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第1章 こんな帝国は潰れて当然だ!

第1話 邂逅

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 眼を開けると、僕は小宇宙の中にいた。


 いや、一体何を言っているのかと聞かれても、そうとでも表現するしかないんだ。
 周囲は暗闇の中、たくさんの輝く星が瞬いている。まるでプラネタリウムの中にいるみたいだけど、頭の上だけでなく下の方を見ても、ずっと同じような世界が広がっている。自分の身体は浮いているわけではなく地面に付いているみたいだけど、地面らしきものは見えない。まさに、宇宙空間の中に立っているような光景が眼の前に広がっているのだ。
 一体ここは何処なのだろう? 一体僕はなんでこんなところに居るのだろう?
 当然湧いてくる疑問に僕が混乱していると、やがてある方角から太陽らしきものが昇ってきた。目には見えないけど一応地平線らしきものがあるらしく、太陽らしきものは朝日が昇るように徐々に姿を現し、それと共に周囲は次第に明るくなっていく。

 そして、その太陽らしきものを背景にして、一人の少女が僕に近づいてきた。見たところ、年齢は僕と同じ15歳か16歳前後、見事な金髪と碧い瞳をした輝くほどの美少女で、宝石や金の刺繍を惜しみなく使った、何となくオリエント風の高価そうなドレスを纏い、気品のある所作で歩いてくるその美少女は、どこかの国の皇女様であるかのように思われた。
 ……太陽の皇女様。何となく僕の脳裏にそんなフレーズが浮かんだ。とりあえず、僕はこの美少女をこの名前で呼ぶことにした。

 太陽の皇女様は、近づいてくると何やら僕に話しかけてきたが、全く聞いたことのない言葉なので意味が全く分からない。僕も日本語で「君は誰なの?」と問いかけてみたが、やはり通じないようだ。
 太陽の皇女様は,やがて意を決したように、さらに僕の方へ近づいてきた。同じ年頃の美少女に至近距離まで迫られるという、これまで経験したことのない事態に僕の心臓は高鳴り、一体何が起こるのかと戸惑っていると、太陽の皇女様はそのまま僕に唇を重ねてきた。初めて経験する女の子の甘い感触と共に、皇女様の唇から電流のようなものが走り、僕は意識を失った……。

■◇■◇■◇

 次に眼を開けたとき、僕は宮殿の一室のような部屋にいた。部屋の真ん中には、どこかの有名RPGでよく見る、大きなクリスタルらしきものが飾られている。部屋の中にいるのは、僕と例の「太陽の皇女様」、そして黒いローブに眼鏡をかけた銀髪の少年がいた。僕より背が低く顔立ちの整った少年は、見た感じ皇女様の従者のようだった。
「あんた、あたしの言葉分かる?」
 太陽の皇女様が僕に話し掛けてきた。相変わらず聞いたことのない言語だったが、今回は不思議なことに意味を理解できた。
「分かるけど、君は一体誰?」
 僕がそう問い返すと、彼女にも意味は理解できたようだった。
 太陽の皇女様は満足そうな笑みを浮かべて、

「うんうん、どうやら『意思疎通』の呪法は成功のようね」

といまいち意味の分からない独り言を呟いた後、僕に向かって話し掛けてきた。


「偉大なる栄光のローマ帝国にようこそ! あたしは、あんたの主人にして、偉大なるローマ人の皇帝イサキオス・アンゲロス・コムネノスの第18皇女、帝国で最も偉大なる神聖術の使い手にして、最も高貴なる緋産室の生まれ、テオドラ・アンゲリナ・コムネナ様よ。よく覚えておきなさい。あたしのアンゲロス家はね……」


 テオドラ何とかと名乗った皇女様の話は、あまり聞いたことのないアンゲロス家とやらの家柄自慢が延々と続きそうだったので、僕は彼女の話を聞き流しつつ、頭の中で状況を整理することにした。

