影武者の天下盗り

井上シオ

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第10章:虚構の終焉

第82話:逆賊と少年

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 深夜、月のない空の下。

 湖畔の森に、馬が一頭。背にはひとりの男が乗る。

 それは――信長の影、十兵衛。
 

 「……来るか?」

 呟いた言葉に、森が答えた。

 ざわり、と風が葉を撫で、もう一頭の馬が現れた。

 その背にいたのは、まだ少年と呼べる若者。
 肩に“桔梗の紋”をつけた旅装。目元はあまりに静かで、しかしその奥には炎を宿していた。
 

 「お初にお目にかかる、明智光慶殿――で、よろしいか」
 

 十兵衛がそう問えば、少年は静かに首肯する。
 

 「そなたが、“信長”か?」
 

 まるで試すようなその声に、十兵衛は応える。
 

 「そう名乗っておる。だが、本当の名は……十兵衛という。かつて、影武者だった」
 

 光慶の眉が微かに動いた。

 それでも動じない。
 

 「――なぜ、名乗る? 殺しに来た私に、正体を明かすとは」
 

 「殺せると思っているのなら、それでもよいさ」

 十兵衛は笑った。
 

 「だが、“おまえもまた、誰かの影ではないのか”と、気になったのだ」
 

 沈黙。

 光慶はしばし目を伏せると、かすかに口を開いた。
 

 「……私は、祖父を知らぬ。名だけを受け継ぎ、正義だけを教えられた。
 “信長を討ったのは正義”と。だが、なぜだったのか、誰も語らぬ」
 

 「だから……戦いを選んだ?」
 

 「……この国の“過去”に問うために。“信長”という象徴に。」
 

 十兵衛は馬から降り、歩いて光慶に近づいた。
 

 「その“信長”はもういない。かつての信長も、この私も、ただの人だ。
 だがな……“信じる者がいる限り”、それは名を超える」
 

 そして、声を落とした。
 

 「おまえは“正義”をなぞって生きるな。己で選べ。名ではなく、意思で立て」
 

 光慶の拳が震える。

 だがそれは恐れではなく、心を揺さぶられた証だった。
 

 「……私が、“明智”を捨てたら?」
 

 「そのときは――“名を継ぐ者”として、私の敵ではなくなる」
 

 ふたりの間に、風が吹いた。

 剣も槍も交えず、ただ想いが交錯した、月のない夜。
 

 やがて光慶は、馬を返すと静かに告げた。
 

 「……会えてよかった。あなたが“本物”か“偽物”かは、まだわからない。
 でも、私には、祖父よりも“父”のように思えた」
 

 そう言い残し、去っていく。

 その背を、十兵衛は黙って見つめていた。
 

 「影が、影に名を継がせる日が来るとはな……」
 

 そう呟いた声は、夜に消えた。
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