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第四章 ひとつになる世界
メリザス
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ところ変わって、見渡す限りに純白が広がる土地。緩やかに降る雪が、風に抱かれ舞い踊る。ここは一年を通して寒冷な土地、メリザス。
イレンディアの中で、メリザスは雪が降り水が凍る唯一の地方だ。木々は殆どが針葉樹で、林と言えるほど木々が密集している場所は殆ど無い。
メリザスには、名も無き小さな山々が点在している。名前があるのは南北に続くマロフ山脈と、降りしきる雪を蒸発させながら噴火を続ける活火山、ローレンツ火山のみだ。
朝方、メリザスから南西方向へ向けて、この土地で冷やされた風が運ばれる。そして夕方になると、南西方向からメリザスへ向けて、暖められた風が運ばれてくる。理由は良く分からないが、メリザス地方においては当たり前のことだ。
この周期のため夜から朝方にかけて凍った水は、日が昇る朝から暖かい風が来る夕方にかけて溶け出し、夜になると降雪と共に再び凍る。
想像に難くないが、メリザス地方では農作物が育ちづらい。日照時間が短いこともあるが、もとより不毛の土地であったことが大きい。
遙か昔の人々は、ようやく作物が育ちやすいところを見つけて、その場所を街として造り上げた。その街はメリスと名付けられた。
このような土地においては、食料を安定的に得ることができる者こそが、最も高い地位に就くことができた。そして一旦高い地位に就くと金回りが良くなり、人を雇い他の町との交易が可能となる。
そのようにして生まれた一部の金持ちたちは、僅かだが絶大な権力を行使し、自分に都合の良い人々のみをメリスに住まわせるようになった。
この煽りを受けて追い出された民は、メリスから四日もかかるような場所にあった、海を挟んで対岸にある、過去に人間が住んでいた遺跡へと追いやられた。
メリスの人々は、その遺跡に住まう人々と区別するために、自らの街の名前をグランメリスと変え、遺跡をロウメリスと名付けた。
ロウメリスに追いやられた民は、何とか見窄らしい壁を造り、街の体裁を保とうとした。
メリザス地方の怪物は強力だが、たまたま遺跡の周辺には怪物が寄り付かなかったため、何とか街として存続することができた。
ロウメリスでは、土地が痩せているため、農作物を栽培することができない。育てられるのは、硬い食用肉となる鹿の類を育てることができる草だけだ。ロウメリスの民は草で鹿を育て、その肉を食べて細々と生きてきた。
ロウメリスの生活が嫌になった者達には、二つの選択肢があった。一つはグランメリスと契約して、冒険者となること、もう一つは五日間の過酷な旅を乗り越えて、レムランドへと渡ることだった。
冒険者契約を行うことによって、ロウメリスの住民にもグランメリスでの生活が約束される。『グランメリスの冒険者』となった者達は、契約によってグランメリスの命令通りに活動することが要求される。
要求通りの活動をしない場合、刺客が放たれて、本人ないしは家族が殺されることになる。そのようなリスクを孕んでいても、ロウメリスでは冒険者のなり手が多い。それだけ、ロウメリスの生活とグランメリスの生活には雲泥の差がある。
もう一つの選択肢、レムランドへと渡るのは、かなり危険な賭けとなる。メリザスからレムランドへと旅する途中、どうしてもスノウジャイアントの住まう場所を通り抜けなければならない。
スノウジャイアントは、エレンディア街道にかかっている魔法などお構いなしだ。ひとたびその凄まじいまでの視力を誇る視界の中に入れば、どこまでも追ってくる。
スノウジャイアントは、人間を食べるのが大好きなのだ。スノウジャイアントに喰われた人間は、グランメリスの冒険者であろうと、そうで無かろうとたくさんいる。
スノウジャイアントに見つからないようにする、あるいは戦って倒すのは、グランメリスの冒険者たちに一日の長がある。彼らはグランメリスで訓練をし、武具を揃え、攻守に優れたパーティを作ることができるからだ。
