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chapter.3
ジブリールの男
しおりを挟む「う、わぁ……!」
長い長い階段を上り、曲がりくねった通路を抜け辿り着いたのは、広く、天井の高い広間だった。
流れるような曲線を描く柱や、壁中に描かれている、翼人とエルフたちの壁画。それから、天井には赤や紫といった色で統一されているステンドグラスが淡く輝いている。
よく見ると、パルウァエの遺跡でもあった、あの発光する花によく似たものがステンドグラスの上にあるようで、光はそこから放たれているようだ。
荘厳で、神秘的な雰囲気に飲まれそうになりながらも、ヴィルは好奇心の方が勝っており、きょろきょろと興味深そうに辺りを見回した。
「遺跡ってこういうキレイな場所も結構あるんだなぁ。まるで教会だな」
「むしろ、私たちがさっきまでいた地下の方が例外。エルフの遺跡はこんなんばっかよ」
そう素っ気なく言うシェスカも、なんだかんだでヴィルと同じように辺りを見回している。
「シェスカちゃん、ここはもっと乙女チックな反応しよーよ」
「生憎だけど、こういうの見慣れてるから」
苦笑するジェイクィズに、彼女は肩を竦めながら応えた。
「この先を抜ければ、第三区なんだよな?」
ひとしきり観察を終えたヴィルは、自分の正面にある出口を指して尋ねる。
「ええ、地図にはそう書いてるわ」
「じゃ、さっさと行こうじゃねーの」
そう先へ進もうとした、その時。
──カツン、カツン。
誰かの足音がした。ヴィルも、シェスカも、ジェイクィズすら動いていない。なのに、足音が聞こえてきたのだ。
──カツン、カツン。
それは先程ヴィルが指した出口の方から聞こえている。
シェスカは反射的に左手を剣の柄へと伸ばしていた。それを見たヴィルもまた、ゆっくりと自身の剣の柄を握る。手袋の中では嫌な汗が噴き出していた。
「誰?」
足音だけが響く中、シェスカの声が何度も何度も反響して、この場を支配した。
再び足音が響く。赤く淡い光に照らされて現れたのは、一人の男だった。
長身で細身の男だ。見慣れたオリーブ色の、ジブリールの軍服を着崩しており、左腕には赤い腕章がその存在を主張している。黒く、ぼさぼさした髪を無理矢理一つに纏めて結い上げ、その瞳は気だるげに伏せられていた。そして、その手には幅広の片手剣を鞘ごと紐でぐるぐる巻きにしてぶら下げている。
男はスゥ、とその気だるげな瞳をこちらに向けた。ブルーグレーの瞳が、ステンドグラスの光を受けて不思議な色に輝いている。
「シェスカ・イーリアス、だな」
低く、無機質な声。男は静かに口を開いた。
「一緒に来てもらおう。あんたに用がある」
「ねぇ、あなた聞いてた? 私は、あなた誰って言ったつもりだったんだけど」
シェスカは眉根を寄せると、一気に剣を引き抜いた。その切っ先を男に向ける。しかし、男は刃物を向けられても、全く微動だにしていない。
「それに、あなたに用があっても、私にはないわ。残念ね。さようなら。そこをどいてくれるとありがたいんだけど」
彼女が畳み掛けるようにそう言うが、男は軽く溜息を吐いただけで、それ以外は何も変わらない。
「どうしてジブリールが、シェスカに用があるんだよ? どうして、シェスカを知ってるんだ?」
ヴィルが素直に浮かんだ疑問を男にぶつけても、彼は何も変わらない。まるで自分など見えていないように。何も聞こえていないように。
「っ、おい、無視はないだろ! 無視は!!」
少しかっとして、男に歩み寄ろうとしたが、ジェイクィズに肩を掴まれて止められた。見上げると、彼は緩やかに首を振った。
「用があるなら用件を先に言ってくれないかしら? それに付き合うかはわからないけどね」
シェスカは切っ先を男に向けたまま、挑発するようにそう言った。おそらくどんなものでも付き合う気がないように見える。彼女の口元が小さく動いたが、何を言ったのか、全く聞こえなかった。
男はそれに構わずカツン、カツンと靴底を鳴らしながら、ゆっくりと、まっすぐ彼女へと歩みを進める。彼女の剣の切っ先が触れるギリギリのところで、ようやく足を止めた。
「魔物はここ数年間、こんなにも活発に活動していなかった。少なくとも、十年ほどな。しかし、ここ半年の間に、また活発な動きを見せるようになった」
「それが、何?」
シェスカはまっすぐに男を見据え、その言葉の意図を探ろうとしている。
魔物と、シェスカ。半年前。どれも彼女に関係があるようなものだ。
「ジブリールは原因究明のため、とことんこの件を調べ上げた。蘇る魔物なんて割とよくあることだが、それがある一定の期間、ある一定の場所に現れるというのは、おかしな話だ」
「……! それって……」
いつかのシェスカの言葉が脳裏に蘇る。彼女を追っている「奴ら」がいると、蘇る魔物が現れる……。確かそんな話だった。
「そして、その魔物が現れる場所には、ある一人の人間が中心になっていることが判明した。
赤毛に、剣士のような格好の女。あんたのことだろう?
