名も無き農民と幼女魔王

寺田諒

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第二部 第三章

大人の言い争い

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 リディアは腕を胸の前で組んで厳しい顔で大声をあげた。
「まぎらわしいのよ!」
 その声はソフィの耳朶を強く打ちつけたばかりでなく、森の中を渡って遠くへ飛んでゆく。ソフィはリディアの横顔を眺めながら溜息を吐いた。

 どうやらリディアは自分と同じ誤解をしたようだった。シシィはアデルに好意を告げたものの、アデルは今は大事な人がいるので好意には応えることが出来ないとこの美少女を振ったらしい。
 そこでシシィはその大事な人、つまり自分を亡き者にすればアデルが手に入ると考え、自分を抹殺しようとした。そんな誤解がリディアにも生じたらしい。

 シシィのほうはというと、疑われた上に剣を向けられた怒りからかムスッとして唇を強く閉じている。二人から同時にそんな疑いを持たれたのでは腹が立つのも理解できた。
 普通ならばこんな疑いを持たないかもしれないが、目の前の魔法使いは時々とんでもないことをしでかすので、万が一ということも考えてしまう。
 固定化の魔法で固まった仲間をガンガン殴るし、穴の中に放り投げるし、スカートをめくってアデルを誘惑するし、とんでもない女だ。

 シシィは杖を胸の前に抱いたまま、リディアに文句をつけた。
「わたしはソフィを殺すようなことはしない。そういう約束をしたし、それにソフィに危害を加えればあの人から嫌われてしまう」
「どうかしら、あんたは思い込んだらとんでもないことやらかすから」
「そんなことはしない」
「何言ってるのよ、あんたね、初対面でいきなりあたしのこと殺そうとしたじゃないの」
「あれはリディアが悪い」
「なんでよ?!」

 言い争う二人を見て、ソフィは仲裁に入った。
「落ち着くのじゃ二人とも。誤解が解けたのであれば争う必要などあるまい」
 なんで自分がいい大人二人の言い争いを止めに入らなければいけないのだろう。そんな疑問も生じたが、争いの仲裁に入るというのは少し大人っぽい行動のような気がして内心に喜びが生じた。
 ソフィはさらに続ける。

「うむ、ところでなんじゃ、二人の出会いというのはどういうものであったのじゃ?」

 仲間でありながらこうやって争っているのを見ていると、二人の関係が気になってしまう。
 リディアは腕を組んだままフンと鼻息を荒くした。

「あたしのいた騎士団がね、団員を募集したのよ。そこに応募してきたのがシシィ、それで外で面談したんだけどね、この子ったらいきなり魔法であたしを殺そうとしたのよ」
 その言葉に対してシシィがむっと眉を寄せた。
「それは違う。わたしは騎士団に入るために適切な手順を踏み、適切な態度で臨んだ。それを壊したのはリディア」
「何よ、他愛の無いことで勇者さまを殺そうとしたんだから、あんたもう何考えてんのよって感じだったわよ」
「わたしも騎士団に入ることで多くの利点が得られると思った。その為に愛想笑いまで練習した。なのに、リディアはわたしに会うなりいきなり胸を揉んできた」

 ソフィはシシィの言ったことが実際にあったことなのだろうと思った。リディアは大きな胸が好きなようだし、シシィのような娘が来れば揉んだとしてもおかしくはない。リディアは初対面のリーゼの胸でさえ揉んだくらいだ。

 リディアは言葉に詰まったのか、目を細めた。
「そ、それはあれじゃない、あんたみたいな大きな胸をした娘がにっこり微笑んでるんだもん。それはもう揉んでいいって意味でしょ」
「違う」

 ソフィもシシィに同感だった。リディアはまだ納得がいかないのか、顎を上げて話を続ける。

「そりゃ揉みましたー、もう夢中で揉んだわよ。でもあたしが胸に夢中になってる隙をついて魔法であたしを攻撃するだなんて、何考えてるのよ」
「自衛のため、当然のこと」
「死ぬかと思ったわよ」
「よく言う……」

 シシィが呆れて小さく首を振った。まだ怒りが収まらないのか、シシィは声をわずかに低くして話す。

「周囲には騎士団の団員たちがいて、リディアを攻撃した後に囲まれてしまった。さすがにこの包囲を抜けるのは難しいかと思うような状況に追い込まれた」
「いやそれあんたの自業自得じゃないの」
「わたしはわたしの身を守っただけ」
「何言ってんのよ、その後あたしが庇ってあげなかったら他の団員に袋叩きにされてたかもしれないでしょ」
「わたしなら何とか逃げられた」
「あたしがいるのに? あたしがあんたの魔法を切り裂いて、そんであんたに剣を向けてなかったらルゥとかあんたを殺しにかかってたわよ。あたしがなんとか取り繕ったからなんとかなったんでしょ?」
「取り繕った? リディアは、わざと無礼なことをすることでわたしが攻撃するかどうかを見極めたと言っていた。それが合格の理由だと周囲に説明していた」
「嘘に決まってるでしょ。ただ揉みたいお乳が目の前にあったから揉んだだけ。そしたらなんか大変なことになったのよ、あんたのせいで」
「事の発端も責任もすべてリディアにある」

