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第108回 夜の峠
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都市伝説レポート 第108回
「夜の峠」
取材・文: 野々宮圭介
「轢いたはずの何かが、後日、あなたを訪ねてくる——」
この噂を初めて耳にしたのは、先月の締め切り直後のことだった。後輩記者の佐伯が、ある地方出身の大学生からSNSで寄せられた情報として編集会議で報告したのがきっかけだ。普段なら「よくある話」として流していたかもしれないが、その日はちょうど次号の特集テーマ「交通にまつわる怪異現象」の企画出しに頭を悩ませていた最中だった。
「取材の価値はありそうですか?」
佐伯の目が輝いていた。
私は革製の小さなメモ帳を取り出し、要点をメモしながら答えた。
「足で稼いでこい。噂の真偽は別として、何かあるかもしれない」
調査対象となったのは、C県とY県の県境にまたがる玉倉峠。日中は交通量もさほど多くない地方の峠道だが、夜間は周囲に街灯もなく、満月の夜でもなければ漆黒の闇に包まれる。
現地に向かう途中、玉倉峠から車で30分ほどの集落で、地元のガソリンスタンド店員から興味深い証言を得た。
「あの峠ですか?夜は通らない方がいいですよ。特に雨の日は」
男性は60代ほどで、話す間も目線を落としたまま、給油作業を続けていた。
「何か見たことがあるんですか?」と尋ねると、男性は一瞬動きを止め、小さく首を振った。
「俺じゃない。峠の下にある整備工場の田代さんに聞いてみな。あの人なら詳しいはずだ」
紹介された田代氏は、油まみれの作業着を着た、無口で頑固そうな印象の50代男性だった。怪異体験について尋ねると最初は顔をしかめたが、私が都市伝説の調査のために遠方から来たと告げると、意外にも快く応じてくれた。
「実際の体験者は多いんですよ。ここ10年で少なくとも6、7人は"あの体験"をした人を知ってます」
田代氏によれば、典型的なケースは次のとおりだ。夜間、特に雨の降る日に玉倉峠を車で走行中、突然何かを轢いたような衝撃を感じる。しかし、降りて確認しても何も見当たらない。不思議に思いながらも、そのまま走行を続けると、車体、特にタイヤの周りに粘液のような物質が付着していることに気づく。そして数日後、突然、車の窓ガラスに血まみれの顔が映り、それが内側からはどうしても拭き取れないという現象が起きるという。
「幽霊だとか、ただの噂話だとか言う人もいますよ。でも、あんたもそうやって取材に来てるってことは、何かあるんじゃないですか」
田代氏はそう言いながら、工具箱から一枚の写真を取り出した。それは、車のフロントガラスに映る、不鮮明だが明らかに人間の顔のようなものが写っていた。
「これ、5年前に峠を通った高橋さんって人の車です。彼は何かを轢いた三日後に、この現象が起きた。あまりに怖くて車を手放しましたよ」
さらに調査を進めると、実際に体験したという人物にたどり着いた。匿名を条件に証言に応じてくれたA氏(46歳・会社員)の体験は、噂とほぼ一致していた。
「あれは三年前の9月、雨の夜でした。仕事で遅くなり、玉倉峠を越えて帰る途中でした。カーブを曲がったところで、道路の真ん中に何かがいるように見えて…急ブレーキを踏みましたが間に合わず、ドンッという衝撃がありました」
A氏は車から降り、轢いたものを確認しようとしたという。
「懐中電灯で照らしながら探しましたが、何も見つかりませんでした。ただ、車のタイヤに触れたとき、妙にぬるぬるした感触があって…」
気味悪く思いながらも、A氏はそのまま帰宅した。しかし、それから正確に三日後の夜、駐車場に停めていた車に乗り込もうとしたとき、フロントガラスの内側に、血に染まった顔のようなものが「張り付いて」いたという。
「最初は悪戯かと思いました。でも、内側からいくら拭いても消えない。外からは何も見えないんです。それが一週間ほど続いて…車を買い替えました」
別の証言者B氏(38歳・自営業)は、より詳細な描写をしてくれた。
「顔というか…人間のものとは思えませんでした。目がやけに大きくて、全体的に細長い。でも確かに何かの顔でした。そして常に目が私を追っているような…」
一連の証言を集めてみると、いくつかの共通点が浮かび上がった。
1. 現象が起きるのは主に雨の夜
2. 轢いた「何か」の姿は誰も確認していない
3. タイヤに粘液状のものが付着する
4. 現象は必ず「三日後」に発生する
5. 窓ガラスに現れる「顔」は内側からは消せない
この現象について、民俗学的見地から意見を求めるべく、乙羽教授を訪ねた。
