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第166回 塹壕に現れた地底人
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都市伝説レポート 第166回
「塹壕に現れた地底人」
取材・文: 野々宮圭介
筆者の元に一通のメールが届いたのは、肌寒い十月の夜のことだった。差出人は軍事史研究家の田所氏。彼からの情報提供は過去にも何度かあったが、今回の内容は些か異質であった。
「野々宮さん、第一次大戦中の奇妙な記録を見つけました。西部戦線の塹壕で目撃された『地底から現れた人型生物』についてです。複数の証言があり、当時の軍部も困惑していたようです」
第一次世界大戦といえば、人類史上初の総力戦として記憶される大戦争である。1914年から1918年にかけて欧州全土を戦場とし、特に西部戦線では延々と続く塹壕戦が展開された。しかし、その血みどろの戦場に「地底人」が現れたという話は、筆者も初耳であった。
調査を開始するにあたり、まず第一次大戦の塹壕戦について整理しておく必要がある。西部戦線では、フランス北部からベルギーにかけて約700キロメートルにわたる塹壕線が築かれた。兵士たちは地下数メートルに掘られた塹壕で生活し、しばしば地下壕を拡張して宿舎や指揮所、病院まで作り上げた。
この塹壕システムは想像を絶する規模で地中深くまで掘り進められ、まさに「地下都市」と呼ぶべき構造物であった。兵士たちは泥と血と死体の臭いに満ちたこの地下世界で、何ヶ月、時には何年もの時間を過ごした。
田所氏から提供された資料の中に、1916年7月、ソンムの戦いの最中に書かれたイギリス軍歩兵大隊の戦闘詳報の一部があった。そこには次のような記述がある。
「7月15日夜、第3中隊の見張り兵が異常を報告。塹壕の壁面から『人のような何か』が這い出してきたという。月明かりの下で目撃された生物は、明らかに人間ではなく、全身が泥に覆われ、異様に長い腕を持っていたとのこと。見張り兵が声をかけると、それは再び地中に潜っていった」
この報告書は、当時の中隊長によって「疲労による幻覚」として処理されている。しかし、興味深いのは類似の報告が他の部隊からも上がっていることだ。
筆者が古書店で入手した1920年代のイギリスの軍事雑誌には、元従軍兵士の座談会記録が掲載されていた。そこで初めて「モールマン(Mole-man)」という呼び名が登場する。
「我々は奴らをモールマンと呼んでいた」と語るのは、元王立フュージリア連隊のトマス・ウィルキンソン氏(当時23歳)。「夜になると塹壕の隅から現れるんだ。人間のような形をしているが、明らかに違う。土の中を泳ぐように移動し、こちらを見つめる瞳は妙にギラギラしていた」
ウィルキンソン氏の証言によれば、モールマンは敵味方を問わず塹壕に現れたという。「ドイツ軍の捕虜に聞いても、同じような話をするんだ。『ディー・エルデンメンシェン(地底人)』と呼んでいたな」
これらの証言の真偽を確かめるため、筆者は実際に西部戦線の跡地を訪れることにした。現在のフランス北部、アルベール近郊には当時の塹壕跡が一部保存されており、観光地としても整備されている。
11月の冷たい雨の中、筆者はかつてイギリス軍が陣地を構えた地点に立った。現在は緑豊かな牧草地となっているが、よく見ると地面に不自然な起伏があり、当時の塹壕の痕跡を見て取ることができる。
地元の歴史博物館で館長のジャン・ルクレール氏に話を聞くと、意外な情報を得ることができた。
「確かに戦後、この辺りで奇妙な発見がいくつかありました」ルクレール氏は古いファイルを取り出しながら語った。「1921年に農民が畑を耕していると、塹壕よりもさらに深い場所から人工的な洞窟が見つかったんです。軍の工兵が掘ったものではないことは明らかでした」
この洞窟の存在について、地質学者の見解を求めるため、筆者はパリ大学の地質学教授に連絡を取った。匿名を条件に話をしてくれた教授によれば、北フランスの地質は確かに特殊だという。
「あの地域は白亜層と粘土層が複雑に入り組んでおり、自然の洞窟が形成されやすい。また、古代ローマ時代から石切り場として利用されており、地下には無数の人工洞窟が存在する。戦争中に何かの生物がそこに避難していた可能性は否定できません」
しかし、この「何かの生物」が果たして人間だったのか、それとも別の何かだったのかは定かではない。
帰国後、筆者は民俗学者の乙羽教授を訪ねた。彼は地底人伝説の専門家でもある。
「興味深い話ですね」
乙羽教授は資料を検討しながら言った。
「世界各地に地底人の伝説はありますが、戦争という極限状況で目撃されたというのは珍しい。ただし、心理学的な側面も考慮する必要があります」
教授によれば、極度のストレス下にある人間は、しばしば現実と幻覚の境界が曖昧になるという。
「塹壕での生活は人間の精神に計り知れない負担をかけました。シェルショック(現在のPTSD)患者も大量に発生している。目撃証言の一部は、そうした精神的混乱の産物かもしれません」
一方で、教授は別の可能性にも言及した。
「しかし、すべてを精神的な要因で片付けるのも性急です。戦争で故郷を失った人々が地下に避難していた可能性もある。長期間地下生活を続けた人間が、栄養失調や病気で異様な外見になることも考えられます」
この調査で最も歯がゆかったのは、公式記録の多くが戦後に散逸していることだった。各国の軍部は戦争中の「異常事態」については、士気に関わるとして記録を残さないか、機密扱いにする傾向があったようだ。
それでも、個人の日記や手紙の中には断片的な記述が残っている。筆者が確認できただけでも、イギリス軍で3件、フランス軍で2件、ドイツ軍で1件の類似証言があった。
調査を終えた今、筆者は一つの結論に至った。第一次大戦中の「モールマン」目撃談は、複数の要因が重なり合って生まれた現象である可能性が高い。
戦争の混乱で地下に逃れた民間人、極限状況下での幻覚、そして実際に地下洞窟に棲息していた何らかの生物―これらが組み合わさり、兵士たちの証言として語り継がれてきたのかもしれない。
しかし、すべてが解明されたわけではない。1921年に発見された「人工的ではない洞窟」の詳細は、今もって不明のままだ。そこに何が住んでいたのか、それは本当に人間だったのか。
百年の時を経た今、真相は永遠に地の底に埋もれてしまったのかもしれない。だが、確実に言えることがある。あの戦争の地獄の中で、兵士たちは確かに「何か」を目撃したのだ。それが何であったかは、読者の判断に委ねたい。
(了)
*本誌では読者の皆様からの都市伝説情報を募集しています。身近な不思議体験がありましたら、編集部までお寄せください。
「塹壕に現れた地底人」
取材・文: 野々宮圭介
筆者の元に一通のメールが届いたのは、肌寒い十月の夜のことだった。差出人は軍事史研究家の田所氏。彼からの情報提供は過去にも何度かあったが、今回の内容は些か異質であった。
「野々宮さん、第一次大戦中の奇妙な記録を見つけました。西部戦線の塹壕で目撃された『地底から現れた人型生物』についてです。複数の証言があり、当時の軍部も困惑していたようです」
第一次世界大戦といえば、人類史上初の総力戦として記憶される大戦争である。1914年から1918年にかけて欧州全土を戦場とし、特に西部戦線では延々と続く塹壕戦が展開された。しかし、その血みどろの戦場に「地底人」が現れたという話は、筆者も初耳であった。
調査を開始するにあたり、まず第一次大戦の塹壕戦について整理しておく必要がある。西部戦線では、フランス北部からベルギーにかけて約700キロメートルにわたる塹壕線が築かれた。兵士たちは地下数メートルに掘られた塹壕で生活し、しばしば地下壕を拡張して宿舎や指揮所、病院まで作り上げた。
この塹壕システムは想像を絶する規模で地中深くまで掘り進められ、まさに「地下都市」と呼ぶべき構造物であった。兵士たちは泥と血と死体の臭いに満ちたこの地下世界で、何ヶ月、時には何年もの時間を過ごした。
田所氏から提供された資料の中に、1916年7月、ソンムの戦いの最中に書かれたイギリス軍歩兵大隊の戦闘詳報の一部があった。そこには次のような記述がある。
「7月15日夜、第3中隊の見張り兵が異常を報告。塹壕の壁面から『人のような何か』が這い出してきたという。月明かりの下で目撃された生物は、明らかに人間ではなく、全身が泥に覆われ、異様に長い腕を持っていたとのこと。見張り兵が声をかけると、それは再び地中に潜っていった」
この報告書は、当時の中隊長によって「疲労による幻覚」として処理されている。しかし、興味深いのは類似の報告が他の部隊からも上がっていることだ。
筆者が古書店で入手した1920年代のイギリスの軍事雑誌には、元従軍兵士の座談会記録が掲載されていた。そこで初めて「モールマン(Mole-man)」という呼び名が登場する。
「我々は奴らをモールマンと呼んでいた」と語るのは、元王立フュージリア連隊のトマス・ウィルキンソン氏(当時23歳)。「夜になると塹壕の隅から現れるんだ。人間のような形をしているが、明らかに違う。土の中を泳ぐように移動し、こちらを見つめる瞳は妙にギラギラしていた」
ウィルキンソン氏の証言によれば、モールマンは敵味方を問わず塹壕に現れたという。「ドイツ軍の捕虜に聞いても、同じような話をするんだ。『ディー・エルデンメンシェン(地底人)』と呼んでいたな」
これらの証言の真偽を確かめるため、筆者は実際に西部戦線の跡地を訪れることにした。現在のフランス北部、アルベール近郊には当時の塹壕跡が一部保存されており、観光地としても整備されている。
11月の冷たい雨の中、筆者はかつてイギリス軍が陣地を構えた地点に立った。現在は緑豊かな牧草地となっているが、よく見ると地面に不自然な起伏があり、当時の塹壕の痕跡を見て取ることができる。
地元の歴史博物館で館長のジャン・ルクレール氏に話を聞くと、意外な情報を得ることができた。
「確かに戦後、この辺りで奇妙な発見がいくつかありました」ルクレール氏は古いファイルを取り出しながら語った。「1921年に農民が畑を耕していると、塹壕よりもさらに深い場所から人工的な洞窟が見つかったんです。軍の工兵が掘ったものではないことは明らかでした」
この洞窟の存在について、地質学者の見解を求めるため、筆者はパリ大学の地質学教授に連絡を取った。匿名を条件に話をしてくれた教授によれば、北フランスの地質は確かに特殊だという。
「あの地域は白亜層と粘土層が複雑に入り組んでおり、自然の洞窟が形成されやすい。また、古代ローマ時代から石切り場として利用されており、地下には無数の人工洞窟が存在する。戦争中に何かの生物がそこに避難していた可能性は否定できません」
しかし、この「何かの生物」が果たして人間だったのか、それとも別の何かだったのかは定かではない。
帰国後、筆者は民俗学者の乙羽教授を訪ねた。彼は地底人伝説の専門家でもある。
「興味深い話ですね」
乙羽教授は資料を検討しながら言った。
「世界各地に地底人の伝説はありますが、戦争という極限状況で目撃されたというのは珍しい。ただし、心理学的な側面も考慮する必要があります」
教授によれば、極度のストレス下にある人間は、しばしば現実と幻覚の境界が曖昧になるという。
「塹壕での生活は人間の精神に計り知れない負担をかけました。シェルショック(現在のPTSD)患者も大量に発生している。目撃証言の一部は、そうした精神的混乱の産物かもしれません」
一方で、教授は別の可能性にも言及した。
「しかし、すべてを精神的な要因で片付けるのも性急です。戦争で故郷を失った人々が地下に避難していた可能性もある。長期間地下生活を続けた人間が、栄養失調や病気で異様な外見になることも考えられます」
この調査で最も歯がゆかったのは、公式記録の多くが戦後に散逸していることだった。各国の軍部は戦争中の「異常事態」については、士気に関わるとして記録を残さないか、機密扱いにする傾向があったようだ。
それでも、個人の日記や手紙の中には断片的な記述が残っている。筆者が確認できただけでも、イギリス軍で3件、フランス軍で2件、ドイツ軍で1件の類似証言があった。
調査を終えた今、筆者は一つの結論に至った。第一次大戦中の「モールマン」目撃談は、複数の要因が重なり合って生まれた現象である可能性が高い。
戦争の混乱で地下に逃れた民間人、極限状況下での幻覚、そして実際に地下洞窟に棲息していた何らかの生物―これらが組み合わさり、兵士たちの証言として語り継がれてきたのかもしれない。
しかし、すべてが解明されたわけではない。1921年に発見された「人工的ではない洞窟」の詳細は、今もって不明のままだ。そこに何が住んでいたのか、それは本当に人間だったのか。
百年の時を経た今、真相は永遠に地の底に埋もれてしまったのかもしれない。だが、確実に言えることがある。あの戦争の地獄の中で、兵士たちは確かに「何か」を目撃したのだ。それが何であったかは、読者の判断に委ねたい。
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