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第2章 僕が摂政をやらなければならないの!?

第20話 ゲオルギオス・アクロポリテス

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 1年限りの政務代行なら大きな問題にはならなかったが、長期にわたり帝国の政務を担うとなると、政務に関する優秀な補佐役は必要不可欠である。
 現在のところ、政務についてはゲルマノス総主教が僕の補佐役を務めているが、ゲルマノスは有能ながらも、ニケーア総主教の職務と政務補佐官の仕事を兼任している状態であり、その業務多忙ぶりを見ると、これ以上の無理は言えない。プレミュデス先生は学識こそ豊富だが、既に老境の域に達している。
 そんなわけで、僕は目前の軍事・外交的任務に対処する一方、政務面で僕を補佐してくれる、できれば比較的若手で有能な人材を探す必要に迫られていた。


 そして僕は、ゲルマノス総主教に以前依頼していた件、すなわち帝国内にある膨大な休耕地に難民たちを入植させる政策を実行できる有能な政務官候補を探してくれという件について、ゲルマノス総主教から候補者のリストが出来たというので、早速その候補者たちと面接することにした。

 最初に呼ばれたのは、ニケタス・コニアテスという人物である。総主教から渡されたプロフィールによると、ニケタスは高名な文人として知られており、アンドロニコス帝以下の歴代皇帝に仕え、宮廷秘書官や大法官などの要職も歴任しており、現在はニケーアの貧民街で暮らしつつ、ローマ帝国の歴史などをまとめているという。何となく期待できそうだ。
 ところが、実際ニケタスに会ってみたところ、彼は既に50歳を過ぎた老人で、プレミュデス先生と概ね同年代の人だった。しかも僕は、ニケタスと話しているうちに、だんだんと気分が悪くなってきた。僕は

「ニケタス殿は、現在の帝国経済にどのような課題があるとお考えですか?」
「聖なる都の奪還に向けて、我々はどのような政策を取るべきだとお考えですか?」

といった、極めて現実的な質問をしているのに、ニケタスは僕のよく理解できないプラトンとかアリストテレスとか、ギリシア古典の哲学や神学に関する知識を披露するばかりで、こちらの質問に答えようとしない。この人はあれだ。お父さんが言っていた、何年必死に勉強しても司法試験に落ち続けるタイプの人だ。

 そして僕が最後の質問、「先生は、聖なる都がラテン人に奪われることになった最大の要因は何だとお考えですか」という問いに対し、「我々の罪に対し父なる神が与えられた罰です」という答えを受けたとき、僕の心は決まった。

「先生、ご高説ありがとうございました。気を付けてお帰りください」

 形ばかりの謝礼金を渡し、ニケタスにはお引き取り願った。そしてニケタスが帰った後、僕はゲルマノス総主教に告げた。

「不採用。あんなのは要らん」

 その後も何人かの知識人とされる人物と面接したが、誰も彼もニケタスと似たり寄ったりの人物ばかりだった。最後の人物が帰った後、僕はついにぶち切れた。

「この国の知識人にはろくな奴がいないのか!! どいつもこいつも、二言目にはプラトンがどうだのと、役に立たない話ばかり! 聖なる都がラテン人に奪われたのは、要するにこの国の知識人が、揃いも揃ってこんな連中ばかりだったからじゃないのか!?」
「殿下、これにはちょっと事情がありまして」
「どういう事情?」

「この国では、ギリシア人の古典に関する深い見識が、長きにわたり文官の登用資格となっており、古典に秀でたものこそ優秀な知識人というのが長きにわたってこの国における常識でございました。そのため、皆古典の知識を披露すれば、殿下からも高い評価を得られると思い込んでいるのです」
「知識人でも、例えば総主教やプレミュデス先生はそんなことないけど?」
「私は殿下にお仕え慣れておりますし、プレミュデスについては殿下の家庭教師役を申し付けるにあたり、殿下は遠い異国の出身で古典の知識などはおそらくありませんから、あまり難しい話はしないようにと事前に申し付けております」
「じゃあ、今来た連中にはそういうことは言っていないの?」
「言っておいたのですが、プレミュデス殿のような単なる家庭教師役ではなく、帝国の内政を担う高位文官を採用するための面接となると、どうしても気合が入ってしまうのでしょう」
「一体どうしようかな……」

