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第1部
第3話:口先から滴る猛毒①
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ジリリリという目覚まし時計の機械音が耳元で鳴り、私は目をあけた。
真っ白でフカフカな布団に包まれたまま、眠気眼で呆然と天井を見上げた。視界の端でレースのカーテンが揺れる。
右足を軽く動かすと金属が擦れる小さな音が聞こえた。足首の忌々しい感覚は相変わらずだ。
身体を起こして耳元で鳴っていた目覚まし時計を止め、辺りを見渡す。
床にはフカフカの絨毯、ミラー付きの化粧台やテーブルなどが置かれている6畳くらいの広さの部屋だ。
枕元には私が好きな動物…ウサギのぬいぐるみ、ベッドサイドには綺麗な白いチェストと美しいアンティーク調が施されたナイトライト。
寝る前には置いていなかったコップには水が入っている。寝起きで喉が渇いているので頂くことに。
ここに連れてこられた頃なら疑ってこんなコップを口にしなかっただろう。でも今はいっそ毒でも入っていて、永遠の眠りにでもつかせてほしいくらいだ。
水が無くなったコップをチェストの上に戻して掛け布団をどかした。
分かってはいたが今日も足首にある金属の足枷が私の自由を奪っていた。足枷から伸びる太い鎖はベッドの足に巻きついて固定されている。
鎖はこのベッドの位置から部屋の端までくらいの長さはあるのである程度動けるが、部屋から出ることは出来ない。特別な力のない私にはこの鎖をどれだけ引っ張ってもびくともしない。
それにこの鎖を解いたところで逃げられるのか…窓の外は崖になっており、その下は海だ。
部屋も外側から鍵がかけられてる。
私はこの部屋に軟禁されているのだ。
途中で太陽が沈む回数を数えるのをやめたため正確な日数は分からないが、おそらく1ヶ月ほど前からだ。
親は今も心配しているだろうか…よく会いに行っている幼馴染は元気だろうか…。
先の見えない不安と寂しさから解放されたい。
その時コンコンと部屋をノックする音が響いた。
こちらは良いとも言っていないのに鍵を解除する音が聞こえた後、扉が開いた。
外からは予想通り、私をここに攫ってきた悪魔の男が入ってきた。
「おはようノエルちゃん、よく眠れたかな? 朝ごはんを持ってきたよ」
私が忌々しく睨んでいるのを気付いていないのかもう慣れたのか、いつもの調子で挨拶してきた。
私の名を呼んだその悪魔は、私とほぼ同じ身長の、男にしては小柄な悪魔だ。
金色の猫目をぱっちりと見開き、顔つきもどことなく幼さが残っている。
短くツンツン跳ねた黒い髪は動物の耳のようなシルエットをしており、丸い黄色の目も相まって猫みたいな悪魔だなと感じた。
初めて出会った時は頭に小さな2本の角と牛に似た尻尾が生えていたが、自分の意志で変身できるらしく人間のような姿をしている。
見た目の年齢は私とほぼ変わらないのに力が強い。
私はこの悪魔の見た目を猫みたいだと思ったが、あいつは私の身体を…脇の下に両手を入れて猫を持ち上げるかのごとく軽々持ち上げてくるのだ。
男性の方が女性より基本的に力があるとはいえ、人間と悪魔にはこれほど力の差が存在しているなんて絶望でしかなかった。
「今日の朝ご飯はクロックムッシュだよ。まだ温かいうちに召し上がれ!」
笑顔でそう言うと手に持っていたお盆をベッド横のチェストに置いた。
焼けたパンと香り高い紅茶の良い香りがした。パンは良い焼き色で半分に切られており、切り口からとろけたチーズとハムが見える。出来立てあつあつでいい匂いも相まって唾を飲み込んだ。
紅茶もパンに負けない良い香りが漂っていた。キャラメルのような甘い香り、端にはスティックシュガー2本とミルクが添えられている。
私の好みを把握されているのが癇に障る。
「……」
頂きます。とは口に出さずにパンを一口かじった。
サクッとした軽い音が鳴る。変な焦げ目もなく、見た目通りとても美味しかった。
チーズもハムもちょうど良い塩味で、塗られているソースとも相性抜群だった。