 ……僕は単なる日本の一高校生であり、間違ってもこんな異世界っぽいところに連れて来られる立場ではない。ただ、僕はお父さんの影響で昔から歴史系のゲームが好きで、歴史の本も色々読んでいるのでローマ帝国のこともある程度は知っている。
 イサキオス・アンゲロス・コムネノスというのは,たぶん12世紀末の皇帝イサキオス2世のことであり、そうであれば彼女のいう『ローマ帝国』というのは地中海世界に覇権を築いた古代ローマ帝国ではなく、通称『ビザンツ帝国』『ビザンティン帝国』などと呼ばれる中世ローマ帝国のことだろう。

 そして僕は、トラックに轢かれそうになったりした覚えはないが、学校から帰って宿題を終えパソコンを起動したとき、新作オンラインゲームの広告らしき画面が現れ、目の前の皇女様に似た感じの美少女イラストと

「一緒にローマ帝国を再興し、歴史の旅を楽しみませんか?」

というキャッチフレーズに惹かれ、お試しでやってみようと思い「ゲーム開始」のボタンをクリックし、続いて全く意味の分からない言語で書かれた利用規約らしき画面が表示され、促されるままに「同意する」ボタンをクリックした(『同意する』ボタンと、「このボタンを押してね♪」という誘導だけは日本語で書かれていた)ところまでは覚えているものの、その後の記憶は無い。

 知識と記憶を整理した結果、この世界はおそらく、中世ビザンツ帝国を舞台にした、噂に聞くVR(バーチャルリアリティ)型の新作オンラインゲームであり、僕はその世界にログインしたのだろうと結論付けた。ちょうど皇女様の長話も終わり、「どう、分かった?」と尋ねてきたところだったので、僕はこう答えた。


「大体察しはついたけど、僕は課金しない主義なんで、あんまり活躍は出来ないと思うよ」


 すると皇女様は、訝し気な顔をして「課金って何よ?」と聞き返してきたので、僕は更に続けた。
「とぼけたって無駄だよ。オンラインゲームって基本無料を謳いつつ、ゲームが進んでくると次第に課金しなきゃ先に進みずらい設計になっていて、はまっちゃうと借金してまで何百万円も注ぎ込んじゃうような仕組みになってるんでしょ? 僕はその手には乗らないからね!」
 すると皇女様は、妙に憐れんだような顔をして答えた。

「オンラインゲームとやらはよく知らないけど、あんたの国ってそんな詐欺まがいみたいな商法が流行ってるのね。安心しなさい。この世界はあんたの言うオンラインゲームとやらの世界じゃないから、あんたの国のお金は一切取らないわ。むしろ、この世界できちんと仕事をして成功すれば、信じられないくらいのお金持ちになることも不可能じゃないわよ。どう? すんごい魅力的でしょ?」
「……まあ魅力的だとは思うけど、僕の仕事って何?」


「あんたの仕事はね、帝国摂政であるあたしのとして、国の政治とか戦争とかいろいろ面倒くさいことをやって、あたしにご奉仕することよ」


「奴隷!?」
 僕の抗議めいた叫びを完全にスルーして、皇女様は状況説明を続けた。
「イレニオス、分かりやすいように地図を開いてあげて」
 イレニオスと呼ばれた少年が杖をかざし,聞き取れない程の早口で呪文らしきものを唱えると、それまで何もなかった空間に画面が現れ、何やら地図らしきものが表示された。地形は、何となく現在のギリシアとトルコあたりに似ており、海峡を隔てて東西に分かれた2つの大きな陸地と、大小の島々が表示されていた。
「ここが、私たちの聖なる都よ。でも今は、野蛮で不信心な『十字軍』を名乗るラテン人共たちに占拠されているわ」
 皇女様は、地図上に表示された赤い丸を指さしつつ、そのように説明した。その場所は2つの大陸を挟む海峡の近くにあり、地形と状況からすればおそらくコンスタンティノープルのことだろう。僕は、あの広告画面が出て来なければ、僕は最近始めた英語版の歴史ストラテジーゲームで、今頃ビザンツ帝国を再建しローマ帝国復活を目指すプレイを続けていただろう。そんなわけで、ビザンツに関する知識はそれなりにあるのだ。

