(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動

相沢蒼依

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第五章:壊したい未来、守りたい人

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 その日、昼休みの教室には、いつもよりざらついた空気が漂っていた。どこかで仕入れた噂を、おもしろ半分に拡散する声があちこちで弾ける。

「榎本、佐伯のことを完全に飼ってるらしいぜ」
「どっちがアルファでどっちがオメガかわかんねーよな」
「まぁ榎本ならやりかねない」

 榎本は「ははっ」と軽く笑って受け流していたが、その笑みの端がほんの少しだけ震えているのを、俺は見逃さなかった。

(まったく……これ以上、黙っていられない)

 気づけば立ち上がっていた。椅子の脚が床を大きく鳴らし、クラス中の視線が一斉に俺に向く。鼓動が早鐘のように響いて、手のひらがじっとりと汗ばむ。それでも、胸の奥からこみ上げる衝動を抑えきれずに声を張った。

「――根拠のない噂を口にするな!」

 声が裏返るほど強く叫んでいた。怒りよりも先に、榎本を守りたいという気持ちが口を突いて出た結果だった。教室が一瞬、息を止めたように静まり返る。傍にいる榎本が驚いたように俺を見上げた。

「榎本は、そんな卑劣な真似をする人間じゃない!」

 静寂を裂くように、次々と言葉が落ちる。その瞬間、自分でも驚くほど胸の奥が熱を持った。

「俺が選んだ相手だ。それをお前らが侮辱する権利はない!」

 すべてを吐き出した途端に、全身に熱が駆け巡った。視線も嘲笑も怖くない。ただ榎本を傷つける声がこれ以上響くことに、どうしても耐えられなかった。

 一拍の沈黙のあと――。

「……っぷ、委員長マジか!」
「“俺が選んだ相手”って……今の聞いた!?」
「やっべー、本気じゃん!」

 どよめきが波のように広がる。榎本は黙ったまま俺を見ていた。驚きと、どこか誇らしげな光がその瞳に宿っている。震えていたはずの彼の指先が、机の上でそっとほどけたのを横目が捉えた。

(――これでいい。噂がどう広がろうと構わない。俺は恋人として、番である榎本を守る)

 その日のうちに、俺の叫びは校舎全体を駆け巡った。「佐伯委員長がオメガの榎本を選んだ」と。そして噂はすぐに尾ひれをつけた。

「委員長、オメガのフェロモンにやられたらしい」
「アルファのくせに主導権を握られてるってさ」

 くだらない憶測と嘲りの中で、俺と榎本の名前は校内の話題になっていった。

 翌日になり、俺と榎本は教頭に呼び出された。ブラインド越しの光が白く室内を斜めに切り裂き、職員室の空気は妙に冷たかった。

「……佐伯。お前は次期生徒会長候補だ。そんな噂が立てば示しがつかん」

 低く響く教頭の声が耳に届く。榎本は隣で腕を組み、ふんぞり返っている。一見いつも通りだが、彼の膝の上で拳が静かに震えているのが見えた。

「俺は、事実を否定するつもりはありません」

 そう告げると、教頭の眉が険しく動いた。

「軽々しく言うな。お前の立場を理解しているのか。佐伯家はこの地域に――」
「立場立場って、うるせぇな!」

 榎本が前のめりに身を乗り出した。その声は低く、だが確かに怒気を含んでいた。

「涼は誰よりも真面目に頑張ってる。ソイツが選んだことに、なんでお前らが口出しすんだよ」
「やめろ、榎本!」

 咄嗟に名前を呼ぶ。教師に楯突くなど無謀だ。それでも胸の奥が熱くなった。彼の言葉は怖いほどまっすぐで、何よりも俺を“守るため”のものだったから。

 だが、この件はそれで終わらなかった。数日後「佐伯がオメガと淫らな交際している」という噂は、保護者会の議題にまで上がった。

 そしてその報告が、ついに佐伯家の当主である父の耳へ届いた。静かに、しかし確実に。何かの歯車が動き始めた音が、胸の奥で鈍く響いた気がした。
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