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#9 散る花

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「皆さまにお知らせします。クラスメイトの三宮さんのみやるり子さんが昨日づけで退学されました。」


 それは、よく晴れたなんでもない日のことでした。
 教壇に立たれた青山先生が、小さい背中をもっと小さく丸めてボソボソとおっしゃいました。

 教室内がざわざわとする中、利発りはつなようこがすぐに反応しました。


「理由は何ですか?」

「・・・ご結婚のためです。」


 先生の今にも消え入りそうな声は嗚咽おえつをはらんでいます。
 しいんと静まりかえった教室のあちらこちらでは、少女たちのすすり泣きが響きました。

 アッサム女学院の生徒が卒業を待たずに自主退学することは、とくべつ珍しいことではありませんでした。

 私たちはカゴの中の鳥。
 おそらく、婚約者がたの都合で早く祝言をあげなくてはならない事情でもあったのでしょう。

 明るく、たぐいまれなる美少女だった彼女には、熱烈なファンがたくさんついていました。
 青山先生もそのうちの一人だということは、今の態度からもかいま見える事実でした。


 ※


「明日は我が身ですわね。」


 お弁当のから揚げを口いっぱいに頬張りながら、ようこがつぶやきました。


「なんのこと?」

「るり子嬢のことですよ。お相手はこの春に陸軍に入隊されたとか。
 お可哀想に。
 せめて来春まで待ってくれたら、高等女学院在籍の証である卒業証書をもらえましたのに。」


 ああ・・・。
 私はようやく、ようこの言っている意味がわかりました。

 私の婚約者・五色さまも海軍少尉・軍人です。
 世界情勢が安定しない世の中では、いつ軍隊から徴集をうけるかわかりません。

 そうしたお家の繁栄のために嫁ぐ期間が短縮されるのは、学生といえどまぬがれないということです。

 恐ろしい。
 その刹那、私は身震いしました。
 
 キャッキャウフフと笑い合う同級生たちの心地よい話し声が、急にむなしいただの雑音になります。
 この住み心地のよい女の楽園から出るという現実が、クラスメイトの結婚で早くも現実味を帯びてくるのです。

 それも、自分の意思ではないあらがえない【家同士の約束】によって・・。
 そう思うだけで、動悸がして立ちくらみがします。

 私は無性におねえさまに会いたくなりました。
 そんな私の気持ちを知ってか知らずか、ようこが私に聞きました。


「猿渡さまとは、あれから会っているのですか?」

「いいえ。文通のやりとりだけですよ。」


 私は、おねえさまの話題を振ってくれたようこに感謝しました。
 私にとって、うららおねえさまとの【純愛】だけが、暗い未来への緩衝材なのです。


「今度の文芸大会にはね、おねえさまをお招きしようと思っているの。
 もし、来て下さったら真っ先にあなたに紹介するわね。」


 年に一度の花形イベントである文芸大会は、女学生が体育館の壇上で演劇や合唱・吹奏楽や朗読などを一般の来校者に披露する会でした。
 家族以外の人も自由に出入りできるので、この時に想い人を呼んで白昼堂々と逢引きをする令嬢も少なくないのです。


「あ・・・でも現実にあの写真のままの猿渡さまが学校にきたら、ファンが増えすぎてみつきさまの心労が増えちゃうかも。」 
 ようこは顔をひきつらせて皮肉っぽく言いました。

 私はそんなようこの様子には気づきません。
 まぶたの裏に焼きついている、月明かりに浮かび上がったおねえさまの上品なお姿を思い浮かべました。


「そうねえ、本当に俳優のように高身長で美しく気高い方だものねえ。」

「もう、みつきさまったら!
 ごはん粒が袖口についていましてよ。」


 ようこはリスのように頬をプクッと膨らませました。


「最近、猿渡さまの話をするときに、ほうけたいやらしい顔をなさっているわ。
 いまは隣にようこがいることを、お忘れにならないで!」


 あの夜のことはようこにはしっかりと話せずに、部分的にかいつまんで話をしていました。
 特に【秘密の秘め事】の儀式をおねえさまにシたことは、内緒です。

 でも、もしかしたら勘の良いようこは何かしら気づいているのかもしれません。
 かいがいしく私の袖からごはん粒を取り除いたようこは、急に話題を変えました。


「そういえば文芸大会、演劇の主役である【お姫様】にはるり子さまが内定されていましたわね。
 先生、代役は誰にするつもりなのでしょう。」

「あら、そういえば。」


 担任の青山先生が三宮様しだということには薄々気がついていましたが、演劇の主役にまで内定されていたとは知りませんでした。
 ようこの情報網の広さに、私は感心するほかありませんでした。


「私ならみつきさまを推薦しますわ。
 みつきさまほどお姫様が似合う美少女はいないもの。」


 ようこの鼻息の荒さに私はドキリとしましたが、自嘲じちょうぎみに笑いました。
「私には無理ですわ。」

「百合のように華やかで、清楚でたおやかな大和なでしこ。
 みつきさまにもるり子さまくらいの社交性があれば、を寄せつけないくらいの人気者になれるのに。」

「いじわるね、ようこ。あなたは私の性格を知っているでしょう。
 私は人と関わらずに、小道具をコツコツと作るのがしょうに合っているの。」 

「ええ、もちろんですわ。私の大切なみつきさま。その内向的な品の良さが私は大好きなのです。
 けっして人気者にはならないでください。」

 
 ようこはうさぎの形のリンゴをかじって半分にすると、その残り半分を私の口の前に運びました。

 
「はい、あーんして。」

「もう。こどもみたいにしないで。」


 言われるまま口を開けた私の口腔こうくうにリンゴが丁寧に投下されました。
 甘酸っぱいリンゴを奥歯でかじると、口いっぱいに果汁があふれ出て私は口元を押さえました。


「みつきさまは、そのままでいてください。」
 制服のポケットからハンカチーフを取り出す間、私を優しく見つめるようこは、ポツリとつぶやきました。
 

「綾小路さん、ちょっといいかしら。」


 突然、昼休みだというのに青山先生が私たちの前に現れ、私たちは動きを止めました。


「来たる文芸大会の劇ですが、主役の【白雪姫】をあなたにお願いしたいのです。」

 

 


 
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