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第85回 時空の穴
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都市伝説レポート 第85回
「時空の穴」
取材・文: 野々宮圭介
私が今回の調査を始めたのは、単なる偶然からだった。
古書店で見つけた江戸時代の地誌研究書の片隅に記された、たった一行の注釈。「伊能測量隊、富士山域記録の謎」。その文字が目に留まったのは、おそらく編集者として鍛えられた職業病のようなものだろう。しかし直感が告げていた。ここには何かあると。
伊能忠敬といえば、江戸時代に日本全国を測量し、初めて実測による日本地図を完成させた人物である。しかし驚くべきことに、彼の残した膨大な測量記録の中で、富士山の特定区域だけがいびつな空白として残されていたのだ。
「伊能忠敬ほどの几帳面な人物が、なぜ富士山の記録だけを残さなかったのか」
この疑問を抱いたまま、私は調査を開始した。当初は単なる資料の散逸か、測量技術の限界といった合理的な説明を求めていたに過ぎない。しかし、これから記すことは、そんな穏当な解釈では説明できない事実の数々である。
国立公文書館での調査から始めた。伊能測量隊の公式記録には、確かに富士山北東斜面の特定区域だけが「測量困難につき後日再測」との注記があるのみで、それ以降の記録は一切存在しなかった。
より深く調べるうち、私は一つの事実に行き当たった。伊能測量隊から分派した小隊が、その「再測」のために派遣されていたのだ。しかし、この小隊に関する公式記録はここで突如として途絶えていた。
「彼らは何を見たのか」
静岡県立図書館の古文書室で、私はついに手がかりを掴んだ。測量小隊の隊長・佐々木弥太郎の個人日記の一部が、民間コレクターから寄贈されていたのだ。最後の記述は以下のようなものだった。
> 九月十五日 晴。富士北東迂回路測量中、異変あり。空中に開いた「穴」を目撃す。色彩なきその先に何かを見た気がする。明日、再度確認の予定。
この日記の続きは存在しない。そして佐々木隊長を含む測量小隊五名は、この記録を最後に消息を絶ったという。
この話は単なる歴史の謎で終わるものではなかった。現地調査のため富士山を訪れていた私は、地元の山岳ガイド・村瀬氏から衝撃的な証言を得ることになった。
「あの辺りは昔から『迷いの森』と呼ばれてます。特に北東斜面の『鏡ヶ池』周辺は、ここ十年だけでも五人の登山者が行方不明になっている」
警察の失踪者記録を調べると、確かに2015年から2023年にかけて、北東斜面の特定区域で五名の登山者が消息を絶っていた。さらに驚くべきことに、彼らのうち三名は失踪から二年後、五年後、そして七年後に、失踪時と同じ服装、同じ装備のまま発見されていたのだ。
富士吉田市立病院の精神科医・西村医師は、こう語る。
「発見された三名は全員、深刻な精神的外傷を負っていました。彼らの証言は混乱しており、『空に開いた穴』『時間の流れが違う場所』といった一貫性のない話をするのみでした。通常の時間感覚を失っており、自分たちが数年間行方不明だったことを理解できなかったのです」
より不気味なことに、発見された三名は全員、帰還後三ヶ月以内に原因不明の心臓発作で死亡していた。死亡時の状況に共通点があると、元警察官の灰原探偵は指摘する。
「彼らは皆、死の直前に『穴が近づいてくる』と叫んでいたそうだ。解剖結果では特に異常はなかったが、遺体はまるで激しい恐怖で凍りついたような表情をしていたという」
私は村瀬ガイドの案内で、問題の区域―鏡ヶ池周辺を訪れることにした。ここは一般の登山道からは外れた場所で、立ち入り規制こそないものの、登山者が稀にしか訪れないエリアだった。
池に到着した時、奇妙な現象に気づいた。完全な無風状態であるにもかかわらず、池の水面が不規則に揺れ動いていたのだ。そして池に映る空の姿が、実際の空とは微妙に異なって見えた。
この現象について、乙羽教授は以下のような見解を示した。
「古来より、水面は異界への入り口とされてきました。特に『鏡』の名を持つ池は、異なる時空への通路とする伝承が各地に存在します。富士山は古来より神聖な山であり、『あの世』との境界とされてきた。そういった山岳信仰と結びついた何らかの現象が起きている可能性はあります」
しかし教授は、科学的な可能性にも言及した。
「一方で、富士山の独特な地質構造や磁場の乱れが、何らかの光学現象や時間感覚の錯覚を引き起こしているという説明も考えられます。特定の条件下で発生するミラージュや、脳の一時的な機能障害という可能性もあるでしょう」