紅茶も香り高く、口元にカップを近づけたときの香りで一瞬気分が和らぐ。茶葉の蒸らし加減もちょうど良く、悔しいほど非の打ち所がなかった。
私が食べている間、悪魔はこちらをずっと見てくる。
なぜ毎回そんなにジロジロ見てくるのだ。こちらの身にもなってほしい。
「良かったぁ、食べてくれなかったらどうしようって心配だったんだ」
悪魔はほっと胸をなで下ろした。
正直初めの頃は抵抗していた。
空腹で美味しそうな匂いに涎が流れそうでも我慢した結果、自分でも分かるほど衰弱していった。それに対して相手も我慢できなかったのか、無理矢理私に食事を食べさせてきた。
悪魔の目が僅かに光ると、歯を全力で食いしばっても何故か口が開いてしまう。そこに温かくて美味しいスープでも一口、一口とゆっくり流し込まれれば、弱って思考が上手く働かないのと、身体は食事を求めているせいか飲み込んでしまう。
固形物でも自分の意思とは関係なく咀嚼してしまう。
悪魔曰く、相手の動きを操作する魔法を使ってるらしい。
なんて卑怯なのだろう。抵抗してもどうにもならないなら自分の意思で食べた方がマシだ。
そうでもないと延々と餌付けされるように悪魔が口元に運んできたものを淡々と食べさせられるだけだ。想像するだけで屈辱で胸が苦しい。
「美味しい?」
少し俯いている私の顔を覗き込むように小首を傾げて、聞いてくる。
「味付けが好みじゃない」
私は何度もしている返事を返した。
無駄な抵抗なのは分かっている。ただ全てこいつの思い通りに事が運ぶのが悔しいのだ。私が屈辱で苦しんでいる間もこいつはずっと笑顔なのだ。
完全に八つ当たりだ。でも少しでも不機嫌にさせてやらないと気が済まない。いっそ私に飽きてさっさと捨ててほしい。
相手は眉を八の字にさせて困っているみたいだ。
私の好みに合わせて作ってるのに好みじゃないと言われたのだ。その反応に何故か心が少し痛んだが、ざまあみろと言ってやりたかった。
しかし悪魔は何か思いついたのかハッと顔を上げた。
なんだろう、嫌な予感がする。
私が食べ進めないため殆ど口をつけられていない食事は片付けられ、朝起きたら置かれたコップに水だけ追加で注がれた。
「君に満足してもらえるための良い案を思いついた。ちょっと出かけてくるよ。今日は外に出たいと言ってくれたのにごめんね。僕がいない間溺れちゃったら大変だから外出許可は出せないけど、館内なら自由にして良いよ」
悪魔はそう言うカンッという金属音と共に足枷に付いていた鎖が弾かれ地面に落ちた。
これも魔法なのだろうか。
「お昼は適当にメイドを捕まえて何か作らせて。晩御飯の時には帰ってくるからさ、楽しみにしてて」
悪魔はそう言うと、私の返事も聞かず空気に溶けるように身体が透けて静かに消えた。
あいつが立っていた場所に手を伸ばすが何も掴めない。おそらくこれも魔法…なんの力もない一般人の私ではこんなのに勝てっこない。
自由に歩き回れるようになったので、窓を開けようと押したりひっぱったりしたがびくともしない。
あいつが窓を引けば簡単に開くはずなのに、私の力ではどうにもならない。
この部屋にずっと居ても気が滅入るので部屋の扉を開けて廊下を歩いた。
ここは本当に広い屋敷だ。
初めて来た時は大金持ちのお嬢様でも住んでるような場所だと思った。当時は造りの美しさに自分が置かれた状況も一瞬忘れて息を呑んだほどだ。汚れ一つない絨毯は廊下全面を埋め尽くし、壁や扉には豪華で美しい装飾が至る所に施されている。
一般人の私にとっては場違いで落ち着かない。
廊下には何人かのメイドが居て黙々と掃き掃除や窓拭きなど、各々の仕事をこなしていた。
表情や目には正気は一切なく、まるでロボットのようだと感じるが、触れると人肌の温もりを感じて少し怖い。彼女たちの目を覗き込むと僅かに目が光っており、瞳孔にハートの魔法陣のような模様が浮かび上がっている。
これがなんなのかは私は一切説明を受けていない。
しかしこれが、ただの模様でなく何かしらの魔法である事は容易に想像できた。
無言で手に触れても彼女たちは私に何か言う事もなくじっとしている。私が彼女たちの横を通り過ぎるとき、彼女たちは一時的に手を止め私に深々と頭を下げるのだ。