 言い争う二人を見て、ソフィは段々腹が立ってきた。

「ええい! もうよい! なんじゃもう、そんな口喧嘩などしおってからに! おぬしたしはもう大人であろう、そんな言い争いなどするでない」

 ソフィの怒鳴り声に、二人が一瞬眉をひそめる。自分が尋ねたことが原因での口喧嘩だったが、それはとりあえず考えないことにした。
 不満そうな二人を見ながら、ソフィは太く息を吐き出した。

「はぁ、まったく、なんなのじゃもう。ここにいる三人ともアデルのことを好いておるというのは、一体どういうことなのじゃ」
 この言葉を聞いてシシィがぴくりと眉を上げた。
「三人?」
「そうなのじゃ。実はリディアもアデルのことが好きなのじゃ。まったく、このような美人が一体どうしてまたあのような阿呆に惚れてしまったのか、妾にはまったく理解ができんのじゃ」

 シシィは目を細めてリディアに視線を向けた。リディアのほうは涼しい顔だった。シシィがリディアに向かって問う。
「どういうことなのリディア、どうしてあなたがあの人のことを」
「しょうがないじゃないの、好きになっちゃったんだから」
「諦めた方がいい。あの人はわたしのことが好きだから」
「はぁ? 何言ってんの、振られたくせに」
「……完全に振られたわけではない。もう想いは伝えたし、あの人は喜んでくれた。今はソフィのことが大事だから、わたしの想いを受け取ってはくれなかっただけ」
「振られてるじゃないの」
「違う」
「まぁあたしも振られたけど」
「えっ?」
 シシィがリディアの顔をまじまじと見ていた。リディアは少し恥ずかしそうに視線を逸らして、一度唇を舐めて湿らせた。

「あたしもね、あいつに好きって言ったのよ。でもね、ソフィのほうが大事だから、ダメだったみたい」
「……振られたなら素直に諦めてしまえばいい」
「なんであんたがそんなこと決めるのよ。あたしは別にもうちょっと時間がかかってもいいと思ってるし」
「ソフィが一人前になっても、あの人はあなたを選ばない。わたしのほうが彼に相応しい」
「はぁ? 誰がそんなこと言ってるのよ。いやらしい妄想のしすぎで現実と妄想の区別がつかなくなってるんじゃないの?」
「そんな妄想はしていない。リディアこそ、振られたという事実を受け入れて何処かへ去ってしまえばいい」
「上等じゃない、あんた、あたしに向かってそんなこと言うわけ、へぇ」

 再び険悪な雰囲気になり、ソフィは交互に二人を見る。
「これ、落ち着くのじゃ二人とも。なんなのじゃまったく、おぬしたちのような強い者たちが一人の男を巡って争うでない」

 この二人が喧嘩などしたら大変なことになる。ソフィは二人の間に割って入り、両腕を広げた。
「とにかく、こんな場所で言い争っても益のないこと山の如しなのじゃ。おぬしたちのように立派な大人が、妾の前で愚かな争いなどするでない。とんでもなく格好悪いのじゃ」

 二人とも不服そうではあったが、とりあえず言い争うことはやめてくれたようだった。


 本当ならばここでシシィによる授業を受ける予定だったが、シシィもそんな気分ではないらしく三人で揃って森を出ることになった。殆ど言葉を交わさないまま森を出て、アデルの家に向かって歩く。この二人の間にはまだ妙なしこりがあるようで、視線を合わせようとしない。
 夏の日光を浴びながら早足で歩く。争いの仲裁というのは大人っぽい事だと思っていたが、実際にやってみると気苦労のほうが多い。
 二人とも自分のような子どもよりも多くのことを知っていて、多くの体験をしてきたのだろう。その二人がアデルを巡って争うなどというのは、俄かには信じがたい。どうしてまたあんな男に惚れてしまったのだろう。

 ソフィは溜息を吐いてさらに歩いた。
 これからどうなってしまうのだろう。

 リディアはアデルに自分の好意を伝えたのだという。そしてシシィも同じように好意を伝えたのだという。
 アデルを見ていてもまったく気づかなかった。あの男、気づかれないようにすっとぼけていたのだろう。

 家に帰ったら、どうするつもりなのかアデルに問い質す必要がある。
 ソフィはそう考えながら早足で歩いた。
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