君の隣の理由

名瀬 千華

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動き続ける別々の時間

【 高校1年 春 】

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【 紘樹side 】


『城田くんとばっかり一緒にいてキモいんだけど』
『ごめん、そんなこと言う奴ともう一緒にいたくない』
『城田くんより私ともっと一緒にいてって
言ってるだけじゃん!』
『もう無理、じゃーな』
『待ってよ!紘樹くん!!』

買ったばかりのいちごオレ片手に俺はでかいため息をついた。
各教室で帰りのホームルームが終わり、
たくさんの生徒が至る所で談笑している。
教室を出た廊下の手すりに背中を預けうな垂れる。

「そっかー、1ヶ月ももたなかったかー(笑)」
「笑い事じゃねーっつーの」
「ま、彼氏の友達のこと悪く言い出したらもう終わりだよねー」
「だろ~。一気に冷めた」
「絵里の性格だと色々許せなかったのかな~。
仕方ないわ、相手が悪かった!次に期待!」
「いやぁ、俺もう当分彼女いらないわ」
「ええー!そんな顔してもったいない!」
「どんな顔だよ」

いちごオレにストローを刺して一口飲んだ。
絵里は1ヶ月弱付き合った彼女だった。
高校に入学した日に知り合って
少ししてから告白されて
付き合ったものの嫉妬だの束縛だの
結構激しめの女だった。
昨日のあの言葉... 敬のことを言われた時、
俺の中で全てが終わった。
そのことを隣で笑っているこの女子、
愛美に聞いてもらっていた。

「私が碧(あお)と付き合ってなかったら
ひろくんと付き合ってあげてもよかったけど!」
「やだよ、愛美みたいな怖い女」
「ひっどー!そんなんだから女運悪いんだよ!」
「うっせ!...このこと、敬に言うなよ」
「大丈夫、わかってる」

愛美はニコッと笑った。
気は強いし言葉もたまにきついけど
約束は守るし口が固くて信用はできるやつだ。
俺は残りのいちごオレを一気に飲み干した。

「お待たせ~」
「おー、敬っておい!?どうしたその顔」
「体育今サッカーなんだけど転けた(笑)」
「やべぇな、顔面から?」
「そ!(笑)掌と膝もやばい(笑)」
「うわぁ痛そぉぉ!お大事に...」

そこそこ盛大に転けたのか
右頬にでかいガーゼが貼り付けられ、
見せてきた掌と膝は擦りむけていた。
さすがに愛美も笑わず言葉をかけていた。
敬は笑いながら捲し上げたズボンを下げる。
中庭にある時計はもう16時をさしていた。

「じゃ、私もう行くわ!」
「おう、また明日なー」
「ばーい」

よいしょっと言いながら
足元に置いていた鞄を肩に斜めにかけて
手を振りながら愛美は去っていった。
愛美には中2から付き合っている一つ上の彼氏がいる。
毎日登下校を一緒にしてるから
きっと待ち合わせ場所に向かったんだろう。

「なぁ紘樹、帰り薬局寄っていい?」
「おう、じゃー俺らも帰るかー」

鞄を肩に斜めがけして俺たちは下駄箱へ向かった。

「俺さー、絵里と別れたんだよねー」
「え?まじ?早かったな(笑)」
「いやー、なんかめんどくなってさ」

校門を出て薬局へ向かう途中
先程愛美に話したことを敬にも話した。
どうして別れたかは伏せた。
敬のこと悪く言われたからなんて言ったら
俺のせい?とか思われそうでちょっと嫌だった。
付き合ってた頃もよく絵里の話を敬にしていたからか、
妙に納得したような、安心したような顔で聞いていた。

薬局に入るなり別行動で敬は絆創膏やガーゼが並ぶエリアに向かう。
優柔不断な俺とは違って敬は選ぶことが早い。
俺がぼーっとドリンクエリアで商品を見ている間に
敬は買い物袋をぶら下げて俺の横に立った。

