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一年目 ~移民の歌~
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八畳のフローリングの部屋に、実家から持ってきたスーツケースとギター、前もって送っておいた段ボール箱を広げてみたが、中身は思ったよりも少なく、それもクローゼットやキッチンなど、仕舞うべき場所に仕舞うと、部屋はずいぶんがらんとしてしまった。家具店で注文して、明日には届くであろう本棚やベッドはもう一つの部屋を寝室として使ってそこに置くつもりだから、ここにはあと机と椅子を置くくらいだ。
調度品を置くにしたって何を置いていいのかなんて分からないし、そもそもそんなものを買うほどの余裕は僕の財布にはない。余った面積が寂しいので、買ったばかりのギターを置いてみたけれど、部屋の真ん中にぽつんと置かれたギターはとても侘しく、「アアァーアアー!」と唸るはずが「あーあぁ・・・・・・」とため息をついていた。
大学生活が始まれば、きっと嫌でも物は増えるのだろうと納得した僕は、次にキッチンの整理を始めた。ひとり暮らしだから物は少ないが、これからここで生活するのだという意識を高めるには食器の整理が一番だと、母さんが言っていた。
キッチンの整理といっても、そういったことは母さんが全部やってくれていたので何をしていいのかよく分からないけれど、せっかくだからと新しく買い揃えた箸やスプーンを洗うことから始めた。すると、母さんが言った通り、この部屋で生きていくという実感が沸いてきた。
「アアァーアアー」
僕は小声で口ずさんだ。人生の出発点には、まずこの曲である。「移民の歌」というタイトルも、引っ越してきて新しい生活を始める僕にはぴったりな気がした。
実は最初のシャウト以外何を言っているのか分からないけれど、それで十分だ。ロックに必要なのは言葉よりも魂なのだ。口ずさめば口ずさむほど僕のテンションは上がり、魂が熱くなるのを感じる。
アアァーアアー!
何回くらいシャウトしたか分からないが、僕の魂が絶好調に震えていた頃だ。インターフォンが鳴り響く音に、僕は現実世界に引き戻された。
「移民の歌?」
耳に当てた受話器から聞こえてきたのは、さっきまで僕が口ずさんでいた曲のタイトルだった。
「移民の歌だろう?」
返事するのも忘れ、僕は思わず窓を見た。閉まっている。外までは漏れないはずだ。考えられるのは隣の部屋だ。しかし、それほど大きな声でシャウトしていた訳ではない。そもそも、人一倍恥ずかしがり屋の僕が、たとえひとりであっても、大声でシャウトなどできるはずがない。ギターを持つ僕を見た大家さんが「防音は問題ないと思うけど、あんまり大きな音で弾いちゃダメよ」と言っていたから、壁が薄いとも思えない。となると、考えたくはないが、僕の魂のシャウトが防音設備、もしくは窓の限界点を突破したということか。
途端に火がついたように顔が熱くなった。きっと僕のギターくらいに真っ赤になっていると思う。ジミー・ペイジのギターやボンゾのドラムをバックに、ロバート・プラントが叫んでこそ伝説のシャウトだ。僕のはただのおたけびだ。
もし、僕の。努めて冷静に考える。もし僕の部屋の隣に引っ越してきた男が初日から奇妙なおたけびをあげていたら、きっと怖くて仕方ない。そして、今叫んでいたのは僕だから、恥ずかしくて仕方ない。
それでも受話器の向こうでは誰かが返事を待っているのだから、返事をしなければ失礼である。
「はい、そうですが・・・・・・」
怯える僕に相手は涼しい声で畳み掛けてきた。
「いいね、レッド・ツェッペリン。俺も好きなんだ。古いといわれるけど、本当にいいものは色褪せない。それが本物の芸術だと思うんだ。『天国への階段』も『胸いっぱいの愛を』もいいけど、『移民の歌』のシャウトは最高だ。そう思わないか?」
何なのだ、この人は。
「ええ、はい。まあ、そう、思います」
「だからずっと吠えてるんだもんな」
やはり聞こえていたらしい。自然に壁と窓に目が行く。視界がなんだか揺れているのは、僕が恥ずかしさのあまりぷるぷる震えているのだろう。
「今君とレッド・ツェッペリンについて熱く語り合うのも、休日の過ごし方としては悪くないと思うんだが、それよりも今日は引っ越しの挨拶に来たんだ」
僕の他にも引っ越してきた人がいるのだろうか。大学も近いアパートだから、今の時期なら引っ越してきた学生がいても不思議ではない。
「俺は隣に住んでいる戸田っていうんだけど、今日引っ越してくる人がいると聞いたもんでね。インターフォン越しに挨拶というのもなんだし、ドアを開けてくれるとありがたいんだが」
頭の中に「?」が浮かんだ。ほどなくしてその横にもうひとつ「?」が増えた。