 現在、僕の周りは深刻な文官不足だ。ラスカリス将軍を始め有能な軍人はそれなりにいるが、文官はゲルマノス総主教とプレミュデス先生くらい。兵士たちも山賊上がりの連中や異国出身の傭兵が多く、略奪したら忠誠度が上がりそうな連中ばかりだ。こんなメンツでは帝国の統治は成り立たない。
 だからと言って、今不採用にした連中をもう一度採用する気にはなれない。頭の良さそうなイレーネにも話を振ってみたが、どうやらイレーネは政治には関心がないらしく、「申し訳ないが、私はその方面ではあなたの役に立つことができない」と謝られてしまった。

「殿下は、どのような人物をご希望なのですか?」
 ゲルマノス総主教の問いに対し、僕は次のように答えた。

「第一に、実績は無くてもいいから、まだ若くてエネルギッシュな人。
 第二に、必要以上に古典を引用したりせず、国の政治的問題について現実的な思考ができる人。
 第三に、官僚たちを率いて大規模な政策を遂行できるリーダーシップのある人」

 たぶんそんな人はいないだろうと駄目元で言ってみたのだが、総主教からは意外な答えが返ってきた。

「私は、その条件すべてに合致すると考えられる人物に、1人だけ心当たりがございます」
「誰?」
「ゲオルギオス・アクロポリテスという人物です」
 何か聞いたことのある名前が出て来た。皇帝ミカエル8世の宰相として、某ゲームにも登場している人物だ。
「どんな人?」

「私の学問の師、コンスタンティノス・アクロポリテスのご子息にあたる人物で、年齢はまだ30歳近くと若いですが、早くから帝国屈指の碩学として名を馳せておりました。
 しかし、帝国の政治があまりにも腐敗していることに幻滅し、イサキオス帝が復位された頃に職を辞し、現在はアトス山の近辺で隠遁生活を送っております。父子ともに伝統的なギリシア古典に拘泥せず、アクロポリテス先生の教えは現実的で分かりやすいと教師としても評判でありました」

「そんな人がいるなら是非連れてきて! というか、何でその人が総主教の作った候補者リストに入っていなかったの!?」
「アクロポリテス殿は正義感の強い硬骨漢でありまして、私も彼と手紙のやり取りは続けているのですが、文官に採用するからと言って簡単に来てくれるような人物ではありません。もし彼をお召し抱えになりたいということであれば、殿下自らご説得に赴いて頂くしかないと思われます」
「分かった。僕が行く」
 僕は即答した。

■◇■◇■◇

 こうして、僕はアトス山にいるというアクロポリテスの許へ向かうことになったのだが、アトス山はラテン人のテッサロニケ王が治めている領地の近くにあり、大勢の護衛兵を連れて行くと問題が起こるため、御供の数は必要最低限に絞ることにした。その結果、

「……どうしてこうなった」
 僕は、アトス山へと向かうジェノヴァ船の中で頭を抱えていた。僕の御供は2人、テオドラとイレーネである。
「どうしたのみかっち? ひょっとして、自瀆行為のやり過ぎで疲れた?」
「違うよ! イレーネはともかく、何で君が御供の中に入っているんだよ!?」

 ちなみに、テオドラが自瀆行為について知っているのは、テオドラは僕の反応が面白いといって何度も僕の入浴中に裸で乗り込んでくるようになり、僕の大事なものが「爆発する」ところを見たいと言い出し、僕の抵抗を押しのけて僕の大事なものを触りまくり、その結果テオドラの目の前で僕の大事なものが暴発してしまったことがきっかけである。
 そして、これはどういう現象かとテオドラに問い詰められ、僕も説明せざるを得なくなった結果、テオドラは男の子の大事なものを触りまくり、おしっこでない何かを発射させることが男の子の自瀆行為であることを理解するようになってしまった。
 ただし、その発射されるものが本来何に使うものかについては、今のところ説明していない。

「当たり前じゃない。か弱いみかっちの護衛をする最精鋭の2人と言ったら、このあたしとイレーネに優る者はないでしょ?」
「確かに、戦闘能力に関しては問題ないけど、テオドラ、君は今回の旅の目的を理解しているの?」