「そういえばふと思ったんだけどさ」
「んー?」
「敬って彼女つくんないの?」
「...」

すぐに返ってこない返事に違和感を覚え、
目線を敬に向けた。
敬は俺と同じようにドリンクをぼーっと見ていた。
え?聞いてる?っと思った瞬間口を開いたのは敬だった。

「...つくらないってか、いらない...かな」
「俺も今日、それに行き着いた」

敬はフッと笑った。
俺も苦笑い。
結局それ以上特に何も買うことなく薬局を後にした。
俺らの家は同じ団地の中にあった。
家も近いし年も一緒だし親同士も仲良かったから
幼稚園からずっと一緒に育ってきた。
小中高と一緒だけど、敬に彼女ができたって話は
一度も聞いたことがない。
別に外見は悪くないし、性格も良いし
モテないわけではないけど
敬はあまり恋愛に興味ないらしい。

「じゃ、また明日なー!」
「おーう、怪我お大事にな!」
「あんがと!」

俺の家の斜め下に敬の家がある。
一段高くなっている土地に向かう階段下で
敬と別れた。


………………………………………………………………




「あの...もし良かったら...っ私と付き合ってください!」
「あー...ごめん。でもありがとう」

絵里と別れたことは1日にしてそこら中の生徒が
知っていた。
たぶん、絵里本人が言いまくっているんだろう。
誰かと付き合ってる間は誰も寄り付かなくなるけど
こうやって別れたとなると、よく告白されるようになる。
これもまた俺にとっては鬱陶しいこと限りない。
真っ赤になった顔を髪で隠しながら
階段を降りていく女子をぼーっと見ていた。

クラス代表の敬は提出課題を先生に出しに行っていて、
愛美はさっさと帰ってしまっていたし、
教室で1人スマホを触っていたら
名前も知らない女子に呼び出され今に至る。
勝手に告白してきて振られて
泣きそうな顔でさっていくって...
こうやって毎回俺が悪いみたいな感じになるのが
どうしても納得いかない。
でかいため息を一つついて教室に戻った。

「走って行ったのうちの女子だったな~
名前忘れたけど」
「敬...」

用事が済んだんだろう、教室に入ると
俺の席に敬が座っていた。
前の席に俺も座りもう一度でかいため息を吐いた。
そんな俺を見ながら敬がいちごオレを出してきた。

「気がきくねぇ~」
「何年一緒にいると思ってんだよ」
「おごりな」
「へいへい」

机に置かれたいちごオレにストローを刺して口に運んだ。
敬も自分用にカフェオレを買っていたようで
同じように口に運んでいた。
ほとんどの生徒がいなくなった教室や廊下は
妙に静かでしんみりしていて、夕日が照らしていた。

「その子にとっては一世一代の大告白なのかもしれんけど、さすがに名前も知らないような子とポンポン付き合うほど遊んでないんだよなぁ、俺。」
「そうだな」
「でも毎回泣かれてさ、俺が悪いみたいになるこの瞬間が本当クソだるい」
「そんなことねぇよ、気にすんな」

敬はニコッと笑った。
そういえばこんな話を敬にしたのは2度目だったか。
中学の頃も同じことを思った。
あの頃はここまで心が強くなってなかったからか、
振られて泣いていく女の子をみて俺も泣いた。
自分が悪いのか... 付き合わなかった俺が...
そう責められてる気がして、自分も自分で責めた。
そんな時敬が言ってくれた。

『告白してくれてありがとうって言ってあげたら?
きっと色々悩んで伝えにきてくれてるんだからさ』

なんとなくその言葉に納得して心が軽くなって
それから俺は告白されたら謝罪と感謝を
言うようにした。
それでも相変わらず暗い顔して去っていくけど、
前ほど俺は自分を追い詰めるような考え方はしなくなった。

「そういえば今日愛美が言ってたぜー」
「何をー?」
「絵里ちゃんが紘樹との別れを未練タラタラに話してるって~」
「やっぱりあいつが言いふらしてんのな...」
「めっちゃうざいって(笑)
それに、有る事無い事喋ってるからあんまり気にしないでって言ってたな」
「そっか...」

