35 / 116
第四章 対決
第四章 対決 四
しおりを挟む
時の皇太后――叱奴太后は、大変な酒好きとして有名であった。
各地の名酒はもちろんのこと、漢代から徐々に広がっていった葡萄酒なども好んで飲んでいた。
もちろん、皇帝邕の母親のことである。
高齢になっても酒好きは変わらず、最近は酒に呑まれるようになったのか、酔うと自分の宮の宮女や宮婢を痛めつけたりもする。
そんな噂が広まっていた。
もちろん、これは腹心の宮女たちを巻き込んでの演技である。
本当は、宮女たちを叩いてはいないし、蹴り飛ばしてもいない。
信用の置ける者たちと共に大騒ぎをたびたび起こし、偽った噂を流させたのだ。
皇太后は伽羅の策を取り入れる決心をし、可愛い息子のために悪名を被ったのである。
さて、皇帝邕はいかにも苦り切ったように宇文護に相談した。
「朕の母親には困ったものである。
昔は酒に呑まれるような母ではなかったが、年のせいか、飲みすぎては豹変してしまうのだ。
朕が酒を控えるように勧めても、息子と侮って聞きもせぬ。
このままでは、北斉の高洋めのようになってしまいはせぬかと心配なのじゃ」
北斉は北周の最大敵国である。
そこの初代皇帝高洋(おくりなとしては文宣帝)は政治面でも軍事でも優れていたが、後年には酷い酒乱となった。
酔うたびに気持ちが高ぶり、残虐な処刑道具で家臣を手当たり次第に惨殺したのだ。
困った家臣たちは宮庭に檻を置き、死刑囚を閉じ込めた。
皇帝が望むままに『殺戮』を堪能できるように計らったのである。
「まさか。皇太后様はそこまではなされますまい」
宇文護はそう言うが、皇帝邕は思案顔を崩さない。
「確かに『高洋』までは言いすぎたかのう。
これは不孝なことを申してしまったわい。
しかしそれだけではなく、母が健康を害してしまわぬかと心を痛めておるのだ。
ここはひとつ、そちの威厳をもって母をたしなめてはくれまいか」
そう言って、頭を下げるのである。
宇文護はうぬぼれていたので、母一人御せぬ皇帝に呆れ果てていたが、そういう頼りない皇帝を望んだのは彼である。
面倒とは思ったが、これほどまでに頼まれては、行かぬわけにもいかなかった。
さて、皇帝邕に続いて宇文護は、皇太后の宮殿へと向かった。
いよいよ謁見の間。ここからは、流石の宇文護も護衛を連れて入るわけにはいかない。
しかし、自身は無礼にも帯刀したまま宮中を進んでいった。
何とも用心深く、尊大な男であるのだ。
実はこのようなことは常であり、皇帝よりも権力を持っているこの男を咎めるものは誰も居ない。
目を伏せて、ひたすら見なかったふりをしてその場を凌ぐのである。
一方、皇帝邕は剣を帯びてはいなかった。
持っているのは儀式用の笏のみである。
笏というのは、聖徳太子が手にしている、あの細長い棒のような、板のようなものである。
中国ではすでに周代から使われており、宮中における臣下の帯剣を廃し、代わりに笏を持たせたのが始まりと言われている。
後に笏は、官人が物忘れを防ぐための道具として重宝されるようになった。
記憶に自信の無い者は、その内側に書付けを貼り、ちらちらと見ながら奏上するのである。
日本にも六世紀ごろ中国より伝わったが、下級役人などは笏を多くは用意できず、何度も書付けを張り替えるので薄汚くなった。
清少納言は『いやしげなる(下品な)もの』として下級役人の笏を挙げている。
さて、その笏であるが、中国の皇帝も時代が下ると持つようになった。
材質は位によって変わるが、皇帝の場合は珠玉を使う。
皇帝邕も、珠玉の笏に宇文護が用意した文章を貼り付け、臣下に命ずることが常であった。
なので、宇文護は皇帝が笏を持つ姿に疑問を抱くことはない。
皇帝邕は武器などは一切持たず、この笏だけを持って皇太后の宮殿に入ったのである。
各地の名酒はもちろんのこと、漢代から徐々に広がっていった葡萄酒なども好んで飲んでいた。
もちろん、皇帝邕の母親のことである。
高齢になっても酒好きは変わらず、最近は酒に呑まれるようになったのか、酔うと自分の宮の宮女や宮婢を痛めつけたりもする。
そんな噂が広まっていた。
もちろん、これは腹心の宮女たちを巻き込んでの演技である。
本当は、宮女たちを叩いてはいないし、蹴り飛ばしてもいない。
信用の置ける者たちと共に大騒ぎをたびたび起こし、偽った噂を流させたのだ。
皇太后は伽羅の策を取り入れる決心をし、可愛い息子のために悪名を被ったのである。
さて、皇帝邕はいかにも苦り切ったように宇文護に相談した。
「朕の母親には困ったものである。
昔は酒に呑まれるような母ではなかったが、年のせいか、飲みすぎては豹変してしまうのだ。
朕が酒を控えるように勧めても、息子と侮って聞きもせぬ。
このままでは、北斉の高洋めのようになってしまいはせぬかと心配なのじゃ」
北斉は北周の最大敵国である。
そこの初代皇帝高洋(おくりなとしては文宣帝)は政治面でも軍事でも優れていたが、後年には酷い酒乱となった。
酔うたびに気持ちが高ぶり、残虐な処刑道具で家臣を手当たり次第に惨殺したのだ。
困った家臣たちは宮庭に檻を置き、死刑囚を閉じ込めた。
皇帝が望むままに『殺戮』を堪能できるように計らったのである。
「まさか。皇太后様はそこまではなされますまい」
宇文護はそう言うが、皇帝邕は思案顔を崩さない。
「確かに『高洋』までは言いすぎたかのう。
これは不孝なことを申してしまったわい。
しかしそれだけではなく、母が健康を害してしまわぬかと心を痛めておるのだ。
ここはひとつ、そちの威厳をもって母をたしなめてはくれまいか」
そう言って、頭を下げるのである。
宇文護はうぬぼれていたので、母一人御せぬ皇帝に呆れ果てていたが、そういう頼りない皇帝を望んだのは彼である。
面倒とは思ったが、これほどまでに頼まれては、行かぬわけにもいかなかった。
さて、皇帝邕に続いて宇文護は、皇太后の宮殿へと向かった。
いよいよ謁見の間。ここからは、流石の宇文護も護衛を連れて入るわけにはいかない。
しかし、自身は無礼にも帯刀したまま宮中を進んでいった。
何とも用心深く、尊大な男であるのだ。
実はこのようなことは常であり、皇帝よりも権力を持っているこの男を咎めるものは誰も居ない。
目を伏せて、ひたすら見なかったふりをしてその場を凌ぐのである。
一方、皇帝邕は剣を帯びてはいなかった。
持っているのは儀式用の笏のみである。
笏というのは、聖徳太子が手にしている、あの細長い棒のような、板のようなものである。
中国ではすでに周代から使われており、宮中における臣下の帯剣を廃し、代わりに笏を持たせたのが始まりと言われている。
後に笏は、官人が物忘れを防ぐための道具として重宝されるようになった。
記憶に自信の無い者は、その内側に書付けを貼り、ちらちらと見ながら奏上するのである。
日本にも六世紀ごろ中国より伝わったが、下級役人などは笏を多くは用意できず、何度も書付けを張り替えるので薄汚くなった。
清少納言は『いやしげなる(下品な)もの』として下級役人の笏を挙げている。
さて、その笏であるが、中国の皇帝も時代が下ると持つようになった。
材質は位によって変わるが、皇帝の場合は珠玉を使う。
皇帝邕も、珠玉の笏に宇文護が用意した文章を貼り付け、臣下に命ずることが常であった。
なので、宇文護は皇帝が笏を持つ姿に疑問を抱くことはない。
皇帝邕は武器などは一切持たず、この笏だけを持って皇太后の宮殿に入ったのである。
応援ありがとうございます!
0
お気に入りに追加
77
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる