名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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序章

出会いと戦い4

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 空の中央から、何本もの細く白い煙が放射状に伸びていた。空を見上げながら、男が眩しさに目を細める。
 どうやら隕石は完全に破壊されたらしい。それを可能にしたのが、この小さな女の子の魔法なのだから恐ろしい。

 男は恐怖と驚きの混じった声をもらした。

「ううむ、しかし両方ともとんでもない魔法じゃのう。わしが見たことのある魔法使いは、ちょいと火の玉を飛ばせるとか、怪我を治せるとかその程度のものであったが、それでも素晴らしい魔法使いと賞賛されておったぞ」

 この言葉はどうやら女の子の心をくすぐったらしい。女の子は頬の端をひくつかせながらこちらに答えた。

「ほう、そうなのか。では妾ならば素晴らしいを遥かに超える超凄い魔法使いじゃな」
「じゃろうな。いやはや、さすが魔王と呼ばれるだけのことはある。魔法使いの王にして魔物の王、あらゆる敵を鎧袖一触したと言うからのう。恐ろしい」
 
 男は生唾を飲んで口元を手の甲で拭った。一方、少女は誇らしげに胸を反らしている。
 よほど気分が良いのか、気安くこちらへ話しかけてきた。

「ふむ、それはおそらく妾のご先祖さまのことと思うが、人間にはそのように伝えられておったか」
「しかしまさかこんな小さな女の子が今の魔王とは思いもせんかったがな。てっきり牛の怪物じゃとばかり」
「なにゆえ牛の怪物なのじゃ、牛なぞご先祖にはおらんはずなのじゃ」
「いや、わしに聞かれてもよくわからんが、赤髭王という王様が昔、魔王と戦ったという時に」

 男がそう言った瞬間、耳にピリピリしたものを感じた。

「なんじゃ?」

 そう言って顔を上げた瞬間だった。


 
 空の全てを破裂させたかのような轟音が二人を襲った。音は腹の底まで突き破るかのような威力と、背骨を震わせるような猛烈さで大地を揺らす。

「うおおおおっ!」

 男が喉から搾り出した音は轟音の前にかき消される。肌がびりびりと震え、耳はもはや自分の声さえも聞き取れないほどに打ちのめされた。
 広い空が破裂したかのような爆発音に体を突き刺されながら、男は少女の手を取り、そして道の脇へと引っ張り込んだ。
 男が少女に向かって大声で何かを叫ぶが、少女は男が何を言っているのかまったく聞こえないのか、目を丸くして男の手を振りほどこうとした。

 男は少女の手をぎゅっと強く握り、そして少女の背を大きな常緑樹に押し付けた。抵抗する少女の両手首を掴んで覆いかぶさる。
 少女の体が外の空気に触れないように、その小さな頭を抱きすくめる。暴れながら抵抗する少女を力ずくで抑え込んでいると、地面が突然跳ねるように揺れだした。
 恐怖からから少女が叫び声を上げる。揺れの後に、再び轟音が二人を襲った。周りの木々は、一陣の寒風が過ぎ去ったかのようにその葉を猛烈に震えさせている。


「ぬおおおおおおぉ」

 足元の揺れは間隔を置かずに数度続き、余韻のような空の鳴りを残してようやく収まった。

 男は荒くなっていた息を落ち着かせるため数回胸を上下させた後、抱きすくめていた少女から体を離して周りを伺った。

「……終わったのか? なんと凄まじい……」

 額に滲んだ脂汗を袖で拭い、今一度空を見上げる。幾条もの白煙の尾があちこちへと伸びているのが見えた。
 あの光の球が隕石を撃ち砕いた後、その破片があちこちに散乱し地表へと落ちたようだった。
 しかしあれが最後だろう。もう他に何かが落ちてくることは無いはずだ。
 一人で安心していると、女の子が怒りに任せて大声を上げた。