愛美なりに気を遣ってくれたんだろう。
最終的に別れた原因が、俺が敬と一緒にいすぎだからって...
それを敬の耳に入れたくない俺のことを
たぶん理解してくれての言葉だったと思う。
他の女子と話すなとか、友達より自分優先にしろとか...
挙句の果てに彼氏の友達にすらケチつけるような女...
そんなのと上手くやっていける男は滅多にいないだろ...
そういう面倒臭い女の相手をしている時
たまに思うことがある。

「敬が彼氏だったらなぁ~」
「え?」
「あ、いや、わりぃ(笑)」

つい口が滑った。
思ったことがポロッと(笑)
口を半開きにして驚いている敬を見て笑いが出る。

「じょーだん、冗談(笑)
まぁでもさ、めんどい女相手してるより
敬といる方が楽だし普通に楽しいしさ~」
「...じゃあ、付き合う?」
「はぁ?(笑)だから冗談だって(笑)
女運悪い俺も悪いんだよ」
「だから紘樹は悪くねぇって」
「...あんがと」

いちごオレの残りを飲み干して、教室のゴミ箱に捨てた。
帰ろーぜと俺が言うと、
敬も残りのカフェオレを飲みながら立ち上がり
そのまま教室を出た。


………………………………………………………………


ぼーっと見ていたのは秒針。
あと2分...あと1分...
12時半になった時授業の終わりを告げるチャイムが鳴った。

「はい、じゃあ今日はここまで。
来週小テストするから復習しておくように」

ザワザワと文句を垂れる教室に
日直の号令が響いた。
他のクラスから弁当を持った生徒が入ってきたり
食堂へと向かう団体がいたり、
昼休みに入った瞬間学校が賑やかになった。
俺も弁当を片手に教室を出ると、ちょうどこっちに向かってくる敬が目に入った。

「なぁ、最悪~。弁当忘れた~」
「どんまい、食堂行こうぜ」
「おーう」

食堂は全生徒が使用できるから
結構な人数の生徒が溢れかえっていた。
見るからに座れそうな席はない。

「俺適当に買ってくるから
屋上でも行こうぜ?」
「わかった、ここらで待ってるわ」
「おっけ」

敬は券売機に向かった。
俺は食堂の入り口の壁にもたれかかった。

「あっ...」
「ん?ゲッ...」
「紘樹くん...」

最悪だ。
目の前に現れたのは絵里だった。
絵里が引き連れた何人かの友人も俺を見ていた。
両手を後ろに回し少しモジモジとしている。

「今日は食堂なの?」
「いや、移動する」
「そっか... あのさ、ちょっと話したいんだけど」
「俺は話すことないから、ごめん」
「私っ、まだ...紘樹くんのこと...」
「なーなーせー!久しぶりだなぁ!!」

絵里の言葉を遮り俺たちの間に割って入ってきたのは
目黒先輩だった。
先輩は俺に肩を組んでぐっと自分の方に引き寄せた。
そんな姿を見て絵里の目がつりあがる。
フワッと香る香水の匂い、愛美と同じものだ。

「ちょっと!誰!?今私が話してるんだけど!?」
「あぁ?知らねーよ、俺は七瀬に用があんだよ」
「はぁ!?後から来といて何その態度!?」
「お、おい!口の聞き方気をつけろよ!先輩だぞ」
「えっ」

焦って口を挟む俺に目黒先輩が笑った。
そして一瞬で真顔に戻り、絵里を睨む。

「誰かしらねぇけど、どっかいってくんない?
その金切り声聞いてるとイライラする」
「...ッ」

目黒先輩の圧に負けたのか、
下唇を噛んだまま絵里はその場を去った。
そんな彼女の背中を見て俺は胸を撫で下ろす。
敬はまだ戻ってこない。

「あ、あざっす、先輩」
「誰?あれ」
「愛美から聞いてないですか?俺の元カノっすよ」
「あぁ、なんだっけ、絵里だっけ?」
「そっす」
「お前...顔いいのに趣味わりーな」
「なんすか、その言い方...」
「城田は?一緒じゃねーの?」
「今飯買いに行ってて...あ、戻ってきた」
「よー、城田... 喧嘩でもしたんか?」
「あ、目黒先輩。いや、転けたんすよ体育で(笑)」

