(完結)冷徹アルファを揺さぶるオメガの衝動

相沢蒼依

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番外編

番外編 撮影秘話

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★この話の表紙絵を描いてくださったひゃくさんが、佐伯と榎本が出演した文化祭の劇のポスターのイラストを描いてくれました。それをもとにして、お話を作りましたのでお楽しみください!


 ――青陵高校一年・文化祭演劇『ロミオとジュリエット』

 このポスター撮影は、予定より早く終わった。理由は単純で、一枚目で完成してしまったからだ。

 本来は講堂の舞台で照明を当て、何パターンも撮る予定だった。白い衣装に着替えた佐伯涼が椅子に座り、榎本虎太郎が下から仰ぎ見るように並んだ瞬間――カメラを構えた実行委員が、思わず息を止めた。

「……今の、撮った?」
「撮った……けど……」

 誰も、次の指示が出せなかった。

 佐伯は、台本にないはずの表情をしていた。演技としての悲嘆ではない。かといって、素の顔とも違う。

 静かで覚悟があって、どこか突き放した目。その視線を、榎本は真正面から受け止めていた。ロミオ役なのに、焦りも取り繕いもない。ただ、ジュリエットを見上げることに全神経を注いでいる。

「……ねえ、委員長」

 シャッターが切られた直後、榎本が小声で言った。

「今の顔、ズルくない?」
「役だ」
「嘘。今のは役じゃない」

 佐伯は答えなかった。ただ目を逸らして椅子から立ち上がり、衣装の皺を直した。

 撮影はそれで終わった。追加カットも、撮り直しも必要なかった。

 後日、完成したポスターを見た教師が言った。

「男同士の配役なのに、不思議と違和感がないな」

 それはきっと性別も、役割も、最初から重要じゃなかった。重要だったのはあの瞬間、ふたりが互いをどう見ていたか――それだけだ。

 文化祭当日。幕が下りたあと、観客は口々に言った。

「悲しい話なのに、なぜか安心した」
「最後まで、ちゃんと愛されてた感じがした」

 誰も知らない。あのポスターの撮影後、榎本が何気なく言った一言を。

「なぁ佐伯、これ、将来の予告編みたいだね」

 佐伯は、少しだけ黙ってから答えた。

「……縁起でもない」

 そう言いながら、その写真を文化祭が終わったあとも捨てなかった。

 のちに結婚し、子どもを持ち、“守る側”になったふたりの原点は、たぶんこの一枚に、静かに閉じ込められている。


***
 雨の日だった。外で遊べず退屈した湊は、リビングの隅に置かれた、古い収納箱を勝手に開ける。ガタガタと大きな音が鳴った。

「みなと、それに触るなって言っただろ」

 書斎から父親である、佐伯の声が飛ぶ。

「ちょっとだけー!」

 ぱら、と古い紙の匂いがした。その中に、見覚えのない大きなポスター。そこには金色の装飾と舞い散る花びら。そして——見慣れた顔。

「……?」

 長い髪の女の人が、優しく誰かを見下ろしている。その顔に、妙な既視感があった。下には、白い髪の男の人。名前はジュリエット役:佐伯涼

 湊は、数秒固まった。

「……え?」

 リビングに走っていく。

「虎太郎パパ」
「なんだ」
「これ、虎太郎パパ?」

 差し出されたポスターを見た瞬間、榎本が吹き出した。

「うわー懐かし! まだ取ってたのか?」

 佐伯は書斎から顔を出し、一瞬だけ無言になった。

「……文化祭のだ」
「涼パパ、なんで女の子?」

 不思議そうに首を傾げた湊は、真顔だった。

「ジュリエットだから」
「ジュリエットって、女の子でしょ?」
「そうだな」
「涼パパ、女の子だったの?」

 湊の言葉に、榎本が腹を抱えて笑い始める。

「違う違う! パパはずっとパパ!」

 佐伯は額に手を当てた。

「役だ。演劇の……」

 湊は、もう一度ポスターを見る。確かに顔はパパだ。でも、今のパパと少し違う。やわらかくて、とても強い目をしている。

「……きれい」

 ぽつりと湊が言ったことで、榎本の笑いが止まる。

「え?」
「この涼パパ、きれい」

 佐伯は、一瞬だけ言葉を失った。榎本はポスターに指を差し、笑いながら湊に教える。

「みなと、このロミオは虎太郎パパだよ」
「え?」
「ほら。下の」

 湊は目を細める。

「……こっちのが虎太郎パパっぽい」
「だろ!」

 榎本が得意げに胸を張る。

「じゃあ、なんで逆なの?」

 佐伯が短く息を吐く。

「当時の俺たちは、それでよかったんだ」
「ふーん」

 湊は少し考えて、ポスターを抱え直した。

「でもさ」
