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第二章「オーバーロード」
第9話「お邪魔します」
しおりを挟むその後、僕はハルさんの家にお邪魔した。玄関を潜るとそこはもう既に八畳程の居間が広がっていて、僕は中央に置かれたちゃぶ台の横に座らされた。僕は部屋全体を見渡す。やっぱりログハウスだ。床も壁も全部木材でできている。天井の蛍光灯の光を反射してキラキラしている。奥には地下に続く階段が見える。ここ…地下室なんてあるの?
「お昼ご飯作るからちょっと待ってて」
「お昼ご飯!?」
僕はスマフォで時刻を確認する。12時14分を示していた。もうそんな時間なのか。ハルさんは冷蔵庫に引っかけてあったエプロンを身に付ける。何だか新妻っぽい。そう思った。
「いや…そこまでお手数をかけるわけには…」
「いいのいいの!私料理得意だし、友達に料理を振る舞うの夢だったんだよね」
ハルさんは冷蔵庫を開け、サラダの入ったボウルや、ドレッシングを取り出す。間を開けずに鶏のむね肉を包丁で切り始める。手慣れているんだなぁ…。
「さっきみたいに超能力は使わないの?」
「えっ…」
ハルさんは包丁を動かす手を止め、こちらを振り向く。僕、何かまずいこと聞いたかな?
「えっと、その…能力を使ったら料理が楽しくなくなっちゃうでしょ」
何やら焦りを感じている様子で答えるハルさん。
「そっか…」
元々その力を後ろめたく思ってたもんね。なるべく使いたくないのかな。まぁ、自分自身の手でやってこそ料理は楽しいもんね。僕全然料理できないけど…。
鶏肉を切り終わったハルさんは、冷蔵庫から今度はタッパーに入ったご飯を取り出した。切っている間に油を引いて熱していたフライパンに鶏肉を乗せる。ジュワーと油の弾ける音がしんとしたキッチンを賑やかにする。そのまま菜箸で丁寧に鶏肉を焼いていく。ジューシーな肉の香りがこちらまで漂ってくる。ハルさんが料理する姿は様になってるなぁ…。
「…」
何か手伝えることはないか。そう聞こうと思ったけど、軽やかに動くハルさんの後ろ姿と、時たま聞こえてくる鼻歌で、彼女が心の底から料理を楽しんでいることが伺える。余計な手出しはしない方がいいという考えが働き、僕は再度ちゃぶ台の前に腰を下ろす。楽しみに待つとしよう。
「できたよ~」
「わぁ~」
ハルさんはちゃぶ台の上に料理を置いた。
「特性ランチプレートでございます」
「ハルさんありがとう!」
香ばしい匂いに包まれたソースがかけられ、オレンジ色に輝く照り焼きチキン、その隣にはキャベツとトマトのサラダ、下にはチャハーンらしき黄色いライスが顔を出している。そしておまけのように添えられているオレンジが可愛い。ファミレスで出されても違和感がないくらいのボリューム満点なメニューだ。
「すごいなぁ…」
「ふふっ♪」
ハルさんはプレートの横にコップを置き、麦茶を注いでくれた。それじゃあ…
『いただきま~す』
ハルさんと揃って手を合わせた。箸でチキンを掴む。ソースがとろりと絡んでいて食欲をそそる。僕は溢さないようにそっと口へ運ぶ。
「うん!美味しい」
「よかったぁ~」
肉が弾力がありながら柔らかく、それが甘辛いソースと絶妙にマッチしている。これは美味しい。
「ハルさん料理うまいね。こんなに美味しいなら毎日食べたいよ」
「えっ…」
こんなに心の底から食事を楽しんだのはいつ以来だろうか。父さんと母さんが亡くなってからなかったような気がする。口に食べ物を運ぶことが流れ作業のようになっていたと思う。食事の時まで生きている心地がしなかったなぁ…。
「僕、料理下手だからハルさんが羨ましいよ」
「い、伊織君…」
しかし、それもハルさんの手料理を一口食べただけで変わってしまった。超能力を持っている彼女だ。作る料理にまで不思議な力が働いて美味しくなっているのだろうか。
「将来ハルさんの料理を毎日食べられる旦那さんはきっと幸せ者だね」
「伊織君!」
「へ?」
ハルさんが大声で僕を呼び止めた。ハルさんの顔は熱を帯びたストーブの金属部のように赤く染まっていた。しまった、少し喋り過ぎた。
「それ以上はやめて…恥ずかしいから…///」
「あ、ごめん…」
そりゃあひたすら褒めちぎったら人は照れくさくなるのが当たり前か。女の子から手料理を振る舞われたら褒める以外の選択肢は無いと、どこかで学んだから実践してみたものの、流石に褒め過ぎたようだ。それにしてもヤバい。照れ顔のハルさん…可愛過ぎる。もっと見ていたい。
…って、何考えてるんだ僕は!
