45 / 114
バルトロークの城
*
しおりを挟む
「アデライデ、そなたほど魂の光の強い人間をわたしは知らぬ。そなたの魂ひとつは百人の聖人のそれをも凌ぐ価値があるだろう。わたしの毒が効かぬなど、並みの人間にはありえぬことなのだからな」
「……毒──?」
アデライデは半ば薄れかけた意識の陰からバルトロークの目を見つめた。バルトロークはアデライデの唇を冷たい指先の爪でなぞった。
「そう不安な顔をすることはない。毒とは言っても単なるスパイスのようなものだ。それもほんの微量のな。そなたの傷を舐めたとき、嫌悪と憎しみの感情を生む毒をそなたの体に入れたのだ。そなたがあの下級魔の元を自ら去る手助けをしてやろうとな。しかしそなたの血にわたしの毒は馴染まなかった。そう、このわたしの毒がそなたには効かなかったのだよ。そなたの高貴な魂の光が毒を浄化し、消し去ったのだ。実に驚異である。我が称賛に値する人間などそなたの他にはおらぬ。現に魔族でありながら、あの卑しい輩には効いたのだからな」
「……あの方にも、毒を……?」
アデライデから遠ざかろうとしていた意識がぴたりと足を止めた。何かがアデライデの心を揺すり、その振動が遠のきかけた意識をも強く揺さぶって正気づかせようとしていた。徐々に焦点の合い始めた瞳に、バルトロークの残忍な笑いが映った。
「ただ治してやるだけではつまらぬだろう。あれにはそう、猜疑心と嫉妬の毒を仕込んでやったのだ」
アデライデははっと意識を覚醒させると息を呑んだ。あの時分、フロイントの様子が常とは違い、自分に対して拒絶の壁を作っていたように感じたことの原因がバルトロークの毒にあったことを知り、大きく目を見開いた。
バルトロークは黒い唇に酷薄な笑みを浮かべたまま、背筋を凍らせる声で低く囁いた。
「だが驚嘆すべきはそなたの光があれの毒すら浄化し、消し去ったことだ。アデライデ、なんと麗しく聖なる力に満たされた娘──。なんとしてもそなたの魂を我が手中にしてやろう──」
アデライデは力いっぱいバルトロークの手を振り払うと、長椅子から飛び起きた。部屋の出入口に駆け寄って扉を開けようとしたが、ノブがどこにも見当たらず、渾身の力で扉を叩いた。
バルトロークは感に堪えないと言った風情で大声を上げて笑った。
「アデライデ、そなたはなんとわたしを楽しませてくれることか!」
アデライデはバルトロークを振り返った。その青い瞳には悲しみと憤りが光っていた。バルトロークは興をそそられたように身を乗り出した。
「……あの方と同じ魔族であると言うあなたは、けれどあの方とは全く違っています。あなたはただ自分の欲望のためだけにわたしの魂を欲している。でもあの方は違う。あの方はあの方の魂からわたしを伴侶にと求めてくださった……」
バルトロークは笑いをこらえるように顔を歪ませた。
「おぉ、無垢なるアデライデ! 我ら魔族は魂を持たぬもの。ましてやあのように卑しき下級魔ごときが魂からそなたを求めるなどと申すとは……。まこと愛い娘だ」
アデライデの瞳からは涙がこぼれた。震える唇を開き、アデライデは吐息ほどの声で言った。
「でも、わたしにはあの方の魂が感じられるのです。まるで新月の夜のように、そこに月は見えずとも、夜の空の彼方には必ず月があるように、わたしにはあの方の魂が……」
バルトロークは薄い笑いはそのままに瞳を光らせた。
「アデライデ、戯れもほどほどにせぬと、いかに愛しいそなたといえども許しがたくなってくるぞ」
アデライデは頬に流れる涙を拭うと、バルトロークに強いまなざしを向けて言った。
「魔族の方に魂がないことは知っています。けれど、少なくともあの方の心はあなたのように凍てついてはおりません……!」
バルトロークは再び大きな声を上げて笑った。
「凍てついた心か。それはいい。気に入ったぞ、アデライデ」
バルトロークは傍らの卓から金の杯を取り上げると、冷たい笑いの刻まれた唇を葡萄酒で湿らせた。
「……毒──?」
アデライデは半ば薄れかけた意識の陰からバルトロークの目を見つめた。バルトロークはアデライデの唇を冷たい指先の爪でなぞった。
