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第3章:恋人キブン

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 私のセリフを聞いたケンジさんは、嬉しそうに口角をあげて、私の胸の真ん中に手をやる。

「ほんとだ、ドキドキしてる」

「ケンジさん、私に触れた瞬間から、もっとドキドキしてる」

 上目遣いで指摘したら、気まずそうな表情を浮かべて顔を横に背けた。

「だってほら、胸に触れてるわけだし……」

 すごすごと手を引っ込めて、ケンジさんの胸に触れてる私の手を握りしめて、太ももの上に置く。

「シたくなったんじゃないの?」

 ズバッと彼の心の内を指摘したのに、ケンジさんは頬を赤く染めて首を横に振った。

「俺はね、ほかの人がしていないことを、綾香ちゃんとしたいんだ」

「それって――」

「こうしてなにげない会話を楽しんだり、食事をしたり。ただヤるだけじゃなくて、君の恋人になりたいって思ってる」

 ケンジさんは逸らしていた顔を私にしっかり向けて、語気を強めた。傍から見たら駄々っ子みたいなそれは、ワガママに聞こえてしまう言葉なのかもしれないけれど、私にとっては嬉しい言葉だった。

「ケンジさん、ありがとう。私みたいなのを恋人って言ってくれて」

「綾香ちゃん、自分を卑下しないでくれ。君がこんなことをしなきゃいけなくなったのは、全部元カレのせいなのに」

「そんな元カレと付き合ったのは、私に見る目がなかったってことなんだよね」

 直視される視線を自分から外した。後ろめたさはないのに、まっすぐすぎるケンジさんの気持ちが重くて、受け止めるにはちょっとだけつらかった。どんな理由があるにしろ自分の躰を売って、借金を返済していた過去は、どんなことをしても消えないのだから。

「綾香ちゃんの見る目がないっていうのは、つまり俺もダメな男になるのかな?」

「ケンジさんは、ダメな男なんかじゃない。だって……」

 私と恋人になりたいと言ってくれたのは、ケンジさんだけ。ウリなんてしてる私を普通の女のコとして扱ってくれる優しいケンジさんは、ダメな男なんかじゃない。

「うっ……」

 思ってることをケンジさんに伝えなきゃいけないのに、胸が詰まったと同時に涙が溢れてきてしまって、言いたいことが言えない。

「綾香ちゃん、ずっと我慢していたんだね。いいよ、俺の胸でよければ貸すから」

 そう言って優しく抱きしめてくれたケンジさんの腕の中で、ひとしきり泣いてしまった。こんなふうに泣いたのが久しぶりすぎて、顔をあげるタイミングがなかなか計れなかったのだった。
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