監察室のデスクから

相沢蒼依

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監察日誌:決定的な失恋と唐突な脅迫事件

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***

「あっ、もう、そんなトコ……」

「君が、ここを放っておくからいけないんだろう?」

「だからって、そんなぁ……えっ、ここも!?」

「どこもかしこも隙だらけだ。取ってくださいと言ってるようなものだぞ」

「だって関さん、めっちゃ強いんだもん。手を広げて、囲もうと思ったんだって」

 何故だか車の中で、趣味の話をしたんだ。関さんは職務質問をするみたいに、いろいろ俺から聞き出すべく、話を展開させていき――

 生年月日から、家族構成や友人関係、そして趣味の話にまでたどり着いた。

「超下手っぴなんですけど、囲碁をやってるんです。じいちゃんがくれた年代物の、かやで出来た足つきの囲碁盤が、すっごくいい音がするんですよ」

「関西に住んでた時、関西棋院に在籍していた。学生の頃の話だがな……」

「関さんってば、プロを目指してたんですか? あそこに入るのは、至難の業だって聞いてます」

「一時はな……。いろいろあって、数年で辞めてしまったよ。君の家にある碁盤、ちょっとだけ見せてもらえないだろうか?」

「ぜひ!」

 ――ってなワケで、関さんをまんまと家に、招き入れることに成功したんだけど……

 一局打とうって話になり、現在に至る。ド素人相手に、プロを目指した人が容赦ない手で、どんどん俺を窮地に追い込んでいく。

 こんな風に恋愛も攻めていけば、きっとあの彼だって、手に入ったと思うんだけどなぁ。

「余計なことを考えているだろう? スカスカだぞ」

「だって関さんってば、強過ぎるんだもん」

「俺が手を抜いているところがあるのも、分からないのか?」

「分かっているさ。そんなお情け、俺はいらない。自分で切りこむのみ!」

 パチン!

 俺の一手にメガネをクイッと上げて、真剣な眼差しで盤上を覗きこむ関さんの姿に、自然と胸が熱くなる――
 
 やっぱり、カッコイイなぁ。この人の身体の熱は、どれくらいのものなんだろう? どんな抱き方をするんだろうか?

 触れられたい……触れて、みたい……

「そんなにじっと見つめるな。穴が開く」

 チラリと俺の顔を見てから、すぐ盤上に戻る視線。心なしか、少し頬が赤い。

「いいじゃん。見るのは俺の特権なんだから。穴が開いたら、塞いであげますよ」

「穴が開く前に、終わらせるさ」

 パチン!

 切りこむ俺の手を華麗にかわして、攻撃につなげられる。

 投了したらホントに、それで終わりだから、何とかして必死に食いつなげた。

 パチン!

「俺が棋院を辞めた理由……聞かないのか?」

「知りたいけど、関さんがイヤそうだったから、あえて聞かない方向でいた」

 パチン!

「聞けよ。俺のこと、何でも知りたいんだろう?」

「いいの? 俺、ストーカーなんだけど?」

「君になら……いいと思った。俺に似ているから」

 パチン!

 話が終わるまで、絶対に耐えてやる。

「教えて下さい。関さんのことを……」

「高校生のとき、師匠だったプロ棋士を好きになってしまったんだ。始めは、ただ憧れだった」

 パチン!

「先生に近づきたくて、必死に練習してどんどん強くなって、誰にも負けないくらい強くなったある日――」

 パチン!

 震えそうになる手で、一生懸命に打った。

「俺のことが好きなのかい? と先生が聞いてきたんだ。迷わず、はい。と返事をした。一度くらいこうして、相手をしてやるぞって、その後に言ってきた」

「それって――」

「ああ。君がさっき言った言葉と同じだ」

 パチン!

 関さんは碁石に手を置いたまま、動きを止めて深いため息をつく。つらそうな顔が、どうにも堪らない。

「おれは喜んで先生を抱いた。だけど本当に、それで終わってしまって……終わらされてしまったんだ」

「まるで関さんを、弄んだみたいに見えます。その人……俺、許せない……」

「俺が辞めた後、仲の良かった友人が教えてくれた。先生がメンタル面の弱い俺を、わざわざ鍛えてやったのにって言ってたって。そんな鍛え方あるのかって、俺は――」

「それ以上言わないで下さい! もう十分に分かりましたから。つらそうなアナタを……これ以上見たくないです」

 碁石に置かれたままの右手を、両手で包み込むようにそっと握りしめた。

 ――冷たい関さんの手。俺が温める事は、許されるんだろうか?

「それから俺は、人を信用出来なくなった。想いを伝える事も、素直になる事も出来なくなってしまって。人をキズつけてばかりいた」

「関さん……」

「だから君は俺と一緒にいたら、キズつく事になる。碁盤を見れば、一目瞭然だろ?」

 投了間際まで、追い詰められた俺。勝敗なんて、ぱっと見れば分かるくらいに、差は歴然としてて。容赦のないその手に、ずっと翻弄されっぱなしだった。

「キズついて、冷たくなった関さんの心……俺が温めちゃダメですか?」

 握っている手に、ギュッと力を入れる。困惑したメガネの奥の瞳を、じっと見つめた。

「逃げるなら、追いかけます。だって俺は、関さんのストーカーだから」

「随分押し売りする、ストーカーだな」

「本当は見てるだけにしようと思ってたのに……関さんが捜しだすもんだから、俺のヤル気スイッチに火がついたんです」

 この囲碁の勝負のように、結果は見えている。でも俺の気持ちを今、ここで伝えなきゃ、きっと……後悔する。

「関さんの好きなあの彼と俺じゃあ、全然タイプが違うの、分かってるんです。彼の代わりにはなれないけど、付き合ってはもらえないでしょうか?」

 俺が握っている関さんの手が、急に温かくなった。そして俺をグイッと引っ張る腕に、驚いて立ち上がる。

 気がついたら、関さんの胸の中にいた。

「君は温かいな。夏場は迷惑だが、冬場には重宝しそうだ」

「関さん……?」

 言ってる意味が、まったく分からない。

 きょとんとして関さんの顔を見上げると、まっすぐ前を見たまま、何故だか険しい顔をしていた。でもその頬は、いい感じに桜色をしている状態。

「囲碁の筋、悪くなかった。もっとしっかり練習すれば、きっと強くなれるだろう」

「はぁ……」

 どうして、囲碁の話になるのかな?

