50 / 125
第三章 新たなる旅立ち
おまじない
しおりを挟む
すっきりと晴れ渡る空に、鳥の群れが舞っていた。怪物の多いイレンディアで、街の外を生き抜くことができるのは、鳥と矮小な食べ物にならない生物だけだ。
鳥たちはレムリス辺りに朝入ってくる、北からの冷たい風をその羽根に受けながら、今日の餌場を探して飛んでいく。
「ジャッシュ、起きて!」
ジャシードは、そんなステキな早朝、マーシャに揺り起こされた。
「んあ……もう行くの」
眠気眼を擦りながら、ジャシードは起き上がった。衛兵を経験してからと言うもの、どんな時間でも何とか起きられるようになった。
「時間がかかるもの」
「うん、分かった」
ジャシードはさっと着替えて武具を取り、リビングへと向かうと、既にソルンが二人のために朝食を用意してくれていた。マーシャは既にパンにかじりついている。
「おはよう、ジャッシュ。昨日はありがとう」
ソルンが和やかに息子を迎えた。ソルンはいつも、こう言う時に抜かりない。しっかりと予定に間に合うように、準備が整えられている。ジャシードも、おはようといただきますを言って、早速食べ始めた。
ソルンが礼を言ったのは、ジャシードがドゴールで稼いできた金を半分、家に入れたからだ。
ソルンは最初に断ったが、ジャシードはどうやっても退かないので受け取ることにした。ソルンはそれが半分だと聞いて驚いていた。
食事が終わると、ジャシードは鎧を着て、マーシャは薄い水色のローブを纏い、行ってきますを言って家を出た。
「行ってらっしゃい、……デート。ふふっ」
ソルンは二人が離れてから、そっと呟いた。
◆
二人は、レムリスの東門から街の外へ出た。マーシャはキョロキョロしていて、少し緊張気味のようだ。それもそのはず、マーシャが街の外へ出て行くのは今日が初めてだからだ。
もちろん、初めての冒険をジャシードと二人で行く、を大切に取っておいたからに他ならない。
「どれくらいかかるかなあ」
「多分、一時間くらいじゃないかな」
「怪物、くるかなあ」
「来たら僕が倒すよ」
「私も戦うもん」
「そっか。無理のないようにね」
マーシャは、ジャシードがリラックスしているのを見て、色々な意味で騒ぐ自分の心を落ち着けた。さすがにワイバーンを倒した人間は、纏っている空気感すら違う。
ジャシードが醸し出している雰囲気は、マーシャにとっても十分、頼りになる存在だった。小さな頃から憧れの存在、頑張り屋のジャシードと一緒にいられることを、マーシャは言い得ない喜びの中に幸せとして捉えていた。
二人は、朝靄が掛かっている草原を北へ歩いて行く。目を覚ます程度に冷たい北風が少し吹いているから、間もなく朝靄も風に飛ばされて、奇麗な海が見えるだろう。
「ちょっと待って。怪物がいるかも知れない」
ジャシードは歩みを止めた。時折感じることのできる、怪物の気配。それを感じたときは、まず疑うことを鉄則としていた。
「いる?」
マーシャの言葉に、ジャシードは無言で頷いた。マーシャを引っ張り、姿勢を低くする。
「オークが三体いる。このまま気づかれなければやり過ごしても良いけど、街に行きそうならここで倒す」
ジャシードがそう言うのを聞いて、マーシャは生唾を飲んだ。気軽に出てきたが、やはり街の外は安全ではない。
オークを観察していると、やはり街の方へと進み始めた。怪物たちは、衛兵にいくら始末されようとも、どこからともなく現れる。
「ここで倒すことにした。もしできれば魔法で援護して。でも僕が叫ぶまではダメだよ」
「う、うん。分かった!」
マーシャは杖を少し強く握りしめた。
ジャシードは、マーシャの心の準備を見て、オークに向かって敢えて目立つように走り始めた。
走りながら背中のファングを抜き放つジャシードは、どこからどう見ても立派な戦士だ。
