凛として吠えろ太陽よ

中林輝年

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第1章 布目霜雨1

1-9

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 公立図書館の入り口に、休館日が記されたカレンダーや新刊のお知らせが貼られたガラス張りの掲示板がある。そこに『図書館de高校演劇』と銘打たれた紙もあった。会場は3階の集会室。定員は本当に100席と記載されている。ゴールデンウィーク期間中、毎日違う高校が上演するようだ。

 図書館の中に入ると、学校の図書室とは違って、少しツンとするにおいがした。

 図書館員が出てきて磯貝と話している。先輩たちは勝手を知っているようだ。彦坂が、磯貝に「先に上行きます」とだけ声をかけて、『関係者以外立入禁止』と書かれた両開きの扉を肩で開く。

 扉の奥には、集合住宅にあるものよりやや大きめのエレベーターがあり、それを利用して集会室のある3階まで道具を運搬していく。運び終えた部員から舞台の設営に回った。

「ゆゆちゃん、黄色のテープある?」
 と大川が中西を呼ぶ。
「あるよ。いるっけ?」
「エルフの立ち位置バミっとかないと。しおりちゃん、ちょっとこっち来て」

 大川が床に黄色のビニールテープを貼りつけた。他にも赤色や緑色のテープがそこかしこに貼られている。

 大川は丹羽に、「この黄色のテープが、しおりちゃんが最初に立つ位置だからね。で、おばあさんって言われて怒るシーンで、あっちのテープに移動する。分かりづらいから番号を書いておくね」と説明しながら、テープにマジックペンで『①』と記入した。

「立つ位置ってそんなに大事なんです?」
「もちろん。人が立つ位置によって、客席からの見え方が変わるし、今日はないけど、照明の当て方だって変わる。もっと言えば、声の響き方も変わってくる」

「バミるってなんですか?」
 と近くにいた南も質問を投げた。
「こうやって役者が立つ位置にテープを貼ること。この先、絶対に必要になるから、覚えてね」
「はい」丹羽と南が声を合わせた。

 舞台の裏側には扉があり、扉の向こうには倉庫のような空間がある。舞台の設営が終わると、部員はそこに集まった。一応、控室だ。

 役者たちはそれぞれの衣装に着替えて、ぎりぎりまで台本を読む者ばかりではなく、ぼうっと佇んでいる者もいれば、昨日見たアニメの話をしている者もいた。
 私はバスで見たティンカー・ベルの動画を再び見返して過ごした。

「座席、7割くらい埋まってるって感じだったよ」
 お手洗いから戻ってきた麻野間が間延びした声で言う。単純計算で70人だ。背中がすっと冷える。南も「うそ、そんなに人いるんですか」と声を震わせている。

「びっくりだよね。部員の家族もいるんだろうけど。高校演劇って意外とファンが多いんじゃない?」
「麻野間先輩のご家族も来てるんですか」
「いやいや私は別に役者じゃないからね。でも、もしかしたら弟が来てるかも」

「弟さんいるんですね」と私も声を出してみる。
「そうだよ。超かわいい弟がね。涼奈も霜雨も、好きになっちゃだめだよ」

 はっきり否定するのも失礼に値するのではないか、と思い、咄嗟とっさに「場合によります」と返した。花は吹きだして笑ってくれた。
「霜雨はおもしろいね」
「はじめて言われました」
 本当に生まれてはじめて言われた可能性がある。

 そういえば麻野間に伝えたいことがあったと思い出した。私は息を吸いこんで、「麻野間先輩」と呼ぶ。ん、と彼女は微笑みを浮かべながら首を傾けた。

「私、霜焼けに雨って書いて、霜雨です。あの、奏でる、じゃなくて」

 麻野間はぱっかり目と口を開いてから、満面の笑顔になった。優しくてあたたかくてぐっと引き寄せられそうになる笑顔だった。そっか、と彼女は呟く。いいなぁ、と私は思った。こんな笑顔を浮かべられる人になりたい。

「霜雨、私のことは花でいいよ」

 彦坂が「集合」と部員を集める。
「ほら1年も、円陣組むよ」と長谷部が手招いた。
 役者も裏方も関係なく部員全員で円になった。先輩たちが拳をつくって前に出すので、それに倣う。

「はい、じゃあ」
 と彦坂が円陣とは思えないような、のほほんとした声で続けた。
「つつ高演劇部、がんばっていきましょー」
「おー!」
 と全員の声が、狭い倉庫をわんわんと反響した。