「もちろん知ってるわよ!」

 テオドラはそう言って、大きく胸を張り僕を指差した。これはたぶん、さあボケるわよというサインだ。絶対まともな答えは来ない。

「アクロポリテスをふん縛ってニケーアに連れてくることでしょう?」

「違うよ! 彼を説得して、帝国の政務官になってもらうためだよ! 間違っても、アクロポリテスさんに失礼なことをしちゃだめだよ!」
「アクロポリテスなんて大して役に立たないわよ。一応緑学派の博士だけど、適性65しかないのよ」
「アクロポリテスさんには、別に術士としてではなくて、帝国の政治を担う官僚としての役割を期待しているんだよ。ゲルマノス総主教だけでなく、プレミュデス先生も彼なら絶対役に立つと太鼓判を押してくれたし」
「駄目よみかっち! 政治を官僚任せにしちゃあ。『脱官僚』の旗印のもと、政治主導の行政改革を進めなさい!」
「僕の国には、そんなことを言って大失敗した政党があるよ!」

■◇■◇■◇

 テオドラとそんな会話を続けているうち、僕たちの乗った船はアトス山に近づいた。
 アトス山は、ギリシア正教の聖山とされる場所である。狭い地峡によってテッサロニケ近くの本土と繋がっているものの、半島の先端にあって、おそらく標高2000メートルを超える高い山である。
 アトス山は鋭く海上から屹立し、周辺は多くの木に覆われて近寄り難く、そんな山を登ったところ、本来なら人が住むような場所ではないと思える場所に数多くの修道院が建っている。
 この地には、古くは俗世から遠く隔てた無人の隠遁地を探し求めた修道士が住み着くようになり、やがて聖山としての人気が高まって多くの修道士たちが住み着き、多くの修道院が建ち並ぶようになったという。
 この地は、ビザンティン帝国からも聖山として特別な地位を保障されており、修道士たちによる一種の自治共和国が形成されている。なお、聖なる都を容赦なく劫略したラテン人も、この聖山は尊重しているらしい。

 僕はアトス山の船着き場で下船した後、入口の検問所らしきところに向かった。そこには、門番らしき修道士が立っていたが、「女は駄目だ」とまずテオドラが追い払われ、続いて「若くて髭の無い男も駄目だ」と言われ、僕とイレーネも追い払われた。仕方のないことではあるが、相変わらずイレーネは男だと勘違いされているらしい。

「どうして僕が駄目なんですか!? 僕、立派な男なんですけど? それに、僕はローマ帝国の摂政ミカエル・パレオロゴスで、用事があってこの山に来たんですけど、それでも駄目なんですか!?」
 僕は門番に食って掛かったが、すげなくこう返された。

「どんな身分であろうと、お前のような見るからに同性愛の相手方になりそうな若い男は駄目だ」

 僕はこの一言で仕方なく引き下がったが、この件がきっかけで僕はアトス山が大嫌いになった。こんな山、いつか叩き潰してやろうと思っていた矢先、僕以上に怒っている人間がいた。テオドラである。

「なにが『女は駄目』よ! こんな山、あたしのメテオストライクで一網打尽にしてやるわ!」
「待ってテオドラ、今はまだその時じゃない! ここで事を荒立てないで!」
 僕とイレーネが必死にテオドラを止め、「このふざけた山にはいつかきつい仕返しをしてやるから」と言い含めて、ようやくテオドラを落ち着かせた。
 なお、「そもそも聖山を吹っ飛ばしちゃダメだろ」などと無粋な突っ込みを入れる人間は、この場にはいない。僕は、織田信長による比叡山延暦寺焼き討ちを、極めて高く評価しているのだ。

 ちょっと話が逸れたが、その間にも門番による検問は粛々と続き、人間の女は言うまでもなく、山に荷物を運ぶための牛や馬でさえも、メスは駄目とされ追い返されていた。
「女人禁制なのは分かったけど、どうして牛や馬のメスまで駄目なのかしら」
「さあね」
 僕はとぼけて見せたが、大体察しは付いていた。この世界には現代日本にはない(と思う)獣姦の風習があり、牛や馬のメスは男性によって、いわゆるオ〇ホール代わりに使われる恐れがあるからである。それはともかく、なんとかしないとわざわざこのアトス山まで来た目的は達成できない。僕は門番にもう一度懇願した。

「すみません、僕たちゲオルギオス・アクロポリテスさんのところへ行きたいだけなんですけど」
「アクロポリテス? ああ、あいつは修道士じゃないから、あいつの家は向こうだ。ここを通る必要はないよ」
 門番が指さした先には、林の中に一軒の小さな木造家屋が建っていた。アクロポリテスさんは、どうやらあの家に住んでいるらしい。
「ありがとうございます」
 僕は一応門番にお礼を言った後、テオドラとイレーネを連れてその家屋に向かった。僕は家の扉を叩き、こう呼びかけた。