ロウメリス出身で『グランメリスの冒険者』となった者の中には、取り敢えず契約の期間は要求通りの活動をして堪え忍び、時が来たら出て行こうと言う者も少なくない。
そして、ロウメリスをもっと良くするために生きようとするのだ。ナザクスはまさにその一人だった。
しかし、グランメリスにはそれを快く思わない者達がいた。その者達にとって、ロウメリスが発展してしまうのは、鼻持ちならない出来事なのだ。
ナザクスはそんな状況の中でも、寄せ集めのメンバーで良くやってきた。実績も積み上げていたし、その集団戦闘での能力は、他の冒険者の間では評判になっていた。
グランメリスの長ラグリフは、ロウメリス出身の冒険者にある、『ロウメリスを発展させよう』と言う動きを許すことができなかった。
とは言え、危険な仕事を要求される冒険者のなり手は、グランメリスには多くない。そのため、ロウメリス出身者を上手く使いつつ、その手にはチカラを与えないようにコントロールしていた。
このラグリフのコントロールに、ナザクスはまんまと嵌まってしまっていた。今回のエルウィンでの失敗は、大きく取り上げられ、事あるごとに槍玉に挙げられることになるだろう。
きっとナザクスは汚名返上するべく、またよく働くことになるだろう。
そしてラグリフはほくそ笑む。また名うての冒険者を、果て無き泥沼に嵌めてやったと――
◆◆
ジャシードが襲われて三日が経った。スノウブリーズたちと彼らが護衛していた商隊は、ネルニードとの取り決め通り、エルウィンを発とうとしていた。
ナザクスは項垂れ、ミアニルスは塞ぎ込んでいて、いつもの喧しい感じは無かった。レリートは杖に頼ってようやく歩けている程度で、シューブレンは右肩に包帯を巻き、時折痛みに顔を歪めている。
ジャシードは、険しい表情でその様子を見送っていた。良い環境で育ってきたジャシードは、このような出来事に見舞われたことはなかった。
彼の周りの人間は多少の諍いや、気の合う合わずこそあれ、殺し合いに発展する事などありはしなかった。
しかし彼らは違った。成長の過程で異なる価値観を植えつけられてきたであろう彼らは、指令一つで簡単に人を殺そうとしてきた。それそのものは、理由がどうあれ許されることではないだろう。
しかしジャシードは、セグムに言われていた言葉を思い出し、自らの行動もまた恥じていた。
『命は一つしかない。誰もが死んだら終わりだ。だから人の命は、誰の命も大切にしろ――』
追い詰められていた状況こそあれ、他の方法は無かったのか……。あの時ネルニードが止めてくれなかったら、どうなっていたのか……。
きっと人を殺してしまっていただろう。しかも『無意識』に甘えたまま、実感もなく人を殺してしまっていただろう。
それを考えると、ジャシードの胸は張り裂けんばかりに苦しくなった。無意識に身を任せたと言うことは、あの時自分は、ナザクスたちを殺すことを選択したのだ。気が付いたら死体が転がっていた、と言うこともあり得た。
今までそんな気持ちになったことは無かった。それだけに苦しかった。それだけに悲しくなった。
「ナザクス!」
ジャシードは、ナザクスの方へ走り出していた。
ナザクスは足を止め、無言でジャシードの姿を見た。頭の中に、あのオーラに包まれたジャシードの姿が過ぎり、身体が硬くなる。
ナザクスの表情には複雑な思いがあった。負けた悔しさもあるが、今後の事を考えると気分が重かった。
ジャシードによって真っ二つにされ、短く不格好になった『大剣だった物』を背負い、怪物との遭遇もあり得る道程を行かねばならない。
途中で街道の魔法を、ものともしない怪物に遭遇してしまった場合、商隊の人間にまで被害が及ぶ可能性があった。メンバーはミアニルス以外は手負いで、戦えるまでにはまだ時間が必要だった。
メリザスへ入る頃にはきっと、ミアニルスの治癒魔法で何とか戦えるようにはなるだろう。しかしそれまでの間を乗り切る自信がなかった。
そして何より、グランメリスへ戻った後のことを考えると、気が滅入る。契約通り、伝書鳩に『依頼を失敗した』旨を結びつけ飛ばさなければならなかった。グランメリスでどのような扱いを受けるのか、ナザクスたちは考えるだけでもゲンナリしていた。
「僕たちに護衛させてくれないか?」
ジャシードは、ナザクスの目を真っ直ぐに見つめて言った。