「そう不安な顔をすることはない。毒とは言っても単なるスパイスのようなものだ。それもほんの微量のな。そなたの傷を舐めたとき、嫌悪と憎しみの感情を生む毒をそなたの体に入れたのだ。そなたがあの下級魔の元を自ら去る手助けをしてやろうとな。しかしそなたの血にわたしの毒は馴染まなかった。そう、このわたしの毒がそなたには効かなかったのだよ。そなたの高貴な魂の光が毒を浄化し、消し去ったのだ。実に驚異である。我が称賛に値する人間などそなたの他にはおらぬ。現に魔族でありながら、あの卑しい輩には効いたのだからな」
「……あの方にも、毒を……?」
アデライデから遠ざかろうとしていた意識がぴたりと足を止めた。何かがアデライデの心を揺すり、その振動が遠のきかけた意識をも強く揺さぶって正気づかせようとしていた。徐々に焦点の合い始めた瞳に、バルトロークの残忍な笑いが映った。
「ただ治してやるだけではつまらぬだろう。あれにはそう、猜疑心と嫉妬の毒を仕込んでやったのだ」
アデライデははっと意識を覚醒させると息を呑んだ。あの時分、フロイントの様子が常とは違い、自分に対して拒絶の壁を作っていたように感じたことの原因がバルトロークの毒にあったことを知り、大きく目を見開いた。
バルトロークは黒い唇に酷薄な笑みを浮かべたまま、背筋を凍らせる声で低く囁いた。
「だが驚嘆すべきはそなたの光があれの毒すら浄化し、消し去ったことだ。アデライデ、なんと麗しく聖なる力に満たされた娘──。なんとしてもそなたの魂を我が手中にしてやろう──」
アデライデは力いっぱいバルトロークの手を振り払うと、長椅子から飛び起きた。部屋の出入口に駆け寄って扉を開けようとしたが、ノブがどこにも見当たらず、渾身の力で扉を叩いた。
バルトロークは感に堪えないと言った風情で大声を上げて笑った。
「アデライデ、そなたはなんとわたしを楽しませてくれることか!」
アデライデはバルトロークを振り返った。その青い瞳には悲しみと憤りが光っていた。バルトロークは興をそそられたように身を乗り出した。
「……あの方と同じ魔族であると言うあなたは、けれどあの方とは全く違っています。あなたはただ自分の欲望のためだけにわたしの魂を欲している。でもあの方は違う。あの方はあの方の魂からわたしを伴侶にと求めてくださった……」
バルトロークは笑いをこらえるように顔を歪ませた。
「おぉ、無垢なるアデライデ! 我ら魔族は魂を持たぬもの。ましてやあのように卑しき下級魔ごときが魂からそなたを求めるなどと申すとは……。まこと愛い娘だ」
アデライデの瞳からは涙がこぼれた。震える唇を開き、アデライデは吐息ほどの声で言った。
「でも、わたしにはあの方の魂が感じられるのです。まるで新月の夜のように、そこに月は見えずとも、夜の空の彼方には必ず月があるように、わたしにはあの方の魂が……」
バルトロークは薄い笑いはそのままに瞳を光らせた。
「アデライデ、戯れもほどほどにせぬと、いかに愛しいそなたといえども許しがたくなってくるぞ」
アデライデは頬に流れる涙を拭うと、バルトロークに強いまなざしを向けて言った。
「魔族の方に魂がないことは知っています。けれど、少なくともあの方の心はあなたのように凍てついてはおりません……!」
バルトロークは再び大きな声を上げて笑った。
「凍てついた心か。それはいい。気に入ったぞ、アデライデ」
バルトロークは傍らの卓から金の杯を取り上げると、冷たい笑いの刻まれた唇を葡萄酒で湿らせた。
0
あなたにおすすめの小説
独占欲強めの最強な不良さん、溺愛は盲目なほど。
猫菜こん
児童書・童話
小さな頃から、巻き込まれで絡まれ体質の私。
中学生になって、もう巻き込まれないようにひっそり暮らそう!
そう意気込んでいたのに……。
「可愛すぎる。もっと抱きしめさせてくれ。」
私、最強の不良さんに見初められちゃったみたいです。
巻き込まれ体質の不憫な中学生
ふわふわしているけど、しっかりした芯の持ち主
咲城和凜(さきしろかりん)
×
圧倒的な力とセンスを持つ、負け知らずの最強不良
和凜以外に容赦がない
天狼絆那(てんろうきずな)
些細な事だったのに、どうしてか私にくっつくイケメンさん。
彼曰く、私に一目惚れしたらしく……?
