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第十章 (最終章)芋虫が蝶になる日

この世の果て

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 真冬のある日。
 あたしと新一しんいちは上野駅から青森駅まで走る急行列車きゅうこうれっしゃに揺られていた。

 新一しんいちに、唐突に旅行に行くと言われたからよ。
 しかも行先ゆくさきは明かされず、長旅になることと寒い地域に行くということだけを告げられて出発したの。

 新一しんいちは毛皮の襟のついた二重廻し外套インバネスコートに毛皮の耳あて帽、あたしはメリヤス地の膝まである角巻かくまきに耳あてのついた毛糸の帽子、それから底にすべりどめのついたブーツに革の手袋という完璧な防寒着ぼうかんぎの出で立ちだった。

 うーん。一体、何を考えているのかしら。
 新一しんいちの美しい横顔を盗み見ながら列車にゆられること17時間!

 流石にお尻がツラくて、旅に出たこと自体じたいを後悔したわ。

 やっぱり寝台列車しんだいれっしゃに乗れば良かった!
 事前に新一しんいちが提案してくれていたのだけど、目が飛び出るほど高い運賃だから遠慮してしまったのよね・・・。

 こういう時は意地を張らずに甘えるべきね。
 おリボンをつけて可愛くねッ!

 それから青函連絡船せいかんれんらくせんに乗り換えて船の旅。
 あたしは船に乗るのは初めてだから、最初は嬉しくてはしゃいでいたのだけど、最終的には船酔いで気持ち悪くなり、ずっと横になってのびていた。

 チーン。

 船とは相性あいしょうが悪かったみたい。
 下船げせんした後も揺れている気がして、波を見るだけでもオエッとなりしばらく気分が悪かったもの。

 函館に上陸してからはまた急行列車に乗り、丸一日かけて最東端の根室に着いた。
 根室からまた小さな船に乗り、日本で最大の砂嘴さしである野付半島のつけはんとうに下船したわ。

 どうやら、ここが新一しんいちの目的地のようだった。

 キンと冷えた限りなく澄んだ青い空に、荒涼こうりょうとした野付湾のつけわん
 それは目が覚めるように真っ白で、広大な平原のよう。

 あたしは、こんなとした色の景色を見たことがなかった。

「すごいわ。海が凍るなんて。」

 生まれて初めて見る絶景にあたしは心が震えた。
 海の下の魚たちは、どうやって生活しているのかしら?

 寒くても平気なのか、春まで一緒に凍ってるのか、海の下を覗いてみたいわ!

にようこそ。
 正確には、日本の果ての一つだけどな。」

 新一しんいちは気取って毛皮の耳当て帽子を取り、一礼をした。

「あれは冗談だと思っていたのに。」
 あたしは、彼があたしとの些細ささいなやり取りを覚えていてくれたことが、たまらなく嬉しかった。
 のろけるけど、新一しんいちのこういうところが好きなのよね。

「海の上を少し歩こう。」

 えッ、歩くの?

 あたしは腰がひけてたじろいだ。
「怖いわ。氷が割れたらどうするの?」

「この時期の野付湾のつけわんの周辺は、何メートルも分厚い氷の層になっているから、歩ける場所があるんだ。
 怖かったら手を繋ごう。落ちるときは一緒だ。」

 どちらにしても、落ちるじゃないの!
 説得力のない言葉だけど、あたしは新一と手を繋ぎたいから素直に手を出したわ。

 色男イケンメンでも安全装置にはならないから、勘違いしないでねッ!     

 グルリ360度見渡しても遮蔽物しゃへいぶつのない海の上を歩くのは、とっても神秘的!
 下を見ても海がけて見えたりしないから、やっぱり氷が分厚いのね。

 しかも、氷と言ってもツルツルしている道ではなく、粗削りされた氷のような表面だから、滑って転ぶ心配はなさそうよ。

 ※
 
 やがて、あたしたちは【トドワラ】と書かれた看板がある場所に着いた。
 
 って何かしら?   

「海水と潮風に浸食されたトドマツ林が枯木郡かれきぐんに変化したものなんだ。」
「終末感があるわね。」

 厳しい寒さの中に、あちこちに朽ち果てた白い大木たいぼくの死骸が点在てんざいしている。
 その荒廃こうはいした絶景は、青と白のコントラストと相まって、不思議な絵本の世界に迷いこんだ気持ちになる。