「すみません。ゲオルギオス・アクロポリテス先生はおられますでしょうか? 僕は、ミカエル・パレオロゴスと言います。先生に御用があって参りました」
 すると、扉が開き、家の中から1人の少年が現れた。
「ミカエル様ですか? すみません、お師匠様は本日お留守です。明日には帰ってくると思うのですが」
「君は?」
「お師匠様の弟子で、この家に住まわせて頂いて様々な学問を教えて頂いている、ゲオルギオス・パキュメレスといいます」
「パキュメレス。それでは、ミカエル・パレオロゴスが明日また来ますとお師匠様に伝えておいてくれないかな?」
「分かりました」

 こうして、僕たちはアクロポリテスの家を後にし、アトス山の麓にある宿屋で一泊することにした。聖山といっても多くの人や物が集まるため、その麓にはちょっとした町のようなものも出来ており、小規模ながら宿屋もあったのだ。
 その宿屋でのこと。
「ねえねえみかっち」
「何? テオドラ」
「他人に何か尋ねられたときは、きちんとボケなさいよ! だからあんたのエンタメ度は1なのよ!」
「僕は芸人じゃない! それで何の話なの?」
「みかっち、あのぱーすけって子、どう思う?」
 ぱーすけというのは、どうやらパキュメレスのことらしい。早くも略しやがった、この女。
「別にどうも思わないけど」
 ただ、某ゲームでもアクロポリテスの弟子として登場していたパキュメレスと同じ家門名なので、あの子も将来は有能な人材になるのかなと思っただけだ。

「でも、あの子いかにもみかっちの好きそうな子じゃない?」
「僕は男に興味は無いけど」
 確かにイレーネに似て中性的な顔立ちではあるけど、あの子は間違いなく男だ。近づいてもイレーネのようにドキドキしたりしない。
「でも、イレーネのことはすごく可愛いとか言ってたじゃない」
「イレーネは女の子だし、実際すごく可愛いもの」
「あのぱーすけも、イレーネと似たような感じじゃない?」
「僕にそういう趣味はありません!」
 そんな僕たちの話を聞いていたイレーネは、途中で逃げるように別室へと去ってしまった。どうしたのかな。

■◇■◇■◇

 翌日。
「ミカエル様ですね。えーとすみません、お師匠様はさっき帰っていらっしゃったのですが、別の所用でまた出かけてしまわれまして、本日は遅くまでお帰りになりません」
 パキュメレスが申し訳なさそうに返答すると、テオドラがキレた。
「アクロ~!! 適性65のヘボ術士の存在で、このあたしを何だと思ってるのよ! こんな屋敷、丸焼きにしてやるわ!!」
「テオドラ、それだけはやめて! ほら、パキュメレスも怯えちゃってるから!」
 実際、激昂した挙句に炎の弾まで出したテオドラの姿に、まだ10歳くらいのパキュメレスは怯えまくり、僕の後ろに身を隠してブルブル震えていた。
「ここで怒りに身を任せるのは、彼のためにならない。自重すべき」
 イレーネにも宥められたテオドラは、火の弾を近くの海上で航行していたヴェネツィア船に向けて撃った。
 テオドラによる八つ当たりの相手にされた不幸なヴェネツィア船は、一撃で黒焦げになり沈没した。どうやら、魔法攻撃が効かないというミスリル銀製の特殊装備をしている船は、ヴェネツィア船の中でもごく一部に過ぎず、他の船に対してはテオドラの攻撃も効くらしい。

「ぱーすけ! 生意気なアクロに伝えておきなさい。もし明日いなかったら、あの船と同じ運命にしてやるからってね!」
「……は、はい。テ、テオドラ皇女様」
 怯えまくったパキュメレスを残し、僕たちは仕方なく宿屋に戻り、もう一泊した。

■◇■◇■◇

 その翌日。
 僕としてはアクロポリテスさんが在宅しているかどうかより、むしろ「女張飛」ことテオドラの怒りが爆発しないかどうかの方が心配になった。
「イレーネ、今日も留守だったらテオドラが暴れ出しそうなんで、先に僕たちだけで確認してみない?」
「承知した。確認する」
 イレーネはそう答えると、杖を振りかざして何もないところに向かって呼び掛けた。

「こちら、緑学派博イレーネ・アンゲリナ。ゲオルギオス・アクロポリテス博士に問う。博士はご在宅か」
「こちら、ゲオルギオス・アクロポリテス。本日は在宅しております。皆さまのご来訪をお待ちしております」
 知らない男性の声が聞こえてきた。
「確認完了。アクロポリテスは確実に在宅している」

