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第24章 受験生の夏
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朝から、蝉の声が鳴りやまない。
まるで「勉強しろ」って言われてるみたい。
テーブルの上には、大学のパンフレットと過去問集。
赤シート、蛍光ペン、付箋の山。
ページをめくるたびに、紙の熱気と焦りがこみ上げてくる。
「兄さんがいたら、“合格率をグラフ化しよう”とか言ってたかもね。」
思わず独りごとが出た。
午前十時。
私は麻衣子さんのマンションを出た。
今日は、大学のオープンキャンパスの日だ。
真夏の空気は重く、
アスファルトの照り返しが足もとから上がってくる。
制服の襟もとを指で少し開けながら、
大学へと歩き出した。
キャンパスに着くと、人、人、人。
受付の前では、学生スタッフたちが声を張り上げている。
「暑いね……人、多いな。」
隣から声をかけられ、私は少し驚いて顔を上げた。
「ほんと。オープンキャンパスって、こんなに混むんだ。」
「だよね。あ、もしかして君も医学部?」
「うん。高校三年、山中希星(キララ)。」
「俺、藤宮蒼(あおい)。同じく受験生。」
白いシャツの袖をまくった腕が、
日差しの中できらりと光っていた。
講義室の説明会で、たまたま席が隣になった。
講師が「地域医療の重要性」について話す間、
蒼くんは真剣にメモを取っていた。
それが、なんだか印象的だった。
「医者になりたい理由、あるの?」
休み時間に、蒼くんがそう聞いた。
「うーん……。兄さんが倒れて。それがきっかけ。」
蒼くんは少しだけ目を伏せた。
「そっか。俺は……人を“助けるシステム”を作りたくてさ。」
「システム?」
「うん、医学×工学みたいな。
たとえば遠隔診療とか、AIの診断補助とか。」
私はハッとした。
――兄さんと、同じ言葉を言ってる。
昼は学食でカレー。
冷房の効いた空気に包まれて、少しだけ肩の力が抜けた。
蒼くんはスプーンを回しながら、
「医学部って、面接が大事なんだろ?」と笑った。
その仕草が、不思議と兄さんに似ていた。
同じようにペンを回して、同じように考えこむ癖。
胸の奥が、かすかに痛む。
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない。」
スプーンの先を見つめながら、
私は笑ってごまかした。
帰り道。
キャンパスの門を出ると、午後の風が髪を揺らした。
「また模試とかで会えたら、話そ。」
蒼くんがそう言って、軽く手を振る。
「うん。」
その一言で、胸の奥に温かいものが広がった。
でも同時に、どこかでざらつく痛みもあった。
午後の日差しが強く、空はまだ白く光っていた。
――兄さんのことが、少しずつ遠くに感じる。
夏の風が、ページをめくるように通り過ぎていった。
私の現実も、少しずつ色を変えはじめていた。
***
そのとき、スマホの着信音が鳴った。
画面には「麻衣子さん」の名前。
「キララ、オープンキャンパスは終わった?」
「うん、今、帰るところ。」
「そう、ちょうどよかった。今から、病院に来れる?」
電話の向こうの麻衣子さんの声が、かすかに震えている。
胸の奥がざわついた。
「すぐ、行く!」
***
兄さんの病室に着くと、
麻衣子さんがモニターの前でスタッフさん達とやり取りをしていた。
私に気づくと、すぐにこちらへ来た。
「……何か、あったの?」
「実は――」
麻衣子さんは真剣なまなざしを向け、静かに言葉を続けた。
「午後、お兄さんの脳波が急激に低下したの。
完全に止まったわけではないけれど、
意識活動を示す波が一時的にほとんど消えた。
でも1、2分ほどでゆっくりと戻りはじめ、
今は安定しているわ。」
「そんな……急にどうして?」
「酸素も血流も正常だった。
体には何の異常もない。
なのに、脳だけが突然“落ちた”のよ。」
麻衣子さんの声は落ち着いていたが、
その奥には明らかな戸惑いがあった。
「とりあえず経過を見ているけど、
危険な状態はもう脱しているから心配しないで。」
私は兄さんの方を見つめた。
胸がわずかに上下し、呼吸は安定している。
モニターの波が静かに揺れていた。
それは確かに“生きている”証。
けれど――どこか遠くをさまよっているようにも見えた。
***
安定を取り戻したはずの脳波に、
すぐあとから微細な変調が混じり始めた。
兄さんの脳波データについて、麻衣子さんが説明してくれた。
「通常の睡眠時に見られるREM波に、
低周波のシータ波が重なっていたの。
一見ただの睡眠状態に見えるけれど、
波の重なり方が明らかに違っていた。
まるで、夢の活動の奥にもう一つの層があるような――
二層構造の脳波パターンになっていたの。」
私は言葉を失った。
兄さんの脳の奥で、何かが動いている。
そんな確信だけが、胸の奥で静かに熱を帯びていった。
***
その状態はおよそ三日間続いた。
そして翌朝、突然すべての波が静かに収束し、
完全に通常のパターンに戻った。
医師たちはすぐに追加検査を行った。
MRI、血液検査、脳波の連続記録――
だが、どの結果にも異常は見られなかった。
「明確な原因は見つからない。
一過性の神経ネットワーク異常、あるいは
一時的な意識活動の再構成かもしれない。」
麻衣子さんはそう言って、
「しばらくはこのまま経過観察しましょう」と付け加えた。
けれど――私は信じていた。
