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第三章

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 そんなふうに、ときにどきどきと、ときにとろけるような幸福を味わいながら、ヒツジの日々は過ぎていきました。
 農場にネコが来てから最初の冬が来ると、ネコはずっと長く夜の時間をヒツジ小屋で過ごしました。ネコはどうやら寒いのが苦手らしく、ヒツジ小屋はとてもあたたかかったからです。
 凍てつくように寒い冬の夜は、とくべつ星がきれいだということをなつかしく思い返しながらも、ヒツジはネコというあたらしい星を見つけたおかげで、長い冬の夜をどこかふわふわとした気持ちで過ごすことができました。
 しかしそんな折にも、ネコは思い出したように自分がいかに死にたいと思っているのかを話して聞かせ、ヒツジの心に黒い雪を積もらせました。
 やがて長い冬を越し、短い春を見送ると、農場には訪れた初夏の景色が広がっていました。そのころになるとヒツジの毛はすっかりのびて、重くなっていました。
 おじいさんはもっと早いうちに、ヒツジたちの毛を刈ってくれていましたが、新しい農場主の男は、イライラとヒツジたちを怒鳴りつけるだけで、一向に毛を刈ってくれる素振りも見せません。仲間のヒツジたちも、毛の重さで息苦しそうにしていて、いっそうのろのろと動きました。それでよけいに農場主を怒らせて、犬をけしかけられる有り様でした。
 その晩も、いつものようにヒツジ小屋にやってきたネコは、どこか苦しげな寝息を立てて眠る仲間たちの毛に、なかばうもれるようにして立っているヒツジを見るなり、
「なんだか重そうねぇ。ずいぶんとしんどそうに見えるけど?」
 と、あいさつもそこそこに言いました。
「そうだねぇ。いつもなら、たんぽぽが咲くころには毛を刈ってもらえたんだけどねぇ」
「たんぽぽなんか、とっくに咲いちゃっているわよ」
「あたらしい農場主さんは、毛の刈り方を知らないのかなぁ」
「さぁねぇ。それにしてもほんとうにすごい毛ねぇ。そんなに立派な毛は、街でもなかなかお目にかかったことがないわ」
「え? それはいいことなの?」
「そうね、好みってものはあるでしょうけど、わたしは好きよ」
 ヒツジは舞い上がったようになりました。
「だいいち、そんなにすごい毛があれば、お昼寝のときにシーツなんかいらないじゃない」
 ネコはまだ、犬がだめにしてしまったシーツのことを惜しがっていました。そのとき、ネコの目の前をなにか小さな虫が横切り、ネコはグレーがかったピンクの肉球を、すばやく虫にふりおろしました。しかし虫はそれより早く逃げてしまったので、ネコは何気ないふうをよそおいながら肉球を舐めはじめました。

「ほんとうにこの頃じゃ、つまらなくて仕方がないわ。あぁ、わたしもそんなふかふかのシーツでぐっすり眠れたら、この嫌な気分も癒されるでしょうに」
 ネコは何気なく言いましたが、ヒツジはそのことばにハッとして、ネコを食い入るように見つめました。
「それじゃ、もしそうすることができれば、きみは憂鬱じゃなくなるのかい?」
「きっとそうなるにちがいないわね」
 ネコは肉球の手入れを終えると、そのまま器用に体をねじり、自分の背中を小さな舌で舐めはじめました。
 ヒツジは自分の心臓が期待でどきどきと高鳴るのを感じながら、注意深く、重ねてネコにたずねました。
「それじぁ、きみはもう死ななくて済むんだね?」
「え? あぁ、そうね」
 ネコは毛繕いに忙しく、面倒くさそうな調子で、ヒツジをあしらうように言いました。
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