「な、なななな、何をするんじゃー! この阿呆! スケベ! おたんちん! 阿呆! たわけ! うんこ!」

 顔を真っ赤にした少女が、男を睨みながら罵詈雑言を並べ立てる。その唇は少しばかり震えていた。
 先にこの子の身を案じてやるべきだったかもしれない。男は女の子に向かって尋ねた。

「おお、大丈夫か、怪我は無いか?」

 男は怒りに燃える少女の体を調べるために、少し身を屈めて少女の体を眺め回した。
 じろじろと見られて、女の子が一歩後ずさる。

「んな?! なんじゃおぬし! まさか、妾があまりにも可愛いから死ぬ間際に妾を手篭めとやらにしようとしたのじゃな!」
「違うわい! んなこと考えておらんわ! ただわしは、おぬしが怪我をしてないか、怪我をせんか、それが心配だっただけじゃ」
「な、何を言うておるのじゃ! 馬鹿なのか!」
「うむ、馬鹿であることを否定はせんが、そんなことよりもじゃ……」

 男は少女に背を向けて、数歩進みそして落ちていた杖を拾い上げた。

「ああっ! 妾の杖!」
「これでおぬしはもう魔法を使えぬのじゃろう?」

 男は杖をぶらぶらと揺らしながらそう言った。
 魔王が慌てふためきながら叫ぶ。

「あわわわ、か、返すのじゃ!」
「……残念ながら今は返せんのう……」

 男はその杖を自分の背中へと回し、ベルトの間に差し込んだ。

「なんと?! 卑怯な!」
「ふむ、卑怯か。まぁ、ともかく落ち着け魔王よ、これでおぬしはわしに勝てぬわけじゃ。つまり、おぬしの負けじゃな」
「なななな、卑怯じゃぞ!」
「卑怯結構、わしにはわしの目的がある。そのためにわしはこんなところまで来たのじゃからな」
「う……ぐぅ」

 少女は泣き出す寸前だった。男を睨みつけながら、その瞳の端に今にも零れそうな大粒の涙を溜めている。歯を食い縛り、唇を震えさせていた。
 その少女に、男は低い声で語りかける。

「わしの目的はの、魔物によって被害を受ける無辜むこの民を救うため、魔王を討つことじゃ」
「わ、妾を殺すのか?」
「死にたくないのか?」
「あ、当たり前じゃ!」
「そうか……。そうじゃろうな、なのでな、よく聞いてくれ魔王よ」

 男が一歩少女に向かって近づく。少女はびくりと体を震わせて、両手を中途半端に胸の前に持ってきた。
 もう一歩、男が少女に歩み寄った。男はそこで膝をついて、少女と目線の高さを合わせた。
 声音を丸くして、男が話しかける。

「魔王よ、もう、魔物を使って民を苦しめるのはやめてくれ。わしの目的は、それを止めること、ただそれだけよ。つまり、わしはおぬしがそれを止めてさえくれれば、わしはおぬしを殺す必要はない。わかるか?」
「……どういうことじゃ?」
「聞いてくれ、さきほどあの魔法を放つ時、おぬしは言ったじゃろう。危ないから下がっていろと、それはわしの身を案じてのことじゃろう」
「そんなもの、覚えておらんわ」
「覚えておらんならそれでもよい。そのほうがよい。何故なら、それはおぬしの中にある優しさから自然に出た言葉だということになるからな。そう、わしはそれを信じたい」
「……」
「そう、ゆえに、わしは伏してお願いしたい。魔王よ、どうか魔物を使って民を苦しめるのをもう止めてくれ。そうすれば、わしはおぬしを手にかけずに済む」
「……ちょっと待つがよい、妾は、お主が何を言っておるのかわからん。妾が魔物を使って何かをしたというのか?」
「何を言っておるのじゃ? そのはずじゃろう、現に、魔物によって食料や色々なものを奪われておる村がある」
「そのようなこと、魔物に命じた覚えはない」
「ど、どういうことじゃ?」

