永遠というもの

風音

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アーサー

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アーサーの言葉がクリスの心を抉っていく。
心のどこかで思いながらも、認めないようにしてきた現実を、無理矢理突きつけられる。
黙り込んだクリスに何を思ったのか、それきりアーサーは口を閉ざす。
床に蹲ったまま、アディエイルのことを思い出す。
クリスだけ、と言いながら、違う人の手を取って行ってしまった。
その現実が辛すぎて、涙も出てこない。
心が麻痺してしまったように、何も感じなかった。

気がつけば馬車が止まっていた。
「乗り換えだよ」
そう言われ、再び荷物のように担がれ、違う馬車に乗せられる。
今度は辛うじて座席には寝かせてもらえた。
乗り換えの時、ちらりと見えた景色は、どこかの草原地帯だった。
王都からは随分離れてしまったらしい。
こんな速さで移動しているのに関わらず、中はほとんど揺れない。
結構な距離を移動している気がする。
先程から、手足を動かそうと試みるも、まるで力が入らない。
已む無く横になったまま、わずかに見える空を見る。
何もない空は、今のクリスの心模様と同じだった。

あれから三回馬車を替えた。
いずれも揺れを感じさせない特別製の馬車。
そう言った馬車を替えとして何台も用意できるとは、裕福な人なのだろうと伺える。
少し前に空が暗くなった。
夕べのような流れ星は今日はもうない。
流れ星を見ていたのが、遠い昔のようだ。
やがて石造りの屋根の中に入り、外で何やら声がしたが、それも束の間、再び馬車は動き出す。
月が昇り、ずいぶん経って、また馬車が止まった。
今度はアーサーが降りていく。
代わりに見知らぬ人が入って来た。
茶色い髪のアーサーと同じくらいの年頃の人だった。
その人はクリスを抱きかかえると、目の前の白っぽい石造りの建物の中に入る。
中は余計な装飾などほとんどない、質素な造りの建物だった。
その廊下の突き当りの部屋で、寝台の上に降ろされる。
「長旅お疲れ様でございました。今夜はこちらでお休みください」
その人はそう言って、出て行ってしまった。
一人になった部屋で思い切って口に出してみる。
「・・・アル・・・」
愛しいはずの人の名を呼んでみても、何もない。
愛しさも、悲しさも、淋しさも、何もない。
ただぽっかりと穴が開いたような、虚無感。
クリスはその穴を見つめ続けた。

気がついて初めて眠っていたのだと知った。
眩しい朝の光が差す室内は、夕べ連れてこられた部屋だ。
手足は動かそうとしても、相変わらず指一本動かせない。
そして、衣装を替えられていることに気がついた。
知らない間に昨日の人が着替えさせたのだろうか。
ぼんやり考えていると、扉が開く音がした。
「お目覚めでしたか」
昨日の人だった。
その人は、いくつもクッションを置くと、そこにクリスの上体を起こして支えにしてくれた。
「いつまでも横になったままではきついでしょう」
そして、果実水の入ったグラスをクリスの口につける。
少し水分を取ると、急に喉の渇きを覚えて、与えられるまま飲み干した。
それを確認すると、その人は頭を下げて出て行った。
「起きたみたいだね。気分はどう?」
明るい声でアーサーが入ってくる。
今一番聞きたくない声に、返事を返す気力もない。
「今日からここが君の住むべきところだ。君の国とは色々違うかもしれないけど、その内慣れるよ」
「国?」
何を言っているのかわからず、聞き返す。
「ああ、そう言えば正式な自己紹介をしていなかったね。僕はガーランド国の第三王子。つまりここはガーランド国で、君はこれからこの国で生活することになるね」
遠くまで移動したかもしれない、とは思っていたが、まさか国境も超えていたとは。
驚愕にクリスは目を見張る。
「ここは僕の別邸。君を置いておくにはちょうどいいと思ってね」
そう言って、にこやかにクリスを見る。
「新しい国で新しい人生をやり直せばいい。ただし、僕に飽きられないようにしてね」
「なにを言って・・・?」
「僕は飽きるのが早いんだ。飽きたらさっさと捨てちゃうよ。そうしたら君はどうやって生きていく?勝手に国境を越えてきたんだ。帰る方法もない」
恐ろしいことを次々並べたてるアーサーに、クリスは青くなる。
「勝手なことを!貴方が無理矢理連れてきたくせに!」
言葉を荒げるクリスの顎を掴む。
「元々、こうなる運命だったんだよ。アディエイルに邪魔されたけど、伯爵とはちゃんと約束してたんだから」
「・・・なぜ、その名前・・・」
いきなり頭を殴られたような衝撃が走る。
また幽霊のように現れた名前。
「色々アディエイルに邪魔されちゃったけど、これで本来の順序になったよ。唯一アディエイルに感謝してることと言えば、君の返却期限がなくなったってことだね」
紙のような顔色になったクリスにさらに畳み掛ける。
「アディエイルも今頃アリシアと一緒さ。さすがに隣国の姫を無下にはできなかったんだね。だから、君は君で楽しんだ方が君のためだよ。あんな奴に義理立てすることはない」
何も言えずにいるクリスの頬を撫でて部屋を出る。
その間際。
「ああ、今の状態の君をどうこうするつもりはないよ。しばらくすれば、手足は動くようになる。君のことはそれからだね」
そう言い残して部屋を出て行った。
クリスの前にあるのは、ただ絶望だけだった。
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