都市伝説レポート

君山洋太朗

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第12回 影映し

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都市伝説レポート 第12回

「影映し」

取材・文: 野々宮圭介


私が「影映しの儀」という言葉を初めて耳にしたのは、先月の読者投稿欄に寄せられた一通の手紙がきっかけだった。差出人は関東地方に住む60代の女性で、祖母から聞いた古い言い伝えだという。「夜中に鏡の前でろうそくを灯し、自分の影をじっと見つめると、やがて影が自分とは違う動きを始める。そしてその儀式を最後まで続けると、影と自分が入れ替わってしまう」という内容だった。

都市伝説の多くは似たような話が各地に存在するものだが、この「影映しの儀」については寡聞にして知らなかった。そこで私は取材を開始することにした。取材というのは足で稼ぐものだ。特に今回のような古い言い伝えは、インターネット上の情報だけでは真相に辿り着けない。


まず私は、この儀式について詳しく知るために、民俗学に詳しい乙羽教授を訪ねた。学生には人気のない乙羽教授だが、その知識の深さは折り紙付きだ。

「影映しの儀、ですか...」

乙羽教授は眼鏡の奥の目を細めると、古ぼけた書斎から一冊の本を取り出した。明治時代に編纂された『関東奇談集成』だった。

「ここに記述がありますよ。江戸後期から明治にかけて、関東の一部の神社で秘密裏に行われていた儀式だとされています。本来は神職の修行の一環だったものが、いつしか禁忌とされるようになったようです」

教授によると、この儀式は元々「影分け」と呼ばれ、人間の魂を浄化するための神聖な儀式だったという。しかし、いつしか「影と入れ替わる」という恐ろしい言い伝えに変質していったのだ。

「興味深いのは、似たような儀式が世界各地に存在することです。西洋の魔女術にも、鏡を使った似たような儀式があります。人間の影や鏡像に対する畏怖の念は、文化を超えて存在するのかもしれませんね」


手がかりを得た私は、読者からの投稿に記されていた神社を訪ねることにした。東京都と埼玉県の境にある小さな神社だ。表通りから少し入った森の中にあり、平日の昼間でも訪れる人はほとんどいなかった。

神社の境内は苔むした石灯籠と古い楠の木に囲まれ、不思議と時間が止まったような静けさがあった。拝殿の前で手を合わせていると、70代と思しき老神主が姿を現した。

「何かご用でしょうか」

私が「影映しの儀」について取材に来た旨を伝えると、老神主の表情が一瞬こわばった。しかし、すぐに穏やかな表情に戻り、社務所に案内してくれた。

「そのような話を調べているとは珍しい。今ではほとんど知る人もいないでしょう」

老神主・加賀美さんの話によると、確かにこの神社では昔、特殊な儀式が行われていたという。しかし、その詳細について語ることは憚られるようだった。

「儀式の本来の目的は、人間の内面と向き合うことでした。鏡に映る自分自身と対峙することで、心の奥底にある闇を認識し、受け入れる。それが本来の意味です」

加賀美さんは言葉を選びながら続けた。

「しかし、明治初期の神道改革の際に、このような古来の儀式は迷信として禁じられました。それ以来、正式な儀式としては行われていません」

私がさらに詳細を尋ねようとすると、加賀美さんは優しくもきっぱりと断った。

「これ以上は申し上げられません。ただ、好奇心から安易にそのような儀式を試みることはお勧めしません。噂話として聞き流すのが良いでしょう」


神社での取材は思うように進まなかったが、地元の古老たちからいくつかの証言を得ることができた。神社近くの古い集落で暮らす佐々木さん(仮名・78歳)は、祖父から聞いた話として、次のように語ってくれた。

「若い頃、祖父が語ってくれたんですよ。明治の終わり頃、この辺りの若者たちの間で『影映し』というものが流行ったそうです。肝試しみたいなものでしょうね。でも、ある日突然、性格が変わってしまった青年がいたとか。以前は温厚だった人が、急に攻撃的になり、家族にも冷たくなった。そして何より不気味だったのは、その青年が自分の影をとても恐れるようになったことだと」

同様の証言は他にも複数あり、「儀式の後に人が変わったように見える」という話は共通していた。しかし、それらはすべて「誰かから聞いた話」であり、直接の体験者に会うことはできなかった。


インターネット上では、この儀式をアレンジした現代版の「影映しの儀」が若者の間で密かに広まっているという。SNSでのハッシュタグ検索から、実際に試した人々を何人か見つけ出し、インタビューを試みた。

大学生の田中さん(仮名・21歳)は、友人たちと一緒に試したという。

「最初は怖いもの見たさでやってみました。鏡の前にろうそくを灯して、真夜中に儀式を始めたんです。最初の数分は何も起こらなかったんですが、10分くらい経ったとき...」

田中さんは言葉を詰まらせ、少し沈黙した後に続けた。

「自分の影が、ほんの少しだけ遅れて動いたように感じたんです。目の錯覚かもしれませんが、友達も同じことを感じていました。そのとき、なぜか強烈な恐怖を感じて、すぐに儀式をやめました」

別の参加者、佐藤さん(仮名・19歳)は、より不思議な体験をしたという。

「儀式の最中、鏡に映る自分の顔が少しずつ変わっていくように見えました。自分じゃないみたいな...でも怖くなってすぐにやめたので、それ以上のことは起こりませんでした」

これらの証言は示唆的だが、心理学的には「予期効果」や「暗示」による可能性も高い。恐怖や期待を抱えて鏡を見つめれば、脳が錯覚を引き起こすことは十分にあり得るからだ。


この現象について、心理学者の村上博士に意見を求めた。

「長時間鏡を見つめることによる『異常な自己認識』は、心理学では知られた現象です。『鏡像認知の歪み』と呼ばれるもので、特に薄暗い環境で長時間自分の顔を見つめると、脳の視覚処理メカニズムに変調が生じ、顔が歪んで見えたり、別人のように感じられたりします」

村上博士によれば、このような現象は神経科学的にも説明できるという。

「暗い環境での視覚情報の乏しさは、脳に不確かさをもたらします。そして脳は不確かな情報を補完しようとして、パレイドリア(曖昧な視覚情報から意味のあるパターンを見出す傾向)を引き起こすのです」

しかし、村上博士も最後にこう付け加えた。

「とはいえ、科学では説明できない現象がこの世にないとは言い切れません。心理学者として客観的に見れば説明可能ですが、実際に体験した人々の恐怖や不安は非常にリアルなものです」


「影映しの儀」についての調査をまとめながら、私はある疑問を抱いた。なぜ人間は自分自身の影や鏡像に対して、これほどまでに恐怖や畏怖の念を抱くのだろうか。それは単なる迷信なのか、それとも人間の潜在意識の奥深くに潜む何かなのか。

関東の古い神社で行われていたという「影映しの儀」。方法は簡単で、夜中に鏡の前でろうそくを灯し、自分の影をじっと見つめるだけ。しかし、影が自分と違う動きを始めたらすぐに儀式をやめなければならない。もし最後まで続けると、影が本物の自分と入れ替わり、元の自分は影の中に閉じ込められてしまう――そして翌朝、その影は何事もなかったかのように笑いながら家族と会話を始めるのだという。

好奇心から安易にこのような儀式を試みることだけは、控えた方が良いだろう。噂の真偽は別として、人間の心の闇と向き合うことには、それなりの覚悟が必要なのだから。

(了)


*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
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