まだまだ短いとはいえ、それなりに真面目に生きてきたつもりの僕は、二十年分の常識はあるつもりだ。おそらく挨拶に出向くのは引っ越してきた僕の方であって、今玄関にいる人はおそらく何もしなくてもいい、出迎えて頂ければ幸い、という立場だと思う。とはいえ、僕はまだまだ若干二十歳の小僧であるから、知らないことなど世の中に無数にある。ひょっとしたら東京では誰かが引っ越してきたら挨拶に出向く、というのが普通なのかもしれない。
調度品を置くにしたって何を置いていいのかなんて分からないし、そもそもそんなものを買うほどの余裕は僕の財布にはない。余った面積が寂しいので、買ったばかりのギターを置いてみたけれど、部屋の真ん中にぽつんと置かれたギターはとても侘しく、「アアァーアアー!」と唸るはずが「あーあぁ・・・・・・」とため息をついていた。
大学生活が始まれば、きっと嫌でも物は増えるのだろうと納得した僕は、次にキッチンの整理を始めた。ひとり暮らしだから物は少ないが、これからここで生活するのだという意識を高めるには食器の整理が一番だと、母さんが言っていた。
キッチンの整理といっても、そういったことは母さんが全部やってくれていたので何をしていいのかよく分からないけれど、せっかくだからと新しく買い揃えた箸やスプーンを洗うことから始めた。すると、母さんが言った通り、この部屋で生きていくという実感が沸いてきた。
「アアァーアアー」
僕は小声で口ずさんだ。人生の出発点には、まずこの曲である。「移民の歌」というタイトルも、引っ越してきて新しい生活を始める僕にはぴったりな気がした。
実は最初のシャウト以外何を言っているのか分からないけれど、それで十分だ。ロックに必要なのは言葉よりも魂なのだ。口ずさめば口ずさむほど僕のテンションは上がり、魂が熱くなるのを感じる。
アアァーアアー!
何回くらいシャウトしたか分からないが、僕の魂が絶好調に震えていた頃だ。インターフォンが鳴り響く音に、僕は現実世界に引き戻された。
「移民の歌?」
耳に当てた受話器から聞こえてきたのは、さっきまで僕が口ずさんでいた曲のタイトルだった。
「移民の歌だろう?」
返事するのも忘れ、僕は思わず窓を見た。閉まっている。外までは漏れないはずだ。考えられるのは隣の部屋だ。しかし、それほど大きな声でシャウトしていた訳ではない。そもそも、人一倍恥ずかしがり屋の僕が、たとえひとりであっても、大声でシャウトなどできるはずがない。ギターを持つ僕を見た大家さんが「防音は問題ないと思うけど、あんまり大きな音で弾いちゃダメよ」と言っていたから、壁が薄いとも思えない。となると、考えたくはないが、僕の魂のシャウトが防音設備、もしくは窓の限界点を突破したということか。
途端に火がついたように顔が熱くなった。きっと僕のギターくらいに真っ赤になっていると思う。ジミー・ペイジのギターやボンゾのドラムをバックに、ロバート・プラントが叫んでこそ伝説のシャウトだ。僕のはただのおたけびだ。
もし、僕の。努めて冷静に考える。もし僕の部屋の隣に引っ越してきた男が初日から奇妙なおたけびをあげていたら、きっと怖くて仕方ない。そして、今叫んでいたのは僕だから、恥ずかしくて仕方ない。
それでも受話器の向こうでは誰かが返事を待っているのだから、返事をしなければ失礼である。
「はい、そうですが・・・・・・」
怯える僕に相手は涼しい声で畳み掛けてきた。
「いいね、レッド・ツェッペリン。俺も好きなんだ。古いといわれるけど、本当にいいものは色褪せない。それが本物の芸術だと思うんだ。『天国への階段』も『胸いっぱいの愛を』もいいけど、『移民の歌』のシャウトは最高だ。そう思わないか?」
何なのだ、この人は。
「ええ、はい。まあ、そう、思います」
「だからずっと吠えてるんだもんな」
やはり聞こえていたらしい。自然に壁と窓に目が行く。視界がなんだか揺れているのは、僕が恥ずかしさのあまりぷるぷる震えているのだろう。
「今君とレッド・ツェッペリンについて熱く語り合うのも、休日の過ごし方としては悪くないと思うんだが、それよりも今日は引っ越しの挨拶に来たんだ」
僕の他にも引っ越してきた人がいるのだろうか。大学も近いアパートだから、今の時期なら引っ越してきた学生がいても不思議ではない。
「俺は隣に住んでいる戸田っていうんだけど、今日引っ越してくる人がいると聞いたもんでね。インターフォン越しに挨拶というのもなんだし、ドアを開けてくれるとありがたいんだが」
頭の中に「?」が浮かんだ。ほどなくしてその横にもうひとつ「?」が増えた。
まだまだ短いとはいえ、それなりに真面目に生きてきたつもりの僕は、二十年分の常識はあるつもりだ。おそらく挨拶に出向くのは引っ越してきた僕の方であって、今玄関にいる人はおそらく何もしなくてもいい、出迎えて頂ければ幸い、という立場だと思う。とはいえ、僕はまだまだ若干二十歳の小僧であるから、知らないことなど世の中に無数にある。ひょっとしたら東京では誰かが引っ越してきたら挨拶に出向く、というのが普通なのかもしれない。
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