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chapter.3
片翼の少女
しおりを挟むなんとか駅まで辿り着いたヴィルは途方に暮れていた。三区から避難してくる人々、何があったのか確認しに行こうとする人々、それから野次馬根性丸出しで覗きに来ている人々。それらで駅はごった返していたのだ。
これでは第三区になど着けるはずがない。
ヴィルはどうにかして行く道はないのかと辺りを見回した。
すると、急に駅の外が騒がしくなっていた。急いで外を見ると、人々は皆恐怖や好奇心を浮かべながら、空を指差している。
「魔物だ!!」
「ドラゴンがジブリールを襲ってる!!」
彼らが口々にそんな声を上げる。
ヴィルも釣られてそこを見ると、土煙の中から翼のある大きなトカゲのような生き物が現れ、ジブリール本部らしき場所をぐるぐると旋回していた。
「なんだよ、あれ……」
あれもシェスカを追ってるあいつらの仲間なのか……?
しばらく呆然としていると、騒ぎを聞きつけた人々が更に増えていき、駅はどんどん大パニックになっていった。
もうここの駅は使えないだろう。きっと他の駅だって同じ状況だ。
「……やっぱ、普通に登るしかないのか」
アメリは全ての階層がきちんと繋がっており、大きな螺旋状にぐるぐると回っている道がある。とは言うものの、この第四区から第三区までの道のりはかなり長い。そのため、この国では移動は基本的に列車や空中滑車が使われているのだ。
ここからあの土煙が上がっているジブリール本部までは結構な距離があるが、仕方ない。
ヴィルは腹を括って第三区へ続く大通りを走ることにした。たまに馬車が横を通りすぎるが、ヴィルと同じように走って第三区に行こうとする人は見かけなかった。
「……?」
走りながらなんとなくジブリール本部の方を見上げてみた。例のドラゴンはまだ旋回を続けている。街を襲うこともなく、またジブリールに向かって攻撃することもなく。
なにかがおかしい。ヴィルは一度立ち止まると、目を凝らしてそれをじっと睨みつけた。
「……あいつ、なんかブレてないか?」
時々焦点が合わなくなるように、ドラゴンが霞む。ますますわけがわからなくなったが、とにかく今は急ぐしかない。
再び走りだそうとすると、目の前を横切る誰かとぶつかった。かなりの勢いで走っていたらしく、二人して尻餅をついてしまう。
「あっ、すいません!」
咄嗟に謝るが、その人物はこちらに目もくれず、真っ直ぐにジブリール本部の方を見つめていた。
シェスカと同じくらいか、やや年下くらいだろうか。そのくらいの可愛らしい少女だった。蜜のような金髪に、青とも緑ともつかない色をした大きなまん丸い瞳。大きな黒いレースをあしらったヘッドドレスに、黒に白のラインとフリルのふんだんについた服を着ており、胸元にはピンクの大きなリボンが存在感を主張していた。
「あの、大丈夫?」
少女に手を差し伸べると、不機嫌そうにきっと睨まれた。彼女は何も言わずに立ち上がる。するとそのまま、大通りを横切ってごちゃごちゃした路地へと向かって走っていった。
「……あの子、ずっとジブリールの方見てたよな……あっちが近道なのかな」
今から追いかければ彼女に追いつくだろうか。このまま大通りを走り続けてもたどり着けない気がしてきていたヴィルは、その少女を追いかけてみることにした。もし近道でなくても、大通りを行くより早く行く道を知ってるかもしれない。そんな微かな希望を抱きながら。
******
少女に追いつくのは意外と簡単だった。彼女は何故かあたりをきょろきょろとしながら、より人の少ない道を選んでいるようだった。彼女がたまたま立ち止まっていたところに、思い切って声を掛けてみた。
「ねえ! きみ、ジブリールに行こうとしてるよな!? こっちに近道でもあるの!?」
「……」
少女はちらりとこちらを見ると、何も言わずに前を向いて走り出した。話す気はない、そう言っているようだ。
諦めずに、今度は彼女の隣まで行って話す。
「オレもジブリールに行きたいんだ! 友達が危ないかもしれない!」