まるでそうプログラムされているように、彼女たちの行動には個性がなく全員そんな感じだ。
私はここのメイドたちが苦手だった。
やがて屋敷の出入り口にたどり着いた。
大きくて美しい装飾に細かいレリーフが彫られた両開きの扉は、本来なら触るのも躊躇うほど見事だ。
その取手を乱暴に掴んで扉を開けようとするがビクともしない。まるで扉の形をした壁のようだ。
分かっていた、出られない事なんて。
初めの頃は何度も逃げようとした。でも無理だった。
今みたいに自由に歩けようと、どこの扉も開かない。
無謀だと知りながら壁を壊そうと麺棒や火かき棒などで殴っても意味がない。どういうわけか窓ガラスにもヒビ一つ入らないのだ。
散歩に行きたいとねだって、悪魔の監視付きだが外出できた事も何度かあった。
悪魔がよそ見をしているうちに逃げたりもしたが、これも無駄だった。隠れても私のいる位置など初めから分かっているように、ジワジワ追い詰めてくるのだ。
助けを呼ぼうとしても、どういうわけか外には誰も居ないのでどうにもならない。それどころかこの屋敷以外に建物が存在しないのだ。
それに実際にされた事はないが、相手の動きを操作する魔法で足を止めさせ動けなくする事も出来るらしい。
ここに来てしばらくして気付いたが、ここは小さな島のようで海に囲まれており逃げ場が存在しない。
定期的に通りかかる船も存在しない。
死ぬ覚悟で海に逃げても、いつものようにすぐ見つかり連れ戻されてしまう。
まるで世界から切り離されたような、私とあの悪魔の為だけに用意された場所だった。
私が逃亡を諦めるのにそう時間はかからなかった。
こんな息苦しい状況に立たされているが、暴力を振るわれる事は一切ない。
監視付きで外出する時も礼儀正しくエスコートしてくれる。
部屋も初めはベッドしかないほど質素だったが、女の子が好きそうな可愛くて清潔感のある部屋になっていった。不快にさせようと欲しいものを要求しても、いつも次の日には全て用意される。
料理も美味しくなっていき、今ではプロが作ったものと遜色がない。
足に鎖をつけられた時も、眉毛をハの字に下げて『ごめんね』と申し訳なさそうに言ってくるのだ。何がごめんねだ…と思うが、異常なほどものすごく丁寧に扱われるのだ。
悪魔からかけられた言葉も全て愛情のあるものだった。こちらが邪険に扱っても一切怒らない。挨拶や問いかけにも丁寧で、うんざりしない程度に…定期的に私に愛を囁いてくる。
逃亡時、海に潜り溺れかけて死にそうになった私に涙を流しながら
『大丈夫?次からはもうこんな目に絶対あわせないから』と怒鳴る事もなく心配そうに言ってきた。
その時の悪魔の手は震えていた。
どうしてそんなに気が利くのに誘拐と軟禁なんてしてくるのか、本当に意味が分からない。
意味が分からないのに…あいつの対応に、最近はどういうわけか胸が高鳴るのだ。
自分自身、信じられないし信じたくない。
いっそクズならずっと嫌いでいられたのに。
私の自由を奪った誘拐犯なのに、こんな奴憎いと突き放してしまいたいのに、少しずつ絆されていっているのを感じていた。彼の不誠実なのに誠実な対応に、認めたくないけど少し惹かれている自分がいた。
ここから逃げて一生会いたくない。力の限り暴れてあいつを傷付けたい。
いや、こんなに私を愛してくれる相手は他にいないから一緒に居たい。私の手をとって優しく抱きしめてほしい…?
私は一体どうしてしまったのだろう。
どうしてこんな事になったのだろう。
どうしてこんなに気持ちが揺れているのだろう。
何故私はあいつへの強い憎しみを忘れかけているのだろう。悪魔なんだからその気にさせて突き放すなんて事やるかもしれないじゃないか。
相反する2つの心に引っ張られて、心が壊れてしまいそうだ。
私は扉に前に崩れ落ち、大きな涙をボロボロ溢しながら大声で泣いていた。
嗚咽も涙も抑える事ができず、膝下を涙で濡らした。
自分の精神が限界に近づいていると悟った。
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