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二章
11.感触
しおりを挟むーー暗い部屋にいた。
冷たい床に、汚物の臭い、窓からは形を保たない月明かり。
右手には硬いマットレスだけのベッド。
(なんで……なんでここに……)
閉め切られた窓と扉の、逃げ場のない部屋。
小夜が監禁されていたあの部屋そのままだ。
(フレイアルド様? マーサ?)
狭い部屋だ。二人がいないのは見回さなくても分かる。
叫び出したいのに声が出ない。
自分の喉に手を当てようとしても、手が動かない。
それで小夜は、これは現実じゃないんだと思った。
(……夢、きっと夢だ。早く覚めて)
じゃないと、怖いことが起きてしまう。
そう考えた次の瞬間、ドアが強く叩かれた。
(こないで!! 早く、覚めて、さめて……)
夢なのに息苦しさまでしっかりと感じ、小夜は自分が床にしゃがみ込んだのが分かった。
ドアが開く。
廊下の明かりを背に大きな男の影が小夜に手を伸ばす。父だ。
(来ないで!! 来ないで!!)
長い髪を掴み上げられる感覚まで、しっかりと再現されていた。
自分の耳には届かないのに、今悲鳴を上げていることは分かる。
目を瞑ろうとしても自由にならず、小夜の視界は髪を掴む手の先へ移動した。
『お前は我が家のゴミだ。何の役にも立てないのになぜまだ生きてるんだ?』
何度も繰り返されてきた言葉に、はらはらと涙が流れる。
滲む視界の中、父の後ろに誰かいるのに気づいた。
(だれ?)
少年のようだけれど聡一じゃない。
手に、なぜか、木のバケツを持っている。
その中身を知っている気がして、自分はいやだいやだと叫ぶ。
少年が、バケツを大きく振る。
その中身を小夜は頭から被る。
真っ赤な血とーーぬるりとした、臓物の感触。
小夜の喉から、絶叫が迸った。
***
バルトリアスはその場の全員に顔を上げることを許した。
何故かアスランとマルクスまで跪拝しており、応接室はまるで謁見室のような雰囲気になっている。
一同の中でも特に複雑そうな顔をしているフレイアルドに後のことを頼んだ。
「俺はこれから大叔父殿の屋敷へ行く。少しでも早いほうがいいだろうからな。警備は強化しておけ」
「承知しました」
先日の襲撃以降、フレイアルドがゲムミフェラの遺物をそれまでとは比較にならないほど大量に配置しているのは知っていた。
小夜のためとなれば全方面に思い切りのいい男である。
「それからレイナルド。サヨと其方らの正式な養子縁組は俺が指示するまで待て。大叔父の意向を確認してからにしたい」
大公が小夜の後見を拒否した場合、小夜が貴族になるのは悪手でしかない。
小夜には可哀想だが、養子縁組は諦めて侯爵家の領地にでも隠れるのが次善の手だ。
伯爵は心得たように頷く。
「殿下のご命令をお待ちしております」
「頼んだ。ーーアスラン、其方は先にサヨが祝福した遺物を持っていけ。この屋敷内ならば俺は安全だ」
アスランは一瞬躊躇いを見せるが、すぐに了承を示し、遺物をまとめて持つと部屋を出て行った。
アスランを先に行かせたのには訳がある。
この場でひとつやり残したことがあったのだ。
「アマーリエ殿に頼みたいことがある」
「まぁ。私でよろしければ、何なりと」
バルトリアスは目線で伯爵に許可を取り、他の者には聞こえぬ距離へと場所を移す。
貴婦人然としながらも訝しむアマーリエへ、バルトリアスは声を顰めて頼んだ。
「早急にサヨへの教育を頼む」
「……教育で、ございますか?」
アマーリエは頬に手を当て不思議そうな顔をする。
バルトリアスはまさか自分の口からこんなことを頼む日が来るとは、と頭を抱えたくなった。
だが濁した結果伝わらなければ時間の無駄である。観念して口を開いた。
「こちらの、男女の作法の教育だ」
「ま、ぁ……」
頬を染めたアマーリエにバルトリアスは苦虫を噛み潰したような顔をする。
今や先ほどまでとは違う緊張感に襲われていた。
(何故俺がこんなことを言わねばならんのだ!)
しかしフレイアルドは小夜に頑として教えようとしないし、ラインリヒに至っては本来女性が女親からどのような教育を受けるかさえ知らないだろう。
頭痛がしてくるようだった。
溜め息を深く吐くことで、その痛みを紛らわせる。
全ては、小夜を無知なままでいさせようとするフレイアルドが悪い。
「文化の違いが大きいのは仕方ないが、あの娘の情緒ときたらまるで、おしめの取れぬ幼児だ。これ以上おかしな事態を招かぬよう厳しく教えてやってくれぬか」
「か……畏まりました……」
バルトリアスはフレイアルドへの恨み言を心中で呟きながら応接室を後にした。
応接室を出たバルトリアスは、一人歩いていた。
考え事をしながらも足は勝手に動く。
すでに案内などなくても目的の場所へ行けるほど、侯爵家の間取りは完璧に頭に入っていた。
玄関へ向かうため主寝室のある棟の階段を降りようとした時である。
微かに耳に届いた悲鳴に動きを止めた。
その悲鳴が誰のものかなど、考えるまでもなかった。
(どこだ!?)
バルトリアスは走り出した。
いまだ続く悲鳴を辿り、全速で駆けつけた先は小夜の自室である。
扉が僅かに開いているのを見た瞬間、何も考えずに飛び込む。
部屋の中央ーー長椅子の上で、小夜が嗚咽を上げながら蹲っている。
目に入った瞬間、頭が真っ白になった。
気付けば叫んでいた。
「サヨ!!」
駆け寄って仰向けさせると、焦点の定まらない目から涙が流れている。
バルトリアスの手を跳ね避けんと暴れる小夜に舌打ちした。
「ーーイヤ!! 来ないでっ……たすけてっ……!!」
「しっかりせんか!! 起きろ!!」
「ーーや、めて、おとうさ、いや……!!」
強く肩を揺すっても小夜は混乱から戻ってこない。
どころか、それを暴力と勘違いし余計に恐怖を抱くだけだ。
ーーこのままでは引きつけを起こしてしまう。
咄嗟にバルトリアスは、小夜の暴れる体を押さえ込むように抱き締めた。
耳朶に直接囁く。
「ーー俺だ。バルトリアスだ。父親じゃない」
「……や、ぁ……」
とても細い身体だ。
バルトリアスが抑え込めば抵抗も身動きもできない。
小夜から漂う香りのせいで酷い気分だった。
それでも、荒い呼吸を繰り返す小夜に、何度も語りかける。
「ここに其方を殴る者はいない。だから落ち着け」
「……だ……って、へや、くらい、の」
泣きながら訴える声に、ざわりと全身の毛が逆立った。
「……あかないの、でれない、の……。いたいよ……こわ……い」
「サヨ」
それはこの少女が監禁されていた時の記憶なのだとやっと気づいた。
監禁され、父親に暴力を振るわれていた時の夢でも見たのだろう。
「もう怖くない。其方は自由になったんだ」
そう口にしながら、この嘘吐きめと己を罵った。
小夜に本当の自由などあるはずがない。
少なくとも、今は。
小夜の呼吸がだんだん落ち着いてきたため身体を離そうとしたのだが、小夜はしっかりとバルトリアスの服を握りしめている。
どうしたものかと室内を見回すと、見慣れぬ若い侍女がいることにそこで初めて気がついた。
「サヨの侍女か?」
「は、はい、フロルと申します」
年若い侍女は真っ青な顔でおろおろするばかり。
バルトリアスは声に怒りを滲ませた。
「主人が魘されているのに、侍女の其方は何をしている! 起こすなり落ち着かせるなり出来んのか!」
「も、申し訳ございません!!」
今にも泣きそうになっている侍女に舌打ちし、すぐにフレイアルドを呼べと命じれば飛び出していった。
バルトリアスは一向に離れない小夜を抱え、長椅子に腰を下ろす。
小夜の背をあやすように叩いた。
「いまにフレイアルドが来る。其方を守ってくれる男だ。だからもう泣くな」
「……ふれいあるど、さま……」
舌足らずにその名を呼んだかと思えばやっと弛緩し、そのまま小夜は眠った。
気絶したといったほうが近いかもしれない。
バルトリアスの服を握っていた手からも力が抜けて、ようやく剥がす事ができた。
ほっとしながら小夜の体を長椅子に横たえ、自らの衣服を整えた丁度その時、廊下に足音が響いた。
やっと来たらしい。
「ーー殿下! サヨは」
「静かにしろ。いま眠った」
バルトリアスは嘆息する。
大事の前に、とんだ寄り道になってしまったものである。
疲れの隠さぬ顔でフレイアルドの肩を叩いた。
「後は其方が何とかしろ」
「……はい、ですが、その」
「なんだ」
珍しく歯切れの悪いフレイアルドの視線は、自分の服の胸元に向けられていた。
そこにはくっきりと小夜の涙の跡がある。
「これか。ただの涙だ。移動していれば乾く」
「左様で、ございますか」
まだ物言いたげな視線を振り切り小夜の部屋を足早に出た。
バルトリアスが可能な限りの速足で玄関へ向かうと、既に馬車を用意し終えたアスランの姿がある。
目敏い騎士はバルトリアスの衣服の僅かな乱れをすぐに見咎めた。
「……何かありましたか」
「あったどころではない。が、時が惜しい。行くぞ」
滑るように馬車に乗り込めば、アスランが扉を閉める。騎士はそのまま御者になった。
動き出した馬車の中、バルトリアスは僅かでも休息を取ろうと目を閉じる。
しかしどんなに眠ろうとしても眠気は訪れなかった。
それはいまだ残る、感触のせいだった。
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