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世界にさよならを告げる前日の裏話
しおりを挟む世界が平和になった日。
平和を祝い世界を救った巫女を讃える大規模な饗宴が、王都の城で夜が更けても開催されていた。
しかし宴の主賓でもある世界を救った巫女は、王城の宴の喧騒から隠れるように、物見櫓で一人静かにたたずんでいた男のもとへとやってきた。
巫女はまるで男がいないかのように、無言で櫓の窓へと真っ直ぐに向かうと、城下町の光を見つめる。城には入れない民達も思い思いに、祝いの宴を開き飲み明かしているのだろう。それは喜びに満ち溢れた、暖かな光だった。
巫女の長い黒髪が風でなびく、まるで夜に溶け込むように。
「……明日。お前は本当に、元の世界に帰るのか?」
巫女がいても声を掛けるわけでもなく、しばらくは無言だった男の声を聞いて、少女は笑顔で振り向いてやっと口を開く。
少女はこの世界では珍しい、神秘的な黒目を持っていた。
「うん。
そうじゃなかったら……ユーリンが、困るもんね」
「………」
「ははっ。馬鹿だと思ってるでしょ?
……でも、いいんだ!」
「お前は本当に、馬鹿だな」
男は何度この少女に「馬鹿」と言っただろうか。
でも、今の馬鹿にはまるで囁くように、願いのように……本来の意味とは違った、優しい響きがあった。言った本人は気がつかなかったが。
彼は馬鹿だと言わざる得ないほど、彼女の事をよく知っていた。
そうよく知っている。
……彼女が知らない、真実までも。
少女はこの国に召喚された巫女だ。
異世界から召喚される巫女の『役割』は世界の浄化。
世界が汚れた時に、瘴気は現れる。靄のような醜悪なモノ。それが濃くなるとありとあらゆる生き物に取付き、取り付いたモノはそれを宿主として形をとる。いわゆる、魔物だ。
この世界の在人には、魔物を倒しても、完璧に消滅させる事はできなかった。
形となった魔物を倒しても、器を壊しただけ、取り付いた瘴気はまた靄の塊となり、次の宿主を探す。まるで雑草を刈り取るだけのように、根からは根絶できないように。
しかし、神祇官が他の世界から召喚した異人『巫女』には、瘴気自体を浄化できるのだ。
召喚された少女は、元の世界で孤独の真っただ中にいた。
だからこの世界に召喚されて、必要とされ、尊重され。初めて見た美しい男に恋され恋し、それがこの世界を救う動機になった。
そして長い旅の末、一番の巨大な瘴気を浄化し――世界の理に知らされた真実。
巫女が「浄化」していたと、思っていた汚れ。
それら全ては、巫女の体の中に封印されていたと。
その封印の限界は、あと一滴であふれるほどに来ていた。
封印が弾ければ、巫女の内で歪に混ざり合った汚れは、浄化する前よりもひどく、世界を汚す。
……それは、世界が終わる日。
巫女の世界には、汚れの概念がない。
巫女にはその耐性がこの世界の人間より比べられないほど高く、元の世界にそれを持ち帰ればその概念は弱まり、本当の意味で汚れは霧散すると。
つまり巫女は――汚れを安全に捨てるための入れ物であり、運び屋だったのだ。
巫女が世界を去るまでが、この世界を救う伝説の本当の終わりで不文律。
それを知ってもなお、巫女が愚痴も言わず粛々と運命を受け入れるのは、ひとえに『愛しい男』のためだ。
勿論、その対象は男ではない。
金髪碧眼の完璧な美貌と体躯をもち、眉目秀麗、頭脳明晰、文武両道、優しく皆から慕われる女性の理想の具現であるこの国の王子、ユーリン。
巫女はその愛しいユーリンの為に、彼の住む世界を離れる決意をしたのだ。
――愛しい、ユーリンか。
そう思うだけで、男は苦虫を噛み潰したように、心が重くなる
それは、罪悪感だけでは無いのは分かっていた。
「そんな顔しないで? 貴方がそんな顔してると調子狂っちゃうよ」
「そんな顔とは?」
「世界が終わるような顔してる」
「……お前のおかげで世界はまだ終わらない、感謝している」
「本当に、らしくない」
神秘的な黒曜石のような少女の瞳が揺らめいた。
そして男をじっと見つめる。
男は心の中を見透かされそうでたまらず、目を伏せた。
「大丈夫。そんなに悪いと思わないで、私全部知ってるから」
一瞬、何を言われたのか男はわからなかった。
そして、その真意が図りかねて、うかつに返事を返せない。
「ユーリンが私を好きじゃないってことぐらい、今ではもうわかってる」
「…………何故、そう思う?」
巫女は相変わらず笑顔だった。
笑顔にはそぐわない、セリフ。
だから男は誤魔化せるかと、質問する。