ジャシードはオークの前に到達するや否や、ウォークライを使って自分に注意を向けさせた。
マーシャは戦闘開始の合図を受け、心を落ち着けて魔法を練り始めた。
ジャシードは最初にオークの斧を躱し、更に振り下ろされる棍棒を躱し、棍棒を持つ手をファングで切り上げて、手ごと切り落とした。
「ジャッシュ! 五つ数えたら離れて!」
マーシャはジャシードに見せたい魔法を放った。それは小さな光の塊だ。小さな光の塊は、一直線にジャシードが腕を切り離したオークへと飛んでいく……そして、着弾。
「三……四……五!」
ジャシードは地面を蹴って距離を取った。
光の塊はドガンと音を立てながら爆発した。手を切り離したオークと、近くにいた一体が細かい部品になっていく。
「凄い!」
ジャシードは、残りの一体に走り込んで、残りの一体を下段から斜めに切り裂き、返す剣で横一文字に深く切り裂いた。
マーシャは、幼い頃の約束通り『ドーン』の魔法を手に入れていた。それは火系統の爆発魔法だ。
「やるじゃないか、さすがはマーシャだ!」
「えへへ。頑張ったもんね」
マーシャは、なんとも言えない幸せな気分に浸っていた。遂に『ジャッシュを助ける人に、なる!』と言う小さな頃の目標が、達成できるようになったのだ。
「疲れとかは無い?」
「平気よ、大したことないわ」
「そっか」
ジャシードは安心して微笑んだ。
二人は北へ進路を取り、草原を進んでいった。東側には海が迫り、海の匂いが漂ってきた。目標地点は、この先にある高台、クオール岬だ。
クオール岬は、怪物たちが台頭する前に造られた建造物がある……らしい。マーシャはそれを確かめに行きたいと言っていた。レムリスの人々は、殆ど知らないクオール岬の建造物。興味をそそられるものではあるが、マーシャが何故それを見たいのかは分からない。
「こっちだね」
ジャシードは、東へと延びていく坂を指さした。そこは幅十メートルほど。海へ行くに従って、少しずつ狭くなっているようだ。二人はその坂の方向へと歩を進めた。
坂を上るに従って、海風が少しずつ強くなってくるのを感じる。
前を歩くマーシャの波打つ髪が、風を受けて前に後ろに動いている。それを時折、片手で梳いて整える。風にはためく薄水色のローブが……。
ジャシードははたと、マーシャの姿ばかり見ている自分に気がついた。しかし昔からそうだったような気がして、ほんの少し、自分を鼻で笑ってそれ以上考えるのをやめた。
「みてみて、ジャッシュ!」
マーシャが振り返りながら、クオール岬の先端を指さした。そこには、石でできた台の上に、大きな三角錐の形をした物が立っていた。
三角錐は十センチ角の縁のみで、中に人が何人か入れるほどの空間があった。素材は石で、遙か昔はきっと表面がつるつるだったのだろうな、と想像させる表面だ。
「結構大きいね、これ」
ジャシードは自然とその空間へと足を運ぶが、特に何もない空間だ。
「何のためにあるんだろうな……」
ジャシードは独り言を言いながら、石に触れたりしていた。
「ねえ、ジャッシュ」
「ん? うわっ!」
ジャシードは振り向きざまにマーシャに抱きつかれ、びっくりしてよろけた。
「ど、どうしたの」
「ううん。何となくよ」
マーシャは悪戯っぽい笑顔を見せ、さっと離れて岬の先端へと歩いて行った。
その背中を目で追うジャシードは、びっくりしたのも相まって、心臓がどきどき言うのが分かった。
「目標、達成!」
マーシャは囁くように言って、両手を広げ、海を眺めた。吹き抜ける風が気持ちいい。
実はマーシャは、この場所に関する噂を聞いていた。それは一年ほど前のことだ。
マーシャがいつものように、レムリス南側の広場で魔法の練習に励んでいると、近くで話し込んでいた大人の女性たちが、こんな話を始めたのだ??