 男が目を細めて首を傾げる。意外な返答に、それをどう捉えていいのかわからない。
 一方、こちらの小さな黒髪の女の子は何かに思い至ったらしい。

「しかし、妾が間接的にそれを行っておったのも事実なのじゃろうな。妾がいつも食べているもの、使うもの、すべて魔物が妾に持ってきたものじゃからな」
「ふむ……」
「そうか、あれは魔物が奪ってきたものじゃったのか。父上がそう命じておったのじゃろうな」

 魔王が瞳を伏せた。
 男が膝をついたまま、魔王の顔を下から覗き込む。

「しかし魔王よ、おぬし、その父上とやらはどうしておるのじゃ? 何故こんなところにおぬしを一人にさせておる」
「父上は、母上が死んでしまった後、父上も冥界に行くと言い残して妾をここに置いていった」
「な……、それは」
「それからずっと、妾は一人ぼっちじゃ。こんな場所で、妾は生きておる」
「……ふむ、事情のすべてを理解したわけではないが、なんとなく推測はできる。その父上とやらが、おぬしのために魔物を使って村から食料やらを巻き上げさせておったわけか」
「じゃろうな。妾はまったく気づかんかった。どうして食べ物が運ばれてくるのか、必要なものが運ばれてくるのか」
「そうか、なんとなくは理解できた。おぬしは、知らんかったわけじゃな」
「うむ……。しかし、知ってしまったからといって、妾はどうしてそれを止めることが出来るのじゃ? 妾は食べ物をどこで手に入れればよいのじゃ? どうやって生きればいい」
「ならば魔王よ、わしと来い! わしがおぬしをここから連れて行こう」
「おぬしと……?」

 少女は小首を傾げて、跪いている男の瞳を覗き込んだ。その赤く大きな瞳に向かって、男は頷いて見せた。

「ああそうじゃ。わしと共に来い、そんな寂しい生活はもう止めてしまえ。たった一人で孤独に生きるというのか? どうしてそんな寂しい生き方をせねばならんのじゃ、ずっとそうやって生きるつもりか?」
「……しかし」
「頼む、どうかわしと来てくれ。わしも天涯孤独、一人だけで生きておる。しかし、もう、寂しくて仕方が無い。魔王よ、どうか頼む、もう魔物が人々を襲わぬようにして、そしてわしと共に来てくれ。生きるために必要なものなら、わしがなんとか与えてやろう、贅沢は出来んが、決しておぬしに寂しい思いなどさせはせん」

 男はしばらくの間、少女の瞳をまっすぐに見つめていた。少女は一度視線を落とし、指先をくるくると遊ばせる。何か言おうとしたのか、数度唇をもごもごと動かした。

「し、しかしじゃな、おぬしは妾を殺そうとしてやってきたのじゃろう。それに、妾はおぬしのことをよく知らんし、どうやって信じろというのじゃ」
「うむ、まぁ確かに。そこはなんとか信じてもらうしかないじゃろうな」

 確かに、いきなりこんなことを言われても信じがたいだろう。
 時間をかけて説得するしかないと思ったが、女の子はひとつだけ息を吐いてあっさりと同意してくれた。
 
「……わかったのじゃ、妾はおぬしの言うとおりにしよう」
「本当か?!」
「そうじゃ、ともかく、その杖を返すがよい」
「おう、わかった」

 男は右手を背に回し、腰に差していた杖を引き抜いた。杖の先端を掴み、柄を少女のほうへ向けて差し出す。
 少女は熱いものにでも触れようとしているかのように指先を一度空中で躊躇わせ、それからゆっくりとその杖に手を伸ばした。
 杖を受け取った少女が、その感触を確かめるように数回柄を握り、じっと杖の先を見つめる。

