エロサーガ 童貞と処女の歌

鍋雪平

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第八章「兄弟の愛と姉妹の絆」

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「変態とは孤独なものだ」
 ――そうは思わないか?
 アクセル王子は、年季の入ったボトルの栓を抜いて杯をくゆらせながら、ゆったりと足を組んで安楽椅子に腰かける。
 ここは、港に停泊した海賊船の中だ。
 アクセル王子が所有している船は、かつてエゼキウス王が率いていた大艦隊のうちの一隻で、エスペランサ号と言った。
 前後に三本のマスト、左右にそれぞれ五十本あまりのオールが並んだ大型の木造戦艦だ。進行方向に体当たりをするための衝角がついており、喫水が深くて浅瀬につっかえてしまうので、限られた港にしか入ることができなかった。
「今回たずねたのは、ほかでもない。私の義妹にして、貴殿の婚約者でもあるポリネシア姫様の件についてだ」
「だから言っただろう? 俺はもう皇太子なんかじゃない。自分の正体を隠したまま、まったくの別人として生きているんだ。今はただ、自由気ままに世界を旅する名もなき冒険者さ」
 アクセル王子は、ふっと埃と吹いたグラスにワインをそそいで乾杯をすすめる。
 執務室に据えられたテーブルの上には、コンパスで航路を引いた海図や、食べかけのサンドイッチ、交易品の帳簿などが散らばっている。船が波で揺られるたび、板張りの天井がぎぎっときしむ。
「よもや、そんな身勝手な理由で我が妹との婚約関係を破棄するつもりではあるまいな? さては姫様というものがありながら、ひそかに別の恋人と交際しているのだな? 事と次第によっては裁判も辞さないぞ」
「……裁判だって?」
「たとえどんな事情があろうとも、男同士の約束は必ず守ってもらう。それが我がセリルド家の家訓だ」
 セリルダは、握った拳でテーブルを叩いて啖呵を切った。
「これまで我ら一門が、王家のためにどれだけ多くの血を流してきたのか、知らぬわけではあるまい? それでも両家の同盟関係を解消したいと言うのなら、当家は貴殿及びその一族に対して賠償を求める」
「おいおい、冗談だろう? ちょっと待ってくれ、まずは落ち着いて話し合おうじゃないか」
 アクセル王子は、何やら落とし物でも探すように慌てて椅子から腰を浮かし、まあまあと両手でなだめる。
「何なら今ここで決着をつけても構わないぞ。この私に勝負を挑む度胸があるならな。さあ、文句があるなら表に出ろ。どこからでもかかってこい」
「君の言い分はわかったから、せめて決闘じゃなくて法廷で争わせてくれ。俺にだって正当な裁判を受ける権利があるはずだ」
「正義は必ず勝つ。そして私は絶対に負けない」
「結局は自分が正しいと言っているようにしか聞こえないが」
 セリルダは、立てかけてあった槍を取るなりきびすを返して船室を出ようとする。アクセル王子がそれを押しとどめてドアをもたれかかり、やれやれといった調子で肩をすくめる。
 処女信仰の教徒が多数派を占めるエール帝国において、結婚という制度は法律にもとづく契約と見なされる。
 宗教上の理由から一夫多妻や生前離婚が禁じられており、どうしても婚姻関係を無効にしたい場合は、相手の要求に応じて財産を分与しなければならないと聖典に記されているからだ。
 とりわけ王侯貴族にとっては領地の相続にも関わる話なので、ややともすると、夫婦仲のこじれや痴情のもつれが原因で血みどろの戦争に発展することさえあった。
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