「ねえねえ、知ってる? レムリスの北側にクオール岬というところがあって、そこに行って好きな人に抱きつくと、二人は結ばれるらしいわよ!」
「でも街の外なんて危なくて行けないじゃない? 抱きつけても怪物に食べられちゃったら意味ないじゃないの」
「だから価値があるんでしょ? そこら辺で抱きついたって、ダメよ」
「あたしには無理ねえ……まずそこまで行けないわ」
「衛兵の誰かに連れて行って貰うとか」
「そんな付き添い、衛兵も嫌でしょう? 護衛したあげく、目の前で男女が抱き合うのを見るのよ」
「ま、それもそうね。行ってみたいなあ。クオール岬。好きな人と」
「まずは好きな人が最初ね」
「そうね……。はあ、誰かいないかなあ」
??と言うわけで、それを聞いたマーシャは、ジャシードが帰ってきたら、無理矢理にでもここに連れてきて抱きついてしまおう、と画策していたのであった。
実にくだらないことだが、マーシャはちょっと自信が無い子だけに、少しでもその可能性を向上させるためなら、何でもやってやろうと思っていた。今日それが達成され、感慨もひとしおだ。
「マーシャは、本当に冒険者になるつもり?」
ジャシードは、三角錐の台座に座りながら訊いた。
「なるわ。見たでしょ、魔法の練習の成果!」
マーシャは振り返り、ジャシードを指差しながらそう言うと、ジャシードの隣に座った。
「見た。凄かったよ……。本当に驚いた。けど、冒険者って、本当に命にかかわることになる事もある」
「分かってるわ」
マーシャは海が反射する光をぼんやり眺めながら、少しぶっきらぼうに言った。
「ワイバーンは、五人でも楽に倒せたわけじゃなかった。僕もたくさん怪我をしたし、その都度、ガンドに治して貰ってた。みんなが必死になって戦って、やっと勝てたんだ」
「私はワイバーンって、見たことないけど、強敵だったのよね」
マーシャがジャシードの横顔を見ながら言うと、ジャシードは横目でマーシャをチラリと見て続けた。
「それに、ワイバーンの話には続きがあってさ。倒して直後、目に見えない怪物に、バラルさんもオンテミオンさんも狙われたんだ。何とか助けたし、何とか撃退したけれど、父さんみたいに刺されてたかも知れない。そんな事も起こるかも知れないんだよ」
ジャシードの顔つきは、いつの間にか真剣になっていた。それはマーシャの意思を再確認しようとしていたからだ。
「私ね……ジャッシュを助ける人になりたいって、書いたんだ」
「ん? 八歳のとき?」
「そう。八歳のとき」
「あはは、そうなんだ。ありがとう。もうさっき助けられたよ」
「もっと助けたいと思ってるの。ずっと魔法の練習をしたのも、私の思いが変わらないから」
マーシャがそう言うと、ジャシードはじっとマーシャの顔を見つめ、そして頷いた。
「……うん、分かった。僕はマーシャを連れて行くよ」
「ホント!? やった!」
マーシャは立ち上がって両手を上げた。
「まだみんなに相談していないんだけど、まずはレムリスから大人の証を受け取って、そしたらエルウィンに行ってみようと思う」
「エルウィン! 一番大きい街! みんなの憧れの街よ!」
マーシャは興奮しながら言った。憧れの街、レムリスの民は殆ど辿り着くことも、見ることも叶わない街だ。
「僕はみんながもっと、安全に暮らせる世界を作りたいんだ。だからまずは、色々な街を見ておきたい。そこに暮らしている人々を見てみたい。そうしないと、そう言う人たちがどんな世界を望んでいるのか、わからないから」
「安全に暮らせる世界……ね。凄い目標だね。ジャッシュって、昔から目標が突き抜けてるわ。遣り甲斐ありそうだけど」
「やれるかどうかも、まだ分からないけど……何とかしたいと思ってる。マーシャ、僕に付いていくと言うことは、そう言う事だよ」
「もちろん、協力する。まずは、お昼の食事からね」
マーシャはそう言って、荷物から自分でこしらえたサンドイッチ入りの袋を取り出した。
「うん、ちょうどお腹が空いてきたところだよ」
「でしょ? じゃ、手を出して」
「うん? はい」