────シェスカ・イーリアス」
「──っ!?」
「そしてジブリールは、異変の原因の可能性が高いあんたの捕縛を決定した」
男の動きは俊敏だった。それまでの緩やかな動きとは全く対照的で、嘘のように素早くシェスカの左手を掴む。
しかし、彼女もまた、何かしらを予測していたようだ。掴まれた瞬間、短く叫んだ。
『弾けろ! 《スキンティッラ》!』
その言霊と共にシェスカの剣から火花が迸る。男が咄嗟に手を離したのを彼女は見逃さなかった。地面を強く蹴り、一気に距離を取る。
『裂け! 《ウェントシーカ》!』
刃の形になった風が、まっすぐ男へと向かって飛び出した。しかし、男は動かない。
ドッ、と鈍い音を立てて、風の刃は男の右足のすぐ横へと突き刺さった。
「捕縛? 冗談じゃないわ! それに、私を捕まえても何の解決にもならないわよ!」
と、シェスカはまた切っ先を男に向け直す。
「それは俺が決めることではないな」
「……次は当てるわよ」
男はシェスカの手を掴んだ方の手を軽く払う。先程の魔術に、相手を痺れさせるような効果があるのかもしれない。その後、男が手のひらを握ったり、開いたりしていたからだ。
「しかし、よくないな」
「何がよ」
「そう前ばかり見ていると、」
静かに男の声が響く。彼は手のひらをそっと地面につけた。
「足元を掬われるぞ」
気だるげだったその瞳は、今は鋭い光を宿していた。
「──!?」
何かを感じ取った彼女は、再び距離を取るように地面を蹴り上げた。
『影縛……』
その彼女の影から、ぶわり、と幾本もの鎖が伸びる。
(嘘っ、詠唱が短すぎる……!)
シェスカが咄嗟に何かを詠唱しようにも、その鎖はすでに彼女を捉えていた。
『《チェイン》』
男が短く言った言葉が魔術であると理解したのは、シェスカが影から生まれた鎖でがんじがらめになった後のことだった。
「こんなもの……っ!」
彼女はそれを剣で何度も叩いて砕く。魔術でできた鎖は意外と脆く、簡単に壊すことができたが、その間に男は音もなく静かに立ち上がり、そのまま彼女の方へと向かう。
「シェスカ!」
なんとか助けないと……! そう思い、ヴィルは彼女に駆け寄ろうとした。しかし、肩にある強い力が、それを許さない。
「っ、離せよジェイク! シェスカを助けないと……!」
「まーまー、落ち着けって。自分の状況わかってるか? ゴーグルくん」
「……え?」
いつもと変わらない笑みを浮かべるジェイクィズに、異様な寒気がした。その正体はあっさりと見つかった。首筋にぴったりとくっつく何かがある。それはとても冷たく、気持ちが悪い。それが刃物だと気付くまでにしばらく時間がかかった。
「お、おい、何の冗談だよ……ジェイク」
頭が真っ白になる。そんなヴィルをあざ笑うように、ジェイクィズは満面の笑顔を、ようやく鎖を壊し、上半身が自由になったシェスカへと向けた。
「シェスカちゃーん、見えるよね。コ、レ」
ぺちぺちと、刃が首筋を叩く。嫌な汗が背筋を伝う。
「まあ動けないだろうけど、あんまり抵抗しないで欲しいなあ」
「どういうつもりだよ、ジェイク!」
なんとかそれから逃れようと、逃げ道を探す。しかし腕を回され、首筋に刃物をぴったりつけられたこの状態では、どうすることもできなかった。
「るせーガキだな、めんどくせ」
ジェイクィズはそう吐き捨てると、刃物の切っ先を皮膚にくっつける。薄い皮がぷつり、と切れた感覚。痛みよりも、恐怖感や不快感のほうが勝っていた。一気に喉の奥が縮まった感じがする。
「……嘘ついてたのね! 最初から!」
シェスカは憎悪の篭った瞳で、思いっきりジェイクィズを睨みつけた。
「やだなぁオレ、嘘は言ってねェよ? キミが待ち伏せされてるのはホント。この情報がジブリール発ってのもホント。オレが持ってた地図だってホンモノだぜ?」
「待ち伏せは第五区にあるって……!」
「ん? あるぜ? 第五区にもネ」
つまり、これは、どう転んでも罠だったのだ。ジブリールが、シェスカを捕まえるための。
何故、ここまでして彼女を捕まえようとするのだろうか。異変の原因だなんてただの建前で、もしかして、ジブリールは、彼女を追っている奴らの仲間……?