「君の囲碁の打ち方、俺は好きだ。あと、あの脅迫文……」

「脅迫文じゃないです。れっきとした俺の気持ちなんですよ。何かキズつくなぁ」

「だろ? 俺といると、どんどんキズつくんだ。だから」

「俺の囲碁の打ち方見て、分かってるでしょ? どんな状況でも、諦めが悪いって。関さんに、キズつけられるのなら本望だよ」

 ぎゅっと関さんの体に腕を回す。それだけでもすごく幸せだった。

「あの脅迫文、内容は最悪だが筆跡に好感が持てた。字の綺麗なヤツに、悪いヤツはいないからな」

「結局、脅迫文にされてるし……内容最悪って、俺の想いは一体……」

 俺がしかめっ面をして、ぶーたれると頭上でクスリと笑う声がした。前を見ていた関さんが、俺の顔を面白そうに見つめている。

「キズつけられるのが、本望だと言ったじゃないか。喜べ」

 そう言って、俺の頭を優しく撫でてくれる。意外とゴツい掌が頭を撫でるたび、鼓動がどんどん早くなっていく。

「綺麗な髪をしているな。無駄に長いのは、この丸みを帯びた頬を、隠すためなのか?」

 頭を撫でていた手を頬に移したと思ったら、ムニュムニュと引っ張りだす。

 さっきから意味不明……褒められてるのか、けなされてるのか分からなくなってきた。

 つか、俺の付き合って下さいの返事は、スルーする気なのか?

 何だか切なくなって、関さんの体に回した腕を解こうとした時――

 頬を引っ張っていた手が、顎に移して上を向かされた瞬間、関さんの顔がグッと近づいた。間近で見る関さんの瞳が、澄んでいて綺麗だと思ったら、唇に柔らかい感触が……

 心臓がぎゅうっと、鷲掴みにされた感じがした。

(何だよ、この不意打ちは――俺のことをどう思っているんだ?)

 荒々しく合わせてくる唇とは裏腹に、割って侵入してきた舌は、優しく俺の舌に絡ませてきて。

「ん……っ……」

 鼻から抜ける様な、甘い声が出てしまった。

 その優しい仕草が逆にもどかしくて、関さんの舌を追いかける。もっと俺を、求めて欲しいと願ったから。

 追いかけた矢先、体と一緒に解放された唇。やっぱりこの人は、どこまでも意地悪だ……

 俯きながら濡れた唇にそっと手をやり、キスされた事をつい、確認してしまう。

「囲碁が上手く打てたご褒美だ。喜べ」

 そう言ってカバンを手にし、玄関に向かう関さん。こんなのって、ズルイよ。勝ち逃げなんて。

 どうする事も出来なくて、ただ立ちつくす俺に背を向け、さっさと靴を履く。

 付き合うかどうかの返事くらい、くれたっていいのに。

 俺が下唇を噛んだら、振り返った関さんは笑いながら俺の手に無理矢理、何かを握らせた。

「ご褒美、その二だ。良かったな、俺の名前が分かって」

「はぁ……」

 手渡されたのは、関さんの名刺。関 鷹久――たかひさっていうんだ。監察官って仕事してるんだ、何か難しそうな事をしてそうだな。

「俺のホークアイにかかったんだ。これから覚悟しろよ?」

「何がですか?」

「ストーカーし返してやる。逃げても無駄だからな」

 また、意味不明な言葉を言ってるし……

 眉間にシワを寄せて、関さんをじっと見つめた。そんな俺の頭を、優しく撫でてくれる。

「君の事は嫌いじゃない。だからキスした」

「はぁ……じゃあ、好きなんですね?」

「言葉の裏の裏を読め。鈍いんだな」

「裏の裏って、表ですよ。さっきから言ってる事とやってる事が、かなり矛盾してます……」

「俺は素直じゃないと、宣告しただろう」

 しただろう。の「う」で、俺のオデコをデコピンした関さん。

「囲碁盤に負けない、いい音がしたな」

「酷いですよ、もう!!」

「君が暇な時に、そこに連絡を寄こせ。仕事が忙しくなかったら、囲碁の相手してやるから」

「囲碁の相手……だけ?」

 両手で関さんから貰った名刺を持ちながら、そっと顔色を窺う。

「どちらも君の努力次第で、何とかなるんじゃないか。じゃあな」

 俺の返事を待たず、風のように去って行った。努力次第で恋って、どうにかなるモノなのか!?

 俺は難しい顔をしたまま、また名刺を見る。これのお陰で、関さんとは繋がったままになった。

「嬉しい……見てるだけで、終わってしまうんじゃないかって思っていたから」

 だけど素直じゃない関さんと付き合うのは、さっきの囲碁のように、翻弄されるのが目に見える。近づくと逃げていくし、追わないでいると優しくされる。

 俺はこれから、どうすればいいんだろう?
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