「もっと前よ」
ジャシードが手を前にグイと出すと、マーシャは魔法で水の泡を作り出して、ジャシードの手を包み込んだ。
そして水を流すと、いつかバラルがやっていた温かい風を作り出して、ジャシードの手を乾かした。
マーシャも同じように手を洗い、温かい風を起こして乾かした。
「思っていた以上に使いこなしてるね、マーシャ」
「まだ風の魔法は、風を少し起こすことしかできないけどね」
「風の魔法を使いこなす人は少ないらしいから、今のができるだけでも凄いよ」
「ふふ。ありがとうジャッシュ。ではどうぞ」
「ありがとう」
マーシャはサンドイッチを手渡すと、二人で並んで、海を見ながら食べ始めた。
まさにマーシャにとって、至福のひと時であった。
鳥たちはレムリス辺りに朝入ってくる、北からの冷たい風をその羽根に受けながら、今日の餌場を探して飛んでいく。
「ジャッシュ、起きて!」
ジャシードは、そんなステキな早朝、マーシャに揺り起こされた。
「んあ……もう行くの」
眠気眼を擦りながら、ジャシードは起き上がった。衛兵を経験してからと言うもの、どんな時間でも何とか起きられるようになった。
「時間がかかるもの」
「うん、分かった」
ジャシードはさっと着替えて武具を取り、リビングへと向かうと、既にソルンが二人のために朝食を用意してくれていた。マーシャは既にパンにかじりついている。
「おはよう、ジャッシュ。昨日はありがとう」
ソルンが和やかに息子を迎えた。ソルンはいつも、こう言う時に抜かりない。しっかりと予定に間に合うように、準備が整えられている。ジャシードも、おはようといただきますを言って、早速食べ始めた。
ソルンが礼を言ったのは、ジャシードがドゴールで稼いできた金を半分、家に入れたからだ。
ソルンは最初に断ったが、ジャシードはどうやっても退かないので受け取ることにした。ソルンはそれが半分だと聞いて驚いていた。
食事が終わると、ジャシードは鎧を着て、マーシャは薄い水色のローブを纏い、行ってきますを言って家を出た。
「行ってらっしゃい、……デート。ふふっ」
ソルンは二人が離れてから、そっと呟いた。
◆
二人は、レムリスの東門から街の外へ出た。マーシャはキョロキョロしていて、少し緊張気味のようだ。それもそのはず、マーシャが街の外へ出て行くのは今日が初めてだからだ。
もちろん、初めての冒険をジャシードと二人で行く、を大切に取っておいたからに他ならない。
「どれくらいかかるかなあ」
「多分、一時間くらいじゃないかな」
「怪物、くるかなあ」
「来たら僕が倒すよ」
「私も戦うもん」
「そっか。無理のないようにね」
マーシャは、ジャシードがリラックスしているのを見て、色々な意味で騒ぐ自分の心を落ち着けた。さすがにワイバーンを倒した人間は、纏っている空気感すら違う。
ジャシードが醸し出している雰囲気は、マーシャにとっても十分、頼りになる存在だった。小さな頃から憧れの存在、頑張り屋のジャシードと一緒にいられることを、マーシャは言い得ない喜びの中に幸せとして捉えていた。
二人は、朝靄が掛かっている草原を北へ歩いて行く。目を覚ます程度に冷たい北風が少し吹いているから、間もなく朝靄も風に飛ばされて、奇麗な海が見えるだろう。
「ちょっと待って。怪物がいるかも知れない」
ジャシードは歩みを止めた。時折感じることのできる、怪物の気配。それを感じたときは、まず疑うことを鉄則としていた。
「いる?」
マーシャの言葉に、ジャシードは無言で頷いた。マーシャを引っ張り、姿勢を低くする。
「オークが三体いる。このまま気づかれなければやり過ごしても良いけど、街に行きそうならここで倒す」
ジャシードがそう言うのを聞いて、マーシャは生唾を飲んだ。気軽に出てきたが、やはり街の外は安全ではない。
オークを観察していると、やはり街の方へと進み始めた。怪物たちは、衛兵にいくら始末されようとも、どこからともなく現れる。
「ここで倒すことにした。もしできれば魔法で援護して。でも僕が叫ぶまではダメだよ」
