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三章
13.紋様
しおりを挟むその報せを持ってきたのは侯爵家に仕える侍従の一人だった。
「どうぞお早く転移の間へお越しくださいませ」
(転移の間?)
「ひゃっ」
聞き慣れぬ言葉に固まっていたら、不意に体を持ち上げられた。
この持ち上げ方はフレイアルドだろうと思ったら、やはりそうだ。
「フレイアルド様?」
相変わらず、いつ近寄られたのかさえ分からない鮮やかな手つきである。問いかけには短く応じるのみで、小夜を下ろすことなく彼は歩き出す。
「行きましょう」
抗議する暇などない。フレイアルドは小夜には出せない速度で歩き出し、追いかけるように兄もやってくる。
侍従から別件の報告を受けているマルクスはついてこないようだ。
転移の間という場所までは、フレイアルドの足でもかなり時間がかかった。この広い屋敷の一番奥なのではないかと思うくらいに遠い。
自分の足で歩いていたらきっと彼等をやきもきさせただろう。
(父様と母様に、やっと会える)
二人と離れた時間はたったの数日だというのに、小夜はもう両親が恋しかった。
向こうの携帯電話のように、話したい時すぐ話せる遺物があったらいいのに。何度もそう思った。
けれどこちらの通信の遺物は建物に固定して使うものらしく、今回のように王都から領地に向かう間など、移動中は連絡を取り合うことが出来ないらしい。
フレイアルドの執務室にあった鏡のような遺物を見て尋ねた小夜に、兄がそう教えてくれた。
(通信の遺物も転移の遺物とおんなじで、お互い登録がないと使えないなんて)
未登録の相手への連絡手段は手紙か早馬を使うのだという。
辿り着いた先では、木製の重厚な両開きの扉が部屋を守っていた。
扉には兵士が二人張り付いている。屋敷の外ならばまだしも、中で兵士を見たのは初めてだった。
小夜はちらりと見えた、マントの留め具に気を取られる。
兵士の二人が肩口に揃いで付けている金の留め具には、ぐるりと蔦に囲われた鳥が彫られている。その鳥に見覚えがある気がしたのだ。
それは、小夜の部屋の調度や、寝台の掛布、執務机の透かし彫りにもいる鳥だった。
「開けよ」
フレイアルドが静かに命じると、兵士達は無言で、しかし恭しく扉を開ける。
その中を見た小夜はその不思議な光景に、目を奪われた。
部屋というよりもそこは広間だった。
高い天井にはびっしりと女神の絵が描き込まれ、左右の壁に設けられた明かり取り用の窓には全てステンドクラスが嵌っている。
広間の中には蛍のような光がたくさん飛んでいた。
舞う光を除けば向こうの世界の教会のような雰囲気だが、椅子や祭壇はなく代わりにあるのは巨大な丸い水盤だった。
広間の中心部に置かれたその水盤は、人間が優に十人は寝転がれそうな大きさである。
その水盤の水は不思議なことに常に中心から外に向かって波紋が広がっていた。
「これが転移の遺物です」
小夜を下ろしたフレイアルドは、触れなければ近くで見てもいいと言ってくれた。
こわごわ近寄ると、水盤の底にはびっしりと紋様が刻まれている。
どこか見覚えのある紋様に首を傾げた。
(どこで見たんだっけ)
すごく見覚えがあるのに思い出せなかった。
「サヨ、少し離れていましょうか」
「は、はい」
小夜が離れたことを確認して、フレイアルドはその水盤に右手を浸した。
途端に、水自体が乳白の光を帯びる。
水と共鳴するように、室内に舞っていた蛍に似た光も、白く淡く明滅を繰り返す。
言葉で言い尽くせないほど、それはとても幻想的な光景だった。
(……なんて、綺麗)
やがてフレイアルドが手を離すと乳白の光は収まり、水は再び澄みわたる。
そして、その水盤の水が縁を超えて音もなく高く高く上る。
みるみるうちに人の背丈を超えた水の壁は、円を描いて聳え立ったのである。
不思議なことに、これだけ大量の水が動いたというのに水盤の外には一滴も漏れ出ることがない。