最大の手がかりは、2023年に発見された最後の生存者・川島拓也さん(43)からもたらされた。彼は発見後、他の生存者よりも長く意識を保ち、比較的詳細な証言を残していた。
川島さんの証言は断片的だが、彼が話した内容の核心部分をここに記す。
「池の水面に映る空が、突然...歪んだんです。まるでそこに穴が開いたかのように。何かに引き寄せられるように近づいたら...気がつくと、別の場所にいました。そこは富士山なのに、富士山じゃない。空の色が違って...時間の流れ方も違った。自分の腕時計は進んでいるのに、日が沈まなかった。何日も...いや、何ヶ月も同じ時間が続いていたような...」
「そこには他の人もいました。古い時代の服装をした人たち...測量器具を持った人たちも...皆、出られないと言っていました。私はある日、水面に映る自分の姿が突然別人のように見えて怖くなり、その反射から逃げるようにしたら...気がついたら山の中で倒れていたんです。救助隊に発見されるまで」
川島さんは証言を残した後、他の生存者と同様に急死した。聞き取り調査に同行していた看護師は、最期の瞬間をこう描写している。
「彼は窓の外を見て、突然震え始めました。『あれが来る、穴が来る』と叫んで...その直後に倒れたんです。救急処置を試みましたが...間に合いませんでした」
ここまで記してきた一連の事実は、どう解釈すべきだろうか。
江戸時代の測量隊の失踪、現代の登山者たちの不可解な行方不明と帰還、そして彼らの証言と謎の死。これらは単なる偶然の重なりなのか、それとも富士山の特定区域に存在する何らかの「異常」の証拠なのか。
科学的な説明を試みるなら、地質学的特徴による特殊なガスの発生、光の屈折による錯視、強力な磁場による一時的な脳機能の混乱など、様々な可能性が考えられる。あるいは集団催眠のような心理現象の可能性もあるだろう。
しかし、私は現地を訪れ、鏡ヶ池の水面に映った不自然な空の揺らぎを目の当たりにした。その瞬間、古来より語られてきた「境界」という概念の重みを感じずにはいられなかった。
今回の記事では、集められた事実と証言を淡々と述べるにとどめる。これが単なる都市伝説なのか、あるいは私たちの知らない「何か」の存在を示す証拠なのか―その判断は読者の皆様に委ねたい。
ただ、富士山北東斜面の鏡ヶ池周辺を訪れる際には、くれぐれも水面に映る自分の姿を、長時間見つめないことをお勧めする。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「時空の穴」
取材・文: 野々宮圭介
私が今回の調査を始めたのは、単なる偶然からだった。
古書店で見つけた江戸時代の地誌研究書の片隅に記された、たった一行の注釈。「伊能測量隊、富士山域記録の謎」。その文字が目に留まったのは、おそらく編集者として鍛えられた職業病のようなものだろう。しかし直感が告げていた。ここには何かあると。
伊能忠敬といえば、江戸時代に日本全国を測量し、初めて実測による日本地図を完成させた人物である。しかし驚くべきことに、彼の残した膨大な測量記録の中で、富士山の特定区域だけがいびつな空白として残されていたのだ。
「伊能忠敬ほどの几帳面な人物が、なぜ富士山の記録だけを残さなかったのか」
この疑問を抱いたまま、私は調査を開始した。当初は単なる資料の散逸か、測量技術の限界といった合理的な説明を求めていたに過ぎない。しかし、これから記すことは、そんな穏当な解釈では説明できない事実の数々である。
国立公文書館での調査から始めた。伊能測量隊の公式記録には、確かに富士山北東斜面の特定区域だけが「測量困難につき後日再測」との注記があるのみで、それ以降の記録は一切存在しなかった。
より深く調べるうち、私は一つの事実に行き当たった。伊能測量隊から分派した小隊が、その「再測」のために派遣されていたのだ。しかし、この小隊に関する公式記録はここで突如として途絶えていた。
「彼らは何を見たのか」
静岡県立図書館の古文書室で、私はついに手がかりを掴んだ。測量小隊の隊長・佐々木弥太郎の個人日記の一部が、民間コレクターから寄贈されていたのだ。最後の記述は以下のようなものだった。
> 九月十五日 晴。富士北東迂回路測量中、異変あり。空中に開いた「穴」を目撃す。色彩なきその先に何かを見た気がする。明日、再度確認の予定。
この日記の続きは存在しない。そして佐々木隊長を含む測量小隊五名は、この記録を最後に消息を絶ったという。
この話は単なる歴史の謎で終わるものではなかった。現地調査のため富士山を訪れていた私は、地元の山岳ガイド・村瀬氏から衝撃的な証言を得ることになった。
「あの辺りは昔から『迷いの森』と呼ばれてます。特に北東斜面の『鏡ヶ池』周辺は、ここ十年だけでも五人の登山者が行方不明になっている」