「う、うん。分かった!」
マーシャは杖を少し強く握りしめた。
ジャシードは、マーシャの心の準備を見て、オークに向かって敢えて目立つように走り始めた。
走りながら背中のファングを抜き放つジャシードは、どこからどう見ても立派な戦士だ。
ジャシードはオークの前に到達するや否や、ウォークライを使って自分に注意を向けさせた。
マーシャは戦闘開始の合図を受け、心を落ち着けて魔法を練り始めた。
ジャシードは最初にオークの斧を躱し、更に振り下ろされる棍棒を躱し、棍棒を持つ手をファングで切り上げて、手ごと切り落とした。
「ジャッシュ! 五つ数えたら離れて!」
マーシャはジャシードに見せたい魔法を放った。それは小さな光の塊だ。小さな光の塊は、一直線にジャシードが腕を切り離したオークへと飛んでいく……そして、着弾。
「三……四……五!」
ジャシードは地面を蹴って距離を取った。
光の塊はドガンと音を立てながら爆発した。手を切り離したオークと、近くにいた一体が細かい部品になっていく。
「凄い!」
ジャシードは、残りの一体に走り込んで、残りの一体を下段から斜めに切り裂き、返す剣で横一文字に深く切り裂いた。
マーシャは、幼い頃の約束通り『ドーン』の魔法を手に入れていた。それは火系統の爆発魔法だ。
「やるじゃないか、さすがはマーシャだ!」
「えへへ。頑張ったもんね」
マーシャは、なんとも言えない幸せな気分に浸っていた。遂に『ジャッシュを助ける人に、なる!』と言う小さな頃の目標が、達成できるようになったのだ。
「疲れとかは無い?」
「平気よ、大したことないわ」
「そっか」
ジャシードは安心して微笑んだ。
二人は北へ進路を取り、草原を進んでいった。東側には海が迫り、海の匂いが漂ってきた。目標地点は、この先にある高台、クオール岬だ。
クオール岬は、怪物たちが台頭する前に造られた建造物がある……らしい。マーシャはそれを確かめに行きたいと言っていた。レムリスの人々は、殆ど知らないクオール岬の建造物。興味をそそられるものではあるが、マーシャが何故それを見たいのかは分からない。
「こっちだね」
ジャシードは、東へと延びていく坂を指さした。そこは幅十メートルほど。海へ行くに従って、少しずつ狭くなっているようだ。二人はその坂の方向へと歩を進めた。
坂を上るに従って、海風が少しずつ強くなってくるのを感じる。
前を歩くマーシャの波打つ髪が、風を受けて前に後ろに動いている。それを時折、片手で梳いて整える。風にはためく薄水色のローブが……。
ジャシードははたと、マーシャの姿ばかり見ている自分に気がついた。しかし昔からそうだったような気がして、ほんの少し、自分を鼻で笑ってそれ以上考えるのをやめた。
「みてみて、ジャッシュ!」
マーシャが振り返りながら、クオール岬の先端を指さした。そこには、石でできた台の上に、大きな三角錐の形をした物が立っていた。
三角錐は十センチ角の縁のみで、中に人が何人か入れるほどの空間があった。素材は石で、遙か昔はきっと表面がつるつるだったのだろうな、と想像させる表面だ。
「結構大きいね、これ」
ジャシードは自然とその空間へと足を運ぶが、特に何もない空間だ。
「何のためにあるんだろうな……」
ジャシードは独り言を言いながら、石に触れたりしていた。
「ねえ、ジャッシュ」
「ん? うわっ!」
ジャシードは振り向きざまにマーシャに抱きつかれ、びっくりしてよろけた。
「ど、どうしたの」
「ううん。何となくよ」
マーシャは悪戯っぽい笑顔を見せ、さっと離れて岬の先端へと歩いて行った。
その背中を目で追うジャシードは、びっくりしたのも相まって、心臓がどきどき言うのが分かった。
「目標、達成!」
マーシャは囁くように言って、両手を広げ、海を眺めた。吹き抜ける風が気持ちいい。
実はマーシャは、この場所に関する噂を聞いていた。それは一年ほど前のことだ。
マーシャがいつものように、レムリス南側の広場で魔法の練習に励んでいると、近くで話し込んでいた大人の女性たちが、こんな話を始めたのだ??
