がらくた

奈越 三郎

文字の大きさ
上 下
1 / 4

202号室の男

しおりを挟む
 202号室の男は、猫を見つけたらしい。それは真っ黒なさらさらとした毛並みで、公園のベンチの下で、じっとうずくまっていたそうだ。彼はその猫を褒めちぎったよ。スーツの上に厚いコートを着ていたから、しゃがもうにもしゃがみきれず、中腰になって暗闇から街灯の明かりで浮かび上がる猫に、ずっと話しかけていたそうだ。男はまったく返事をしない猫に痺れを切らし、そばに転がっていた石を思いっきり蹴っ飛ばし、誰もいない公園を後にしたようで。
 けれどもその翌日も、男は公園にやって来たんだよ。その猫が泥だらけになっていることに気がついてね、彼は洗いたいと思ったけれど、あれは獣だからと諦めて、買ってきたキャットフードを置いて帰ったんだと。名残惜しいのか、何度も振り返ってね、夢、明日も待っててくれよと、ベンチの下へ、言葉も置いていったそうだよ。
 それから男はその公園に行かなくなって、春一番が吹いて、梅を散らしはじめたころにね、思い出したように帰ってきたんだ。陽光に照らされた公園でも、ベンチの下は真っ暗で、男はいつかのように、あの猫を見つけたんだ。キャットフードの袋はまだそこにあって、そのぼろぼろになった袋の後ろに、猫はじっとうずくまっていたそうだ。
 夢、ごめんな、年末忙しくて、忘れちゃっていたんだ、俺の家に来ないかって、男はもうしばらくぶりの優しい声で、猫に言ったよ。けれども一層薄汚くなった猫は何の返事もしない。だから男はね、夕暮れの中、買ってきた虫取り網に入れ、202号室に帰り、玄関のドアを閉めて気づいたんだ。これはただのぬいぐるみだって。
しおりを挟む

処理中です...