昇りきった水がゆっくりと下がり始めてきた。
見えてきたのは水盤の中心に立つ伯爵夫妻の姿だ。
「父様! 母様!」
「危ない!」
駆け寄りそうになった小夜を掴んで止めたのは兄の手だ。
「転移中は近寄るな」
「ご、ごめんなさい」
水が完全に下がるまでは近寄ってはならないらしい。
小夜は今か今かとその時を待つ。
やっと水が下がった時、母が両手を広げた。
「サヨ、いらっしゃい」
「母様……っ!」
走り寄れば、今度は止められることはなく。
小夜は水盤の中に立つ母に抱きついた。
「母様、母様……!」
まるで子供のような小夜に苦笑する気配が伝わってくる。
「まぁまぁ、たった数日ではないの。どうしたの?」
両親はずっと移動していた。
だからバルトリアスのことや、男爵のこと、そして近衛のことをまだ知らないのだろう。
知らなくて当たり前だ。
急に抱きつかれて母も驚いたことだろう。
「……ごめんなさい。でも、もしお二人にも何かあったらどうしようって」
あの日、ラインリヒが帰宅して話を聞いてから、本当はずっと不安だった。
隣から訝しむ声が上がる。父だ。
「儂たちにも? 誰ぞに何かあったのか、サヨ」
「それは……」
自分の口から話してよいものか。
母に抱きつきながら、視線を彷徨わせる。
それ以上言葉を発せない小夜に二人は重大な事態が起こったことを察したらしい。
いつの間にかフレイアルドが小夜のすぐ後ろに立っていた。
「ザルトラ伯、アマーリエ殿。すぐにお伝えせねばならぬことがございます。場所を移させて頂きますが、よろしいですか?」
「うむ」
ただならぬ雰囲気のフレイアルドに夫妻は纏う空気をがらりと変えた。
両親と小夜達三人は庭の見えるいつもの応接室へと移動したのである。
***
服や靴を濡らしたはずの水盤の水は、水盤から出た途端に一瞬で消え去ってしまった。
乾いたわけではなく消えたことに、小夜はこの世界の不思議をまた一つ目の当たりにした気分だった。
応接室に着いた面々がそれぞれ椅子に腰掛け、温かいお茶が手元に配られた頃。
小夜達とは別行動だったマルクスが入室し、硬い表情でフレイアルドに耳打ちした。
早口の報告を聞き取るフレイアルドの顔が驚愕に染まる。
「……まさか」
「そのまさかでございます」
額に手を当てたフレイアルドは、大きな溜め息をついた。
事情の分からない小夜達は置いてけぼりだ。
淹れたての温かい、湯気の立ち昇るお茶に手をつけることも出来ず、出方を伺うしかない。
フレイアルドが悩んだ時間はそれほど長くはない。
「ーー出迎えに」
「もうそこまでいらっしゃっています」
「それを早く言え……」
(来客? こんな時にマルクスさんが通す人なんて)
フレイアルドよりも身分の高い人しかありえない。
「お通ししてよろしいですか」
「するしかない。すぐにお通ししてくれ」
フレイアルドがそうマルクスに指示した途端、小夜を除く全員が立ち上がった。
一拍遅れて慌てて立ち上がれば、疲れた顔のフレイアルドが小夜の手をとる。
フレイアルドに手を引かれ、応接室の扉の前に立つように誘導された。
小夜の隣にはラインリヒ。二人の前に両親。
「サヨ。王族への礼の仕方は覚えていますね」
「は、はい」
「習った通りで問題ありませんから」
これから王族が現れるというのか。
(王族って、バルトリアス殿下じゃなくて?)
バルトリアスならば堅苦しさを嫌い、このような出迎えはさせないはずだ。
小夜が知る王族は、他には国王と王太子だけだ。まさかその二人のはずがない。
小夜に指示を与えたフレイアルドが両親より更に前へ立つと、マルクスが扉を開けた。
開くと同時にフレイアルドや両親が礼をとるのが見えて、小夜もそれに続く。
床しか見えない小夜の耳に、フレイアルドの口上が届いた。
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