「うん?」
「どっちでも、パパはパパでしょ」

 その一言に、部屋が静かになる。湊は当たり前の顔で続けた。

「みなとは、今のパパが好きだもん」

 榎本が、そっと佐伯の腕をつつく。

「聞いた? 涼」
「聞いている」

 少しだけ声が低い。湊はポスターを見て、首を傾げた。

「これ、悲しいお話?」
「……そうだな」
「でも、今死んでないじゃん」
「当たり前だ」
「じゃあハッピーエンドじゃん」

 無敵の理論だった。

 榎本が、ぽつりと呟く。

「湊に言われると、そう思えてくるな」

 佐伯はポスターを受け取り、そっと丸めた。

「これは保管しておく」
「なんで?」
「将来、もっと恥ずかしくなるかもしれないからだ」
「えー、もっと見せてよ!」

 そのやりとりを見ながら、榎本は思う。

 あの頃、悲劇を演じながら、どこかで未来を信じていた。今、目の前にいる未来は、こんなにも騒がしくて、とてもあたたかい。

 湊がソファに飛び乗る。

「ねえ虎太郎パパ! 今度はみなとも出る!」
「何にだ」
「ロミオとジュリエット!」
「配役はどうするんだ?」
「みなと、両方やる!」

 堂々と宣言した湊に、佐伯は小さく笑った。

「……それは、忙しいな」

 ポスターは再び箱の奥にしまわれる。けれど今度は、ただの“思い出”ではなくなっていた。

 悲劇だったはずの物語は湊の一言で、とっくに上書きされている。

***
 ポスターを見つけた日から、数日が経っていた。湊はソファの上で膝にクッションを抱えながら、タブレットを覗いている。その画面には、絵本風に簡略化された『ロミオとジュリエット』が動画で流れていた。

「……ふーん」

 榎本がキッチンから声をかける。

「湊には難しいか?」
「ちょっとだけ」
「どこが?」

 湊は画面を指でなぞりながら言った。

「ジュリエット、涼パパなんでしょ」
「そうだけど?」
「この人さ」

 少し考えてから、言葉を選ぶ。

「……つよいひとだね」

 榎本の手が止まる。

「どうして、そう思った?」
「だって――」

 湊は画面をじっと見たまま続ける。

「すきなひとに、ちゃんとすきって言ってるし」
「うん」
「涼パパのいえ、えらい人いっぱいでしょ」
「まあね」
「でも、ちゃんと決めてる」

 榎本は、ゆっくりと湊の隣に腰を下ろした。

「そうだね」
「ロミオのこと、守ろうとしてる」

 その言葉に、今度は榎本が息を呑む。

「あのね、みなとね……」

 湊は顔を上げて、真剣な目をする。

「こわくても決めるの、つよいってことだと思うんだ」

 榎本は、思わず笑ってしまった。

「子どもなのに……すごいところを見てるなあ」

 そのとき廊下から足音がして、佐伯が現れる。

「何の話だ」
「湊がさ」

 榎本は少し照れたように言う。

「ジュリエットは強い人だって」

 佐伯は一瞬だけ言葉を探し、それから湊を見る。

「どうしてそう思った」

 湊は、少しだけ姿勢を正す。

「涼パパみたいだから」
「……どこが」
「にげないとこ」

 その一言は短いのに、真っ直ぐだった。

 佐伯は、しばらく黙っていた。高校一年の文化祭、配役を聞いたときのざわめき。ジュリエット役を引き受けることの重さ。

 ――確かに逃げなかった。あのときも、そのあとも。

「そうだな」

 佐伯は静かに答える。

「ジュリエットは、強い」

 湊は満足そうに頷いた。

「だから、涼パパだったんだね」

 榎本が、そっと佐伯の腕に触れる。

「ねえ涼」
「なんだ」
「それ、今までで一番嬉しい感想だろ?」

 佐伯は照れたように、少しだけ視線を逸らした。

「……否定はしない」

 湊はクッションを抱え直して、にこっと笑う。

「みなとね」
「うん」
「涼パパみたいに、つよくなりたい」

 佐伯は静かに膝を折って、湊に目線を合わせた。

「強さは、形じゃない」
「うん」
「逃げないことだけでもない」
「……?」
「守ると決めて、続けることだ」

 湊は少し考えてから、しっかりと頷く。

「じゃあ、もうやってる」
「何を」
「涼パパと虎太郎パパのこと、まいにちだいじにしてる」

 湊の告げた言葉に、榎本が吹き出す。

「それはもう、最強だな」

 佐伯は小さく息を吐いて、湊の頭に手を置いた。

「……そうかもしれない」

 画面の中のジュリエットは、悲劇の象徴として描かれている。けれど湊の目に映ったのは——選び、言葉にし、守ろうとした強さだった。

 そしてそれは確かに、あの頃の佐伯涼そのものだった。

おしまい
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