「そして、あたしたちの現在地が、ここニケーア」
 皇女様は、続いて表示された緑の丸を指さしてそう説明した。ニケーアと呼ばれた場所は、聖なる都から海峡を隔てた反対側にあり、距離的にはあまり離れていないようであった。それに続けて、

「現在、あたしたちの兵力は約2千。これに対して、ラテン人のブロワ伯ルイ率いる約5千の軍勢がニケーアに向かっているとの情報があります。これをちゃちゃっと撃退して、聖なる都をちゃちゃっと奪還して、偉大なるローマ帝国を復活させるのがあんたの仕事よ。分かった?」

 いかにも軽いノリでとんでもないことを口走る皇女様に、僕は思わず抗議した。
「その状況って、どう考えても滅亡寸前だよね!? 『ランペルール』のシナリオ5か、垓下の戦い直前の項羽並みにやばい状況だよね!? しかも、僕は戦争なんてゲームでやったことがあるだけで、本物の戦争なんてやったこともないし、どう考えたって無理だよ! 日本に帰してよ!」

「そうは行かないわ。あたしたちだってこの状況を乗り切れるかは死活問題だし、あんただって、もう奴隷契約書に同意してるから、この契約に拘束されるわよ」

「奴隷契約書って何!? 僕、そんなものにサインした覚えはないんだけど!?」
「何言ってんのよ。あんた、こっちの言葉で書かれた奴隷契約書をろくに読みもしないで、ここをクリックしてねって書かれた『同意する』ボタンをクリックしたじゃない」
 僕は思わず戦慄した。確かに、パソコン上でそんなボタンをクリックしてしまった覚えはあったが、まさかそんな恐ろしいことが書かれているとは考えもしなかった。
「そうすると、僕はローマ帝国再興とやらの目標を果たすまで、日本には帰れないわけ?」
「そんなことは無いわ。あんたの国には時々帰してあげるわよ。あんたの国で1日過ごして、眠りに付いたらこっちへ帰ってくる感じね。その代わり、ローマ帝国再興のミッションを放棄してこっちには戻ってこないと言うのであれば、奴隷契約書に基づき重大なペナルティが発生するわよ」
「どんな?」

「ペナルティとして、あんたの『男の子にとって一番大切なところ』をちょん切っちゃうわよ♪」

 僕は事態の恐ろしさに戦慄した。一応、そんな契約は公序良俗違反で無効になるはずだと反論してみたが、側にいたイレニオスに「この世界では、あなたの国の民法は適用されない」と切り返されただけだった。
もはや反抗する術を思いつかなかった僕は、

「……分かりました。微力を尽くします」

と答えるしかなかった。
 なんてことだ。僕はどうやら、オンラインゲームよりもっと恐ろしい世界に入ってしまったらしい。

■◇■◇■◇

「そういえば、あんたの名前を聞いてなかったわね」
 皇女様にそう言われたので、僕が自分の名前を告げたところ、

「なによそれ。かっこ悪いし呼びにくいわ」

と即答された。
 ……誰が聞いても、皇女様の名前の方が覚えにくいだろうに。ここまで読んでくれた読者さんの中でも、テオドラ何とかという皇女様の名前をフルネームで覚えている人が一体何人いるだろうか。
 そんな僕の思いをスルーして、皇女様は僕にこう言い放った。

「いいわ。あんたには、あたしが良い名前を付けてあげる。ミカエル・パレオロゴス、これが今日からあんたの名前よ。由緒ある名門貴族の格好良い名前なんだから、大事にしなさい」
「格好良いかどうかは知らないけど,そんなに呼びやすい名前ではないような……」
「じゃあ、普段はあんたのこと『みかっち』て呼ぶことにするわ」
 勝手に名前を付けられた上に、さらに略された!