「日本各地に"道の怪異"は存在します。峠は本来、境界の場所。現世と異界、あるいは生と死の境目という意味合いがあります」
乙羽教授によれば、かつてこの地域では「峠の主」と呼ばれる存在が信仰されており、旅人の安全を祈願する風習があったという。
「轢かれた生き物の霊が憑くという話は各地にありますが、この玉倉峠の場合は少し異質です。轢いたのは動物ではなく、"何か別のもの"かもしれません。粘液状の物質というのが気になりますね」
科学的説明の可能性も探るため、心理学者の中川博士にも話を聞いた。
「恐怖や罪悪感から生まれる幻覚という可能性もあります。特に"三日後"という明確な時間設定は、体験者の潜在意識に作用し、自己暗示をかけている可能性があります」
しかし、複数の証言者が同様の体験をしていること、そして窓ガラスの「顔」を第三者も確認しているケースがあることから、単なる心理現象とも言い切れない。
この都市伝説の真相を明らかにするため、私自身も雨の夜に玉倉峠を訪れることにした。結論から言えば、「何か」を轢くような体験はなかった。しかし、峠の頂上付近で車を停め、周囲を観察していたとき、不可解な体験をした。
車外は激しい雨が降っており、視界は極めて悪かったが、フロントガラス越しに、道路の向こう側に人影のようなものが見えた気がした。懐中電灯で照らすと、そこには何もなかった。しかし、車に戻った瞬間、タイヤの周りに何かがまとわりついているような違和感があった。
帰宅後、車を点検すると、タイヤの周囲に粘液状の物質が付着していた。科学的検査に出すことも検討したが、翌朝には蒸発してしまったのか、跡形もなく消えていた。
そして本稿執筆現在、「轢いた」日から丁度三日が経過しようとしている。私の車のフロントガラスに何かが現れるのか、それともただの偶然だったのか—
玉倉峠の怪異現象は、今なお解明されていない。体験者たちの証言を総合すると、何らかの現象が実際に起きていることは間違いないようだが、それが超常現象なのか、あるいは科学的に説明可能な何かなのかは、依然として謎に包まれている。
この地域を訪れる際には、特に雨の夜の峠道の走行には注意を払うべきだろう。何かを「轢いた」と感じたとき、それが本当に動物だったのか、あるいは何か別のものだったのか—その真偽を確かめるのは、読者諸氏の判断に委ねたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「夜の峠」
取材・文: 野々宮圭介
「轢いたはずの何かが、後日、あなたを訪ねてくる——」
この噂を初めて耳にしたのは、先月の締め切り直後のことだった。後輩記者の佐伯が、ある地方出身の大学生からSNSで寄せられた情報として編集会議で報告したのがきっかけだ。普段なら「よくある話」として流していたかもしれないが、その日はちょうど次号の特集テーマ「交通にまつわる怪異現象」の企画出しに頭を悩ませていた最中だった。
「取材の価値はありそうですか?」
佐伯の目が輝いていた。
私は革製の小さなメモ帳を取り出し、要点をメモしながら答えた。
「足で稼いでこい。噂の真偽は別として、何かあるかもしれない」
調査対象となったのは、C県とY県の県境にまたがる玉倉峠。日中は交通量もさほど多くない地方の峠道だが、夜間は周囲に街灯もなく、満月の夜でもなければ漆黒の闇に包まれる。
現地に向かう途中、玉倉峠から車で30分ほどの集落で、地元のガソリンスタンド店員から興味深い証言を得た。
「あの峠ですか?夜は通らない方がいいですよ。特に雨の日は」
男性は60代ほどで、話す間も目線を落としたまま、給油作業を続けていた。
「何か見たことがあるんですか?」と尋ねると、男性は一瞬動きを止め、小さく首を振った。
「俺じゃない。峠の下にある整備工場の田代さんに聞いてみな。あの人なら詳しいはずだ」
紹介された田代氏は、油まみれの作業着を着た、無口で頑固そうな印象の50代男性だった。怪異体験について尋ねると最初は顔をしかめたが、私が都市伝説の調査のために遠方から来たと告げると、意外にも快く応じてくれた。
「実際の体験者は多いんですよ。ここ10年で少なくとも6、7人は"あの体験"をした人を知ってます」
田代氏によれば、典型的なケースは次のとおりだ。夜間、特に雨の降る日に玉倉峠を車で走行中、突然何かを轢いたような衝撃を感じる。しかし、降りて確認しても何も見当たらない。不思議に思いながらも、そのまま走行を続けると、車体、特にタイヤの周りに粘液のような物質が付着していることに気づく。そして数日後、突然、車の窓ガラスに血まみれの顔が映り、それが内側からはどうしても拭き取れないという現象が起きるという。
「幽霊だとか、ただの噂話だとか言う人もいますよ。でも、あんたもそうやって取材に来てるってことは、何かあるんじゃないですか」
田代氏はそう言いながら、工具箱から一枚の写真を取り出した。それは、車のフロントガラスに映る、不鮮明だが明らかに人間の顔のようなものが写っていた。
「これ、5年前に峠を通った高橋さんって人の車です。彼は何かを轢いた三日後に、この現象が起きた。あまりに怖くて車を手放しましたよ」
さらに調査を進めると、実際に体験したという人物にたどり着いた。匿名を条件に証言に応じてくれたA氏(46歳・会社員)の体験は、噂とほぼ一致していた。
「あれは三年前の9月、雨の夜でした。仕事で遅くなり、玉倉峠を越えて帰る途中でした。カーブを曲がったところで、道路の真ん中に何かがいるように見えて…急ブレーキを踏みましたが間に合わず、ドンッという衝撃がありました」
A氏は車から降り、轢いたものを確認しようとしたという。
「懐中電灯で照らしながら探しましたが、何も見つかりませんでした。ただ、車のタイヤに触れたとき、妙にぬるぬるした感触があって…」
気味悪く思いながらも、A氏はそのまま帰宅した。しかし、それから正確に三日後の夜、駐車場に停めていた車に乗り込もうとしたとき、フロントガラスの内側に、血に染まった顔のようなものが「張り付いて」いたという。
「最初は悪戯かと思いました。でも、内側からいくら拭いても消えない。外からは何も見えないんです。それが一週間ほど続いて…車を買い替えました」
別の証言者B氏(38歳・自営業)は、より詳細な描写をしてくれた。
「顔というか…人間のものとは思えませんでした。目がやけに大きくて、全体的に細長い。でも確かに何かの顔でした。そして常に目が私を追っているような…」
一連の証言を集めてみると、いくつかの共通点が浮かび上がった。
1. 現象が起きるのは主に雨の夜
2. 轢いた「何か」の姿は誰も確認していない
3. タイヤに粘液状のものが付着する
4. 現象は必ず「三日後」に発生する
5. 窓ガラスに現れる「顔」は内側からは消せない
この現象について、民俗学的見地から意見を求めるべく、乙羽教授を訪ねた。
「日本各地に"道の怪異"は存在します。峠は本来、境界の場所。現世と異界、あるいは生と死の境目という意味合いがあります」
乙羽教授によれば、かつてこの地域では「峠の主」と呼ばれる存在が信仰されており、旅人の安全を祈願する風習があったという。
「轢かれた生き物の霊が憑くという話は各地にありますが、この玉倉峠の場合は少し異質です。轢いたのは動物ではなく、"何か別のもの"かもしれません。粘液状の物質というのが気になりますね」
科学的説明の可能性も探るため、心理学者の中川博士にも話を聞いた。
「恐怖や罪悪感から生まれる幻覚という可能性もあります。特に"三日後"という明確な時間設定は、体験者の潜在意識に作用し、自己暗示をかけている可能性があります」
しかし、複数の証言者が同様の体験をしていること、そして窓ガラスの「顔」を第三者も確認しているケースがあることから、単なる心理現象とも言い切れない。
この都市伝説の真相を明らかにするため、私自身も雨の夜に玉倉峠を訪れることにした。結論から言えば、「何か」を轢くような体験はなかった。しかし、峠の頂上付近で車を停め、周囲を観察していたとき、不可解な体験をした。
車外は激しい雨が降っており、視界は極めて悪かったが、フロントガラス越しに、道路の向こう側に人影のようなものが見えた気がした。懐中電灯で照らすと、そこには何もなかった。しかし、車に戻った瞬間、タイヤの周りに何かがまとわりついているような違和感があった。
帰宅後、車を点検すると、タイヤの周囲に粘液状の物質が付着していた。科学的検査に出すことも検討したが、翌朝には蒸発してしまったのか、跡形もなく消えていた。
そして本稿執筆現在、「轢いた」日から丁度三日が経過しようとしている。私の車のフロントガラスに何かが現れるのか、それともただの偶然だったのか—
玉倉峠の怪異現象は、今なお解明されていない。体験者たちの証言を総合すると、何らかの現象が実際に起きていることは間違いないようだが、それが超常現象なのか、あるいは科学的に説明可能な何かなのかは、依然として謎に包まれている。
この地域を訪れる際には、特に雨の夜の峠道の走行には注意を払うべきだろう。何かを「轢いた」と感じたとき、それが本当に動物だったのか、あるいは何か別のものだったのか—その真偽を確かめるのは、読者諸氏の判断に委ねたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
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