独孤皇后物語~隋の皇帝を操った美女(最終話まで毎日複数話更新)

結城 

文字の大きさ
96 / 116
第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 

第十一章 独孤皇后と二人の乞食女 十一

しおりを挟む
 皇帝堅を追ったのは、禁門近くで皇帝と出くわした重臣の高熲こうけいと、その護衛たちであった。

「陛下、お待ちを!
 共も引き連れずに、いずこへ行かれるというのでしょうか」

 高熲こうけいを先頭に、騎馬隊が慌てて追いかける。
 皇帝が単騎で駆け去るなどまずないことであったし、はたから見てもその取り乱しようは尋常ではなかったのだ。

 山中にてようやく追いつき、高熲こうけいがその前方に回り込むと、皇帝堅は観念したのか馬を止めた。
 高熲こうけいはいったん馬を降りた。そして刺激せぬように気を付けながら、呆然とたたずむ皇帝賢の馬のくつわをとった。

「陛下、余程の事がおありだったのでございましょう。
 ですが、間もなく日が暮れてまいります。
 このような場所であれば、獣も出て危のうございます」

 高熲こうけいが声色柔らかく語り掛けるが、皇帝は首を横に振るばかりだ。

「陛下、そうは仰られても慌てて追いかけましたので、臣は火を起こす道具を持ち合わせてはおりません。
 それでも戻らぬとおっしゃるのでしたら、せめてわけをお聞かせいただけないでしょうか」

 皇帝はしばらく黙り込んでいたが、とつとつと仔細を語り始めた。
 その目には涙が浮かんでいた。

「なるほど、確かに皇后さまのなされようはいかがなものかと思いまするが、とにかく一度宮殿にお戻り下さいませ。
 きっと今頃、皇后さまも行き過ぎを反省し、陛下の身を案じておられることでしょう」

 楊堅は、高熲こうけいの言葉もあまり耳に入って無いようで、ただただ、ため息をついて肩を落とした。

「朕は国内で最も尊い身分であるのに、泣き濡れる娘を慰める自由すらないとはどういうことなのだろう。
 いっそ、このまま出家しゅっけして、若くして命を落としたあの女人を自らの手で弔ってやろうかと思う」

 と、呟いた。

 どうやら楊堅は、彼なりに尉遅熾繁を愛し、慈しんでいたつもりのようであった。
 彼女の涙を見て『誰が』彼女の一族を殺したかも知らず、寵愛して慰めようと思ったらしい。

 それがかなわぬのなら、せめて出家してその霊を慰めようというのか。

 先の武帝(宇文よう)は、仏教の大弾圧にいそしんでいたが、ひるがえって皇帝賢の時代には、仏教を手厚く保護していた。
 元々、楊堅が産声を上げたのも仏寺なら、乳母も仏尼である。
 楊堅自身は取り立て仏教に傾倒していたわけではなかったが、爆発的に広がっていったのを見てもわかるように、過度に傾倒しさえしなければ、仏教は素晴らしい教えなのだ。

 また、為政者としての視点から見ても、仏教は都合が良かった。
 多民族をまとめ上げるには大変な力量がいるが、質の良い宗教を使って民の心を一つにするのは有効な方法の一つである。
 それがために三男が仏教に傾倒しすぎたのは計算違いであったが、楊堅の、仏教を重視した政策は上手く機能し『仏教治国策』とまで称せられていた。
 しかし楊堅ほどの人物であっても、国策としてではなく、なりふり構わず御仏に縋りたくなることもあるようだ。
 ここが宗教の恐ろしいところである。

「御仏の教えに従えば、俗事から解放され、心やすらかな日々を送れるという。
 譲位して太子に国を任せたいと思う」

 そう言うのだ。

 帝位を捨ててまで出家を望む皇帝に、高熲こうけいは申し述べた。

「恐れながら太子殿下はまだお若く、陛下に比類する仁徳を備えるには、それなりの『時』が必要かと存じまする。
 また、たかが『一人の婦人』を亡くしたために『天より与えられた使命』を軽々しく捨て去っては後世の識者たちがどのように陛下のことを書き立てまするか。
 それを想像しますと、臣の胸は痛み、悲しみにたえないのございます。
 どうか頼りなき人民をお見捨てなきよう、伏してお願いつかまつります」

 楊堅はそれを聞いてしばらく考え込んだ。
 そうして大切に握っていた一筋の髪を脇に置くと、おもむろに石で土を掘り始めた。
 高熲こうけいもそれを止めることは無かった。

