本物の貴方とキスを

ぐるもり

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幻の貴方から、キス(姫編/前編)

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「あっ……」

 ふわふわ揺れる煙のような物が現れる。それを見つけた私は嬉しさのあまりベッドから起き上がった。
 初めは半月に一度、そしてそれが週に一度、だんだん感覚が短くなってここの所は毎日。眼の前に現れる本物ののように鮮やかで、触れればあっという間に消えてしまう。それは魔法だと思う。断定できないのは、私に魔法の知識が殆どないからかもしれない。

 道端に咲くような小さな花の時もあれば、ある日は真っ青な薔薇の花束。瑞々しいリンゴの時もあった。小さな子猫とその母親の時はあまりにも可愛らしくて、思わず手を伸ばしてしまった。すると、本物と見間違うほど精巧にできた幻はあっという間に消え去ってしまった。私の目の前に本物の様に現れる幻。そして私しか知らない秘密。

 毎日同じ時間、私が眠りにつこうとする時。ふわふわと目の前を漂い、その存在を主張するもの。最初はおっかなびっくりだったけれど、ここ最近は寝る前の楽しみになっていた。

「何かしら……」

 大きな円が小さな箱をのせくるくると回る。そしてその小さな箱には子供達が載っている。みんな笑顔だ。

「……楽しそう。市井の移動遊具かしら」

 ゆっくりと手を伸ばし、子供の笑顔に私の指が触れた瞬間、それは煙のように一瞬にして消えてしまった。どんなに精巧にできていても、やっぱり幻。


「あーあ。今日も終わっちゃった」

 時間にして、数十秒……。悲しいかな、私の楽しみが終わってしまった。

 王宮の奥に一人閉じ込められて二ヶ月。会う人も外に出るのも制限された生活には未だ慣れことができない。小さな窓を開けると暗闇の中から聞こえる波の音。あの広い砂浜を走り周り、弟妹達とびしょ濡れになって遊んだあの日が少しだけ恋しかった。


 ざ、ざ……ん。ざ……ん。

 この波のように、そしてこの幻のようにわたしも消え去るのか。

 闇夜の中から聞こえる波の音に耳を傾けながら、一人そんな事を思う。あと三ヶ月続くであろうこんな生活に思いを馳せて私は小さく溜息をついた。





 きっかけは一ヶ月前私の住む海と太陽の国ベルヴィラントに、北の北の雪と水の国スノーリング帝国から一通の親書が届いたこと。


 ー壱の姫、マリサンを我が妃に。


 たった一言それだけ書かれ、署名欄にはその国の王、スノーランと。そこから私の生活は一変した。大国と繋がりが出来ると浮き立つ家臣達を私の両親は悲しげな瞳で見つめていたこと。次いですぐにやってきた使者は、今後一切の夜会、舞踏会、晩餐会に私の出席を認めず、半年後の輿入れを指定命令してきた。魔法という軍事力でここまで大きくなった雪と水の国に逆らうわけにも行かず、親書の届いた日から私の幽閉……?生活が始まったのだった。



「……向こうの人も変な趣味ね。私なんかより下のユリアンの方がよっぽど美しいと評判なのに」

 ベルヴィラント建国以来の美姫と名高いユリアン。この国にしては珍しく白い肌に、美しい青銅色の髪。何もかも見透かされるようなミステリアスなブルーの瞳に国中の人が夢中になっていた。彼女の方が、スノーリングの賢王に相応しいのでは。と囁かれているのを私は知っている。


「潮風でパサパサで色の抜けた金髪、陽に浴びすぎて黒くなった肌。この国特有の炎のような瞳……」

 自分で言っていて虚しくなる平々凡々な容姿。おっぱいとお尻はちょっとだけ自慢出来るけれどそれをもってしてもユリアンに敵わない。何であんたが、と妹に睨まれようとも現実に望まれているのは私。両親が何度も何度も確認したけれど結果は変わらず。

「……明日は何かなあ」

 毎日のささやかな楽しみに思いを馳せ、私は今日も眠りにつく。意識が落ちる前に、マリサンと名を呼ばれパサパサの髪を一掬いされたのは気のせいだろうか。





「ん、ぁ……」

 ちょ、ちょっと。そこまでする!?

 私の制止を完全無視した幻は、私の夜着に手をかけた。

 楽しい魔法が始まって三ヶ月。一週間前からモノではなく、ヒトが現れ始めた。そう。ヒト。
 顔はぼやけて見えない。けれども青銀の真っ直ぐな髪に、しまった身体と長い手足を携えて、うすらと見える口元にはいつも笑みが浮かんでいる。顔が見えなくたってこのヒトが超絶美男子だって事がよくわかってしまう。

「……誰?」

 問いかけても返事はなく、ゆっくりと私に向かって歩みを進めてきて、私に熱のない手で触れた。

 一日目は頭を撫でられ、額にキスを落とされた。これはベルヴィラントでは初めましての挨拶の証。
 二日目は髪を一掬いされ、その毛先にキス。
 三日目は手を取られ指先にキス。
 四日目は頬に、そこからゆっくりと唇と舌を這わせて首筋に落ちてきた。この辺りからおかしいと思っていたけれど、冷たい手が、唇がとても愛おしいと思っている私がいた。


「あ、ふぁ……っ」

 そして今日は七日目。冷たい手が体を這う感覚にはとっくに慣れてしまった。表情は全くわからないが、その手の優しさが私を大切にしてくれているってその冷たさから伝わってくる。
 ちょっと自慢の大きな胸がお好きなようで、くにくに、と浅黒い肌に乗る小さな頂を執拗に責められる。それに伴い自分じゃないような声が漏れて……

「あ、ぁ……はず、かしぃ……」

 
 そしてその私の反応を楽しむように、冷たい手はお腹、太もも、声に出しては言えないような所までゆっくりと……まるでラインでも確かめるかのように私の身体の上を這う。
 嫁入り前なのにと自分を律しなければと思うけれど、愛されていると勘違いされそうなその行為を私は拒否することが出来ない。

「ん……」

 今日は随分長かった。最後に私のパサパサの髪を一掬いして、そこにキスを落とす。それが終わりの合図という事はこの一週間ですっかり身についてしまった。触れても消えない幻に、「おやすみなさい」と声をかければ、あっという間に消え去ってしまって少し……いや、大分寂しい。

 残された私は今日も火照った身体を冷やすため窓を開ければ海風を全身に浴びれば体温がみるみるうちに奪われていく。しかしその冷たさが彼の手を思い出させてしまう。

「……嫁入り前なのに何やってるんだか」

 愛してしまいそうだ。
 あんな風に愛しそうに触れられてしまえば。
 髪へのキスは、ベルヴィラントでは「君に夢中だ」という証。もし、もし、彼がそれを知っていたのならば。

「もう……どうしよう」

 火照った身体を覚ますために海風に当たっていたはずなのに、頬にかっと熱が集まってくる。そっとそこに手を伸ばせば、同じように熱い自分の手。その熱を感じながらあの冷たい手がどうしたって恋しくなってしまった。
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