傷口が塞がり青あざになっている顔の怪我。
ガーゼが取れて大袈裟感は無くなったけど
痛々しさは増していた。

「そんなことよりお前ー、
ちゃんと見ててやんないと七瀬がまた泣くぞー」
「泣いてないっすよ!!」

目黒先輩は笑いながら俺の頭をぐしゃぐしゃとした。
敬は少し困った顔をしたが
そっすねと一言呟いていた。

「てか、お前ら愛美しらね?」
「さぁ、どうしたんすか?」

目黒先輩は俺の肩にかけていた腕を離し
頭をかいた。

「いつも飯食ってるところに来なくてさー。
探してたらお前らがいたって感じ」
「LINEとかきてないんすか?」
「あ...見てなかったわ」

敬の指摘に急いでスマホを取り出す目黒先輩。
画面を見てあちゃーって顔をしている。
おそらく連絡が入っていたんだろう。

「保健室行ってから行くって入ってたわー」
「保健室?体調悪いんかな」
「さぁな、珍しいこともあるもんだ。
ま、とりあえず保健室行ってみるわ。
じゃーなー」
「「ういっす」」

片手を振りながら目黒先輩は食堂を出た。
俺と敬もそのまま屋上へと向かった。

「さっきなんかあったの?」
「あー、絵里がたまたま現れてさ。
絡まれそうになった時に目黒先輩が入ってきて」
「そっか... わりーな、一緒にいれなくて」
「ええ?いやいや大丈夫だって(笑)」

目黒先輩に言われたこと気にしてんのかな...
あぁー、こんなにモヤモヤするなら
本当に付き合うんじゃなかったな...
表情が曇ったままの敬。
会話も止まってしまったまま、屋上に着いた。

「あれ?愛美いんじゃん」
「あ!ひろくん!けいくん!
ねー、碧知らないー?」
「愛美が保健室いるって言うからそっちに行ったぞ?」
「ええーー!送った時間とか見なかったのかなー」
「完全に行き違いだな(笑)」

敬はフッと笑った。
その笑顔に少し安心する。
もー!と言いながら目黒先輩に電話し始める愛美。
それを横目に俺と敬は空いているベンチに座った。

「目黒先輩も待ってりゃいいのに
迎えに行っちゃうんだなぁ」
「愛美大好きだからな~」

呆れ気味に俺に返事する敬。
よかった、いつもの敬に戻ったかな。
弁当を広げて先に食べ始める。
よく晴れてていい天気だ、食堂で食べなくてよかった。

「やっと見つけたー、愛美ー」
「見つけたじゃないよ、LINE見なよ」
「ごめんごめん、あー、腹減ったー!
って、なんだお前らもいたのか」
「たまたまっすよ」

愛美と目黒先輩も俺たちの向かいのベンチに座って
昼飯を食べ始めた。

「そういやー、さっき食堂で
七瀬が絡まれてたんだぜ(笑)」
「え?誰に?」
「絵里だよ、ガッツリ絡まれる前に目黒先輩が来てくれたけど」
「まじで?うっざいねぇ、てかしつこい」
「つーか、なんでそもそもあんなのと付き合ったんだよ」

なんでだったかな...
俺はもう忘れかけていた絵里との最初を
必死に思い出そうとした。
確か入学式の日に話しかけられて
事あるごとに絡んでくるようになってて...
あぁ、そういえば...

「あいつ、前はあんなケバくなかったんすよ」
「あ、そうなの?」
「あーー!思い出した!なんか地味ーな子だった!」
「そ。髪も真っ黒で前髪ぱっつんで、化粧なんかしてなかったし大人しい感じの女子だった」

うんうん!っと頷きながらサンドイッチを頬張る愛美。
目黒先輩と敬も自分の昼飯を食べながら俺を見て
その話を聞いていた。

「入学式の日に初めて会ってから
よく絡んでくるようになってて、
まぁそんなに悪いやつに感じなかったから
流れで付き合っちゃった感じっすね~」
「え、七瀬って地味系好きなの?」
「うーん、派手よりは(笑)
でも付き合って1週間ぐらいしてからかなぁ、
どんどん化粧濃くなってきて
髪も染めちゃって今の絵里が出来上がって...」
「調子乗ったんだな」