「誰がお前なんかに。寝首でも掻くつもりか」
シューブレンは吐き捨てるように言う。
「また、お前を殺そうとするかも知れないぞ」
ナザクスは、ジャシードの目を暫く見つめてから口を開いた。
「もう君たちには、僕を殺さなきゃいけない理由がない。違うかい?」
「…………そうだな。もう、ない。オマケに武器もない。それに……やろうとしたところで、逆襲されるだけだ」
ナザクスは静かに言った。
「このまま行っては、どこかでやられてしまうよ」
ジャシードの言葉を聞いて、ナザクスは黙って考えていた。
「ナズ、行くぞ。そんなのに構うな。もう終わったんだ」
シューブレンが歩き出した。レリートも杖を突きながら後ろを付いていく。
「あたし、怖い。怖いよぉ……」
ミアニルスは小刻みに震えていた。ミアニルスは、まだ狂気のジャシードが迫ってくる映像が、頭から離れない。
ナザクスはまだ、考えていた。このまま行くリスクも考える必要もあった。無駄死にしたいとは思わないし、させたいとも思わない。
仲間はもとより、商隊を護衛する必要があった。彼らは完全なる非戦闘員であり、武器を持ってはいるものの、戦力として期待してはいけない。
——ナザクスには守り切る自信が無かった。現状では、仲間を守るだけで精一杯だと判断した。
「……頼めるか。だが、悪いが、払える対価はない」
ナザクスは絞り出すように言った。
「いいとも」
ジャシードはしっかりと頷いた。ネルニードが稽古をつけてくれると言っていたが、一旦それはお預けだ。後でネルニードに、その旨を告げに行かねばならない。
ジャシードは、ナザクスたちの護衛をすると仲間たちに告げた。ガンドは反対したし、マーシャもいい顔をしなかった。ただ一人、スネイルだけは二つ返事で付いていくと言った。
「アニキは、殺されそうになった方だよ。なのに、なのにそんなやつらを護衛するなんて、普通の人には言えない。底なしに優しいアニキだからこそ言えるんだ。だから、おいらは付いていく。でも、おいらはナザクスのためじゃない。アニキを守るために行く」
スネイルは素早く準備に取りかかった。
スネイルの言葉で、マーシャとガンドはハッとして、それぞれ準備に取りかかった。
ヒートヘイズは、ジャシードがリーダーだし、彼は文句なしに強い。それでも、みんなで協力してこれまで戦ってきた。それは彼が背中を預けてくれるからだ。
スネイルはジャシードに背中を預けられるし、預けて欲しいとも思っている。だから、ジャシードが行くところには、地の果てまでも無条件で付いていくつもりなのだ。
ガンドはスネイルの言葉で、三人で訓練をしていたときの気持ちを思いだした。三人はヒートヘイズのパーティとして、これまでもこれからも一緒だ。
そう思えたのも、ジャシードの人となりに、スネイルもガンドも惚れ込んだからだ。ジャシードが行くと言うなら、ジャシードを守るために行くのが仲間だろう。
マーシャも自らを恥じた。『ジャッシュを助ける人に、なる!』と書かれたあの紙は何だったのか。ジャシードを助けるという言葉は、マーシャの気持ちを押しつけるものでは無かったはずだ。
マーシャ個人としては、ジャシードを殺そうとしたスノウブリーズたちを許すことはできない。そればかりか、今すぐ魔法で消し炭にしてやりたいほどだ。
しかしマーシャが如何にスノウブリーズたちを憎もうとも、彼がやると言うのなら、マーシャはジャシードを助けるために動く。それが危険を孕んでいたとしても、マーシャは全力でジャシードを助ける人になるべきだと気づかされた。志は貫いてこそ価値があるのだ。
「バラルさんも行くのよね?」
マーシャは準備をしながら、パイプを吹かしているバラルに顔を向けた。
「すまんが、わしは行かん。やらねばならんことができたんでな。ジャシードも了承済みだ」
バラルは煙とともに声を出した。
「あら、どんな用事なの?」
「念のため言うな、と言われておる」
「誰に?」
「マーシャルだ」
「ヒートヘイズ同士で秘密ができるなんて、何だか嫌ね」
マーシャは頬を膨らませた。
「済まんな。攻撃できる魔法使いはお前だけになる。頼んだぞ」
バラルは揺らめく煙を吐き出した。
「言われなくても、キッチリやるわ」
「そう言うと思っておったぞ」