 ややあった後、楊堅は名残惜し気にその髪を見つめた。
 そして土中に髪を埋めて石を据え、手を合わせた。

「許せよ。朕にはまだやるべきことがある。
 今の勇にはまだ皇帝は務まらぬ。朕が治めねば国は荒れるであろう。
 そして皇后は……あのようなことをしでかしたとしても、やはり特別な存在なのだ」

 楊堅は長い祈りをささげた。その間にどんどん冷静になっていった。

 長子である楊勇は、才はあるものの放蕩で礼を失している。まだまだ目を光らせておかねばならぬ。
 さもなければ、皇后を五人も同時に立てた悪皇帝のようなふるまいに及ぶやもしれぬ。
 到底任せられる器ではない。

 それに史書を好む楊堅である。
『禅譲を受けたにもかかわらず、一婦人のために、天より与えられた使命を投げ捨てた皇帝』
 と、後世の笑いものになることについても流石にためらわれたようだ。

 高熲こうけいが言ったその『一婦人』とは、殺された愛妾・尉遅氏のことを差していたのだが、この言は後に、違う意味合いで皇后のもとに『讒言ざんげん』として伝えられることとなる。
しおりを挟む
感想 1

あなたにおすすめの小説

【読者賞】江戸の飯屋『やわらぎ亭』〜元武家娘が一膳でほぐす人と心〜

旅する書斎(☆ほしい)
歴史・時代
【第11回歴史・時代小説大賞 読者賞(読者投票1位)受賞】 文化文政の江戸・深川。 人知れず佇む一軒の飯屋――『やわらぎ亭』。 暖簾を掲げるのは、元武家の娘・おし乃。 家も家族も失い、父の形見の包丁一つで町に飛び込んだ彼女は、 「旨い飯で人の心をほどく」を信条に、今日も竈に火を入れる。 常連は、職人、火消し、子どもたち、そして──町奉行・遠山金四郎!? 変装してまで通い詰めるその理由は、一膳に込められた想いと味。 鯛茶漬け、芋がらの煮物、あんこう鍋…… その料理の奥に、江戸の暮らしと誇りが宿る。 涙も笑いも、湯気とともに立ち上る。 これは、舌と心を温める、江戸人情グルメ劇。

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

貧民街の元娼婦に育てられた孤児は前世の記憶が蘇り底辺から成り上がり世界の救世主になる。

黒ハット
ファンタジー
【完結しました】捨て子だった主人公は、元貴族の側室で騙せれて娼婦だった女性に拾われて最下層階級の貧民街で育てられるが、13歳の時に崖から川に突き落とされて意識が無くなり。気が付くと前世の日本で物理学の研究生だった記憶が蘇り、周りの人たちの善意で底辺から抜け出し成り上がって世界の救世主と呼ばれる様になる。 この作品は小説書き始めた初期の作品で内容と書き方をリメイクして再投稿を始めました。感想、応援よろしくお願いいたします。

最弱弓術士、全距離支配で最強へ

Y.
ファンタジー
「弓術士? ああ、あの器用貧乏な最弱職のことか」 剣と魔法が全てを決める世界において、弓は「射程は魔法に及ばず、威力は剣に劣る」不遇の武器と蔑まれていた。 若き冒険者リアンは、亡き叔父から譲り受けた一振りの弓「ストーム・ウィスパー」を手に、冒険者の門を叩く。周囲の嘲笑を余所に、彼が秘めていたのは、世界をナノ単位で解析する「化け物じみた集中力」だった。 リアンの放つ一矢は、もはや単なる遠距離攻撃ではない。 風を読み、空間を計算し、敵の急所をミリ単位で射抜く精密射撃。 弓本体に仕込まれたブレードを操り、剣士を圧倒する近接弓術。 そして、魔力の波長を読み取り、呪文そのものを撃ち落とす対魔法技術。 「近距離、中距離、遠距離……俺の射程に逃げ場はない」 孤独な修行の末に辿り着いた「全距離対応型弓術」は、次第に王道パーティやエリート冒険者たちの常識を塗り替えていく。 しかし、その弓には叔父が命を懸けて守り抜いた**「世界の理(ことわり)」を揺るがす秘密**が隠されていた――。 最弱と笑われた少年が、一張の弓で最強へと駆け上がる、至高の異世界アクションファンタジー、開幕!