「ねえねえ、知ってる? レムリスの北側にクオール岬というところがあって、そこに行って好きな人に抱きつくと、二人は結ばれるらしいわよ!」
「でも街の外なんて危なくて行けないじゃない? 抱きつけても怪物に食べられちゃったら意味ないじゃないの」
「だから価値があるんでしょ? そこら辺で抱きついたって、ダメよ」
「あたしには無理ねえ……まずそこまで行けないわ」
「衛兵の誰かに連れて行って貰うとか」
「そんな付き添い、衛兵も嫌でしょう? 護衛したあげく、目の前で男女が抱き合うのを見るのよ」
「ま、それもそうね。行ってみたいなあ。クオール岬。好きな人と」
「まずは好きな人が最初ね」
「そうね……。はあ、誰かいないかなあ」
??と言うわけで、それを聞いたマーシャは、ジャシードが帰ってきたら、無理矢理にでもここに連れてきて抱きついてしまおう、と画策していたのであった。
実にくだらないことだが、マーシャはちょっと自信が無い子だけに、少しでもその可能性を向上させるためなら、何でもやってやろうと思っていた。今日それが達成され、感慨もひとしおだ。
「マーシャは、本当に冒険者になるつもり?」
ジャシードは、三角錐の台座に座りながら訊いた。
「なるわ。見たでしょ、魔法の練習の成果!」
マーシャは振り返り、ジャシードを指差しながらそう言うと、ジャシードの隣に座った。
「見た。凄かったよ……。本当に驚いた。けど、冒険者って、本当に命にかかわることになる事もある」
「分かってるわ」
マーシャは海が反射する光をぼんやり眺めながら、少しぶっきらぼうに言った。
「ワイバーンは、五人でも楽に倒せたわけじゃなかった。僕もたくさん怪我をしたし、その都度、ガンドに治して貰ってた。みんなが必死になって戦って、やっと勝てたんだ」
「私はワイバーンって、見たことないけど、強敵だったのよね」
マーシャがジャシードの横顔を見ながら言うと、ジャシードは横目でマーシャをチラリと見て続けた。
「それに、ワイバーンの話には続きがあってさ。倒して直後、目に見えない怪物に、バラルさんもオンテミオンさんも狙われたんだ。何とか助けたし、何とか撃退したけれど、父さんみたいに刺されてたかも知れない。そんな事も起こるかも知れないんだよ」
ジャシードの顔つきは、いつの間にか真剣になっていた。それはマーシャの意思を再確認しようとしていたからだ。
「私ね……ジャッシュを助ける人になりたいって、書いたんだ」
「ん? 八歳のとき?」
「そう。八歳のとき」
「あはは、そうなんだ。ありがとう。もうさっき助けられたよ」
「もっと助けたいと思ってるの。ずっと魔法の練習をしたのも、私の思いが変わらないから」
マーシャがそう言うと、ジャシードはじっとマーシャの顔を見つめ、そして頷いた。
「……うん、分かった。僕はマーシャを連れて行くよ」
「ホント!? やった!」
マーシャは立ち上がって両手を上げた。
「まだみんなに相談していないんだけど、まずはレムリスから大人の証を受け取って、そしたらエルウィンに行ってみようと思う」
「エルウィン! 一番大きい街! みんなの憧れの街よ!」
マーシャは興奮しながら言った。憧れの街、レムリスの民は殆ど辿り着くことも、見ることも叶わない街だ。
「僕はみんながもっと、安全に暮らせる世界を作りたいんだ。だからまずは、色々な街を見ておきたい。そこに暮らしている人々を見てみたい。そうしないと、そう言う人たちがどんな世界を望んでいるのか、わからないから」
「安全に暮らせる世界……ね。凄い目標だね。ジャッシュって、昔から目標が突き抜けてるわ。遣り甲斐ありそうだけど」