「……なら、空中滑車の方が早い」
「駅はパニックになってて、とてもじゃないけど無理だよ!」
「なら諦めて。それから、ついてこないで」
少女はこちらを見ずに淡々と告げる。話しかけるなというオーラが痛いほどぐさぐさと突き刺さってくるが、ここで引くわけにもいかない。
「じゃ、せめて近道とか知らないか?」
「……あそこ登れば、ジブリール本部」
そう言って彼女が指差したのは、高い、高い、壁だ。彼女はどうやらそこに向かっているらしい。さっきよりもどんどん壁が近づいてきて、その高さを見せつけている。どのくらいあるだろうか。少なくとも数十メートル近くはある気がする。
「きみは登る気なのか?」
おそるおそる尋ねてみると、少女はこくん、と小さく頷いた。
見たところ、例の壁は石を積まれて作られた部分、もともとあった岩肌をそのまま残した部分の混じったものだった。多少でこぼこしていて掴もうと思えば掴める場所だってあるだろう。しかし、道具もなしにこれを登るのはかなり無茶だ。しかも、彼女はロープなどといった道具の類いを一切持っていないように見える。
「ど、どうやって?」
「飛ぶだけだもの。わたしは」
少女は短く告げると、走る足をさらに早めた。
「なあ、なんできみはジブリールに行こうとしてるんだ?」
置いて行かれないようについていきながら、気になった事を聞いてみた。さっきから走り続けているというのに、彼女は息一つ切らさずに、
「あなたと似た理由」
とだけ言った。
「きみも、あそこに友達が?」
「昨日の夜、気配が消えた。この街に戻ってきたところまでは感じてた。ずっと探してたんだけど、見つからなくって」
少女はとつとつと話し始めた。言っている事はわからないが、誰か大切な人がいなくなったようだ。
「ジブリールに変な事があったら、きっとあの子はあそこに行くだろうから、きっと会えると思って」
そう話す少女の顔は見えない。けれど、その声は不安そうに揺れていた。
******
「ねぇ、今外はどうなってるの?」
小さなベッドに腰掛けながら、シェスカ・イーリアスは扉の向こうにいるサキ・スタイナーにそう問いかけてみた。何かが爆発したような音と、激しい揺れ。それらは最初のときほど強くはないが、断続的に続いている。
「恐らく、あんたを追ってる一味が暴れ出したんだろうな。この騒ぎに乗じてあんたを捕まえるつもりじゃないか?」
扉の向こうから声が返ってくる。やけに落ち着いているそれに少しだけ苛ついた。
「ちょっ……! それどういうことなのよ!?」
「さて、そろそろ出るか。潮時だ」
がちゃり、と安っぽい扉が開かれる。すると、魔力封じの術式が解除されたらしい。身体に力が戻っていく感覚。あたたかいものが全身をじんわりと巡っていく。
「説明は移動しながらする。すまないが、協力してもらうぞ」
そう言いながら手が差し伸べられた。そういえば改めて顔を見るのは昨夜ぶりだ。気怠げなその顔は昨夜と変わらない。しかし、それが纏う雰囲気が、昨夜とはどこか違うような気がした。
「ちゃんとわかるように説明してよね」
シェスカはその手を取ると、すっかり軽くなった腰を上げた。
外の音が聞こえてくる。ここ半年ほどの、嫌な記憶が蘇る。頭を軽く振ってそれをどこかに追いやると、シェスカはサキの後に続いて部屋を後にした。
******
「──! 戻ってきた……!」
「えっ、何が?」
唐突にそう声を上げた少女は、また走る速度を早めた。彼女についていくのに必死になりながらも、ヴィルは少女に尋ねる。
「あなた、まだついてきてたの?」
「ついて、きてたよ!!」
「あれ登れないのに?」
「っは、きみは、登れるんだろ? オレだって、できるかも、じゃん……!」
そろそろ本気でしんどくなってきた。喋る事さえ辛い。少女はそんなヴィルを呆れたような瞳でちらりと一瞥すると小さく、「変なニンゲン」と呟いた。
そうこうしているうちに、気付けば壁の麓のほうまで辿り着いていた。止まった瞬間思わずその場に座り込んでしまう。ここまで長い距離を全力疾走したのはいつ以来だろうか。