「おい、俺の和凜に何しやがる。」
「お前が無事なら、もうそれでいい……っ。」
「この世に存在している言葉だけじゃ表せないくらい、愛している。」
王道で溺愛、甘すぎる恋物語。
最強不良さんの溺愛は、独占的で盲目的。
クールな幼なじみの許嫁になったら、甘い溺愛がはじまりました
藤永ゆいか
児童書・童話
中学2年生になったある日、澄野星奈に許嫁がいることが判明する。
相手は、頭が良くて運動神経抜群のイケメン御曹司で、訳あって現在絶交中の幼なじみ・一之瀬陽向。
さらに、週末限定で星奈は陽向とふたり暮らしをすることになって!?
「俺と許嫁だってこと、絶対誰にも言うなよ」
星奈には、いつも冷たくてそっけない陽向だったが……。
「星奈ちゃんって、ほんと可愛いよね」
「僕、せーちゃんの彼氏に立候補しても良い?」
ある時から星奈は、バスケ部エースの水上虹輝や
帰国子女の秋川想良に甘く迫られるようになり、徐々に陽向にも変化が……?
「星奈は可愛いんだから、もっと自覚しろよ」
「お前のこと、誰にも渡したくない」
クールな幼なじみとの、逆ハーラブストーリー。
生贄姫の末路 【完結】
松林ナオ
児童書・童話
水の豊かな国の王様と魔物は、はるか昔にある契約を交わしました。
それは、姫を生贄に捧げる代わりに国へ繁栄をもたらすというものです。
水の豊かな国には双子のお姫様がいます。
ひとりは金色の髪をもつ、活発で愛らしい金のお姫様。
もうひとりは銀色の髪をもつ、表情が乏しく物静かな銀のお姫様。
王様が生贄に選んだのは、銀のお姫様でした。
アホの子と変な召使いと、その怖い親父たち
板倉恭司
児童書・童話
森の中で両親と暮らす天然少女ロミナと、極悪な魔術師に仕える召使いの少年ジュリアン。城塞都市バーレンで、ふたりは偶然に出会い惹かれ合う。しかし、ふたりには重大な秘密があった──
【完結】アシュリンと魔法の絵本
秋月一花
児童書・童話
田舎でくらしていたアシュリンは、家の掃除の手伝いをしている最中、なにかに呼ばれた気がして、使い魔の黒猫ノワールと一緒に地下へ向かう。
地下にはいろいろなものが置いてあり、アシュリンのもとにビュンっとなにかが飛んできた。
ぶつかることはなく、おそるおそる目を開けるとそこには本がぷかぷかと浮いていた。
「ほ、本がかってにうごいてるー!」
『ああ、やっと私のご主人さまにあえた! さぁあぁ、私とともに旅立とうではありませんか!』
と、アシュリンを旅に誘う。
どういうこと? とノワールに聞くと「説明するから、家族のもとにいこうか」と彼女をリビングにつれていった。
魔法の絵本を手に入れたアシュリンは、フォーサイス家の掟で旅立つことに。
アシュリンの夢と希望の冒険が、いま始まる!
※ほのぼの~ほんわかしたファンタジーです。
※この小説は7万字完結予定の中編です。
※表紙はあさぎ かな先生にいただいたファンアートです。
【奨励賞】花屋の花子さん
●やきいもほくほく●
児童書・童話
【第2回きずな児童書大賞 『奨励賞』受賞しました!!!】
旧校舎の三階、女子トイレの個室の三番目。
そこには『誰か』が不思議な花を配っている。
真っ赤なスカートに白いシャツ。頭にはスカートと同じ赤いリボン。
一緒に遊ぼうと手招きする女の子から、あるものを渡される。
『あなたにこの花をあげるわ』
その花を受け取った後は運命の分かれ道。
幸せになれるのか、不幸になるのか……誰にも予想はできない。
「花子さん、こんにちは!」
『あら、小春。またここに来たのね』
「うん、一緒に遊ぼう!」
『いいわよ……あなたと一緒に遊んであげる』
これは旧校舎のトイレで花屋を開く花子さんとわたしの不思議なお話……。
霊能探偵レイレイ
月狂 紫乃/月狂 四郎
児童書・童話
【完結済】
幽霊が見える女子中学生の篠崎怜。クラスメイトの三橋零と一緒に、身の回りで起こる幽霊事件を解決していく話です。
※最後の方にあるオチは非常に重要な部分です。このオチの内容は他の読者から楽しみを奪わないためにも、絶対に未読の人に教えないで下さい。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる