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三章
07.近衛
しおりを挟む警告のような異音のすぐ後、顔の真横から溜め息が聞こえた。
フレイアルドが小夜の上から退いていく。
一人分の重さがなくなった体は、とても軽く感じられた。
「こんな時だけは、仕事の早いーー」
横たわった小夜の頭を大きな掌でひと撫でしたフレイアルドは、立ち上がると素早く執務机で何かを確認する。
「近衛が来たようです」
「こ、このえ?」
「国王直属の兵です」
フレイアルドは執務机の後ろの棚から紙の束を取り出す。そして、それを持ってまた長椅子まで戻ってきた。
既に体を半分ほど起こしていた小夜を支えて、きちんと座らせる。
テキパキと身嗜みを整えられた。
「……先ほどしたことは、謝りません。半端な気持ちでも、出来心でもありませんから」
最後に小夜の髪を直して、仕上げと言わんばかりに額に軽く口付けをしていく。
その紫の眼の奥は、今度はきちんと笑っていた。
間の抜けた自分の顔が映りこんでいる。
「近衛どもはすぐに追い払ってきます。貴女はこの部屋から出ないように。いいですね?」
「は、はい」
フレイアルドは小夜の返事に満足気だ。微笑んでいる。
「好きですよ。サヨ」
すっと立ち上がったフレイアルドは紙の束を小脇に抱えて身を翻した。
執務室から出てゆく背を呆然と見送る。
入れ替わるように戻ってきた兄に顔を覗き込まれても、小夜は固まったままだった。
***
ゲムミフェラの警告音に良いところを遮られて、フレイアルドはその苛立ちをぶつける相手を探していた。
執務室から出てすぐ目に入った疲労顔のラインリヒはその相手ではない。
「え、早くないか?」
「近衛がゲムミフェラの遺物に掛かった。お前は中でサヨについていろ。マルクス、行くぞ」
仔細を聞こうとするラインリヒを相手にせず、マルクスだけを伴い階下へと降りる。
玄関から、屋敷周辺を常に警護させている兵達が向かってくる。
誰も彼も、何故かとてもーー愉快そうだ。
「旦那様! 近衛です! 近衛が《蔦》にかかりました!」
「分かった」
《蔦》というのは、侯爵邸を全方位から防衛する遺物の通名だ。
その通名の由来は実際に使用してみれば分かる。
フレイアルドは兵達からどの辺りに近衛が掛かったのかを聞き取り、いくつか彼等へ指示をだしていく。
「庭園側と、塀の最も低いところ、それから通用門か。捻りのないことだ。私とマルクスで正門にいる者どもを相手する。お前たちは《蔦》から近衛を回収して正門まで運んでこい。後始末するのも面倒だ、持って帰らせたい」
「はっ」
「いいか。程々にしてやれ」
喜び飛んでいった兵達を見送り、フレイアルドはマルクスが押し開けた玄関をくぐる。
前庭の遥か向こう。正門に黒い集団が見えた。まだ小さく、その顔までは判別がつかない。
果たしてあの中に、この自分の情報網に囚われたことのない人間がいるだろうか。
多分いないだろうな、と思いながらフレイアルドは足を踏み出す。
朝の晴れ間が嘘のように、雲が空を覆い出していた。
芸術的な黒い柵を挟み、眼球だけを右から左へ動かして門の向こうを眺めたフレイアルドはがっかりした。
どうやら小物ばかり送ってきたらしい。
(近衛の長でも来ていれば、やりがいもあった)
叩き潰しがい、とも言う。
門の前に集まる近衛は、腕を組み何も言わず立つフレイアルドを見て、怖気づいたとでも思ったのだろう。
取り纏めらしき男が集団から一歩前へ進み出た。
団子のような鼻をもつ男は、整えてもいない眉を得意げに持ち上げている。
「フェイルマー侯爵! 貴公がまこと、この国の忠臣たるならば、我らに協力されたし!」
「さて。協力とは?」
してやる気などさらさらないが、言い分は全て吐かせる主義のフレイアルドは先を促す。
出し切らせた後を叩きのめすのが一番手っ取り早いのだ。
「現在、国王陛下はバルトリアス殿下に対し、国家への重大な離反行為のお疑いを掛けておられる! 貴公が与しておられぬ証拠として、御用改めを行う!」
ーー要は、バルトリアスと一蓮托生にされたくなければ屋敷の中を捜索させろということだ。
どうせ国王はバルトリアスが既に大公邸にいることくらい知っている。
王子の捜索など建前だ。
国王が探しているのはバルトリアスではない。
「国家への重大な離反行為とは?」
「……貴公には関係ないことだ!!」
近衛による御用改め、と聞いても大きな動揺を見せないフレイアルドの姿に、何故か近衛兵の一部が一歩後ずさった。
彼らはフレイアルド流を何処かで目にしたか、耳にしているのだろう。
その上やましいところがあるとみた。
後ずさる者は捨て置き、フレイアルドは取り纏めの男だけを今日は相手取ることにした。
どんな弱い手札も、なるべく長く手元に持つべきである。
「どうだ!! 我らに御用改めをさせるのか! させぬのか! させぬというのなら、貴公にも同じ疑いありとしてこの場でひっ捕えてくれる!」
離反の内容は関係ないのに、同罪の疑いで逮捕するとは甚だ理屈が通らない。
だが胸を張る近衛の男はその矛盾に気がついていない。
上から言われたことを鵜呑みにして、自分の頭で考えることなどないのだろう。
どうやらこれ以上この近衛から搾り取れるものはなさそうだ、とフレイアルドはマルクスに手を差し出した。
「貴殿の名を伺おう」
「む? ーー良かろう。俺の名はベルドラト・カーサンダー。カーサンダー近衛兵長は我が父だ!」
先頭の男に問えば、堂々と名乗りあげる。
余程、その血筋が自慢なのだろう。
そしてどうやら噂を集める能さえないらしい。いや、この頭には肉の塊が詰まっていると見た。
「カーサンダーだそうだ。マルクス」
「こちらでございます」
カーサンダー近衛兵長はその名の通り国王の身辺警護の長であり、また飼い犬として有名だ。
つまり、フレイアルドの情報網にがっつりと引っかかっている。
フレイアルドが自身の執務室から持ち出した紙の束。それは、近衛に勤めている者の身上調査書だった。預けたマルクスからベルドラト本人の分を抜き取って貰い、その中身を一応確認したフレイアルドは、危うく吹き出しかけた。
ここで読み上げるのは余りに気の毒な内容だったからだ。
フレイアルドは、ベルドラト本人だけが読めるよう紙を巻いてから柵越しに差し出した。
「なんだ? 降伏文書でも用意していたか?」
ベルドラトの周りの近衛兵は、男と一緒になって嗤う者と顔を青くする者で二分された。
前者は救いようがない。
嘲笑にも動じぬフレイアルドに、やっとベルドラトは書面を読む気になったらしい。
その読む速度は蝿が止まりそうだ。
だが段々と、興奮し紅潮していた頬から血の気が引いていく。
真っ青になる頃には、残りの近衛兵も男の異変を感じ取っていた。
「な、な……なんだ!? なんなのだこれは!?」
紙を手の中で握り潰し、口端から泡を噴く男は、再び顔を真っ赤にして怒鳴り散らした。
「とりあえずは、貴殿の分の身上調査書だ。カーサンダー殿。それを部下とご同輩の前で読み上げられたくなければ、お帰りになるといい」
カーサンダー家の調査書なら、いくらでもある。
当主だけでなくその息子達にも、後ろ暗いところ、秘密、それらは山程あった。その大半が国王の威光を笠にきたもの。
その中からベルドラトの分だけーーしかも抜粋ーーを渡しただけでこの反応。
愉快を通り越して呆れてしまう。
「違う!! どうやって調べたか聞いている!!」
「知性の片鱗すらない貴殿に言ったところで手間と時間の無駄だが?」
「なーーなんだと貴様!? 出て来い!! この手で逮捕してくれる!!」
まるで口一杯に辛子を食わされたかのような激憤ぶりだ。
どこ吹く風のフレイアルドとは至って対照的である。
「話しても無駄なようだな」
フレイアルドは侯爵邸をぐるりと囲む塀に張り巡らせたゲムミフェラの遺物を操作する。
その遺物は宝石を模しており、等間隔で塀全体に埋め込まれていた。
それは一斉に緑色の光を周囲に放ち、瞬く。
「な、なんだ!?」
近衛兵達は慌てふためいている。
それもそのはず。ここまで数が揃った遺物による防衛機構など、もうほとんど現存していない。
宝石から瑞々しく緑鮮やかな蔦が飛び出した。
蔦はあっという間に伸び、門の前にいた近衛兵どもを絡め取って拘束していく。
宙に浮かされた男達は、この世のものとも思えぬ悲鳴を上げた。
「うわぁあああ!?」
「ぎゃぁぁああ!!」
(情けない者達だ)
たかが蔦である。
宙に浮かされたくらいで泣きを入れるとは、兵としての質があまりにも低くないか。
まだ悲鳴をあげ続ける男達を見上げ、フレイアルドはそこではたと気付いた。
(サヨの首飾りと共鳴しているのかもしれない)
もしそうならば、彼等はいま耐え難い痛みに襲われているのだろう。
珍しいことだが、サヨが得ているゲムミフェラの加護が強ければ起こり得る事象だ。
俄然、研究意欲が湧いた。
(これがならず者なら、このまま実験体にしたいところだが)
残念ながら、彼等は全員が貴族だ。しかも国王派ときている。
因縁をつけられているのはこちらだが、それでも返さなければ厄介なことになる。
そこへ別の地点で《蔦》に掛かっていた残りの近衛兵を連れて、侯爵家の兵達がやってきた。
正門以外でも同じように、《蔦》は侵入しようとした愚か者を痛めつけたらしい。意識を保っている者は一人としていなかった。
どうやらここまでらしい。
僅かに残念がる自分をなだめ、遺物を操作し、獲物の高度を下げさせる。
手も足も届かないが声は届く位置まで下がってきたベルドラトへと声を掛けた。
「カーサンダー殿」
「ぐぅ……っ、な、なんだ……っ!!」
やはりかなりの痛みを感じているようだ。
目が血走っていた。
「我が邸へ侵入を謀った愚か者をお返しする。この者らを連れて疾く帰られよ」
その言葉を合図に、蔦に近衛達を解放させる。鈍い音を立てて地面に次々落ちていった男達は、意識のある者から、指揮系統を無視して潰走していく。
指揮官であるベルドラトのことも、意識のない仲間すらも見捨て逃げていく後ろ姿に、フレイアルドは敵ながら苦い物を覚えたのだった。
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