「ちょっと待てーい!!!」

 僕の突っ込みに、イレーネは素で返してきた。
「何?」
「何ってイレーネ、今の術は何!?」
「通話の術。学士以上の術士であれば、誰でも使用できる」
「そんな便利な術があるなら、どうして今まで言ってくれなかったの!?」
「……あなたは術士ではない。残念ながら、術士でない者に神聖術の詳細を教えることはできない」
 このイレーネも、なんか融通の利かない子だ。

 僕は気を取り直し、テオドラとイレーネを連れて三度目になるアクロポリテス家への訪問に向かった。
「み、ミカエル様ですね? ほ、本日はお師匠様もご在宅です。……お通しします」
 そういうパキュメレスは、僕の後ろにいるテオドラに怯えまくっている様子だった。


「ミカエル・パレオロゴス殿下でいらっしゃいますね? お初にお目にかかります。私、ゲオルギオス・アクロポリテスと申します。先日は所用の為家を空けてしまい、失礼致しました」
 アクロポリテスは、外見はまだ20代。物腰穏やかな紳士だった。特別に美男というわけではないが、一見して頭が良さそうという印象を受けるところは、何となくうちのお父さんに似ている。
「アクロポリテス先生、こちらこそ不躾な訪問失礼致します」

「それで、ご令名高きカイサル殿下は、この世捨て人にどのような御用ですかな?」
「まずは、この国の政治について、碩学とのご令名高き先生に御助言を賜りたく思います」
 僕はそう言って、まずは自分が考えている、難民たちを休耕地に入植させて帝国の直轄地にするという政策案の当否について尋ねた。すぐに自分に仕えてくれという話に入らなかったのは、本当に評判どおりの人材かどうかテストするためでもある。

「大変良いお考えかと存じます。ただし、アジアの地勢は複雑であり、耕作を再開するにあたっては、その地勢、気候その他の条件に照らして最も適した作物を選ぶ必要がございます。
 また、土地によっては農耕より牧畜に適した地もございますし、長期間農業を続けるには土壌の養分を回復させる必要もございます。農耕と牧畜を上手く組み合わせて、最適の農業生産を行う必要がありましょう」
 なるほど。僕にはなかった発想である。ゲームでのアクロポリテスは、たしか「農業」の特技を持っていなかったはずだが、こちらのアクロポリテスさんは、どうやら農業にもかなりの造詣があるらしい。

「貴重なご助言ありがとうございます。次に、僕はこの国に来て1年余りになりますが、ローマ帝国は貧しい一方、ヴェネツィア人やジェノヴァ人は、我々とは比較にならないほどの富を蓄えているようです。どうして、このようなことが起きているのでしょう?」
「ヴェネツィア人やジェノヴァ人は、交易によって莫大な富を蓄えています。その取り扱う品目は多岐にわたり、その中には悪評高い奴隷貿易などもありますが、中でも重要なのが胡椒です」
「胡椒?」

「胡椒は、肉料理などに不可欠の調味料であり、医療にも使われています。遠いインドの地では多く生産されており、その地では比較的安く手に入るそうなのですが、熱帯の地でしか栽培できないらしく、残念ながらこのロマーニアやその近辺では栽培できません。
 そこで、この胡椒が商人たちの手によってインドからシリア、エジプトへと運ばれ、ヴェネツィア人やジェノヴァ人は、エジプトやシリアのサラセン人からこの胡椒を買い付け、高値で売りさばいているのです」
「その胡椒がなぜ重要なのですか?」

「他の交易品、例えば絹織物などは、一度購入してしまえば需要は終わりです。しかし、胡椒は消費するものですから、購入しても需要は無くなりません。例えば、一度胡椒入りの肉料理を食べてしまった者は、もっと胡椒を欲しがります。胡椒は売れば売るほど、むしろ需要が増えるのです」
「あー分かる分かる! あたしも黒胡椒入りの肉料理大好き!」
 テオドラが茶々を入れるが、僕は無視して話を続ける。