一方少女は息一つ乱しておらず、涼しい顔をしている。
「で、どう、登るの、これ……っ!」
「あなたじゃ無理」
「で、も……! 行かないと、シェスカが……!」
少女はしばらく考え込むように首を傾げると、ふぅ、と小さく溜め息を漏らした。
「今から見ること、誰にも言わない?」
「……? どういう、こと?」
「言わない?」
更に強い口調でそう尋ねてくる。ヴィルがよくわからないまま、深く頷くと、彼女はゆっくりと瞳を閉じた。
ぶわり、と唐突に強い風が吹き抜ける。思わず腕で顔を庇う。
風はゆっくりと止んでいき、少女の方を見ると、
「……え、」
神々しいまでに白い翼。
それが彼女の背中から生えている。その姿にはどこか見覚えがあった。
「翼人……?」
そう。遺跡にあった絵画や彫刻に描かれていた、翼の生えている人間。彼らの翼はきちんと両方あったが、目の前の少女の翼は右側の片翼しかない。それでも、あまりにも白いそれの神々しさや、美しさは変わらなかった。
「ロープか何か持ってる?」
「え、あ、うん一応」
ポーチの中をまさぐって適当なロープを取り出して彼女に渡す。少女はその端っこを掴むと、
「ちゃんと掴まって。落ちても知らない」
「えっと、きみがその羽根で飛んで、これでオレを引っ張り上げるってこと?」
彼女はこくん、と頷く。いやいやいや! さすがに無理があるだろ! という抗議さえも彼女は完全無視だ。早く掴まれと視線で訴えかけてくる。
ええいなるようになれ、だ! 力強くロープを掴んで、彼女に行けるように合図する。
少女の翼が何度か羽ばたいた後、ふわり、と彼女の身体が宙に浮き上がる。
──本当に飛んでる……!
そう思ったのも束の間、ぐいっと腕がものすごい力で引っ張られる。続いて感じる浮遊感。
「うわぁああぁああぁああぁっ!? オレ飛んで……まじで!?」
「うるさい」
驚きと感動とちょっぴり恐怖まじりの声も、少女に一喝されては黙るしかない。彼女が手を離せば、自分は地面に真っ逆さまだ。
「あ、そうだ! 上にドラゴンがいるはずだけど、このままで平気なのか!?」
「あれは町の人を変に混乱させないためのもの。魔術でそこに見えてるようにしてるだけのニセモノ」
「詳しいんだな」
「もうすぐ着くから黙ってて」
少女はもう一度翼を大きく羽ばたかせると、一気に加速して、どんどんと高度を上げていく。
途中、何か膜のようなものにぶつかった感触がした。これが彼女の言っていた魔術なのだろうか。
ジブリールを見上げると、もうそこにはさっきまでいたドラゴンなんて存在していなかった。土煙の正体がだんだんとはっきりしていくのがわかる。壁に沿ってカーブしている豪奢な建物から、それは立ち上っている。よく見るとそこ以外からも、あちこちで煙が上がっていた。
煙の中でうごめいているものは、ドラゴンでもなんでもない。もっと身近でありふれたものだった。
大きな樹が、動いて、建物を壊していたのだ。
「樹の、魔物?」
意志を持っているように動く木々たち。それはまさに魔物のようだった。
何人ものジブリールの隊員たちが、その魔物と戦っているのが見える。
「どうなってるんだよ、一体……?」
高度はぐんぐん上がっていき、ジブリールの上まで到達していた。ようやくジブリールの全体の様子がわかる。
壁沿いの一際大きく豪奢な建物、その正面には緑豊かな中庭と、広場──おそらく修練場かなにかだろう──が広がっており、太い木の幹や蔦がそれを蹂躙するかのように埋め尽くしている。
そしてそこを囲うように、まるで貴族の屋敷のような建物が四つ並び、それぞれの外れには一回り小さな建物が一棟ずつ建てられていた。
どれもこれも動く樹たちによってどこかしら破壊されており、ヴィルから見て一番奥にある大きな建物だけは、唯一その被害はマシなようだった。その一帯だけは何故か魔物の姿は見当たらない。
「……! おい、あれ……!」
その大きな建物の付近に、見知った人影を見つけて思わず指差した。間違えるはずない。朱茶の髪に、剣士のようなあの格好…。
──シェスカだ!