マーシャが杖をバラルに向けて言ったのを見て、バラルはニヤリとした。
こうしてヒートヘイズの四人は、スノウブリーズの護衛として、グランメリスを目指す旅が始まった。
イレンディアの中で、メリザスは雪が降り水が凍る唯一の地方だ。木々は殆どが針葉樹で、林と言えるほど木々が密集している場所は殆ど無い。
メリザスには、名も無き小さな山々が点在している。名前があるのは南北に続くマロフ山脈と、降りしきる雪を蒸発させながら噴火を続ける活火山、ローレンツ火山のみだ。
朝方、メリザスから南西方向へ向けて、この土地で冷やされた風が運ばれる。そして夕方になると、南西方向からメリザスへ向けて、暖められた風が運ばれてくる。理由は良く分からないが、メリザス地方においては当たり前のことだ。
この周期のため夜から朝方にかけて凍った水は、日が昇る朝から暖かい風が来る夕方にかけて溶け出し、夜になると降雪と共に再び凍る。
想像に難くないが、メリザス地方では農作物が育ちづらい。日照時間が短いこともあるが、もとより不毛の土地であったことが大きい。
遙か昔の人々は、ようやく作物が育ちやすいところを見つけて、その場所を街として造り上げた。その街はメリスと名付けられた。
このような土地においては、食料を安定的に得ることができる者こそが、最も高い地位に就くことができた。そして一旦高い地位に就くと金回りが良くなり、人を雇い他の町との交易が可能となる。
そのようにして生まれた一部の金持ちたちは、僅かだが絶大な権力を行使し、自分に都合の良い人々のみをメリスに住まわせるようになった。
この煽りを受けて追い出された民は、メリスから四日もかかるような場所にあった、海を挟んで対岸にある、過去に人間が住んでいた遺跡へと追いやられた。
メリスの人々は、その遺跡に住まう人々と区別するために、自らの街の名前をグランメリスと変え、遺跡をロウメリスと名付けた。
ロウメリスに追いやられた民は、何とか見窄らしい壁を造り、街の体裁を保とうとした。
メリザス地方の怪物は強力だが、たまたま遺跡の周辺には怪物が寄り付かなかったため、何とか街として存続することができた。
ロウメリスでは、土地が痩せているため、農作物を栽培することができない。育てられるのは、硬い食用肉となる鹿の類を育てることができる草だけだ。ロウメリスの民は草で鹿を育て、その肉を食べて細々と生きてきた。
ロウメリスの生活が嫌になった者達には、二つの選択肢があった。一つはグランメリスと契約して、冒険者となること、もう一つは五日間の過酷な旅を乗り越えて、レムランドへと渡ることだった。
冒険者契約を行うことによって、ロウメリスの住民にもグランメリスでの生活が約束される。『グランメリスの冒険者』となった者達は、契約によってグランメリスの命令通りに活動することが要求される。
要求通りの活動をしない場合、刺客が放たれて、本人ないしは家族が殺されることになる。そのようなリスクを孕んでいても、ロウメリスでは冒険者のなり手が多い。それだけ、ロウメリスの生活とグランメリスの生活には雲泥の差がある。
もう一つの選択肢、レムランドへと渡るのは、かなり危険な賭けとなる。メリザスからレムランドへと旅する途中、どうしてもスノウジャイアントの住まう場所を通り抜けなければならない。
スノウジャイアントは、エレンディア街道にかかっている魔法などお構いなしだ。ひとたびその凄まじいまでの視力を誇る視界の中に入れば、どこまでも追ってくる。
スノウジャイアントは、人間を食べるのが大好きなのだ。スノウジャイアントに喰われた人間は、グランメリスの冒険者であろうと、そうで無かろうとたくさんいる。
スノウジャイアントに見つからないようにする、あるいは戦って倒すのは、グランメリスの冒険者たちに一日の長がある。彼らはグランメリスで訓練をし、武具を揃え、攻守に優れたパーティを作ることができるからだ。
ロウメリス出身で『グランメリスの冒険者』となった者の中には、取り敢えず契約の期間は要求通りの活動をして堪え忍び、時が来たら出て行こうと言う者も少なくない。
そして、ロウメリスをもっと良くするために生きようとするのだ。ナザクスはまさにその一人だった。
