フロイント

ねこうさぎしゃ

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二つめの願い

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「どこであんなものを?」
「それが……。この鳥が持ってきて、わたしにくれたのです……」
「なんだって?」
 魔物は鳥を睨みつけた。すると鳥は何食わぬ顔で、自分の足元に転がってきた白い実をくちばしにくわえて天を仰ぐと、魔物とアデライデが見ている前で、喉の奥に落としてごくりと飲み込み、悠然と毛づくろいを始めた。
「……きっと、鳥には害のない実なのでしょう……」
 アデライデは青い顔をして、自分に言い聞かせるように言った。だがその声はかすかに震えを帯びていた。
 魔物はアデライデの腕に花を持たせると、鳥を追い払おうと肩を怒らせ、翼をばさばさと動かした。
「さぁ、もう行け!」
 鳥を追い立て、乱暴に戸を開け放つと、風に慣れているはずの魔物ですら息を呑むほどの凄まじい風が、猛り狂って館のまわりに吹き荒れていた。野蛮な大型の獣のような風は、戸が開けられるのを待ちかねたように、冷たい牙を剥き出しにして一直線に台所の中に飛び込んでくると、アデライデのまわりを旋回し、その足を床から持ち上げようとした。アデライデは小さな悲鳴をあげた。腕から離れたオキザリスの花束は、しかし床には落ちず、とぐろを巻きながらせり上がってくる風に捕らえられた。風は花をくわえ込んでアデライデのまわりをぐるぐると回り続けた。
 魔物はすぐにアデライデのもとに駆け付け、鋭い鉤爪で風を引き裂くようにかき分けながらアデライデの前に立った。翼を大きく広げ、アデライデの身に風が触れないよう立ちふさがるが、諦めの悪いハイエナのように、風はしつこくアデライデに絡みつこうとした。
 激しい攻防のさなか、ふと魔物が振り向いてみると、鳥は猛風に冠毛をばさばさとなびかせながら、平然と立っていた。魔物をじっと凝視している冷たい鳥の目に、全身をうすら寒さが芋虫のように這いまわった。
 一瞬の隙に、風は魔物の脇腹をかすめてアデライデの腕を捕らえた。小さなアデライデの叫びに、魔物は我に返ると鳥めがけて突進した。
「失せろ!」
 鳥は素早く翼をはばたかせると、開け放たれたドアから館の外に出て行った。追いかけて空を見上げたときには、鳥はもうはるか高いところにいて、灰色の雲の間に鮮やかな翼をひるがえしながら身を隠すところだった。
 渾身の力で戸を閉めると、台所の中を暴れまわっていた風はぴたりと叫ぶのをやめ、おとなしい子牛のようになって、ついには消えていった。辺りには鍋やのし棒、皿などが散乱し、床に散らばったオキザリスの花の真ん中で、青ざめたアデライデが全身を震わせながら座り込んでいた。
「アデライデ、怪我はないか……!」
 魔物が駆け寄ると、アデライデは視線の定まらない目で魔物を見上げたが、無理に笑顔をつくって頷いた。
「……はい、なんともありません……」
 なんとか答えたものの、ショックのあまり全身の震えは止まりそうになかった。それでも無残に散らばったオキザリスに目をやると、拾い集めようと手を伸ばしたがうまく言うことを聞かない指は花を拾うことができずにいた。
「アデライデ……」
 心配と不安の滲んだ声の魔物に、アデライデは、
「ごめんなさい……。せっかく摘んで来ていただいたのに……」
「おまえが謝ることなど何もない」
 魔物はアデライデの傍らに膝をつき、代わりに花を拾おうとした。冷たい風になぶられた花には、うっすらと氷の粒がついていた。魔物が花に触れると、黄色の花びらは粉々に砕けてしまった。
 アデライデは真っ青な顔で、なんとか一本拾い上げた。しかしその途端、花は茎ごとぱりぱりと音を立てながら砕け散ってしまった。茫然と花の残骸を見つめるアデライデを気遣いつつも、魔物は低い声で言った。
「アデライデ、もうあの鳥とかかわってはいけない。おまえに食べさせようとしたあの実といい、尋常ならざる風といい、あの鳥は普通の鳥ではないようだ」
「……はい」
 アデライデは涙の滲んだ目で小さく頷いた。



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