名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

報われない

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 ソフィは頬を膨らませながら道を歩いた。日の光は枯れ草のように黄ばみ始めていて、そろそろ空の端も赤くなろうかという頃合だった。
 隣ではリディアが機嫌よさそうに歩いている。一体どこに向かうつもりなのかはわからない。ただ、リディアはアデルとシシィから自分を遠ざけようとしたのだというのはわかる。
 その思惑に乗るというのは受け入れがたいことではあったが、リディアに無理矢理連れ出されてしまった。

 ソフィは溜息を吐いて肩を落とした。
 アデルはついにリディアに惚れてしまったらしい。受け入れがたい事実ではあったが、予想できなかったわけではない。
 このような美人に迫られれば、どんな男だってころりと参ってしまうだろう。

 ソフィは隣のリディアに視線を向けた。やはり何度見ても美人だと思える。
 こんな美女が恋敵ではさすがに勝てる気がしない。だからといってアデルを諦めることなど出来るはずもない。

 アデルと出会ったのはおよそ一年前だ。何もないあの神殿から自分を連れ出してくれた。一緒に旅をして、そしてこの村にやってきた。
 その間に、アデルに惚れてしまったのだ。自分を何よりも大事にしてくれる男で、自分のために命を賭けて戦ってくれた男だ。
 惚れるなというほうが難しい。アデルを幸せに出来るような女になりたいと心の底から願った。そのために努力してきた。

 肩を落として歩いていると、リディアが明るい声で話しかけてきた。

「ソフィ、どうしたの? 元気ないじゃない」
「……当然であろう、アデルめ、とんでもないことを言いおった」
「とんでもないことねぇ……、でもいいじゃないの。いい傾向よ」
「何がよいというのじゃ」

 リディアはこんな状況だというのに楽観的な様子だった。リディアもアデルの愛を独占したいだろうに、この様子は理解しがたい。
 ソフィがリディアを見ると、リディアは人差し指をぴっと長く立てて言った。

「アデルがああやってあたしたちを受け入れるようになってきたじゃない。いい傾向に決まってるでしょ」
「そんなわけないのじゃ」
「どうして? アデルはついこないだまで、あたしもシシィも受け入れる気がなかったのよ? でも今は違うじゃない」
「それは……」

 アデルの考え方を変えるとリディアは言っていた。アデルをもっと駄目な男にしてしまえば、自分たちは報われるのだと言っていた。
 その考え方に賛同するのは難しい。とはいえ他に何か方法が思いつくわけでもない。
 今まで自分もアデルに迫ってきたが、まったく相手にされなかった。


 リディアは道を逸れて、一本の木の下へと入った。どうやら歩くのをやめてそこで話すつもりらしい。
 取り立てて反対する理由もなかったので、ソフィもその木の下に入った。枝ぶりを誇るような高い木の下で、リディアと隣り合う。

 リディアは木の幹にもたれかかって、視線を空へと向けた。秋が近づいているせいか、空は高くて薄かった。
 また季節が変わろうとしている。アデルと暮した日々ももうすぐ一年になる。その間、ずっと努力してきたと思う。アデルの嫁になるために沢山勉強をしてきた。
 それでもまだ自分は大人になれない。

 ソフィが溜息を吐くと、リディアが明るい声で言った。

「元気出しなさいよ。心配しなくても、アデルはソフィのことをいっぱい愛してくれるわ」
「……しかし、それは、妾だけではないのであろう?」
「そうね、でもいいじゃないの。このままだとアデルはソフィだけは選ぶことがないんだから」
「そんなことは、ないはずなのじゃ」

 アデルと自分は深い絆で結ばれている。それだけは確かだ。
 リディアは肺の底に溜まっていた空気を吐き出すように、長く息を吐いた。

「あのねソフィ、もしかしたら気づいてないのか、それとも考えたくないのかはわからないけど」
「なんじゃ?」
「ソフィはね、今、すっごく駄目な女になってるわよ」
「はぁ? 何を言っておるのじゃ?」
「考えてもみなさいよ。ソフィはね、もうアデルに振られてるじゃない。嫁にはしないって言われてるんでしょ?」
「ぐ……」
「ソフィがいつアデルにそうやって想いを伝えたのかはよくわかんないけど、振られたのに諦めてないのは確かなんでしょ」
「それは、そうじゃ」

 一度や二度断られたくらいで、諦めてたまるものか。
 アデルのような男はもう自分の人生に現れることはない。自分の正体を知ってなお引き取ってくれた。立派な大人になれるように本も買ってくれた、美味しいものも食べさせてくれた。
 笑わせてくれた、ずっと優しくしてくれた。命を賭けてまで、自分を守ろうとしてくれた。
 自分と生きてゆくために、アデルはこの村を捨てる決意までした。ずっとこの村で育ってきて、大事な人が沢山いるこの村を、アデルは一人の女の子のために失おうとしたのだ。

 そこまでしてくれたのに、自分はアデルを幸せにするという目標をまったく達成できていない。
 アデルにつりあうような立派な女になり、そして嫁になり、アデルを幸せにするのだ。