しかし、グランメリスにはそれを快く思わない者達がいた。その者達にとって、ロウメリスが発展してしまうのは、鼻持ちならない出来事なのだ。
ナザクスはそんな状況の中でも、寄せ集めのメンバーで良くやってきた。実績も積み上げていたし、その集団戦闘での能力は、他の冒険者の間では評判になっていた。
グランメリスの長ラグリフは、ロウメリス出身の冒険者にある、『ロウメリスを発展させよう』と言う動きを許すことができなかった。
とは言え、危険な仕事を要求される冒険者のなり手は、グランメリスには多くない。そのため、ロウメリス出身者を上手く使いつつ、その手にはチカラを与えないようにコントロールしていた。
このラグリフのコントロールに、ナザクスはまんまと嵌まってしまっていた。今回のエルウィンでの失敗は、大きく取り上げられ、事あるごとに槍玉に挙げられることになるだろう。
きっとナザクスは汚名返上するべく、またよく働くことになるだろう。
そしてラグリフはほくそ笑む。また名うての冒険者を、果て無き泥沼に嵌めてやったと――
◆◆
ジャシードが襲われて三日が経った。スノウブリーズたちと彼らが護衛していた商隊は、ネルニードとの取り決め通り、エルウィンを発とうとしていた。
ナザクスは項垂れ、ミアニルスは塞ぎ込んでいて、いつもの喧しい感じは無かった。レリートは杖に頼ってようやく歩けている程度で、シューブレンは右肩に包帯を巻き、時折痛みに顔を歪めている。
ジャシードは、険しい表情でその様子を見送っていた。良い環境で育ってきたジャシードは、このような出来事に見舞われたことはなかった。
彼の周りの人間は多少の諍いや、気の合う合わずこそあれ、殺し合いに発展する事などありはしなかった。
しかし彼らは違った。成長の過程で異なる価値観を植えつけられてきたであろう彼らは、指令一つで簡単に人を殺そうとしてきた。それそのものは、理由がどうあれ許されることではないだろう。
しかしジャシードは、セグムに言われていた言葉を思い出し、自らの行動もまた恥じていた。
『命は一つしかない。誰もが死んだら終わりだ。だから人の命は、誰の命も大切にしろ――』
追い詰められていた状況こそあれ、他の方法は無かったのか……。あの時ネルニードが止めてくれなかったら、どうなっていたのか……。
きっと人を殺してしまっていただろう。しかも『無意識』に甘えたまま、実感もなく人を殺してしまっていただろう。
それを考えると、ジャシードの胸は張り裂けんばかりに苦しくなった。無意識に身を任せたと言うことは、あの時自分は、ナザクスたちを殺すことを選択したのだ。気が付いたら死体が転がっていた、と言うこともあり得た。
今までそんな気持ちになったことは無かった。それだけに苦しかった。それだけに悲しくなった。
「ナザクス!」
ジャシードは、ナザクスの方へ走り出していた。
ナザクスは足を止め、無言でジャシードの姿を見た。頭の中に、あのオーラに包まれたジャシードの姿が過ぎり、身体が硬くなる。
ナザクスの表情には複雑な思いがあった。負けた悔しさもあるが、今後の事を考えると気分が重かった。
ジャシードによって真っ二つにされ、短く不格好になった『大剣だった物』を背負い、怪物との遭遇もあり得る道程を行かねばならない。
途中で街道の魔法を、ものともしない怪物に遭遇してしまった場合、商隊の人間にまで被害が及ぶ可能性があった。メンバーはミアニルス以外は手負いで、戦えるまでにはまだ時間が必要だった。
メリザスへ入る頃にはきっと、ミアニルスの治癒魔法で何とか戦えるようにはなるだろう。しかしそれまでの間を乗り切る自信がなかった。
そして何より、グランメリスへ戻った後のことを考えると、気が滅入る。契約通り、伝書鳩に『依頼を失敗した』旨を結びつけ飛ばさなければならなかった。グランメリスでどのような扱いを受けるのか、ナザクスたちは考えるだけでもゲンナリしていた。
「僕たちに護衛させてくれないか?」
ジャシードは、ナザクスの目を真っ直ぐに見つめて言った。
「誰がお前なんかに。寝首でも掻くつもりか」
シューブレンは吐き捨てるように言う。
「また、お前を殺そうとするかも知れないぞ」
ナザクスは、ジャシードの目を暫く見つめてから口を開いた。
「もう君たちには、僕を殺さなきゃいけない理由がない。違うかい?」