 扉の向こうでピアノの伴奏が鳴りはじめると、ゴブリン役の長谷部、ドラゴン役の堤が舞台に出ていく。その瞬間、会場が拍手の音でいっぱいになった。

 奇妙な感覚だった。体育館の舞台で演じた時よりも緊張が少ないような気がする。とはいえ心臓は早鐘を打っているし、先ほど注意された時の堤の声が頭から離れない。でもそれを覆うように、動画で見た妖精の動きを脳内で反復し続けている。

 ゴブリンとドラゴンがエルフの里を訪れるシーンになった。丹羽は例のごとく憮然としていて、全く緊張を感じさせない。私は「行こう」と無意識に南に声をかける。南は神妙な面持ちで頷いて、ふっと短く息を吐いた。
 丹羽が歩みはじめたので、私たちもそれについていく。

 どうして堤は、エルフに対して、滑らかな動きをするイメージを持っているのだろう。それをずっと考えていた。でもたしかにロボットのようにカチカチした動きのエルフなんて不自然だ。なんでだろう。どこか人工的で神秘さに欠けるから? そもそも滑らかな動きってなんだろう。エルフは骨格が人間と違うのかな。意外と運動神経が豊富なのかな。それとも体重が少ないのかな。

「ねぇゴブくん、見てみて、エルフさんがいるよ」
 堤の声を合図に、丹羽が舞台に現れた。私と南も、丹羽の周りを舞って登場する。
「ほらそこのお母さん」と丹羽は、『②』と書かれたテープに移動して、客を指し示す。「私はエルフだから、そこのお母さんよりもずーっと歳上なのよ」

 私は、丹羽の演じるエルフの取巻で、彼女の周りをふわふわ漂うだけ。私ってなんでこのエルフの周りをうようよしているんだ? それはもちろん慕っているからだ。丹羽はエルフの中でも位が高くて、私たちはその虎の威を借る狐なのだ。思考が降りしきる。
 そうだ、だったら……。

 私は腕をふわっと振り上げる。そのままゆらりと腕を組んだ。

 ゴブリン一行よ、この、丹羽演じる偉いエルフの言葉に屈しろ。

 あごを上げて、しゃべっているドラゴンを睨みつける。私の突然の挙動に目を見開きながらも、南もそれに倣った。

「まあそこまで言うなら。私のことを美しいお姉さまだと、そこまで言うなら、しょうがないわね。魔王の城が燃えた日に見たことを教えるわ」

 丹羽が読み上げて踵を返し、歩きだす。
 私はもう一度、勇者たちに向けて鼻息を立てて威張る。私たちが崇める丹羽エルフをナメるんじゃないよ、と目で訴えた。
 去り際も私たちは丹羽の周りをくるくると回った。
 ちらと丹羽を見ると、なんてことない顔をしていた。余裕だなぁ、と思う。ああそうか、エルフは長生きしているから経験も多くて余裕があって動きが軽やかなのかも、とそんなこと考えていた。

 キュピ、と嫌な音が鳴った。

 次の瞬間には、目の前に床があった。咄嗟に手を出したが、そのまま倒れこんでしまった。転んだのだとすぐ気づけず、私は呆然と身体を起こす。集会室の中の全てがやけに静かで、自分の呼吸の音が聞こえた。立ち上がろうとすると、足首に激痛を感じた。

「あっちゃあ」
 と声がしたので見上げると、丹羽が目頭を押さえている。

「わー、これまたド派手に」
 長谷部が大袈裟に言う。その声のトーンで、まだ劇の途中なのだと気づく。
「エルフのお姉さま、お付きの方、大丈夫なんですか」

「大丈夫じゃないわよ」
 ため息を吐きながら、丹羽が私に手を差し伸べた。それをとり、痛みを堪えて立ち上がる。
「この子ったらまだまだ新米なのよ。踊りも覚えたて。ほらそこのお母さん、あなたよりずーっと歳下なの。エルフの世界じゃ、こう見えても赤ちゃんなのよ」

 もちろん、こんなセリフは脚本には存在していない。しかし丹羽の声には少しの淀みもなくて、はじめからそこにあったかのようだった。

 セリフのない私は黙ったまま、再び歩きだした丹羽の周りを、足を引きずりながら不格好に舞った。

 はじめての舞台はまるでダメだった。考えごとばかりしながら勝手に動いて、客席もまるで見られていなかった。挙句の果てにずっこけて、丹羽に助けられた。達成感もまるでなくて、悔しいという気持ちも湧かなかった。ただただみっともなくて恥ずかしかった。

 でも不思議と演劇を辞めたいとは思わなかった。だって、ゆらりと回した腕を組んで、あごを突き上げたあの瞬間、私はたしかにエルフの取巻だったと、そう思えたから。
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