「あれ、人かしら?」

 5メートル先の黒い人影を指さしたあたしは、次の瞬間驚いた。
 人影だと思っていたものが、不意に大きな翼を広げて羽ばたいたのよ。

 それは天高く舞って、太陽にその姿をさらした。

「オジロワシだ。」
「あれが鳥? 人だと思った。かなり大きいわよね!」

 鷹狩たかがりで見た鷹も大きかったけど、このオジロワシはその何倍もあるわ。
 恐るべし

「見て! 鹿がいるわ!!」
 枯れたススキの陰に2頭の鹿を見つけたあたしは、興奮して跳びはねた。

「そんなに跳ねたら氷が割れるぞ。」

 新一しんいちがニヤニヤしながらあたしを見た。
「最近は計測していないが、公爵邸に居た時よりも明らかに・・・。」

 あたしは新一しんいちを無視して鹿を目で追った。

「親子かしら。」
「恋人かもしれない。」

「恋人にしては、片方が小さいし、ずんぐりしているわ。」
「じゃあ、俺たちと一緒だね。」

 『恋人』というワードが一緒なのか『小さくてずんぐり』が一緒なのかは、あたしはあえて聞かなかったけど、新一しんいちの肩を思い切り平手で叩いてやったわ。

 どこまでも続いて見えると、あたしたちの日常が重なる。
 たわいのない会話をしながら、新一しんいちとならどこまでも歩いていけそうな気がした。

「ねえ、いつからあたしを好きになったの?」

 あたしはふと、ずっと聞きたかったことを聞いてみたの。
 大蒼たいせいはともかく、新一しんいちは全然そんなそぶりを見せなかったから。

 新一しんいちの凍った長い睫毛まつげに白いしもがついていて、目を伏せた時にきらめいて見えた。

「最初から。」
「嘘よ。だって、あんなに何度もあたしのことを芋虫と・・・。」

「俺はね、芋虫が好きなんだ。」 

 新一しんいちはあたしの冷たくなった頬を両手ではさんで、ニヤリと笑った。

「俺が最初に目をかけて、手塩にかけて育てた芋虫だからな。
 まるまると太らせて、食べちゃいたいくらい可愛いと思っていたよ。」

「あんなにせろとうるさかったくせに・・・!
 意地悪なことばかり言い続けていると、あたしはいつか蝶になって飛んでいくわよ!」

 あたしがむくれて横を向くと、新一しんいちは急に真面目な顔をした。

「じゃあ、そろそろ首輪をつけなきゃならないな。」

 げげッ。
 またペットにするなんて言わないでよ?

 新一しんいちは、あたしの手を取って太陽にかざした。
 太陽の周りには虹が出来ていて、まあるい大きなプリズムみたい。

 光が眩しくて目を細めていると、あたしの左指に違和感いわかんが・・・。 

 んん?
 指輪・・・⁉

「お前を愛してる。
 いつまでも俺の側に居てくれ。」

 白い息を吐いた新一しんいちがあたしを後ろからぎゅっと胸に抱いた。
 寒い外気温と対照的に、熱い新一しんいちの体温が心地よい。

 あたしはドキドキしながら新一しんいちを見上げた。

「これって、まさか婚約指輪?」
「それに鈴もつけられたら完璧だったんだけどな。」

「もう、鈴はお断りだわ。」 

 あたしたちは、どこまでも続く氷平線の上で口づけをした。

 あたしはもう、女中でも、影武者みがわりでもない。
 でもこうして自分を必要としてくれる人を、愛し愛され生きることが素敵だと素直に思える。

 ひとりじゃないって、最強ね。

 左薬指にはめてもらった指輪を太陽にかざすと、まるで太陽が二つになったみたい。
 あたしたちは寄り添いあいながら、また手を繋いで歩き出した。
 

〈完〉 





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みんなの感想(1件)

椎名つぼみ
2024.03.31 椎名つぼみ

ゆきんこさん、完結おめでとうございます😆
遅ればせながら最終話まで読ませて頂きました。
大正ラブロマンスに令嬢の影武者バトル、ヒロインのかめちゃんが庶民派で可愛くて、最後までドキドキを共感しながら楽しみました😉
私は大蒼派でしたが、新一にときめくのも納得。
辛辣で意地悪な物言いは乙女心をくすぐりますよね!
はぁ、逆ハーはいいなぁ✨ゆきんこさんの作品を読んでいたら私も書きたくなってきちゃいました😁
素敵な物語を読ませて頂きありがとうございました~😆

ゆきんこ
2024.04.01 ゆきんこ

つぼみさん、読了&コメントありがとうございます!
かなりぶっ飛んだ思考と行動のヒロインになりましたが、かめの気持ちで逆ハーを楽しんでもらえたなら、書いてよかったなぁと心から思います。
新一みたいな優しいドSが好きなのですが、今回は書きながら私も大蒼派になってしまい、本気でラストを変更するか悩みました。
大蒼みたいな子犬男子と甘々な恋をする話もいいですよね。
お忙しいとは思いますが、つぼみさんの甘いラブロマンスもまた読みたいです!期待しています♡


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