「やれるかどうかも、まだ分からないけど……何とかしたいと思ってる。マーシャ、僕に付いていくと言うことは、そう言う事だよ」
「もちろん、協力する。まずは、お昼の食事からね」
マーシャはそう言って、荷物から自分でこしらえたサンドイッチ入りの袋を取り出した。
「うん、ちょうどお腹が空いてきたところだよ」
「でしょ? じゃ、手を出して」
「うん? はい」
「もっと前よ」
ジャシードが手を前にグイと出すと、マーシャは魔法で水の泡を作り出して、ジャシードの手を包み込んだ。
そして水を流すと、いつかバラルがやっていた温かい風を作り出して、ジャシードの手を乾かした。
マーシャも同じように手を洗い、温かい風を起こして乾かした。
「思っていた以上に使いこなしてるね、マーシャ」
「まだ風の魔法は、風を少し起こすことしかできないけどね」
「風の魔法を使いこなす人は少ないらしいから、今のができるだけでも凄いよ」
「ふふ。ありがとうジャッシュ。ではどうぞ」
「ありがとう」
マーシャはサンドイッチを手渡すと、二人で並んで、海を見ながら食べ始めた。
まさにマーシャにとって、至福のひと時であった。
0
あなたにおすすめの小説
私の息子を“愛人の子の下”にすると言った夫へ──その瞬間、正妻の役目は終わりました
放浪人
恋愛
政略結婚で伯爵家に嫁いだ侯爵令嬢リディアは、愛のない夫婦関係を「正妻の務め」と割り切り、赤字だらけの領地を立て直してきた。帳簿を整え、税の徴収を正し、交易路を広げ、収穫が不安定な年には備蓄を回す――伯爵家の体裁を保ってきたのは、いつも彼女の実務だった。
だがある日、夫オスヴァルドが屋敷に連れ帰ったのは“幼馴染”の女とその息子。
「彼女は可哀想なんだ」
「この子を跡取りにする」
そして人前で、平然と言い放つ。
――「君の息子は、愛人の子の“下”で学べばいい」
その瞬間、リディアの中で何かが静かに終わった。怒鳴らない。泣かない。微笑みすら崩さない。
「承知しました。では――正妻の役目は終わりましたね」
初夜に暴言を吐いた夫は後悔し続ける──10年後の償い【完結】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
王命により、辺境伯ロキアのもとへ嫁いだのは、金髪翠眼の美しき公爵令嬢スフィア。
だが、初夜に彼が告げたのは、愛も権限も与えないという冷酷な宣言だった。噂に踊らされ、彼女を「穢れた花嫁」と罵ったロキア。
しかし、わずか一日でスフィアは姿を消し、教会から届いたのは婚姻無効と慰謝料請求の書状──。
王と公爵の怒りを買ったロキアは、爵位も領地も名誉も奪われ、ただの補佐官として生きることに。
そして十年後、運命のいたずらか、彼は被災地で再びスフィアと出会う。
地位も捨て、娘を抱えて生きる彼女の姿に、ロキアの胸に去来するのは、悔恨と赦しを乞う想い──。
⚠️本作はAIの生成した文章を一部に使用しています。
二十年以上無視してきた夫が、今さら文通を申し込んできました
小豆缶
恋愛
「お願いです。文通から始めてもらえませんか?」
二十年以上会話もなかった夫――この国の王が、ある日突然そう言ってきた。
第一王妃マリアは、公爵家出身の正妃。だが夫はかつて、寵愛する第三王妃の話のみを信じ、彼女を殴ったことがある。その事件が原因で、マリアは男性恐怖症が悪化して、夫と二人きりでは会話すらできなくなっていた。
それから二十年。
