名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

紅の勇者さまに関する本を読む

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 家に帰ってきても誰もいなかった。どうやらソフィとリディアはどこかへ出かけてしまったらしい。
 アデルは正午を過ぎた頃になって当座の家事を終え、買って来たばかりの本に目を落とした。

「ふむ……」

 アデルはベッドに腰掛けてその表紙を眺めた。少々お高い値段だけあって装丁はしっかりとしているし、手に持った時の重みもなかなか心地よい。
 うちで居候の身分となっているリディアはこんな本にもなるほどの立派な人物である。最近は出合った頃の激しいリディアではなく、若干子どもっぽくなって気のいいお姉さんのようになっていた。
 ソフィもよく懐いているようで何やら運動を教わっているのだという。

 リディアが有名であることは知っていたが、その詳しい功績についてまではよく知らなかった。こうやって知り合ったのも何かの縁だし、もう少し詳しく知っておきたい。
 もっとも、こんな本を読んでいるというのはリディアやシシィには知られたくはなかった。気恥ずかしいし、リディアのことだからこちらをからかって来るかもしれない。

 シシィは何も言わない気もするが、よくわからない。あの娘さんは本当によくわからない。
 さっきも少し怒らせてしまったようだった。本気で怒っているというわけではなかったのか、こちらが後を追いかけながら釈明していると機嫌を直したようだった。
 あれは本気で怒っているというよりは、怒っていると表現することで構ってもらえるのを期待しているかのようだった。やや子どもっぽい態度で、シシィの性格から考えれば少しばかり妙ではあったが別にそれくらいは構わない。
 他の人に期待してこなかったとシシィは言っていた。それは何かしらの諦めによってもたらされたものだったのだろう。
 おそらく、今までだったらあんな態度を取ることはなかったのだと思う。

 そういえば自分も構って欲しくて問題ばかり起こすような子どもだったような気がする。父はそんな自分の内心を見抜いていたのか非常に厳しかったような覚えがあるが、母はかなり甘かったような覚えがある。
 そうやって甘えていられる時期は母が亡くなったことで突然終わり、大人として振舞わなければいけなくなった。それでも、自分には村長という親代わりの人がいたし、ある程度は緩やかに時間をかけて大人になっていった気はする。

 シシィの場合は幼い頃に母を亡くし、おそらくまだ準備が出来ていない状態で突然大人にならなければいけなかったのだろう。それは想像も出来ないほどに辛いことだったと思う。他人に甘えを見せるわけにはいかなかっただろう。そんなことをすれば食い物にされ傷つけられるだけだ。
 他人に期待しないというのは、他人に自分の甘えを押し付けないのと似ている。それ自体は優れた美徳であり称賛されて然るべきだが、気を許せる相手がいないのは悲しいことだと思える。シシィは幸せを諦めて、寂しさを感じることさえ無くなり、自身の目的のために生きてきたのだろう。

 だから、シシィがちょっと怒った自分を見せてくれたのはシシィにとっては良いことなのではないかと思えた。その怒りの理由まではよくわからなかったが、そこらへんは自分が悪いのかもしれない。
 もっと話をすればちゃんと理由を教えてくれるだろう。
 とりあえずは本屋に連れて行くと約束することで機嫌を直してもらった。よっぽど本に飢えているのだろう。こんな田舎では暇潰しにも限度が来るのはよくわかる。 


「さて、と」

 アデルはベッドに深く腰掛けて、今日買って来たばかりの本を開いた。



 リディアの生い立ちのようなものから始まるのかと思ったが、意外なことにまったく違った。この本はある女性の視点に立って書かれているようだった。
 その名も立場もすぐに明らかになった。これは大公国のお姫様の視点から見たものを語っているのだ。

 物語は大公国のご令嬢ルイゼが十五歳に差しかかろうという頃合から始まる。文武両道の才媛、公爵家始まって以来の天才、両親譲りの美貌などなど、彼女を形容するために多くの美麗字句が並んでいた。
 おそらく間違ってはいないのだろうが、なんというか美化しすぎではないかと思えてしまう。


 そのルイゼがある日、地方を訪れた際に賊によって拉致されてしまう。
 いかにルイゼが剣に長けているとはいえ数で勝る賊には対抗できず、お姫様の従者は賊に討たれてしまい、ルイゼも捕まってしまった。
 もはやこれまでとルイゼが諦めた瞬間に、ようやくリディアが登場した。リディアはあっという間に賊をすべて倒し、ルイゼを救出する。さすが英雄、なんともいいところに現れるものだ。
 その後、ルイゼはリディアに惚れ込み、姉と呼んでリディアを慕うようになる。強くなりたいというルイゼにリディアは付き合うようになり、二人の微笑ましい関係が続く。

 しばらくの間はいかにリディアが優れた人物であるかが描写されていて、実物のリディアを知っている身からすれば辟易してしまうほだった。リディアがいかに美しく、いかに清廉で、いかに強いかが延々と語られ続ける。
 都会で催される武道大会や剣闘大会でひたすら勝利を収めたばかりでなく、各地に出没する魔物たちをルイゼやその仲間たちと協力して倒してまわったり、各地に現れていたという賊、隠れ住むという意味のハイデューカたちを捕えてゆく。


「ふむ……」

 思っていた内容とは少し違ったが面白かった。ややしつこい描写のようにも思えたが、リディアの美しさや強さが何度も何度も語られている。リディアが放つ言葉のひとつひとつも格好いいものばかりだった。
 こんなものを読めば、確かにリディアという優れた人物に憧れてしまうだろう。自分だって実物のリディアを知らずにこの話を読めば、なんと優れた人がこの世にいるものかと感嘆してしまっただろう。
 そもそも、実物のリディアも相当素晴らしい。本の中でこれだけ彼女の美しさを讃えているが、それでもまた足りないと思うほどにリディアは美しい。この本を著した人もそれがわかっているからこそ、何度も何度も書かなければいけなかったのだろう。
 その強さも何度も語られているが、それですら実物のリディアには及んでいないのではないかと思えた。

 物語の中でリディアは何度も賊や魔物と戦っているが、その程度のことはリディアにとっては鶏の首を切るのと変わらないほど簡単なことではないかと思えた。
 リディアは魔王たるソフィやその下僕である魔物たちと戦い、最後には恐ろしい魔獣とも戦ったが傷ひとつ負うことはなかった。あれだけの戦いを見た自分でさえ、リディアの強さの底は深すぎて測ることが出来ない。

 自分は敵として出会ったからあまり実感が沸かないが、このルイゼにとってはそれほどまでに強い誰かが自分のために戦ってくれたのだから惚れ込むのも当然のことだと思えてしまう。
「ふーむ、凄いのう」

 だがひとつ気になったことがあった。シシィがまだ出てこない。
 騎士団とやらが設立され、その団長をルイゼが務めている。その騎士団の団員も段々と増えてゆくのだが、シシィはなかなか出てこなかった。そしてようやくシシィらしき人物が登場する場面に入る。
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