「これに対してローマ人は、昔から交易を卑しいものとして軽蔑してきた故に、交易に力を入れることはありませんでした。その間に、ヴェネツィア人とジェノヴァ人、ピサ人などは航海の経験を積み、交易と戦闘に役立つ船舶の研究開発にも余念が無く、その海軍力はローマ人など及びもつかないものになってしまいました。
 イタリアの地では交易や海軍以外にも、多くの都市国家が競って土地を開墾し、新しい技術を開発して、目覚ましい勢いで経済発展を続けていましたが、古代からの伝統に固執するローマ人たちのほとんどは、イタリアで生まれた新しい技術に目を向けることはほとんどありませんでした。これが帝国の衰退、そして聖なる都までラテン人に奪われる事態になった遠因の一つでしょう」

「なるほど。今からローマ人が、その遅れを挽回することは出来るでしょうか?」
「出来ます。他国の進んだ技術を取り入れることは、国の統治者さえその気になれば、決して難しいことではありません。しかも、ジェノヴァ人の人口はせいぜい数万人、ヴェネツィア人もせいぜい10万人程度の人口しかいないのに対し、ロマーニアには数百万人もの人口がいます。
 ローマ帝国が一人の強力な皇帝のもとに再びまとまり、交易と海軍の技術革新に尽力すれば、たとえその技術水準がヴェネツィア人やジェノヴァ人の半分程度であっても、ヴェネツィアやジェノヴァにとっては重大な脅威となります。そのため、特にヴェネツィア人はローマ帝国が再び強大にならないよう、様々な策謀を企んでいるのです」
 その後もアクロポリテスとの会話は続いたが、どれも僕にとっては目から鱗が落ちるような話ばかりだった。何やら構って欲しいらしいテオドラが途中で何度か茶々を入れてきたが、こちらはいま重要な話をしているのだ。テオドラに構っている暇はない。

「ううう、やっとまともな知識人さんに会えたよう……」

 僕は、アクロポリテスの頭脳明晰な回答ぶりに、思わず涙した。
「ミカエル殿下、どうなさったのですか?」
「今まで会った知識人とかいう人は、意味の分からない古典とか宗教とかの話ばかりして、もうこの国には駄目な人しかいないかと思ってたんですよう……。やっと、この人こそ本当の知識人だと言える人に出会えましたよう……」
 ひとしきり感涙にむせび泣いた後、僕は気を取り直して、アクロポリテス先生に懇願した。これからは、彼のことを「先生」と呼ぶことに決めた。

「すみません、取り乱しました。アクロポリテス先生、どうか僕のもとで、ローマ帝国の再建に力を貸してください!」
「だが、断る!」
 へ?

「アークーロー!!!」

 僕より先に、激昂したテオドラがアクロポリテス先生に火炎の術を放とうとし、僕とイレーネが慌てて止めようとすると、
「いや、テオドラ様、今のはただの冗談です。このゲオルギオス・アクロポリテス、ミカエル殿下のために微力を尽くさせて頂きます。本当にただの冗談ですからどうか落ち着いてください」
「冗談にしてはセンスがないけど、まあいいわ。せいぜい励みなさい」
 テオドラも平静を取り戻した。なんか、このアクロポリテス先生、意外に茶目っ気のある人らしい。

「お師匠様、ぼ、僕は一体どうすればいいのですか?」
 パキュメレスがおろおろしながら問う。
「パキュメレス、これからはミカエル殿下の許でお仕えしなさい。実践に優る学問はありません」
「もう、私には学問を教えて頂けないのですか?」
「そうは言っていません。これからはミカエル殿下と一緒に仕事をこなしながら、ミカエル殿下とご一緒に学ぶのです。実際の政治は、机上の学問だけで学ぶことはできません。パキュメレス、これはあなたにとっても重要なチャンスです」
 そして、アクロポリテス先生は僕に向き直り、こう言い出した。
「このパキュメレスはまだ子供ですが、頭が良く将来は有望です。きっと殿下のお役に立つことでしょう。どうか、殿下の側近としてお側に置いて頂けないでしょうか?」
 もちろん、僕に異論のあろうはずがない。
「分かりました。よろしくね、パキュメレス」
「よ、よろしくお願いします。ミカエル・パレオロゴス殿下」


 こうして、アクロポリテス先生とパキュメレスは、僕の配下として仕えることになった。アクロポリテス先生には、内宰相として農業や商業の振興政策を指揮してもらうことにし、さらに先生の弟子たちが集まってアクロポリテス先生の仕事を補佐するようになったので、僕は内政面については大半をアクロポリテス先生に任せ、他の仕事に専念できるようになった。
 そして、パキュメレスは僕の側に仕え、各地を動き回るアクロポリテス先生と僕の連絡係を務める一方、僕と一緒に様々な学問を学ぶことになった。

(第21話に続く)
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