「えっと…どんどん食べていいよ」
「あ、うん…」
とりあえず僕は食事に意識を戻す。箸でキャベツを2,3枚掴む。
バリンッ
「!?」
どこからともなくガラスのようなものが割れる音がした。驚いてキャベツが箸からこぼれ落ちた。
「何?何の音?」
僕はハルさんに聞く。ハルさんは地下に続く階段へと駆けていく。僕もとりあえず着いていく。階段を下りると、そこには壁がコンクリートでできた十畳程の研究室っぽい部屋があった。居間より広いってどういうことだ…。この部屋なんか怪しいぞ。
「アマンd…天音さん、大丈夫?」
ハルさんがフラスコみたいな容器がいっぱい入った棚の前にいる白衣を着た女の人に駆け寄る。一瞬名前を呼び間違えたような口振りが聞こえたのは気のせいだろうか。女の人の足元にはガラスが散乱している。さっきの音はこれか。この人は誰だ?ハルさんのお母さん?
「トレーからフラスコが落ちちゃったの。いっぱい乗せてたからバランス崩しちゃって…」
ハルさんが天音さんと呼んでいたその女の人は、髪型がオレンジ色のサイドダウンだった。メガネと白衣姿でいかにも科学者という感じの人だ。科学者がなんでハルさんの家にいるんだろう。
「ん?誰?その子…」
「あ、クラスメイトの保科伊織君だよ」
「ど、どうも…」
僕は天音さんに向かってお辞儀をする。天音さんは眉をひそめて僕を見つめてくる。何のつもりだろう…。
「とにかく、早く片付けないと」
ハルさんはしゃがみ、散らばったガラスの破片を見つめる。
「あっ、ダメよ!すぐ箒持ってくるから!」
天音さんは慌てて階段を駆け上がり、箒を取りに行った。僕とハルさんはその場に取り残された。すごい勢いだ。でも、確かにガラスの破片を素手で触るのは危ない。
「あの人は松下天音さん。科学者さんでね、私の親戚なの。訳あって今一緒に住んでるんだ」
「そうなんだ…」
そういえば天音さん、なんでわざわざ箒なんか取りに行ったんだろう。ハルさんの超能力を使えば片付けなんてあっという間に終わるだろうに。あの人はハルさんが超能力を使えることは知らないのだろうか。
「よくこの地下室で何かの研究をしてるんだ。何の研究かは私も知らないけど」
そう考えている間にも、さっそくハルさんは超能力でガラスの破片を浮かし、テーブルの上に集めた。ついでに部屋の隅に置いてあったゴミ箱も浮かして手元に持ってきた。サッとゴミ箱にガラスの破片を捨て、片付けはおしまい。やっぱり超能力を使うと手間が掛からなくていい。便利なもんだ。
僕らは居間まで戻って天音さんのところへ行った。
「天音さん、片付け終わったからもういいよ」
「え?まさかハル、アンタ能力使ったんじゃ…」
どうやら天音さんはハルさんの超能力のことは知っているようだった。でも、さっきから慌てている理由はわからない。台詞から察するに、ハルさんが超能力を使うことを危惧しているようだが…。
「大丈夫、使ってないよ」
「え?」
僕は驚いた。ハルさんがしれっと嘘をついた。さっきバリバリ超能力使ってたじゃん。僕隣で見てたよ。ガラスの破片浮かしてたじゃん。何ですかその満面の笑みは…。
「ほんとに?」
「うん」
なんで嘘をつく必要があるのだろうか。正直に天音さんに言ってしまおうかと思ったけど、ここででしゃばるのも何か気が引けた。
「ならいいけど…」
天音さんは箒を持ったまま地下室へと戻っていった。結局何をあんなに慌てていたんだ?ハルさんが超能力を使ってないと言うと落ち着きを取り戻したけど…。
「ハルさん、どういうこと?」
「私、天音さんにあまり超能力は使うなって言われてるの」
「へぇ~、なんで?」
「それは…その…いつか話すわ。それよりお昼ご飯食べよ♪」
「うん…」
ハルさんと再びちゃぶ台の前に座って食事を再開する。二つ目の照り焼きチキンを口にした。決して冷めてはいない。だけど、何だろう…胸の奥にざわめくこの不安な気持ちは…。
「…綺麗過ぎる」