 これですべて終わりだ。男はもう一度深く頷いた。

「ふむ、同意してもらえたことじゃし、これからのことを考えねばのう」

 男は立ち上がって、大きく伸びをした。後頭部を右手で掻きながら、少女に背を向ける。
 その背に、少女の声が届いた。

「本当に、おぬしは阿呆よのう」
「んあ?」

 男が首だけで振り返った。
 杖を構えた少女が目を見開き、その小さな唇から言葉を紡ぎ始める。

「Aham ordere las lie codexae magicoe ex lem Mundi inferiori lu ostendien」

 地表に幾条もの紫光が走り、少女の胸の前に一冊の本が浮かび上がる。少女はその本の表紙に左手を乗せ、さらに続けた。

「Lie portae hintre unsen mundum, wir aham orderen lass eum lu clauderen」

 そこまで唱え終えると、ちらりと男の様子を伺った。男は少女が詠唱を始めてから、離れたところでじっとその少女を見ている。
 少女は左手を本に乗せたまま、右手の杖を胸の前に掲げた。
 それから杖をゆっくりと頭上に上げ、空に向ける。ぼうっと杖の先に白い光が宿り、その光が杖の先を離れて空中に浮き上がった。
 その光が一瞬にして弾け飛び、四方八方へと飛び去っていく。

「うおっ、びっくりした」

 男が仰け反りながら右手で胸を押さえた。
 それを見て、女の子が溜め息混じりの声で言う。

「……これで終わりじゃ。魔物はすべてこの地上から消え去った。おぬしが言うようなことはもう起こらぬであろう」
「そうか、お疲れさんじゃな。ありがとう」
「別に礼を言われるようなことではないわ」

 少女はそう言ってそっぽを向き、杖を腰のベルトに差した。何か言いたそうに唇を尖らせ、ちらちらと男のほうを伺う。

「しかし、妾が、つまり杖を取り戻した妾がおぬしを攻撃するとは思わんかったのか?」
「ん? ああ、なるほど。まぁ、その時はその時じゃ。なんとか逃げ回って、またおぬしから杖を奪い、そして同じことを頼むまでよ」
「……阿呆かおぬし」
「うむ、わしはしつこいでな。もうおぬしが寝る暇もないくらい食らいついて、なんとかまたこうやって頼むことになったじゃろう。わしが殺されるか、そっちが折れるかのどちらかじゃな」
「寝込みを襲うような阿呆に付きまとわれては困る。まったく、なんという奴じゃ」
「はっはっは! まぁよいではないか! こんなところで一生一人ぼっちなどでいるより、日々働いたり勉強したり、そういったことに一生懸命になったほうが楽しいに決まっておる」

 男は大きく口を開けて笑いながら、少女の前まで歩みよった。

「さて、お姫様よ」

 男は少女の前で跪いて、少女の右手を取った。
 突然のことに、少女は戸惑ったようだ。

「な、なんじゃ……。いきなり手を握ってくるとは、おぬしはやはり……」
「いやいや、そうではなくてじゃな。そろそろ、お互いに名乗ろうではないか。わしの名はアデルという」
「アデル? なんじゃ女みたいな名前じゃのう……」
「はっはっは、よく言われる。まぁ、気にするでない。それより、お嬢さんの名前を聞かせてくれ」
「……ソフィじゃ、妾の名はソフィという」
「ほう! それは実に良い名ではないか! なんとも頭の良さそうなおぬしにぴったりじゃな!」
「別に、妾が自分で自分の名前を決めたわけではない」
「ふむ、まぁお互い名乗りあったことじゃし、これからもお互い世話になることじゃろう。よろしくソフィ」

 男はそう言ってから、ソフィの右手の甲に軽く口付けをした。
 大したことでもないはずだが、十歳ほどの女の子にとっては驚きだったようだ。

「んなっ?! な、なにをしとるんじゃおぬし!」
「ハハハ、なぁに、これからもよろしくという挨拶じゃ。気にするでない」

 アデルは満面の笑みでそう言って、すっと立ち上がった。ソフィはむーっと唸りながら、自分より数段背の高いアデルの笑みを睨みつけている。
 右手に残るほのかな暖かさは、ソフィが久しく触れていない人の温もりそのものだった。ソフィの頬に、わずかな朱色が灯る。
 胸元を押さえると、とくとくと鼓動高鳴るのが感じられた。何かが変わっていく。

 そう思った。








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