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第二部 第三章
町へ行こう
しおりを挟む秋が近づいているとばかり思っていたが、今日は夏へと時計の針が戻ったようだった。日差しは強く、空気も昨日と比べれば随分と暖かい。
町へ続く道を歩きながら、シシィは隣のアデルにちらちらと視線を向けた。アデルは機嫌よさそうにゆっくりと歩いている。
こうやって町へ一緒に行こうと誘ってくれたことは素直に嬉しい。リディアの後というのは少し気になったが、まぁそれも仕方が無い。
昨日何があったのかリディアからは詳しく聞いていない。落ち着いたら教えてくれるかもしれないが、今はとにかくこの人との付き合いに集中しよう。
この人に何があったのかはわからないが、こうやって関係を深めることに対して積極的になっているようには思える。
とても良い流れだ。
シシィは杖を握って魔法を使った。ローブの中に涼しい風を送り込む。今日は汗をかきたくない。朝から身を清めるのに時間をかけたのだ。
もしかしたら、自分の肌をアデルに晒す可能性もある。その時に体が臭ったり汚れていたりすれば、アデルを落胆させてしまう。
おかげで髪や服にかける時間が減ってしまったが、そんなものは中身に比べれば大した問題ではないはずだ。
隣を歩くアデルが明るい声で言う。
「今日はわしと付き合ってくれてありがとう。いきなりで申し訳なかったとは思うが」
「いい」
「そうか、わしもシシィとこうやって出かけられて嬉しい。シシィよ、今日は一杯楽しんでくれ」
アデルはそう言うと、シシィの右手を取ろうとした。急にアデルの手が伸びてきて、その大きな手がシシィの右手に触れる。杖を持っていた手に触られて、シシィは反射的にその手をぱっとアデルから遠ざけてしまう。
急なことだったので、何が起こったのかわからなかった。
アデルは手を繋ごうとしたのだと、シシィは手を引っ込めてからようやく気づいた。自分がしてしまったことの意味を理解して、シシィは焦った。アデルは自分と手を繋ごうとしたのに、その手を振り払われてしまったのだ。
このままでは誤解を与えてしまう。シシィは冷静に弁解するべきだと考え、言葉を発した。
「い、今のは違う。誤解しないで、わたしはあなたと手を繋ぐことに対して忌避感を持っているわけではないし、むしろ望んでいる」
「お、おお……、そうか」
「だから、手を繋ぐ」
シシィはそう言ってから、杖を左手に持ち替えて、右手でアデルの左手を握った。骨っぽいごつごつした感触が手の平から伝わってくる。
何か妙だと思って、シシィは繋いだはずの手を見た。自分の手がアデルの手の甲を握っている。これでは手を繋いでいるというより、手を重ねているだけだった。
慌ててシシィは手を離して、今度こそとアデルの手の平に自分の手の平を合わせた。
ほっとしてシシィが息を漏らす。
「これで」
「ああ、そうじゃな。いや、焦った、手を繋ぐくらいはいいかのう、と思って手を伸ばしたら思い切り振り払われてしまったからのう」
アデルは快活に笑いながら言う。その言葉がシシィの胸にぐさりと刺さった。言い訳の言葉を考えなければいけない。
きっと本気ではなく冗談で言っているはずだから、ここは余裕の対応をすれば問題がないはずだ。
「違う、そうではなく……、わたしは、その、あなたに触られることを嫌がったのではなく、杖を触られたのに驚いただけで」
咄嗟に出た言葉は、自分でも驚くような嘘だった。しかし、アデルは納得したように頷く。
「ふむ、杖か。なるほどのう、確かに魔法使いにとっての杖は、剣士にとっての剣のようなもの、いきなり触れられるのは最も避けたいことじゃな。今のはわしが悪かった、予め了解を取るべきであったな」
「そういうわけであって、わたしはあなたに触られるとか手を握られるのが嫌なわけではない。誤解しないでほしい」
「そうか、それはよかった。はっはっは、シシィに触られたくないと思われておったなら、わしも傷つくでのう」
「それはない、安心して。好きなように触ってくれていいし、むしろ触られたいから」
「おお、それはなんというか、はは」
アデルは言葉を明確にすることを避けていた。シシィは内心、もう少し上手い言い方があったのではないかと後悔した。
しかも咄嗟に妙な嘘まで吐いてしまった。アデルともっと深い仲になるためには、こんな下らない嘘を吐くのはやめたほうがいいに違いない。
アデルはシシィが持っている杖に視線を移して、まじまじと眺めた。
「しかし大きな杖じゃのう。持ち歩くのが大変であろう」
「確かに重たい」
よく考えれば、このお出かけにわざわざ杖を持って来る必要はなかったかもしれない。いつもの癖でつい持ってきてしまったが、置いてきても問題など無かったはずだ。
アデルはさらに杖をまじまじと見ている。
「わしは魔法使いのことはあんまりよく知らんが、普通はもう少し小さくて細い棒を使うのではないのか?」
「普通はそう。だけど、この杖は先祖代々受け継いだもので、さすがに手放す気にはなれない」
「ほう、先祖代々。道理で年季の入った杖に見えるわけじゃな」