第三王妃はとある事故で亡くなり、夫は反省したらしい。だからといって――今さら夫婦関係をやり直したいと言われても遅すぎる。
なのに王は諦めない。毎日の手紙。花を一輪。夜食の差し入れ。
不器用すぎる求愛に振り回されるうち、マリアの中で止まっていた感情が少しずつ動き始める。
これは、冷えきった政略夫婦が「文通」からやり直す恋の話。
※本作は「存在されていないことにされていた管理ギフトの少女王宮で真の家族に出会う」のスピンオフですが、単体で読めます。
つまらない妃と呼ばれた日
柴田はつみ
恋愛
公爵令嬢リーシャは政略結婚で王妃に迎えられる。だが国王レオニスの隣には、幼馴染のセレスが“当然”のように立っていた。祝宴の夜、リーシャは国王が「つまらない妃だ」と語る声を聞いてしまい、心を閉ざす。
舞踏会で差し出された手を取らず、王弟アドリアンの助けで踊ったことで、噂は一気に燃え上がる――「王妃は王弟と」「国王の本命は幼馴染」と。
さらに宰相は儀礼と世論を操り、王妃を孤立させる策略を進める。監視の影、届かない贈り物、すり替えられた言葉、そして“白薔薇の香”が事件現場に残る冤罪の罠。
リーシャは微笑を鎧に「今日から、王の隣に立たない」と決めるが、距離を取るほど誤解は確定し、王宮は二人を引き裂いていく。
――つまらない妃とは、いったい誰が作ったのか。真実が露わになった時、失われた“隣”は戻るのか。
「がっかりです」——その一言で終わる夫婦が、王宮にはある
柴田はつみ
恋愛
妃の席を踏みにじったのは令嬢——けれど妃の心を折ったのは、夫のたった一言だった
王太子妃リディアの唯一の安らぎは、王太子アーヴィンと交わす午後の茶会。だが新しく王宮に出入りする伯爵令嬢ミレーユは、妃の席に先に座り、殿下を私的に呼び、距離感のない振る舞いを重ねる。
リディアは王宮の礼節としてその場で正す——正しいはずだった。けれど夫は「リディア、そこまで言わなくても……」と、妃を止めた。
「わかりました。あなたには、がっかりです」
微笑んで去ったその日から、夫婦の茶会は終わる。沈黙の王宮で、言葉を失った王太子は、初めて“追う”ことを選ぶが——遅すぎた。
夫と愛し合った翌朝、一方的に離縁されました【完結保証】
星森 永羽(ほしもりとわ)
恋愛
美しい公爵夫人マルグリートは、冷徹な夫ディートリヒと共に、王国の裏で密かに任務をこなす“悪女”。
だがある日、突然夫から離婚を言い渡される。しかもその裏には、平民の愛人の存在が──。
失意の中、王命で新たな婚約者・エルンストと結ばれることに。
どうやら今回の離婚再婚は、王家の陰謀があるよう。
「悪女に、遠慮はいらない」
そう決意した彼女は、華やかな舞踏会で王に真っ向から言い放つ。
「わたくし、人の家庭を壊しておきながら悪びれない方に、下げる頭は持っていませんの。
王族であられる前に、人におなりくださいませ。……失礼」
愛も、誇りも奪われたなら──
今度はこの手で、すべてを取り戻すだけ。
裏切りに燃える、痛快リベンジ・ロマンス!
⚠️本作は AI の生成した文章を一部に使っています。タイトル変えました。コメディーです。主人公は悪女です。
サレ妻の娘なので、母の敵にざまぁします
二階堂まりい
大衆娯楽
大衆娯楽部門最高記録1位!
※この物語はフィクションです
流行のサレ妻ものを眺めていて、私ならどうする? と思ったので、短編でしたためてみました。
当方未婚なので、妻目線ではなく娘目線で失礼します。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる