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二章 金貨の女王は冷たく笑む
新メニュー誕生?
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怒濤の一日が、やっと終わった。
寝室でパイプベッドに腰掛けて、ぐったり前屈みになっていると、扉が開く音がした。梢だった。
「疲れてるねえ、七葉姉」
大きな旅行鞄から、実家に置いてきた着替えが何着も出てくる。だいたいは大学時代の普段着で、社会人になってからは存在も忘れかけてたものだ。
とはいえ、仕事に使えそうな服はあんまりない。セールでなんとなく買った紺のワンピースとか、部屋で楽に過ごすためだけのだぶだぶポロシャツとか、そんなのばかりが目の前に山盛りにされた。
「こんなに持ってきたの?」
「いつまでここにいるのかわからないし、あったやつを入るだけ持ってきた。七葉姉、服ずっと置きっぱなしだったから」
着ない服は処分しろと、何度か父さんに電話をもらっていたことを思い出す。でも今回は、捨てなかった服が役に立った。ほらみてよ、捨ててなくて助かることもあるじゃない――今はいない人に、心の中だけで反論を投げつける。
「服、時間ができたら取りに行こうと思ってたんだけど……結局、最後まで時間なかった」
「まあともかく、これだけあれば着回せるでしょ。七葉姉、今日はスーツで仕事してたの?」
重い頭を、もったりと動かして頷く。
「他に服、なかったからね……スーツで注文取りとか、するもんじゃなかった。疲れて溶けそう」
膝から顔を起こして、何度か小さく頷く。頭を大きく動かす気力さえ、今はない。
「ほんと、普通に日本語通じるだけで今は癒しだわ……梢の声、いつまででも聞いてたい」
「じゃ、寝落ちるまでお喋りにする? これから、下で夜食作ってこようと思ってたんだけど」
言われてようやく自分の空腹に気付く。あまりに疲れすぎて、胃袋にまで神経が回っていなかったかもしれない。けど、一度気になり始めると耐えられない。
「ごめん、やっぱりなんか食べたい。もらっても大丈夫?」
「ていうか、もともと七葉姉用だから。簡単なやつだけどね」
梢は、旅行鞄の陰からエコバッグを取った。青地にうさぎ柄のバッグの口から、細いネギの葉っぱが少しはみ出している。
梢は昔から料理が上手かった。小学校高学年の頃にはもう台所に入っていたし、高校に入る頃には、切ったり混ぜたり焼いたりだけですむ料理はだいたい作れるようになっていた。父さんや母さんの帰りが遅い時も、冷蔵庫の中にあった適当な食材で手早く何かを作ってくれた。
いつも、ありがたいと思ってはいた。今もありがたい。自分の情けなさが際立っちゃうのは、自分のせいだから梢には関係ない。
エコバッグを手に、梢が部屋を出ていく。ぐるぐる鳴る胃袋に耐え切れなくて、私も後を追った。
階下では蓮司くんと壮華くんが、テーブル席の一つで話し込んでいた。机上は文字で埋まったメモ用紙で一杯だ。梢が、コンロとお皿を借りてもいいか訊くと、壮華くんは「いいよ」と、振り向かないまま言ってくれた。
梢はソースと七味をキッチンに並べ、油揚げを焼き始めた。フライパンから、油がじゅうじゅう染み出す音と、香ばしい匂いとが立ち上ってきて、胃袋が痛いくらいに鳴る。梢の手元から目を離せずにいると、少し呆れたような声が飛んできた。
「すぐ焼けるから、そんなに見てなくていいよ?」
梢は、こんがり焼き色が付いた油揚げを、パンケーキ用の白いお皿に取った。手早くネギを刻み、ソース、七味と一緒に上にかければ、黄金色のお揚げに濃緑と赤が散る。ほんのり焦げた焼き色から想像される通りの匂いも、さっきからずっと漂っていて、すぐにでもかぶりつきたい。
「はいできた! どうぞ、お召し上がりくださいなー」
箸を添えつつ梢が言う。どう、簡単だったでしょ? と言わんばかりの軽い声色。だけど料理ができる人の「簡単」は、できない人間からは全然そう見えない。魔法だ。
いただきますを言う間も惜しく、お揚げを割いて口に運ぶ。
じゅわりと滲み出る油が、熱く舌を刺した。けど風味はまろやかで香ばしくて、ソースと七味の濃い味とも混じって、とっても……おいしい。
あっという間に食べ終わってしまった。見れば梢はまた油揚げを焼いていた。おかわりかな、と期待を込めて見つめていると、次の皿は私の前には来なかった。カウンター越しに、別の手が焼きお揚げを持って行ってしまう。
「……ありがとう」
蓮司くんだった。
見れば二人とも、いつのまにかカウンター席に来ていて、梢に――いや、渡された皿に熱い視線を向けていた。蓮司くんはお揚げを半分に割ると、半分を小皿に分けて壮華くんに渡した。
一口食べた壮華くんが、叫ぶ。
「おいしいよこれ、すごく!」
蓮司くんは無言だった。壮華くんから褒め言葉が出るたび大きく頷きながら、ただ黙々と、トッピング付きお揚げを口に運んでいた。
「すごいよこれ。できることなら、アルカナムに軽食メニュー増やしたいくらいだよ」
「そうだな……うちの客妖怪なら、間違いなく皆欲しがる」
「そんなにおいしかった? 七葉姉のを作ってる時、二人ともすごく欲しそうにしてたから、追加分も作ってみたんだけど」
梢が、照れくさそうに頭を掻く。
「油揚げが嫌いな狐はいないよ! うちのお客妖怪、だいたいが狐だからね」
「このあたり……人間の地図だと古橋市と呼ばれている近辺は、偉大なる仙狐の土地だ。だから住まっているのも、ここに来るのも、狐妖怪が自然と多くなる」
「というかその仙狐……『番紅花』様って、僕らの母上なんだけどね。綺麗でお優しい九尾狐だよ」
ってことは二人は、このあたりのボス妖怪の息子さんなんだろうか。ちょっとびっくりする。けど、そういえば今日のお客さんの何人かが、蓮司くん壮華くんを「坊ちゃん」と呼んでいた。
「梢さんにはケーキの仕込みを手伝ってもらおうと思ってたけど……これなら、軽食を作ってもらった方がいいかもしれないね。どう、もしよければ」
「私、バイトがある日は仕事できないよ?」
「曜日限定メニューって手もあるよ。ケーキメインの日と軽食メインの日を分けるのもいいかも」
壮華くんと梢が盛り上がっている。その脇で、私は今日何度目かの薄ら寒さを味わっていた。
梢は役に立ってる。愛想もいいし料理もできるし、いろんなことができる。
一方で、私のできてることって何があるだろう。よくわからない注文を聞いて、わからないまま横に流すだけ。これなら、録音機能だけのICレコーダーの方が、場所を取らないだけまだましだ。
堂々巡りする考えを切れないまま、梢と壮華くんをぼんやり見つめる。と、梢が気付いた。
「ごめん七葉姉、あれだけじゃ足りないよね。おかわり作るからちょっと待ってて」
コンロに再び火が入り、フライパンの上で油揚げがじゅうじゅう歌い始める。漂う油の香りが、否応なく空腹を思い出させてくれて、ひどく情けなかった。
寝室でパイプベッドに腰掛けて、ぐったり前屈みになっていると、扉が開く音がした。梢だった。
「疲れてるねえ、七葉姉」
大きな旅行鞄から、実家に置いてきた着替えが何着も出てくる。だいたいは大学時代の普段着で、社会人になってからは存在も忘れかけてたものだ。
とはいえ、仕事に使えそうな服はあんまりない。セールでなんとなく買った紺のワンピースとか、部屋で楽に過ごすためだけのだぶだぶポロシャツとか、そんなのばかりが目の前に山盛りにされた。
「こんなに持ってきたの?」
「いつまでここにいるのかわからないし、あったやつを入るだけ持ってきた。七葉姉、服ずっと置きっぱなしだったから」
着ない服は処分しろと、何度か父さんに電話をもらっていたことを思い出す。でも今回は、捨てなかった服が役に立った。ほらみてよ、捨ててなくて助かることもあるじゃない――今はいない人に、心の中だけで反論を投げつける。
「服、時間ができたら取りに行こうと思ってたんだけど……結局、最後まで時間なかった」
「まあともかく、これだけあれば着回せるでしょ。七葉姉、今日はスーツで仕事してたの?」
重い頭を、もったりと動かして頷く。
「他に服、なかったからね……スーツで注文取りとか、するもんじゃなかった。疲れて溶けそう」
膝から顔を起こして、何度か小さく頷く。頭を大きく動かす気力さえ、今はない。
「ほんと、普通に日本語通じるだけで今は癒しだわ……梢の声、いつまででも聞いてたい」
「じゃ、寝落ちるまでお喋りにする? これから、下で夜食作ってこようと思ってたんだけど」
言われてようやく自分の空腹に気付く。あまりに疲れすぎて、胃袋にまで神経が回っていなかったかもしれない。けど、一度気になり始めると耐えられない。
「ごめん、やっぱりなんか食べたい。もらっても大丈夫?」
「ていうか、もともと七葉姉用だから。簡単なやつだけどね」
梢は、旅行鞄の陰からエコバッグを取った。青地にうさぎ柄のバッグの口から、細いネギの葉っぱが少しはみ出している。
梢は昔から料理が上手かった。小学校高学年の頃にはもう台所に入っていたし、高校に入る頃には、切ったり混ぜたり焼いたりだけですむ料理はだいたい作れるようになっていた。父さんや母さんの帰りが遅い時も、冷蔵庫の中にあった適当な食材で手早く何かを作ってくれた。
いつも、ありがたいと思ってはいた。今もありがたい。自分の情けなさが際立っちゃうのは、自分のせいだから梢には関係ない。
エコバッグを手に、梢が部屋を出ていく。ぐるぐる鳴る胃袋に耐え切れなくて、私も後を追った。
階下では蓮司くんと壮華くんが、テーブル席の一つで話し込んでいた。机上は文字で埋まったメモ用紙で一杯だ。梢が、コンロとお皿を借りてもいいか訊くと、壮華くんは「いいよ」と、振り向かないまま言ってくれた。
梢はソースと七味をキッチンに並べ、油揚げを焼き始めた。フライパンから、油がじゅうじゅう染み出す音と、香ばしい匂いとが立ち上ってきて、胃袋が痛いくらいに鳴る。梢の手元から目を離せずにいると、少し呆れたような声が飛んできた。
「すぐ焼けるから、そんなに見てなくていいよ?」
梢は、こんがり焼き色が付いた油揚げを、パンケーキ用の白いお皿に取った。手早くネギを刻み、ソース、七味と一緒に上にかければ、黄金色のお揚げに濃緑と赤が散る。ほんのり焦げた焼き色から想像される通りの匂いも、さっきからずっと漂っていて、すぐにでもかぶりつきたい。
「はいできた! どうぞ、お召し上がりくださいなー」
箸を添えつつ梢が言う。どう、簡単だったでしょ? と言わんばかりの軽い声色。だけど料理ができる人の「簡単」は、できない人間からは全然そう見えない。魔法だ。
いただきますを言う間も惜しく、お揚げを割いて口に運ぶ。
じゅわりと滲み出る油が、熱く舌を刺した。けど風味はまろやかで香ばしくて、ソースと七味の濃い味とも混じって、とっても……おいしい。
あっという間に食べ終わってしまった。見れば梢はまた油揚げを焼いていた。おかわりかな、と期待を込めて見つめていると、次の皿は私の前には来なかった。カウンター越しに、別の手が焼きお揚げを持って行ってしまう。
「……ありがとう」
蓮司くんだった。
見れば二人とも、いつのまにかカウンター席に来ていて、梢に――いや、渡された皿に熱い視線を向けていた。蓮司くんはお揚げを半分に割ると、半分を小皿に分けて壮華くんに渡した。
一口食べた壮華くんが、叫ぶ。
「おいしいよこれ、すごく!」
蓮司くんは無言だった。壮華くんから褒め言葉が出るたび大きく頷きながら、ただ黙々と、トッピング付きお揚げを口に運んでいた。
「すごいよこれ。できることなら、アルカナムに軽食メニュー増やしたいくらいだよ」
「そうだな……うちの客妖怪なら、間違いなく皆欲しがる」
「そんなにおいしかった? 七葉姉のを作ってる時、二人ともすごく欲しそうにしてたから、追加分も作ってみたんだけど」
梢が、照れくさそうに頭を掻く。
「油揚げが嫌いな狐はいないよ! うちのお客妖怪、だいたいが狐だからね」
「このあたり……人間の地図だと古橋市と呼ばれている近辺は、偉大なる仙狐の土地だ。だから住まっているのも、ここに来るのも、狐妖怪が自然と多くなる」
「というかその仙狐……『番紅花』様って、僕らの母上なんだけどね。綺麗でお優しい九尾狐だよ」
ってことは二人は、このあたりのボス妖怪の息子さんなんだろうか。ちょっとびっくりする。けど、そういえば今日のお客さんの何人かが、蓮司くん壮華くんを「坊ちゃん」と呼んでいた。
「梢さんにはケーキの仕込みを手伝ってもらおうと思ってたけど……これなら、軽食を作ってもらった方がいいかもしれないね。どう、もしよければ」
「私、バイトがある日は仕事できないよ?」
「曜日限定メニューって手もあるよ。ケーキメインの日と軽食メインの日を分けるのもいいかも」
壮華くんと梢が盛り上がっている。その脇で、私は今日何度目かの薄ら寒さを味わっていた。
梢は役に立ってる。愛想もいいし料理もできるし、いろんなことができる。
一方で、私のできてることって何があるだろう。よくわからない注文を聞いて、わからないまま横に流すだけ。これなら、録音機能だけのICレコーダーの方が、場所を取らないだけまだましだ。
堂々巡りする考えを切れないまま、梢と壮華くんをぼんやり見つめる。と、梢が気付いた。
「ごめん七葉姉、あれだけじゃ足りないよね。おかわり作るからちょっと待ってて」
コンロに再び火が入り、フライパンの上で油揚げがじゅうじゅう歌い始める。漂う油の香りが、否応なく空腹を思い出させてくれて、ひどく情けなかった。
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