百合系サキュバス達に一目惚れされた

釧路太郎
キャラ文芸
名門零楼館高校はもともと女子高であったのだが、様々な要因で共学になって数年が経つ。 文武両道を掲げる零楼館高校はスポーツ分野だけではなく進学実績も全国レベルで見ても上位に食い込んでいるのであった。 そんな零楼館高校の歴史において今まで誰一人として選ばれたことのない“特別指名推薦”に選ばれたのが工藤珠希なのである。 工藤珠希は身長こそ平均を超えていたが、運動や学力はいたって平均クラスであり性格の良さはあるものの特筆すべき才能も無いように見られていた。 むしろ、彼女の幼馴染である工藤太郎は様々な部活の助っ人として活躍し、中学生でありながら様々な競技のプロ団体からスカウトが来るほどであった。更に、学力面においても優秀であり国内のみならず海外への進学も不可能ではないと言われるほどであった。 “特別指名推薦”の話が学校に来た時は誰もが相手を間違えているのではないかと疑ったほどであったが、零楼館高校関係者は工藤珠希で間違いないという。 工藤珠希と工藤太郎は血縁関係はなく、複雑な家庭環境であった工藤太郎が幼いころに両親を亡くしたこともあって彼は工藤家の養子として迎えられていた。 兄妹同然に育った二人ではあったが、お互いが相手の事を守ろうとする良き関係であり、恋人ではないがそれ以上に信頼しあっている。二人の関係性は苗字が同じという事もあって夫婦と揶揄されることも多々あったのだ。 工藤太郎は県外にあるスポーツ名門校からの推薦も来ていてほぼ内定していたのだが、工藤珠希が零楼館高校に入学することを決めたことを受けて彼も零楼館高校を受験することとなった。 スポーツ分野でも名をはせている零楼館高校に工藤太郎が入学すること自体は何の違和感もないのだが、本来入学する予定であった高校関係者は落胆の声をあげていたのだ。だが、彼の出自も相まって彼の意志を否定する者は誰もいなかったのである。 二人が入学する零楼館高校には外に出ていない秘密があるのだ。 零楼館高校に通う生徒のみならず、教員職員運営者の多くがサキュバスでありそのサキュバスも一般的に知られているサキュバスと違い女性を対象とした変異種なのである。 かつては“秘密の花園”と呼ばれた零楼館女子高等学校もそういった意味を持っていたのだった。 ちなみに、工藤珠希は工藤太郎の事を好きなのだが、それは誰にも言えない秘密なのである。 この作品は「小説家になろう」「カクヨム」「ノベルアッププラス」「ノベルバ」「ノベルピア」にも掲載しております。

アガルタ・クライシス ―接点―

来栖とむ
SF
神話や物語で語られる異世界は、空想上の世界ではなかった。 九州で発見され盗難された古代の石板には、異世界につながる何かが記されていた。 同時に発見された古い指輪に偶然触れた瞬間、平凡な高校生・結衣は不思議な力に目覚める。 不審な動きをする他国の艦船と怪しい組織。そんな中、異世界からの来訪者が現れる。政府の秘密組織も行動を開始する。 古代から権力者たちによって秘密にされてきた異世界との関係。地球とアガルタ、二つの世界を巻き込む陰謀の渦中で、古代の謎が解き明かされていく。

戦国鍛冶屋のスローライフ!?

山田村
ファンタジー
延徳元年――織田信長が生まれる45年前。 神様の手違いで、俺は鹿島の佐田村、鍛冶屋の矢五郎の次男として転生した。 生まれた時から、鍛冶の神・天目一箇神の手を授かっていたらしい。 直道、6歳。 近くの道場で、剣友となる朝孝(後の塚原卜伝)と出会う。 その後、小田原へ。 北条家をはじめ、いろんな人と知り合い、 たくさんのものを作った。 仕事? したくない。 でも、趣味と食欲のためなら、 人生、悪くない。

スーパーの店長・結城偉介 〜異世界でスーパーの売れ残りを在庫処分〜

かの
ファンタジー
 世界一周旅行を夢見てコツコツ貯金してきたスーパーの店長、結城偉介32歳。  スーパーのバックヤードで、うたた寝をしていた偉介は、何故か異世界に転移してしまう。  偉介が転移したのは、スーパーでバイトするハル君こと、青柳ハル26歳が書いたファンタジー小説の世界の中。  スーパーの過剰商品(売れ残り)を捌きながら、微妙にズレた世界線で、偉介の異世界一周旅行が始まる!  冒険者じゃない! 勇者じゃない! 俺は商人だーーー! だからハル君、お願い! 俺を戦わせないでください!

処理中です...