名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

見間違い

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 暖炉の火は少しずつ体を膨らませて、その咀嚼音をパチパチと響かせるようになっていた。夕影は窓から風と共に入り込んできて、家の中を赤らめてゆく。
 アデルは薪を炉床の上に足し、炎をさらに肥えさせてやった。


 シャルロッテという女騎士について語っていたリディアだったが、言いたいことがまだあるようだった。
 リディアが椅子の背もたれに体重をかけ、遠くに視線を向ける。

「あ、そういえばロッテのことでなんか余計なこと思い出したわ」
「余計なことか」
「そうそう、ロッテがね、なんだかムシャクシャすることがあって、木の上でお昼寝してたんだって」
「いや、なんじゃその前後関係」

 何故木の上で昼寝などするのか理解できない。しかも話を聞く限りでは、シャルロッテさんは妙齢の女性のはずだ。
 リディアがこちらの疑問を無視して続ける。

「でね、お昼寝してたらね、木の下に猫が一匹来たらしいのよ」
「ほう」
「そしたらね、その猫のところにシシィが来て、にゃーんにゃーん、って言って歌いながら猫に話しかけてたって言うのよ」
「シシィが?」

 ふっとシシィに視線を向けると、シシィは特に表情ひとつ変えずに素早く言った。

「それはシャルロッテの見間違い」
「そうなのか?」
「見間違い」
「いやそんな念を押さんでも」

 おそらく、そのシャルロッテさんがそういう場面を見たというのは本当のことなのだろう。シシィは否定しているものの、これ以上リディアに話してもらいたくはないようだった。
 シシィが言う。

「そんな話よりも、わたしたちには話し合わなければいけないことがある」

 きりっとした表情でシシィがそう言ったが、リディアはまだ話を止めるつもりは無いようだった。

「あたしもね、ロッテの見間違いでしょって思ったけど、でもロッテは確かなことです、って言うし。ロッテ言ってたわよ、シシィ殿にも歳相応に可愛らしいところがあるのです、って」
「……見間違いを根拠に評価を下されるのは好きではない」
「いやほんと、誰も信じなかったんだけど、どうなのかなーって思って」
「きっと寝ぼけていたのだと思う。そういった事実は無い」
「ってあたしも思ってたんだけど、あんたエクゥに話しかけたり、魔法で出した変な猫に話しかけたりしてたから、どうなのかと思って」
「それもリディアの見間違い。リディアが寝ぼけていただけ」
「いや寝ぼけてないし」
「リディアは常にぼけてるようなものだから」
「起きてるわよ!」

 心外だとばかりにリディアが大声を上げたが、シシィはつんとそっぽを向いてしまった。
 この件に関して深く掘り下げようとしても、おそらく時間が無駄に流れるだけだ。話を元に戻したほうがいいだろう。

「まぁ二人とも落ち着いてくれ。それより、シシィがそのシャルロッテさんのところに行くと言っておったが、その御仁の屋敷とやらは遠いのではないのか?」

 シシィがこくりと頷いた。

「都会まで往復で一週間ほどかかると思う。ただ、エクゥとアトがいればもっと短くできる。一人で行けばそれほど時間はかからないはず」
「ふむ……、一週間か。それは、寂しくなるのう」
「わたしも……」

 シシィの翡翠に見つめられて、アデルは心が吸い込まれるような心境に陥った。その瞳をまだ見ていたかったが、リディアが早口でまくし立てる。

「はいそこまで! とにかく、シシィにはちょっと頑張ってもらうから。その間のことは何も心配しなくていいわ」

 機嫌を損ねたのか、シシィが少しだけ目を細めた。




 ある程度話もまとまったところで、アデルは夕食の準備を始めることにした。シシィも荷造りなどがあるとのことで、一旦蔵に戻った。
 リディアはシシィに言われた通りに、髪の一部を切るつもりでいるらしい。あの赤い髪を公国のお姫様に届けることで、シシィの作り話に信憑性を持たせるのだ。
 ただ、その髪をどうやって用意するかでリディアは悩んでいるらしい。ソフィが鋏を持ってリディアの背後に回っている。

「ちょっとソフィ、切り過ぎないでよね」
「わかっておるのじゃ。妾にどーんと任せるがよい」
「なんか心配なんだけど」
「これしきのこと、妾にかかればちょちょいのチョキンなのじゃ」
「切りすぎ!」

 どうやら頭のあちこちから少しずつ髪を集めるつもりでいるようだ。一箇所につき2,3本ほど切り取っている。
 ソフィは真剣な表情でリディアの髪に触れているが、鋏の扱いはあまりよろしくない。

 リディアははらはらした様子でソフィに髪を任せている。

「ソフィ、大丈夫なのほんとに?」
「問題ないのじゃ。むしろ快調にチョキチョキと切れて、あっ……」
「あっ、って何?! なんなの?!」
「も、問題ないのじゃ、妾の技術をもってすればこの程度の失敗は」
「失敗してるの?!」

 ソフィと交代してやりたかったが、こちらはこちらで夕食の準備がある。
 とにかく、上手く行くことを祈るしかない。


 そう、すべてが上手くいけばいい。いつまでも、こうやって暮らしてゆけるように。





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