「さて、どうする? あんたが大人しく一緒に来てくれさえすれば、あの少年に危害は加えない」
「……信用できると思ってるの?」
「しなくて結構。まぁ、その場合、彼がどうなるのかはわからないがな」
「……最低ね」
「手段は問うなと言われている」
「……わかったわよ」
シェスカは降参だ、と言わんばかりに剣を捨て、両手を上げた。
男は黙ってその手に手錠を掛ける。
「そんなことしなくても行くわよ」
「魔力封じだ。また魔術を使われると面倒だからな」
しっかりと彼女の拘束を確認すると、男はカツン、カツンと靴底を鳴らしてこちらのほうにやってきた。
近くで見る彼はどこかで見覚えがある。……そうだ、サンスディアの門で見かけた、他の隊員に指示を飛ばしていたジブリール隊員だ。あの時とは随分と印象が違うが。
彼は未だジェイクィズに拘束されているヴィルのすぐ目の前まで来ると、表情を変えないままジェイクィズを蹴飛ばした。
「いってぇな! 何すんだよ!」
素早く起き上がって、ジェイクィズは抗議の声を上げた。
「民間人を巻き込むな。減給されたいのか薄らハゲ」
「ハゲてねーよ!! それにこっちのが手っ取り早いっしょ?」
「すまないな。怪我はないか」
「えっ、あっ、はい」
「無視すんなクソったれ!!」
なおも食い下がるジェイクィズに目もくれず、男はヴィルの手を取る。
ガシャン! 金属が綺麗にはまる音がした。平たく言えば手錠をはめられた、ということで。
「えっ」
咄嗟にガチャガチャと両手を動かす。両手首についた金属の塊は、全く外れる気がしなかった。
「ちょっと! 危害は加えないんじゃなかったの!?」
「話を聞くだけだが、逃げられると面倒臭い」
男は短く何かを詠唱すると、くい、と右手の人差し指をシェスカの方へと向けた。すると、彼女の影から更に新たな鎖が現れ、そのままヴィルの影を繋ぐ。どういうことかわからないまま足を動かそうとして、全く動かなくなっていることに気づいた。
「彼はあなたが聞きたいことに全く一切関係無いわ。ただの被害者よ。解放して」
「断るって言ったらどーすんの?」
いつの間にか立ち直っていたジェイクィズが小馬鹿にするように尋ねる。
「あら、魔術を封じられても、出来ることって結構あるものよ?」
彼女も負けじとそう返した。ただのハッタリだ。恐らくシェスカも自分と同じ魔術で動けないのだろう。ヴィルでさえそう思ったのだ。彼らにだってきっとばれている。
しかし、しばらく考え込むように沈黙した男からは、予想外の答えが返ってきた。
「……わかった。ならば丁重に扱おう。地上は夜だ。宿も手配しておく。上に着くまでしばらく我慢してくれ。地下で迷子になられても困る」
この場にいた誰もが、目を丸くして男を見つめた。味方のはずのジェイクィズでさえもだ。
「本当に?」
「リップサービスは苦手なんだよ」
彼は全く表情を変えない。だが、真っ直ぐに前を見据えるその瞳は、嘘をついているようには見えなかった。
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