「だって、好きでずっと見てたから、わかっちゃうよ……ユーリンの本当に好きな人は別にいるって。
でも、私。わがままだから見てみないフリした、もしかしたらこのまま一緒にいれば、本当に私の事を好きになってくれるかもって、甘い期待をしちゃったんだ」
だから何も知らないで騙されてる愚かな女を演じ続けた……でも。
言いかけて、巫女は言葉を切る。
その後に続く言葉は言わなくても、痛いほど男には見て知っていた。
――ユーリンの気持ちは、長い旅を終えても揺るがなかった。
それを巧妙に隠し、巫女の忠実なる騎士として、ユーリンは巫女に恋する男を演じ続けた。
男は巫女が馬鹿なほど幸せそうにしていたので、真実を知らずに甘い夢を見ているるに違いないと思っていた。……しかし、知っていたのなら、それはなんと残酷なことだっただろう。
「そうか、それは気付かなかった」
「ユーリンは私が伝説の巫女だから、親切にしてくれてただけなんだよね……本当に。だから明日、おとなしく帰るのはお詫びというかお礼というか、そーいうものなの」
お詫びなど不要だと本当の事を言いかけて、男は口を閉ざした。
それらについて話すことは禁じられている事なので、男の一存では口にしてはならないこと。
「実らなくても一生分の恋をした、だから私はこの世界を去っても満足なんだ」
元の世界で両親を失った孤独な少女に、美しく優しい男が付け込むのは容易だっただろう。
しかもそのために、長い年月を掛けて作られてきた『王子』なのだから。
代々の召喚で呼ばれる、巫女は女性だった。
そんな違う世界から来た人間に、自分のものではない世界を救う危険を伴う仕事をしろといっても、容易に受け取ってもらえるはずもない。
代々の王と神祇官達は理由を作り出そうとした。
代々の古い記録を読み取り、上手くいった例を参考として。
――反吐が出る話だ。
まるで人参を眼前にぶら下げて、走る馬ではないか。
そのやり口を考えると嫌悪感がこみ上げるが、男も王族の一員。目の前のひとりの女の子を尊重するよりも、世界を取るのは当たり前の事だった。理解しているはずだった。
王家は代々、巫女を惑わすために美しい子孫を残そうと躍起になっていた。
男もユーリンほどではないが、王族の端くれ。銀の髪にアイスブルーの瞳の、まるでこの闇夜に輝く月のように十分に美しい容姿をしている。
召喚の間に、不本意ながらも呼ばれ、王族が一族総出で迎える中――巫女は視線をユーリンに合わせた。
それが、ユーリンが本心を隠して、彼女を大事にしなくならなければならなくなった理由。
巫女の世話係はユーリンとなり、ユーリンは不安な巫女の心を確実に捉えた。
本当は嫌がるユーリンを長老と王は彼の想い人を人質にすることと、巫女が無事使命を全うすれば、結婚の許しも与えたのだ。
流石に巫女はそこまでは知らないだろう。
でも、知っても何も変わらないのかもしれない。
それほど静かで、穏やかな告白だった。
「わかっててユーリンの優しさにすがってた、本当にヤな女だよね」
「そうでもない」
本当に嫌な女なら、騙されていると分かっていながら、相手の為に何かできるだろうか。
それは彼女が、それだけユーリンを好きだったかという現れだ。
「それで何故、俺にそんなことを話すんだ」
「え、そうだなぁ。ユーリンにいままで付き合ってくれてごめんねって謝ってくれって伝言、一番言えそうだったのと」
考えるように、巫女は首をかしげる。
「この世界で、貴方だけが私に嘘をつかなかった、からかな?」
「……」
その答えに、男は絶句した。
「私が巫女だからって持ち上げる世界の中で、貴方だけが有りのままで私のこと嫌いって示してた。
でも、いざという時は、なんだかんだ言いながら、助けてくれたよね」
「世界を救うのに手を貸すことは、この世界に住む者の義務だ」
――義務。
男は正しい言葉を発しているはずなのに。自分で使った単語に違和感を覚えた。
「ふふ、正直だね。
夢のような嘘の中で、貴方だけが本当の事を言ってくれる」
……だから、信じられるの。
笑う巫女に、「伝言は伝えてやる」と、男はそっけなく言い放つ。
満足そうにじゃあね、と言って巫女はまた夜の闇に消えた。最初から、いなかったかのように、戻る静寂。
「……いいや、俺は一番の大嘘つきだな」
消えゆく巫女の背中を見ながら、届かない呟きもまた、夜の闇に掻き消える。
いや届かないからこそ、呟ける、男の紛れもない本音。
――お前が好きだ。と言わないのだから。
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