目黒先輩が呆れた顔で軽く笑った。
敬はずっと黙って話を聞いていた。
敬にとっては2度目の絵里の話になる、
リアルタイムで俺の話を聞いていたからなぁ。

「そりゃあ、高校のトップと付き合ってんだから
調子にも乗るわ!態度もめっちゃ変わったし」
「トップ?」
「まぁ確かに釣り合うようにって思えば
ちょっとは着飾らないとって思うわなぁ」
「え?え?」
「まぁあの子の場合だいぶズレまくってるけど」
「「それな」」

急に話についていけなくなった俺を見ながら
3人は笑っていた。
トップってなんだ?俺頭良くないぞ...?

「え?どういうこと?」
「いいんだよ、自分のことには疎いお前は(笑)」
「え、なんすか(笑)どういうことっすか!」
「紘樹も早く食べろよ、昼休み終わるぞ~」
「なんだよ敬まで!教えろよ!」
「まぁそういうところも女子はいいのかもね」
「七瀬にだけは惚れるなよ、愛美」
「いや私はないわ(笑)こんなの扱えるのけいくんぐらいよ(笑)」
「こんなのってなんだよ!」
「早く食え~」
「んだよー、敬までグルになりやがってー」

3人はいつまでも笑っていた。
なんとなくそんな雰囲気が楽しくなってきて
ハテナが飛びまくる俺もいつの間にか笑っていた。
本当に時間がなくなり残りの弁当のおかずを
一気に食べてチャイムと共に解散した。


………………………………………………………………


「なっ、まじで...っ」

俺は教室から飛び出した。
放課後、帰り支度が終わったので敬の教室に行くと
本人がおらず近くにいた生徒に聞いた。

『城田くんならさっき絵里に呼ばれて
一緒に教室出て行ったよ?』

どこに!?どこに行った...っ
なんで敬を呼び出す必要があるんだよっ
クソっ、汚ねぇことしやがってッ
とりあえず1年の教室を全て見て回る。
階段を降りて2年の教室を見た。
いないッ ...どこにっ
一階に降りる階段に来た時
目黒先輩と複数の生徒がたむろっていた。

「目黒先輩っ!」
「おー、七瀬、どうした?」
「敬が!絵里に呼ばれてどっかいっちゃって!
見なかったっすか!?」
「ああ?だりーことする女だな。
誰か見なかったか?こいつとよくいる男子」

たむろする仲間に目黒先輩が目を向ける。

「たぶんだけど体育館上がる手前の
階段近くですれ違った気がする」

仲間の1人がそう言った。
俺はお礼も忘れて走り出していた。
一階に降りて中庭を走り体育館に上がる階段に着いた。

「負け犬の遠吠えだな」

敬ッ!?
階段の裏から敬の声がした。
俺は身を隠してゆっくり覗いた。
敬とその前に腕を組んで怒った顔をした絵里がいた。
絵里の後ろには3人の女子も従えて。

「はぁ!?私と紘樹くんが付き合ってるの知ってたんだったら普通離れるでしょ!?気ぐらいつかいなよッ」

絵里の金切り声が響く。
ただ敬は全く動じることなくズボンのポケットに手を突っ込んで真っ直ぐ絵里を見ていた。
...これは...出て行くべきだろうか...
そう悩んでしまっている間も2人の会話は進んでいた。

「大体幼馴染かなんだか知らないけど
いつも一緒にいてちょっと引くんだけど!
城田くんがいるから私と一緒にいてくれる時間少なかったし... 私といてもなんか上の空って感じで...っ」
「...」
「彼氏の友達のせいで私が寂しい思いするとか意味わかんないしッ!紘樹くんには悪いかなって思ってそういうことあんまり言わなかったのにっ... 流石に我慢できなくなって言ったら別れることになって本当最悪」
「...」

敬は全く口を開かずただ絵里の話を聞いていた。
一度も目を逸らすことなく真っ直ぐに。

「なんか答えたら?ずっと黙ってるけどさ」
「...」
「っとムカつく。あんたさえいなかったら...」

絵里のその一言に俺は弾かれたように
一歩踏み出した、その時だった。

「言いたいことはそれで全部か?」

ずっと黙っていた敬が口を開いた。
聞いたこともない低い声。
あんなに捲し立てていた絵里の声が止まる。
思わず俺の動きもそのまま止まってしまった。

「俺から3つ言いたいことがある。
ひとつ目。紘樹が俺との時間を優先したみたいに言ってるけど、そんなことはない。
毎日登下校一緒にしてたのに、お前が一緒に帰ろうと言った日はそれに合わせて俺に断りを入れてきた。
休み時間も、休みの日もちゃんとお前の教室に顔出しに行ってたし、お前との予定もちゃんと守ってた。
お前は紘樹の教室に一度でも行ったか?紘樹との約束があったのに友達との予定が入ったらそっち優先したこともあっただろ?自分は何もしないのに、よくもそんなに文句が出てくるよな。図々しいにも程があるだろ」
「なっ、何も知らないくせにっ!」
「知らねーよ、お前ら2人の問題なのに
こうやって俺を呼び出してる時点でおかしいのはお前だろうが」
「...っ」

絵里は下唇を噛んで敬から目を逸らした。
今まで見たことのない表情、知らない声。
いつも隣にいる敬とは別人のようだった。
俺も目を伏せた。

「ふたつ目。俺のせいみたいに言ってるけどさ、結局は手に入れただけで満足して大事にしなかった結果だろ。お前の告白を受け入れてくれた時点で気づけよ。俺はなんでそんな外見に変えたのか、人への態度を変えたのか全く理解できん。それで釣り合う女になったつもりだったのか?そうしろって紘樹が言ったのか?違うだろ?自分が勝手に変わったくせに人のせいにして自分を正当化すんなよ」
「...」

周りの女子も絵里本人も何も言い返さなかった。
部活動をする生徒の声や、校内に残っている生徒の声が響いているはずなのに
この空間だけ本当に静かで重い空気が漂っている。
逸らしていた視線をふと戻すと
今にも泣き出しそうに拳を握りしめている絵里がいた。
あぁ...だめだ、もういいんだよ... 敬...

「敬」
「紘樹っ」

不意に呼ばれて驚いたのか
こちらに目線を向けた敬は目を見開く。

「もういいよ、やめてやれ」

俺はゆっくり敬に近づいて腕を掴んだ。
相手が泣くほど追い詰めなくていいんだよ...
もう十分だ...

「帰ろうぜ」
「おう...」

不服そうな敬の顔に笑いかける。
聞いたことない低い声も、今にも殴りかかりそうな冷たい目も... そんな敬は見たくない。
俺に腕を引かれながら少し進んだ時。

「最後にみっつ目。
最初の頃のお前の方が紘樹は良かったって言ってたぜ。もっと自分を大事にしろよ、じゃないと周りも大事にできない」

敬は最後に絵里に向かって言い放った。
俺はもう振り向かず進んだ。
俺がちゃんと絵里と話さなかったから
こんなことになったんだ...
また敬に迷惑かけちまったな...
ごめんな...

「明日土曜だなー」
「え、...あぁ、うん」

急にいつもの敬に戻っていて
返事がしどろもどろになる。

「なんか予定ある?」
「いや、何もないけど...」
「じゃあ、家行っていい?」
「お、おう」

敬はニカっと笑った。
嬉しかった、心がスッと軽くなった。
どんなに迷惑かけてもこいつは俺といてくれる。
...そう思っておくのは危ないだろうか
でも...今だけは...

「敬...ありがとうな」

掴んだままの腕を
もう少しだけこのままにしておいてもいいかな...



「どうなるかな、あの2人」
「どうだろうねぇー、敬くんは今のままでもいいって言ってたけど」
「強がりだなー、絶対無理だろ」
「私もそう思う(笑)
まぁ相手がひろくんってところがね(笑)」
「そうだな(笑)
どうやって伝えるか難しいだろうな」
「ね。でも... 幸せになってほしいな」

2階の中央廊下から俺ら2人を見守ってくれる
優しい視線に俺たちはまだ気付けずにいた。


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