地下室に戻った天音さんは、さっきまでガラスの破片が散乱していた床を、睨み付けながら手で撫でていたという。
僕とハルさんはランチプレートを全て平らげた。三星シェフのようなハルさんの料理の腕には感心だ。僕はハンカチで口を拭いた。
「ごちそうさま。すごく美味しかったよ」
「ありがとう♪」
ハルさんはプレートとコップをシンクへと持っていく。もちろん僕の分まで。
「あっ、皿洗いなら僕も…」
「大丈夫、お客さんは座ってて」
お客さんって…。ハルさんはスポンジに洗剤を染み込ませ、シンクで一枚一枚食器を洗っていく。超能力を使おうとする素振りは一切ない。後片付けも料理の一環とも考えられるし、最後まで楽しみたいんだろう。
もしかして、わざわざこんな山奥で暮らしているのは、人目を避けるためだろうか。確かに、超能力が使える人間なんて、国家機関かどこかに捕らえて色々研究されてしまいそうだ。監禁されて実験台の上でモルモットと化す…想像するだけで体が震える。
考えれば考えるほど、ハルさんのことに興味を持つ。僕だって彼女のことをもっと知りたい。もっと仲良くなりたいな。
「ねぇ、そういえばハルさんの父さんや母さんは?」
「えっ…」
スポンジを回すハルさんの手が止まる。またまずいことを言ってしまったのだろうか。休日なのにハルさん一人で家にいるのが気になったから、つい聞きたくなった。でも…その反応からして、もしかしてハルさんの両親も…。
「あっ、ごめん。言いたくないなら言わなくても…」
「ううん、違うの!今仕事がものすごく忙しくてね、長い間帰ってこれてないの」
僕の誤解を訂正するハルさん。よかった。反応からしてハルさんの両親も亡くなっているのかと勘違いしてしまった。遺影とかも飾られていないからそりゃそうか。忙しくて帰れない…一体どんな職場なんだろう。両親の仕事の都合で七海町に引っ越してきたと、ハルさんは言っていたけど。
「そうなんだ…」
「うん、当分帰れないみたい」
「寂しくないの?」
「寂しくないよ、もう慣れたし。それに天音さんがいるもん。色々家事とか手伝ってくれるから困ってないよ」
それじゃあ天音さんは一時的に家政婦のような立場で、日々ハルさんの面倒を見ているということか。僕の家でいう奈月さんみたいな存在だ。なんだか親近感を覚える。でも、雇われの立場のくせに地下に研究室作ってたし、ハルさんの両親不在の間になんか自由にやってるんですけど…。何なんだ青樹家…本当に謎過ぎる。
「でもいいよね。超能力が使えれば家事がやり易くなるし。父さんと母さんもさぞかし助かるだろうなぁ」
もし僕が超能力を使えたら、母さんの料理とか洗濯も引き受ける。父さんは仕事場まで念力で浮かして行かせてあげたりとかするかな。といっても、家が仕事場みたいなものだったけどね(笑)。とにかく全力で親孝行する。
「超能力を使えるだけじゃなくて元の出来がいいもんね、ハルさんは。優しくて思いやりがあって、いい人だよ。出来のいい娘をもって、ハルさんの父さんと母さんは幸せだね」
自分で言ったことだけど、誰目線で語ってるんだよ、僕…(笑)。
「ねぇ、父さんと母さんはどんな仕事してるの?」
「…」
ハルさんが完全に黙り込む。僕の質問も答えずに背中だけを向ける。どうしたんだろう。
「ハルさん?」
「ごめんね、まだ伊織君には話せないことがたくさんあるの。すごく気になると思うけど、いつか話す。約束するから」
「え?うん…」
両親の話になった途端、ハルさんの笑顔がハイライトが消えて見えたような気がした。そして無理やり話を終わらせようとする。両親の話はなるべくしたくないのだろうか。僕は彼女のペースに合わせるために受け入れた。ハルさんは辛い記憶を思い出して流れた涙を拭うように、食器の水分を布巾で拭き取った。
まだまだ彼女は多くの秘密を抱えている。その全てを知るには、まだ多くの時間とふれ合いが必要らしい。
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