「ただ、本当かどうかまでは知らない」
「確かに木製で先祖代々とか言われても信じがたいかもしれんな」
そんな他愛のない話をしながら、町へ向かって歩く。空は真っ青でどこまでも深く続いていた。流れる風は穏やかで、同じように流れる時もまた穏やかだった。
こうやって愛しい人と一緒にいられるというのは幸せなことだとシシィは思った。こんな時間が自分に訪れるなど、以前ならば想像もしたことがなかった。
隣を歩きながら、シシィはもっとアデルと触れ合うべきだと思った。具体的に言えば、腕を組むほうが体がもっと密着して素敵だと思った。
アデルもどうやらこちらと接触することに対して喜びを覚えているようだし、ここはやはりもっとくっつくほうがお互いにとって素晴らしいはず。
シシィは繋いだ手を一旦離して、それからアデルの腕を取った。アデルの脇の下に自分の腕をくぐらせて、その腕を引き寄せる。そして自分の頭をアデルの肩に預けようとしたところで、何か妙なことに気づいた。
「あれ?」
「おっと、大丈夫かシシィ?」
頭をアデルの肩に寄せようとしたら、帽子のつばが邪魔になって頭を近づけることが出来なかった。
これは予想外だった。よくよく考えれば、今まで誰かの肩に頭を近づけようなどとは考えたこともなかった。
シシィは今頃になって、リディアが帽子を置いていけと言った意味を理解した。確かに、昨日のリディアは前後につばが長い帽子を髪に固定していて、隣にいながら頭を近づけるのが容易な帽子を被っていた気がする。
そうだとすれば、リディアはそこまで見越して自分が着る服や帽子を選んでいたということになる。
まさか自分がリディアよりも考えが足りないなどという状況に陥るとは思わなかった。この帽子ではアデルと腕を組んで歩くのに困難が生じてしまう。
リディアが帽子を置いていけと言ったのは、この状況を見越していたからに違いない。あの助言を素直に聞いておくべきだった。
今更後悔したところで遅い。どうするべきかシシィは少し悩んだ。帽子を脱いで左手に持つにしても、左手にはすでに杖を持っている。この帽子はそこそこ大きいし、右手で持つにしても嵩張る。
少し悩んでいると、アデルがひょいと帽子を持ち上げた。
「なんとも大きな帽子じゃのう。実は地味にこれも気になっておったんじゃが、見ても良いじゃろうか?」
「え? 構わない」
「そうか」
アデルはそれだけ言うと、右手で帽子をかざして眺め回した。アデルの左腕はぶらんと下がったままだったので、シシィがその腕に飛びつく。
シシィは右腕でアデルの腕を取って、その腕を胸に当てるように抱き寄せた。それから肩をアデルの体に当て、側頭部をアデルの肩に当てる。
アデルは少し驚いたように目を開いた。それでも、腕を振り払おうとはしない。
帽子を眺めていたアデルがシシィに尋ねる。
「シシィよ、これも先祖代々の品だったりするのかのう?」
「わからない。ただ、これも母の持ち物だった」
「なんと、ほう……、それではこれも形見ということになるのか。いきなり持ち上げてすまんかったのう」
「構わない。あなたになら」
「ははは、まぁなんじゃ、町まではこうやって歩こうか」
「わかった」
アデルは右手で帽子を高く上げて、それを検分するかのように見つめていた。被り心地が気になったのか、アデルは右手でその帽子を自分の頭の上に乗せた。
それから悪戯っぽい笑みをこちらに向けてくる。
「ははは、なんというか魔法使いにでもなったかのような気分じゃのう」
明るい笑顔を見ていると、シシィも自然と笑みがこぼれた。アデルは身長が高く、体も大きいから、その帽子でさえ少し小さなものに見えた。
アデルは右手で頬を掻きながら、照れ笑いを浮かべる。
「いやぁ、リーゼではないが、わしも魔法が使えたらと思ったことはあってのう。やはりなんというか格好いいではないか」
「そう?」
「うむ、実のところ、わしも魔法が出ないもんかのう、と試したことはある。何にも起こらんかったがな」
「使える人は限られているみたいだから」
「らしいのう。ははは、もし魔法が使えたなら、シシィが喜んでくれるような魔法をここで使うんじゃがのう」
アデルの言葉に、シシィはさらに笑みを浮かべた。アデルの肩に頭をごしごしと擦りつけて、その顔を近くから上目遣いで見上げる。
「わたしはもう、あなたの魔法の虜になった」
「そうなのか?」
「そう、きっと多分、それは、恋の魔法」
「ははは、なんじゃ詩人じゃのう」
「いっぱい、かけられた。もっとかけて」
「それはなんというか、ドキドキするのう」
アデルは照れ笑いを浮かべながら頬を掻いた。その笑顔を見ていると、こちらも自然と笑みがこぼれてしまう。
この時間がいつまでも続けばいいのに。
これからも、この人とこうやって仲良く暮していくのだろう。いつかこの人の子どもを産んで、その子を一緒に育てることもあるはずだ。
たくさん愛してもらって、たくさん愛して、そんな日々がきっとこれからも続く。
そう思っていた。
応援ありがとうございます!
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