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好きだから、アナタのために

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 キスを止められた智之さんの顔は、あからさまに憮然とした表情になる。なぜか唇に触れる僕の指先を、まるごと食むとか――。

「智之さん、なにをしてるんですか。一応、ピアニストの大事な商売道具なんですよ」

「これからってときに、キスをとめる聖哉が悪い!」

 文句を言った唇が、僕の返事を見事に奪った。押しつけられる唇の圧にたじろぐ間に舌が挿入され、理性がすぐさま破壊される。僕の感じる部分を知り尽くす彼に、なす術はなくて。

「ぁあっ……んっ」

 すべてにおいて経験の少ない僕を、智之さんは煽るように導く。外というこんな場所で求められてしまったら、応じてしまいそうな自分がいた。

「やっ、ンン……立ってられなぃ」

 感じる部分を容赦なくまさぐる片手と、息をする間もないキスに根をあげた僕の躰を、智之さんはすぐ傍にあるビルの壁に押しつけた。

「聖哉をこんな場所で、感じさせたらダメだってわかってる」

「わかってるのに、なんで……」

 息を切らした状態で問いかけた僕を、智之さんは瞳を細めて見つめる。背後にある街灯を背負っているからか顔に影が落ちて、彼の苦労を示しているように僕の目に映った。

「俺のだって、ほかのヤツに見せつけたいのかも」

 美味しいカクテルを作る大きな手が、僕の頬に優しく触れる。迷うことなくその手に自分の手を重ねて、すりりと頬擦りをした。

「そんなことしなくても、僕の心と躰は智之さんのものなのに」

「聖哉に声をかけられた客が、変な気を起こしているかもしれないんだぞ?」

「モーションをかけられた記憶はないです」

 即答したというのに、目の前にある顔は不機嫌なままだった。

「智之さん、たとえモーションをかけられたとしても、僕は速攻で断ります」

「だとしても俺は嫌なんだ。ソイツの頭の中に聖哉がいるだけで、どうしても妬けてしまう」

 そんなワガママを言うものだから、思わず吹き出してしまった。

「聖哉……笑うなよ」

「だったらこんなところで、ヒヤヒヤしながら僕を感じさせるよりも、智之さんのマンションに帰って、ベッドの中で思う存分に僕を抱けば、気が済むんじゃないですか?」

 小さく笑ってから、智之さんの下半身を握りしめてやった。

「ううっ!」

「ここじゃあ、ひとつになれないでしょう?」

 にぎにぎ力をくわえた途端に、智之さんはその手を荒々しく外すなり、向きを変えて歩き出した。

「聖哉、覚えてろよ」

「へっ?」

「抱き潰してやる!」

 空恐ろしいことを口にした智之さんは、唖然とする僕を引きずりながら、マンションに向かったのだった。
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