あの二分間の沈黙と、
三日間続いた“二層の夢”のような波形の中に、
兄さんからの何かのメッセージが隠れていると。
まるで「勉強しろ」って言われてるみたい。
テーブルの上には、大学のパンフレットと過去問集。
赤シート、蛍光ペン、付箋の山。
ページをめくるたびに、紙の熱気と焦りがこみ上げてくる。
「兄さんがいたら、“合格率をグラフ化しよう”とか言ってたかもね。」
思わず独りごとが出た。
午前十時。
私は麻衣子さんのマンションを出た。
今日は、大学のオープンキャンパスの日だ。
真夏の空気は重く、
アスファルトの照り返しが足もとから上がってくる。
制服の襟もとを指で少し開けながら、
大学へと歩き出した。
キャンパスに着くと、人、人、人。
受付の前では、学生スタッフたちが声を張り上げている。
「暑いね……人、多いな。」
隣から声をかけられ、私は少し驚いて顔を上げた。
「ほんと。オープンキャンパスって、こんなに混むんだ。」
「だよね。あ、もしかして君も医学部?」
「うん。高校三年、山中希星(キララ)。」
「俺、藤宮蒼(あおい)。同じく受験生。」
白いシャツの袖をまくった腕が、
日差しの中できらりと光っていた。
講義室の説明会で、たまたま席が隣になった。
講師が「地域医療の重要性」について話す間、
蒼くんは真剣にメモを取っていた。
それが、なんだか印象的だった。
「医者になりたい理由、あるの?」
休み時間に、蒼くんがそう聞いた。
「うーん……。兄さんが倒れて。それがきっかけ。」
蒼くんは少しだけ目を伏せた。
「そっか。俺は……人を“助けるシステム”を作りたくてさ。」
「システム?」
「うん、医学×工学みたいな。
たとえば遠隔診療とか、AIの診断補助とか。」
私はハッとした。
――兄さんと、同じ言葉を言ってる。
昼は学食でカレー。
冷房の効いた空気に包まれて、少しだけ肩の力が抜けた。
蒼くんはスプーンを回しながら、
「医学部って、面接が大事なんだろ?」と笑った。
その仕草が、不思議と兄さんに似ていた。
同じようにペンを回して、同じように考えこむ癖。
胸の奥が、かすかに痛む。
「どうしたの?」
「……ううん、なんでもない。」
スプーンの先を見つめながら、
私は笑ってごまかした。
帰り道。
キャンパスの門を出ると、午後の風が髪を揺らした。
「また模試とかで会えたら、話そ。」
蒼くんがそう言って、軽く手を振る。
「うん。」
その一言で、胸の奥に温かいものが広がった。
でも同時に、どこかでざらつく痛みもあった。
午後の日差しが強く、空はまだ白く光っていた。
――兄さんのことが、少しずつ遠くに感じる。
夏の風が、ページをめくるように通り過ぎていった。
私の現実も、少しずつ色を変えはじめていた。
***
そのとき、スマホの着信音が鳴った。
画面には「麻衣子さん」の名前。
「キララ、オープンキャンパスは終わった?」
「うん、今、帰るところ。」
「そう、ちょうどよかった。今から、病院に来れる?」
電話の向こうの麻衣子さんの声が、かすかに震えている。
胸の奥がざわついた。
「すぐ、行く!」
***
兄さんの病室に着くと、
麻衣子さんがモニターの前でスタッフさん達とやり取りをしていた。
私に気づくと、すぐにこちらへ来た。
「……何か、あったの?」
「実は――」
麻衣子さんは真剣なまなざしを向け、静かに言葉を続けた。
「午後、お兄さんの脳波が急激に低下したの。
完全に止まったわけではないけれど、
意識活動を示す波が一時的にほとんど消えた。
でも1、2分ほどでゆっくりと戻りはじめ、
今は安定しているわ。」
「そんな……急にどうして?」
「酸素も血流も正常だった。
体には何の異常もない。
なのに、脳だけが突然“落ちた”のよ。」
麻衣子さんの声は落ち着いていたが、
その奥には明らかな戸惑いがあった。
「とりあえず経過を見ているけど、
危険な状態はもう脱しているから心配しないで。」
私は兄さんの方を見つめた。
胸がわずかに上下し、呼吸は安定している。
モニターの波が静かに揺れていた。
それは確かに“生きている”証。
けれど――どこか遠くをさまよっているようにも見えた。
***
安定を取り戻したはずの脳波に、
すぐあとから微細な変調が混じり始めた。
兄さんの脳波データについて、麻衣子さんが説明してくれた。
「通常の睡眠時に見られるREM波に、
低周波のシータ波が重なっていたの。
一見ただの睡眠状態に見えるけれど、
波の重なり方が明らかに違っていた。
まるで、夢の活動の奥にもう一つの層があるような――
二層構造の脳波パターンになっていたの。」
私は言葉を失った。
兄さんの脳の奥で、何かが動いている。
そんな確信だけが、胸の奥で静かに熱を帯びていった。
***
その状態はおよそ三日間続いた。
そして翌朝、突然すべての波が静かに収束し、
完全に通常のパターンに戻った。
医師たちはすぐに追加検査を行った。
MRI、血液検査、脳波の連続記録――
だが、どの結果にも異常は見られなかった。
「明確な原因は見つからない。
一過性の神経ネットワーク異常、あるいは
一時的な意識活動の再構成かもしれない。」
麻衣子さんはそう言って、
「しばらくはこのまま経過観察しましょう」と付け加えた。
けれど――私は信じていた。
あの二分間の沈黙と、
三日間続いた“二層の夢”のような波形の中に、
兄さんからの何かのメッセージが隠れていると。
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