 ソフィが真剣な面持ちで俯くと、リディアが息混じりの声で言った。

「でもソフィ、あなたね、客観的に見るとおかしいわよ」
「はぁ?」
「もう何回も振られてるんでしょ。なのにソフィは諦めずに執着してるじゃない。立場を変えて考えてみなさいよ、ソフィのことが好きだっていうオッサンが現れてね、ソフィが断るとするじゃない。でもね、そのオッサンは諦めずに何度も何度も付きまとってくるの。その上、変な道具まで使って心を操ろうとしてくるのよ」
「な……にを」
「アデルは優しいからソフィに強く言わないかもしれないけど、そんなことしてくる相手は、嫌じゃない?」

 リディアの言葉を聞いてソフィは首を振った。
 強い口調で否定する。

「違う、妾は違うのじゃ。妾とアデルは強い絆で結ばれておる。アデルは妾のために必死になってくれておる。全然違うのじゃ」
「そうかしら? でも、アデルはソフィにそうやって想いを告げられたくないって思ってるんでしょ」
「それは、今は、そう思っておるかもしれんが」
「アデルは、ソフィを嫁にするつもりなんてないわよ。キスするつもりもないの」
「それは……」

 わかっている。アデルは自分を受け入れてくれない。どこまでいっても、自分はアデルにとっての妹に過ぎない。
 だからこそその立場を抜け出すために努力をしているのだ。アデルを超えて、アデルの嫁になり、アデルを幸せにする。

 リディアがそっと手を伸ばして、ソフィの頭の上に手を置いた。その手でソフィの頭を優しく撫でる。
 柔らかな手つきだった。だが、子ども扱いされているようで腹が立った。リディアから見れば自分などただの子どもだというのは理解できる。
 それでもこの手を受け入れることは出来ない。ソフィは手でリディアの手を払った。

 撫で続けようと思えばリディアなら簡単だっただろう。しかしリディアはそうしなかった。
 リディアは呆れたように息を吐いた。

「ソフィ、でもね、あたしとシシィはソフィがアデルに愛してもらえるようになってほしいの」
「なぜじゃ?」
「ソフィのことが大事だからよ。ソフィがアデルのこと好きなのを知ってるし、その想いが報われてほしいと思ってる。そのために色々やってるわけでしょ」
「ぬぅ……」
「アデルはね、あたしを自分の女にしたの。シシィもそうなるわ。そしたら次はソフィよ」
「……それは、三股ではないか」
「そうね、でも、それが一番幸せだと思うわ。誰もいなくなったりしないの、みんな一緒よ」

 リディアの髪が風でさらさらと揺れる。その赤い髪を片手で払って、リディアはソフィと正面から向き合った。
 ソフィも釣られて向き合い、それからリディアの顔を見上げた。
 リディアが穏やかに微笑んでいる。

「みんなで家族になるの。あたしがお姉ちゃんで、ソフィは妹なの。それでね、みんなでアデルの子どもを産むの。そうしたら大家族よ。きっと毎日が賑やかで、すっごく楽しいわ」
「ふむ……」
「ソフィだってアデルに赤ちゃん産んであげたいでしょ?」
「それは、そうじゃ」
「そうね、だからみんなでね、家族になるの。アデルもそんな楽しい生活を送れて、きっと幸せよ。だってあたしもシシィもソフィもいるの。それでアデルの子どもも沢山いてね、みんな幸せに暮していくの。ソフィもアデルに沢山キスされたりするのよ。みんな幸せでしょ?」

 リディアは小さく首を傾げて微笑んだ。母性を含んでいるかのような、慈愛に満ちた微笑だった。リディアは、本気でそう考えているのだろう。リディアは自身の幸せだけでなく、みんなの幸せを考えている。
 そのためだったら、愛しい人が自身のものだけでなくてもよいとさえ思っているのだ。


 リディアもシシィも、本気でアデルに惚れている。この人しかいないと心の底から思っている。
 だからアデルと一緒にいたいと願っているのだろう。

 もし自分がアデルを独占できたとしたら、リディアとシシィの二人は嘆き悲しむに違いない。
 目の前のリディアを、他の人の幸せまで考えているリディアを、どうして絶望の淵へと追いやらなければいけないのだろう。

 リディアとシシィはアデルに愛されるに足る人物で、それをもう成し遂げてしまったのだろう。
 それでもアデルを独占しようとはせず、小さな女の子のために席を用意しようとしてくれている。

 リディアの考え方が、今は一番正しいのかもしれない。そう思えてしまう。ただ、自分の感情の深い部分で何かが声を上げている。
 受け入れがたいと思ってしまっている。これは自分が悪いのだろうか。

 例えリディアとシシィと出会うことがなく、また、今から二人が去ったとしても、自分はアデルの嫁にはなれないのだろうか。
 一生懸命努力してきたのに、すべては無意味なことだったのだろうか。

 頭の中身はぐちゃぐちゃになり、上手く考えがまとまらない。
 その様子を見ていたリディアがさらに言う。

「ソフィはアデルを幸せにしてあげたいんでしょ? だったら、みんないたほうがアデルはもっと沢山幸せになれるんじゃない?」
「う……」

 リディアの言葉にも理があるような気がしてしまう。
 今はもう、感情的な部分だけが受け入れがたいと声を上げている。

 リディアの考えを受け入れるべきか、それとも跳ね除けるべきか。

 わからない。


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