彼女は誰かに腕を引かれ、魔物を避けるように走っている。その姿にも見覚えがあった。オリーブ色の軍服に不揃いな長さの黒い髪。昨夜出会ったあの男だ。第一分隊隊長の、サキ・スタイナー。
「サキ!!」
「えっ、うぉわッ!?」
少女がそう声をあげると、ぐん、とロープが引っ張られた。それまでのスピードとは比べ物にならないほど加速して、彼らの元へ急降下していく。
地面がかなり近付いた頃、いきなりぱっとロープを離された。
「へぶっ!!」
無様に顔面から地面に着地してしまう。勢いがあったせいか、ものすごく痛い。鼻血程度ですめばいいんだが。
一方少女はふわり、と軽やかに着地していた。翼が光の粒子になって霧散する。
「サキ!」
彼女は嬉しそうにもう一度声を上げた。感情が希薄そうに思っていたが、案外そうでもないらしい。まるで主人を迎える犬のようだ。
サキと呼ばれた男が振り返えるまで、小さな間があった。振り返ったその顔は少し緊張したような、そんな表情を浮かべている。
「……! セレーネ!」
少女の姿を見たシェスカの瞳が、大きく見開かれる。セレーネ。それが彼女の名前なのだろうか。いや、そもそもシェスカは彼女の知り合いだったのか。セレーネと呼ばれた彼女は不思議そうに首を傾げている。
ヴィルは痛む鼻を擦りながら、立ち上がってシェスカの元へと駆け寄った。
「シェスカ! 無事か!?」
「君は……どうしてここに!?」
「ジブリールにきみを追ってる奴らがいるってブラン達から聞いて……それで報せなくちゃって思って」
そこまで言ってから、シェスカに違和感がある事に気付いた。態度が少し変というか、どこかよそよそしい。
一方セレーネもまた、目の前の人物に違和感を感じているようだった。
「サキ?」
先程の嬉しそうなものとは違う、やけに警戒した様子でセレーネはまたその名を呼んだ。
「ああ、なんだ? セレーネ」
ぴたり、と彼女の動きが止まった。固まった、とも言うべきだろうか。
瞬間、彼女の姿が視界から消える。
──消えた?
そう思ったのも束の間で、セレーネはいつの間にか取り出していたナイフをサキの喉元に突きつけていた。その表情は怒りで満ちている。
「あなた、誰?」
静かに、その声が響く。
それを聞いたサキは心外そうに肩を竦めた。
「……サキ・スタイナーだが」
「違う」
短く、しかし力強く、セレーネは否定した。さらにナイフをぐい、と近づける。
「サキはどこ?」
「だから、俺がサキだが?」
「どこ?」
ぴん、と張り詰めた空気が流れる。刃物を突きつけられているというのにサキはどこか余裕の表情を浮かべていた。
「っはは、あんたそろそろ黙らないとさぁ……」
乾いた笑いと共に、ガラリと口調が変わった。彼は掴んだままだったシェスカの腕をぐい、と引き寄せると、セレーネのナイフの切っ先へと盾のように突き出した。シェスカの瞳のすぐに近くに、刃先がある。少しでもサキが彼女を前に押し出せば、シェスカはただじゃすまないだろう。
「っ、シェスカ!」
「動くなよ」
サキはシェスカの頭を掴んで、すぐにでも彼女を傷つけることができると示して見せた。こうされては、こちらから手出しできない。
彼は躊躇するヴィルを見て満足げに微笑むと、セレーネに向き直った。
「退いてもらおうか。知り合い殺すことになるぜ?」
「だから何? 人質なんて無意味。助けるつもりないから」
セレーネは冷ややかに言い放つ。そしてそのまま、思い切りナイフを振りかぶった。
「シェスカ!!」
ヴィルが叫んだと同時に、シェスカは普段の彼女からは想像もできないほどの素早さでサキの戒めを振りほどくと、セレーネのナイフをギリギリのところで躱してみせた。
「──なッ!?」
驚愕で瞳を見開くサキのもとへ、真っ直ぐセレーネの切っ先が向かう。彼も体を半回転させることでなんとかそれから逃れたが、その表情は呆然としている。
「油断は、禁物っ!!」
シェスカはそんな彼の腹めがけて思いっ切り蹴り飛ばした。まるで訓練を受けたかのような洗練された動きだ。彼はその重い一撃に吹っ飛ばされる。彼が体勢を立て直す頃には、形勢は完全に逆転していた。
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