みちのく・王子綺譚

不来方久遠

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みちのく・王子綺譚① お稲荷新聞

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 開け放たれた窓から、甲子園での高校野球のラジオ中継が聞えていた。
 気象庁の観測史上でも、記録的な酷暑の夏だった。
 隣接するマンションのエアコンの室外機から、大量の熱風が出ていた。
 爺さんの部屋には、熱風の吹きつける古い扇風機だけが回っていた。
 ささやかだが、節電して少しでも世の中のエネルギー事情に貢献したいと思い、
砂漠のような暑さを我慢していた。
 熱帯夜が明け、早朝にもかかわらず外気は30度を叩き出していた。
 強い朝日が、アスファルトを焦がすような勢いだった。
 雑居ビルの隙間から洩れた陽射しは、神社の境内をも照り返していた。
 爺さんの小脇に抱えられた新聞が落ちた。
 爺さんは、急激に気分が悪くなり、落し物をした事すら気付かず意識朦朧とな
ってヨロヨロと歩を進めた。
 石段を降りる頃には、熱中症でバッタリとそこに突っ伏した。
 朝、いつものように俺は喫茶店に行き、ラックを見たが経済紙だけがなかった。
 店内の全てのテーブルを見たが、誰も経済紙を呼んでいる客はいなかった。
「あの…いつもの経済紙は?」
 俺は、注文を取りに来たウエイトレスに経済新聞がないか聞いた。
 ウエイトレスは、その辺を探した後、奥にいる店主に聞きに行っているようだ
った。
 半年近く通って、コーヒーの注文以外の言葉を初めて交わした。
 今日は、まだ配達されていないと言う。
 不配……
 こんな事は初めてだった。
 専売業界では、不配と言って、新聞を配達し忘れた事を意味する。
 大体、コーヒーを飲みたいから毎日来ているわけではない。
 この店の経済新聞に用があるのだ。
 俺は、経済紙が近くに落ちているんじゃないかと思って店の外に出た。
 路上で、爺さんが倒れていた。
 俺は、爺さんを介抱した。
 顔面蒼白の爺さんは、弱い息をしていた。
 携帯電話を開いて、119番を押した。
 10分もすると、救急車のサイレン音がけたたましく反響してきた。
 音を聞き付けて、どこからともなく野次馬が涌いてくる。
 救急隊員に事情を聞かれたが、ただの通りすがりの俺には、意識の薄れた爺さ
んの素性を答える事などできなかった。
 自分の連絡先を聞かれたので、別に隠す必要もなく教えた。
 夏の間、命を削るように狂おしく鳴き散らしていたセミが、炎天下の道端に仰
向けになり、羽をバタつかせて起き上がる体力もなく、僅かに手足を動かしても
がいていた。
 爺さんを乗せた救急車のタイヤが迫ってきた。
 ギーッ…
 断末魔のような唸りと共に、セミが踏み潰された。
 ペシャンコになった亡骸は、一瞬にして熱風に四散した。
 救急車が去ると、野次馬も雲散霧消していて、静けさが戻っていた。
 急な事だったので気付かなかったが、目の前は王子稲荷神社だった。
 神社の境内に通じる石段には、頑丈そうな防護扉が閉まっていた。
 平日の日中は境内に併設された幼稚園が、不審者から園児を守るための防護策
をとっているらしい。
 フェンスの鉄格子越しに見えるキャッキャッと駆け回る児童達の様子は、まる
で動物園の檻に入れられた猿を思わせた。
 少し大袈裟な気がしたが、何かと物騒な事件が頻発するご時世では、このくら
いの危機管理はむしろ当然なのだろう。
 猿達の喧騒を避けるため中央の石段を迂回して、何かに誘われる感じで脇の急
な坂道を登った。
 奇遇だが、道をはさんで梅雨時までは通っていた専門学校の裏口があった。
 俺は、学校には背を向け、神社の脇道に迷い込んで行った。
 すると、狛犬ならぬ二匹の狛狐が参道の両脇で俺を迎えた。
 狐の顔をうかがうと、逆にこっちが覗き見られている感じがするのは気のせい
だろうか!?
 神様の命を伝える使者の化身である狐を過ぎると、その先に新聞が落ちていた。
 近づいて見ると、それは経済新聞だった。
 我が眼を疑いつつ中を開くと、驚いた事に株式市況の欄に赤い○印があった。
 後ろを振り向いて、入口の二匹の狐を見比べた。
 狐に化かされたのかと思いながらも、何とかその日のディーリングに間に合っ
た。
 次の日は、嫌な予感を抱いて喫茶店に行った。
 ラックには、経済紙が入っていた。
 杞憂だったと、胸を撫で下ろしながらその紙面を広げた。
 株式市況の隅から隅まで眼を皿のようにして探したが、赤い○印は無かった。
 こんな事は今まで一度も無かったが、たまたま何かの事情で印を付け忘れたの
かもしれない。
 無理やり、自身を納得させた。
 そうとでもしなければ、その日一日狂いそうになった。
 だが、翌日も同じだった。
 結局、稲荷神社の狐の側に新聞が落ちていた日を境にして、喫茶店の経済紙に
は印が付かなくなっていた。
 一体、どういう事だ?
 店に経済紙があるのは確認していたが、稲荷神社に行ってみた。
 狐の回りを見たが、何も落ちていなかった。
 ますます、狐に化かされたのかと思った。
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