「…………そうだな。もう、ない。オマケに武器もない。それに……やろうとしたところで、逆襲されるだけだ」
ナザクスは静かに言った。
「このまま行っては、どこかでやられてしまうよ」
ジャシードの言葉を聞いて、ナザクスは黙って考えていた。
「ナズ、行くぞ。そんなのに構うな。もう終わったんだ」
シューブレンが歩き出した。レリートも杖を突きながら後ろを付いていく。
「あたし、怖い。怖いよぉ……」
ミアニルスは小刻みに震えていた。ミアニルスは、まだ狂気のジャシードが迫ってくる映像が、頭から離れない。
ナザクスはまだ、考えていた。このまま行くリスクも考える必要もあった。無駄死にしたいとは思わないし、させたいとも思わない。
仲間はもとより、商隊を護衛する必要があった。彼らは完全なる非戦闘員であり、武器を持ってはいるものの、戦力として期待してはいけない。
——ナザクスには守り切る自信が無かった。現状では、仲間を守るだけで精一杯だと判断した。
「……頼めるか。だが、悪いが、払える対価はない」
ナザクスは絞り出すように言った。
「いいとも」
ジャシードはしっかりと頷いた。ネルニードが稽古をつけてくれると言っていたが、一旦それはお預けだ。後でネルニードに、その旨を告げに行かねばならない。
ジャシードは、ナザクスたちの護衛をすると仲間たちに告げた。ガンドは反対したし、マーシャもいい顔をしなかった。ただ一人、スネイルだけは二つ返事で付いていくと言った。
「アニキは、殺されそうになった方だよ。なのに、なのにそんなやつらを護衛するなんて、普通の人には言えない。底なしに優しいアニキだからこそ言えるんだ。だから、おいらは付いていく。でも、おいらはナザクスのためじゃない。アニキを守るために行く」
スネイルは素早く準備に取りかかった。
スネイルの言葉で、マーシャとガンドはハッとして、それぞれ準備に取りかかった。
ヒートヘイズは、ジャシードがリーダーだし、彼は文句なしに強い。それでも、みんなで協力してこれまで戦ってきた。それは彼が背中を預けてくれるからだ。
スネイルはジャシードに背中を預けられるし、預けて欲しいとも思っている。だから、ジャシードが行くところには、地の果てまでも無条件で付いていくつもりなのだ。
ガンドはスネイルの言葉で、三人で訓練をしていたときの気持ちを思いだした。三人はヒートヘイズのパーティとして、これまでもこれからも一緒だ。
そう思えたのも、ジャシードの人となりに、スネイルもガンドも惚れ込んだからだ。ジャシードが行くと言うなら、ジャシードを守るために行くのが仲間だろう。
マーシャも自らを恥じた。『ジャッシュを助ける人に、なる!』と書かれたあの紙は何だったのか。ジャシードを助けるという言葉は、マーシャの気持ちを押しつけるものでは無かったはずだ。
マーシャ個人としては、ジャシードを殺そうとしたスノウブリーズたちを許すことはできない。そればかりか、今すぐ魔法で消し炭にしてやりたいほどだ。
しかしマーシャが如何にスノウブリーズたちを憎もうとも、彼がやると言うのなら、マーシャはジャシードを助けるために動く。それが危険を孕んでいたとしても、マーシャは全力でジャシードを助ける人になるべきだと気づかされた。志は貫いてこそ価値があるのだ。
「バラルさんも行くのよね?」
マーシャは準備をしながら、パイプを吹かしているバラルに顔を向けた。
「すまんが、わしは行かん。やらねばならんことができたんでな。ジャシードも了承済みだ」
バラルは煙とともに声を出した。
「あら、どんな用事なの?」
「念のため言うな、と言われておる」
「誰に?」
「マーシャルだ」
「ヒートヘイズ同士で秘密ができるなんて、何だか嫌ね」
マーシャは頬を膨らませた。
「済まんな。攻撃できる魔法使いはお前だけになる。頼んだぞ」
バラルは揺らめく煙を吐き出した。
「言われなくても、キッチリやるわ」
「そう言うと思っておったぞ」
マーシャが杖をバラルに向けて言ったのを見て、バラルはニヤリとした。
こうしてヒートヘイズの四人は、スノウブリーズの護衛として、グランメリスを目指す旅が始まった。
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