップを静かに置いた。

「本題って何ですか? 三木せ――」

 話かけた瞬間にいきなり抱きしめられ、声を上げる間もなく体が押し倒されてしまい、天井が目に映った。

「授業で教わらないコト、お前に教えてやるよ」

 耳元で告げられたセリフに、体が自然とガチガチに緊張する。

「ちょっ、やだ……冗談っ!?」

 圧し掛かられた三木先生の体重を自分の体にイヤというほど感じながら、両手を使って必死に押し退けようとした。メガネの奥の瞳が明らかににギラギラしていて、更なる恐怖を煽りまくる。

「初めてなのか? 大丈夫、優しくするから」

 押し退けようとした力をものともせず、顔をグッっと近づけてきた。

 ――ヤラれるっ、好きでもない男にヤラれちゃう!――

「それ以上、近づかないで変態っ! 気持ち悪すぎて吐き気が止まらないんだよ、このNHK! ガキには興味ないって言ったクセに、手を出すなロリコン教師っ!」

 こんなことを言っても止めないだろうけど、言わずにはいられない! じゃなきゃ私は……

 ぎゅっと両目を閉じて他に何か言えないだろうかと、んもぅ必死に考えた。

「僕に対する罵詈雑言は、たったそれだけか? やっぱ足りねーな、それじゃあ」

「――は?」

「ボキャブラリーが、絶対的に足りないって言ってんだよ。ほら次はお前の番、代われ」

 言ってる意味が全然分からないんだけど。しかもお前の番って、一体なに?

 不思議顔してると両手を使って抱き起こされ、今度は三木先生が自ら横になった。

「ほら早く僕にまたがれって。遠慮することないからな」

「ま、またがる!?」

「いいから、ほら。さっさと言われた通りにやれって。そうそう、さっき僕がやったように襲えばいい」

 言われるがまま渋々またがり、三木先生を見下ろす形になったけど――男の人を襲ったことのない自分に、どうやって襲えというのだろうか?

「あんな激しいエロシーンをしっかり書いておきながら、襲えないとか言う?」

「そっ、それを言わないで! 実際、できるワケがないでしょ!!」

「しょうがねーな。じゃあさ、『先生っ、私のモノになって下さい!』と言ってみろ。はい、アクション!」

 げーっ、そんな嘔吐しそうなセリフをコイツ相手に言えるワケないじゃん。

「早くしないと本当に襲っちまうぞ。男は見境なく、誰とでもヤレるんだからな!」

「ひーっ、分かりましたよ、もう……。三木先生っ、私のモノになってくださいっ! 多分、好きなんですっ!」

 半分脅された形で、言いたくないセリフを吐いてしまった。さっき同様に両目をつぶり、ちょっとだけ三木先生の顔に自分を近づける。

 実際とても、襲ってるとは言えないんだけどね――なのに……

「いやっ、やめてっ! 僕には妻と子がいるんですっ。しかも教師と生徒の垣根をこんな風にして乗り越えちゃうなんて、いけないんだってば! PTAに見つかったら処罰されるのは、絶対に僕の方なんだからね」

 両手で顔を恥ずかしそうに覆い隠し、上半身をくねくねと左右に動かす姿は、どう見ても異様という言葉でしか表現できないものだった。

「あの……三木先生?」

「大人のすることに興味のある年齢だから、こういうことを進んでやっちゃう気持ちは分からなくはないけど、だからといって、いたいけな僕を襲うなんて奈美ってば積極的っ」

「ちょっと待って、襲ってないし――」

「ああんっ、もう! そんなトコ触っちゃダメ//// 感じやすい体なんだからぁ」

 どうしてくれよう、このエロ教師。誰か止めてくれないだろうか……

 あまりの行動と言動に両手を万歳しながら白い目で見下ろしていると、顔を覆っていた手をどけて突如、真顔になった三木先生。

「……今の違い、分かったか?」

「いや、さっぱり。ぜんぜん分からない」

 突然の豹変に、頭がまったくついていかなかった。

「さっきも言ったろ。絶対的にボキャブラリーが足りねーって。お前が言った1の言葉に対して、僕は10くらいは返しているぞ。しかも白けさせるという技まで見せつけてしまった。すごいだろ?」

 ゆっくりと体を起こすと、そのまま私を抱きしめる。

「たくさんいろんな経験を積んで、語彙数を増やせばきっと、お前はいい書き手になれる。頑張れよ」

 そう言って、頭を優しく撫でてくれた。

 何故だか分からないけど、その時はされるがままになってしまい……。さっきまでの気持ち悪さはどこへ――三木先生の言った言葉が、じわぁっと心に沁みてしまった。

「――でもやっぱ、女の子は抱き心地がいいわ。柔らかいなぁ……」
 
 せっかく感動してるところにげんなりするようなセリフを口にした三木先生の左頬を、思いっきり平手打ちしてやる。

 パシーンという乾いた音が部屋に響き渡ったのだった。
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