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狐火

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西田冴

――人間は不思議だ。相手の瞳を見るだけで、相手がこちらを見ているかどうか判断できる。

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 私の愛おしい命は、張りと艶のある肌を持ち、ガラス玉のような澄んだ瞳で私を見ていた。赤ん坊の視界はぼやけて見えないらしいが、けれど私には分かる。この子は私の娘であり、私をじっと見つめている、と。

 私は十六歳の時に、娘を産んだ。あまりにも若い妊娠で、赤ん坊の父親である加藤創志は私の親に認められず、私はそれに反発し、創志と生まれてくる子供の三人だけで生きていくと決めた。今思えば、それが大切なものを失う理由となった大きな過ちだったと分かる。

 創志と私が出会ったのは二十三年前で、私が十六歳になる年だった。創志は私より四歳年上で、喧嘩っ早そうな見た目をしていた。家庭に居場所を見つけられず父も母も大嫌いで、夜な夜な遊びまわりいつ罪を犯してもおかしくなかった私を、高校に行くよう諭してくれたのが創志だった。

 春の終わりを感じてきた六月、私はその頃から高校に行かなくなり深夜に街中を徘徊していた。男にナンパされることは日常茶飯事で、自分の付加価値を男に抱かれることだと思っていた私は、その日もナンパしてきた男について行こうとした。その時通りかかった創志は突然、私の肩を抱いていた男の顔面を殴った。急な出来事に私は恐怖を覚え足がすくみ、創志をじっと見つめた。すると創志は私の腕を引き、物陰に私を連れて行くとすごい剣幕で私を叱った。

「は? お前誰だよ」

 口の利き方も知らなかった私は創志に掴まれている腕を大きく振った。

「あいつのこと、知らないのか?」

 しかし創志は私の腕を離さない。背後から先ほど創志が殴った男が私たちを追いかけてくる。創志は走り出そうとするが、私は足に力を入れこの場に残ろうとした。

「知らねぇよ!」

「なら尚更ダメだ」

 抵抗を続ける私を軽快に抱きかかえ、創志は走り出した。

「離せよ!」

 私がどんなに叫び暴れても創志は足を止めず、走り続けた。

 しばらく経ち創志はようやく足を止め私を地面に下ろす。コンビニも灯りもほとんどない場所に連れてこられ、私は創志に疑いの目を持った。

「何もしねぇよ」

 創志は地べたに座り、煙草を咥えた。

「私も欲しい」

「お前まだ未成年だろ」

 創志は煙草の煙を吐きながら私をまじまじと見る。私は舌打ちをして創志から距離を取って地べたに腰かけた。

「さっきの奴、ただのナンパじゃねぇからな」

「え?」

 私を抱えて走ったにもかかわらず創志の息は切れていなかった。代わりに汗をかいたようで、煙草を咥えたまま腕まくりをした。腕には蛇の入れ墨が入っている。

「あいつ、薬漬けにして金むしり取るんだよ。女は金になるから、標的になるんだ」

 煙草を地面に落とし、創志は立ち上がると煙草を踏みつけた。

「……それでも良かったのに」

 私はぼそっと呟いた。

「なんでだ? 薬なんて良いもんじゃねぇぞ」

「自分の人生、どうでもいいの」

 私は立ち上がり、創志を見上げる。

「ねぇ。家泊めてくれない? 何でもしてあげるよ」

 誘惑する私に創志は顔を近づけ、私はそっと目を閉じた。男なんて単純でいくらでも騙せるもんだな、と私は思っていた。しかし、いつまで経っても唇に温かみを感じない。目を開くと私を馬鹿にし薄ら笑いを浮かべる創志がいた。

「お前、思春期特有の、あれか」

 私の額にデコピンをし、クソガキ、と呟く創志。

「違う! 私は子供なんかじゃない」

 からかわれた羞恥から頬が紅潮し、私は創志から目を逸らす。

「子供だよ」

 創志は私の頭に手を置いて乱暴に髪を乱す。

「や、やめてよ」

「お前はまだ正しい判断が出来ない、大人に守られなきゃいけない子供なんだよ。家まで送ってやるから、帰るぞ」

 私の腕を引き、創志は歩き始める。

「家になんて帰らない!」

 創志の力に抗い、私は地べたに座り込む。軽く創志はため息をつき、しゃがむと私の顔を覗き込む。

「なんで帰りたくないんだ? 帰れる家はあるんだろ?」

「あって無いようなものだよ。私なんていなくても、誰も心配なんてしないし」

 私は足元にあった石を手で拾い、ポンっと遠くに投げる。自分で触ったにもかかわらず、指先についた砂に不快感を覚え怪訝な表情を浮かべた。

「誰も心配しないとかじゃなくて。親は子供を守る義務があるんだよ」

「そんな義務、私の親は果たそうなんてしないよ。私はできそこないの娘で、兄貴とは違うから」

 創志はじっと私を見つめた。
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