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ルキシエンスの生活力

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「あいつめ……ッ。こんなところで優秀さを出さなくとも良いのに!」 

 竜王の封印が解かれて、3日が経った。 

 ルキシエンスの足取りは、全く掴めていない。 

 あの日から、ギルヴァート大公家の屋敷は休まることがなかった。夜も朝が来るまで明かりが灯り、中から余裕のない会話が聞こえる。 

 セレイディアは、苦り切った表情をその美貌に浮かべた。 

 宮廷魔導士長からことの調査権をもぎ取った以上、何もわかりませんでした、では済まされない。 

(かと言って、好き勝手に調べられるのもよろしく無い) 

 皇家はこれ幸いとばかりに、有る事無い事騒ぎ立てるだろう。それは非常に面倒だ。 

 ただでさえ、皇家は今ギルヴァート大公家の存在意義に疑問をいだいている。皇家に突かれた程度、屁でもないが、それに労力を割かなくてはならないのは癪に障る。 

(それに、今の皇王は特別優れているわけではないが、愚かなわけでもない。配下もそれなりのを揃えている。あしらうのは手間がかかりそうだ) 

「セリィ、入るぞ」 

 今後の方針について考えていると、執務室のドアが3回ノックされた。ナヴァルグースだ。 

「ヴァル……」 

 セレイディアの愛しい夫は、ティーセットを乗せたワゴンを引いて現れた。 

「セリィ、少し休んだほうが良い」 

 眉尻を下げて、ナヴァルグースは妻を心配した。 

「ん……」 

「あまり根を詰め過ぎると仕事効率が下がると、いつもセリィが言ってるじゃないか。ほら、お茶にしよう」 

 ナヴァルグースはセレイディアを執務机から長椅子に移動させると、コポコポとカップにお茶を注ぐ。 

「いい匂い。24番だな」 

 自領で扱っている茶葉の香りを嗅ぎ分けたセレイディアに、ナヴァルグースは片目を瞑ってみせた。 

「疲れたときは、やはりこれが一番良いだろう?」 

「ああ……」 

 白磁にマットゴールドの縁取りがされたカップに、薫り高い紅茶がたゆたう。セレイディアはふんわりと広がるそれを、胸を胸いっぱいに吸い込んだ。 

「美味しい」 

 ふわりと微笑む妻に、ナヴァルグースは自分も妻の隣に腰を下ろしつつ満足気に顔を緩めた。 

「ルキシエンスが見つからない」 

 しばらく紅茶の薫りを堪能した後、セレイディアは静かな声音で言った。 

「ああ」 

「どこにいる?」 

 それはナヴァルグースに尋ねていると言うよりも、自分に訊いている声だった。 

「セレイディア」 

「宿に泊まっているとしたら、ここまで情報が出てこないのはおかしい」 

 なら野宿しているとしか思えない。 

「――料理、洗濯、狩り、掃除……サバイバル能力は貴族令息とは思えないほど高いよな。ルキシエンスは」 

「昔からフットワークが軽かったんだ」 

 ルキシエンスは昔から、魔術の研究のためにあちこち調査しに赴いて、時には宿も何もないような辺境に行っていた。そういう場合は野宿しかない。同年代とは比べ物にならないくらい場数を踏んでいるために、彼のサバイバル能力はすこぶる高かった。 

 なんなら、真っ裸で無人島に放り込んでも、余裕で帰ってこられるんじゃないかと思ってしまうくらいだ。 

「ルキシエンスなら、野宿でも余裕で生きていけるだろう。だが、何故、野宿をする必要があった?」 

「金を持っていなかったとかか?」 

「乗って行った馬車は現場にあった……。中身もそのままに。金を置いていくしかない状況に追い込まれた?」 

 現場にあった――と入っても、粉々に砕けていて、もとがどうなっていたかなんて性格には分からなかったが。

 いくつも可能性は思いつく。要は、状況を絞り込めないのが問題だった。 

「いくらそんな状況に追い込まれたからと行って、3日もたったのに連絡一つ寄越さないのは、やはりおかしい」

 異常事態が起きたと考えるのが、自然。 

 ナヴァルグースは、躊躇いがちに口を開いた。

「……セレイディア」 

「何?」 

「酷なことを言うようだが……貴女らしくないな」 

「どういう意味だ?」 

「最悪を――想定するべきだ」 

「………」 

 

 ルキシエンスが、もうこの世にはいないという、可能性を。 

 
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