警察の失踪者記録を調べると、確かに2015年から2023年にかけて、北東斜面の特定区域で五名の登山者が消息を絶っていた。さらに驚くべきことに、彼らのうち三名は失踪から二年後、五年後、そして七年後に、失踪時と同じ服装、同じ装備のまま発見されていたのだ。
富士吉田市立病院の精神科医・西村医師は、こう語る。
「発見された三名は全員、深刻な精神的外傷を負っていました。彼らの証言は混乱しており、『空に開いた穴』『時間の流れが違う場所』といった一貫性のない話をするのみでした。通常の時間感覚を失っており、自分たちが数年間行方不明だったことを理解できなかったのです」
より不気味なことに、発見された三名は全員、帰還後三ヶ月以内に原因不明の心臓発作で死亡していた。死亡時の状況に共通点があると、元警察官の灰原探偵は指摘する。
「彼らは皆、死の直前に『穴が近づいてくる』と叫んでいたそうだ。解剖結果では特に異常はなかったが、遺体はまるで激しい恐怖で凍りついたような表情をしていたという」
私は村瀬ガイドの案内で、問題の区域―鏡ヶ池周辺を訪れることにした。ここは一般の登山道からは外れた場所で、立ち入り規制こそないものの、登山者が稀にしか訪れないエリアだった。
池に到着した時、奇妙な現象に気づいた。完全な無風状態であるにもかかわらず、池の水面が不規則に揺れ動いていたのだ。そして池に映る空の姿が、実際の空とは微妙に異なって見えた。
この現象について、乙羽教授は以下のような見解を示した。
「古来より、水面は異界への入り口とされてきました。特に『鏡』の名を持つ池は、異なる時空への通路とする伝承が各地に存在します。富士山は古来より神聖な山であり、『あの世』との境界とされてきた。そういった山岳信仰と結びついた何らかの現象が起きている可能性はあります」
しかし教授は、科学的な可能性にも言及した。
「一方で、富士山の独特な地質構造や磁場の乱れが、何らかの光学現象や時間感覚の錯覚を引き起こしているという説明も考えられます。特定の条件下で発生するミラージュや、脳の一時的な機能障害という可能性もあるでしょう」
最大の手がかりは、2023年に発見された最後の生存者・川島拓也さん(43)からもたらされた。彼は発見後、他の生存者よりも長く意識を保ち、比較的詳細な証言を残していた。
川島さんの証言は断片的だが、彼が話した内容の核心部分をここに記す。
「池の水面に映る空が、突然...歪んだんです。まるでそこに穴が開いたかのように。何かに引き寄せられるように近づいたら...気がつくと、別の場所にいました。そこは富士山なのに、富士山じゃない。空の色が違って...時間の流れ方も違った。自分の腕時計は進んでいるのに、日が沈まなかった。何日も...いや、何ヶ月も同じ時間が続いていたような...」
「そこには他の人もいました。古い時代の服装をした人たち...測量器具を持った人たちも...皆、出られないと言っていました。私はある日、水面に映る自分の姿が突然別人のように見えて怖くなり、その反射から逃げるようにしたら...気がついたら山の中で倒れていたんです。救助隊に発見されるまで」
川島さんは証言を残した後、他の生存者と同様に急死した。聞き取り調査に同行していた看護師は、最期の瞬間をこう描写している。
「彼は窓の外を見て、突然震え始めました。『あれが来る、穴が来る』と叫んで...その直後に倒れたんです。救急処置を試みましたが...間に合いませんでした」
ここまで記してきた一連の事実は、どう解釈すべきだろうか。
江戸時代の測量隊の失踪、現代の登山者たちの不可解な行方不明と帰還、そして彼らの証言と謎の死。これらは単なる偶然の重なりなのか、それとも富士山の特定区域に存在する何らかの「異常」の証拠なのか。
科学的な説明を試みるなら、地質学的特徴による特殊なガスの発生、光の屈折による錯視、強力な磁場による一時的な脳機能の混乱など、様々な可能性が考えられる。あるいは集団催眠のような心理現象の可能性もあるだろう。
しかし、私は現地を訪れ、鏡ヶ池の水面に映った不自然な空の揺らぎを目の当たりにした。その瞬間、古来より語られてきた「境界」という概念の重みを感じずにはいられなかった。
今回の記事では、集められた事実と証言を淡々と述べるにとどめる。これが単なる都市伝説なのか、あるいは私たちの知らない「何か」の存在を示す証拠なのか―その判断は読者の皆様に委ねたい。
ただ、富士山北東斜面の鏡ヶ池周辺を訪れる際には、くれぐれも水面に映る自分の姿を、長時間見つめないことをお勧めする。
(了)
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