 もっとも、僕は皇女様の奴隷にさせられた身分である。僕の『男の子にとって一番大切なところ』を守るためには、少なくとも当面は、何を言われても皇女様の命令に従う以外に選択の余地はなかった。
「……分かりました。ミカエル・パレオロゴスの御名、有難く頂戴いたします。皇女様」
「ああ、あたしの呼び方はテオドラでいいわよ」
 傲慢不遜な割に、結構フレンドリーな皇女様だった。

「それではテオドラ様、1つ質問してもよろしいでしょうか?」
「いいわよ。あと、あたしを呼ぶときは単に『テオドラ』でいいから。『様』は要らないわよ」
 さいですか。それじゃあお言葉に甘えて。
「さっき、たくさんの星が煌めく宇宙空間のようなところから、太陽をバックにテオドラが出てくるシーンがあったと思うんだけど、あの世界は何?」
「あの演出、格好良かったでしょう? 結構苦労したのよ。構想と準備に3日間くらいかかっちゃったんだから」
「ただの演出なの!?」
「ただの、とは何よ! 豪華な演出で新たな来訪者を感激させるのが、劇場国家たるローマ帝国の伝統なのよ。みかっちも覚えておきなさい!」
 自分の国が滅亡寸前というときに、ただの演出に3日もかける皇女様。
 ……本当にもう駄目なんじゃないのか、この国?

■◇■◇■◇

 そこから先の手続きは、訳も分からないうちに進められていった。僕は、宮廷のメイドさんたちによって、この世界の礼服に着替えさせられ、テオドラの父親であるイサキオス帝に謁見を許された。
「父上、件の『神の遣い』として復活した、ミカエル・パレオロゴスを連れてまいりました。」
 テオドラが、イサキオス帝に僕のことをそう紹介した。「神の遣い」とか「復活」ってどういうことだと聞きたいところではあったが、仮にも皇帝陛下の御前でそんな質問をするわけにもいかない。

「神の遣い殿は、どんな姿をしておいでかな?」
「黒髪黒眼で、とても美しい容貌をしておられます」

 イサキオス帝が、側近らしき女性とそんな問答をしていた。
 この国で皇帝に拝謁する際の作法となっているらしい、跪拝礼を終えてイサキオス帝のご尊顔を拝見したところ、イサキオス帝は既に老齢で、眼も見えないようだった。しかも眼の傷跡を見る限り、病気で眼が見えなくになったのではなく、何らかの刑罰を受けて盲目にされたようであった。
 いずれにせよ、盲目では皇帝自ら政務を執るのが不可能なので、娘のテオドラが摂政を務めているということは分かった。なお、「とても美しい容貌」というのはたぶんリップサービスだと思う。僕は、「男の子なのに可愛い」などと言われて内心傷ついたことはあるが、とても美しいなどと言われたことはない。

 そんな儀式を経て、僕はイサキオス帝から「摂政補佐」なる役職に任じられた。
 イサキオス帝との拝謁が済むと、テオドラ皇女様はさっさと自分の部屋に帰ってしまい、僕はその後イレニオスから「軍事面についてはマヌエル・ラスカリス将軍に、政務面についてはゲルマノス総主教に聞くといい」と助言され、2人を紹介された。
 ラスカリス将軍は40代くらいの、いかにも老練の軍人らしい頑強そうな身体と容貌の持ち主で、ゲルマノス総主教は見た目20代ないし30代くらいと意外に若く、温厚そうな感じの人だった。
 2人との挨拶を済ませると、あまりの事態で精神的に疲れ切っていた僕は、さっきの『神の遣い』とか『復活』ってどういうことだと突っ込む気力もなく、食事を取ってすぐさま眠りについた。何を食べたかはよく覚えていないが、宮廷料理という割にはあまり美味しくなかったような気がする。

(第2話に続く)
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