刻印のノッカー

アキハル

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8話

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漁港に長い人垣ができていた。ノッカー同士の私闘が見られると聞いて野次馬が集まってきたのだ。

 だが物見とは言え危険極まりなく、群衆も百歩分離れて観戦していた。

 海辺にイグナートとアーロンが相対しており、両者は身構えて佇んでいた。

「てっきり子分どもをけしかけてくるのかと思ったが」

「決闘で無粋な真似をすれば私の名誉に傷がつくだろうが。それと気安く声をかけるな下郎」

 肩をすくめてアーロンの怒声を受け流す。額にはっきりと青筋が浮かび上がっており小躍りでも始めそうなほど体は振るえていた。冷静でないのなら好都合だ。

「お互い降参はいわんだろう。気絶した方の負けということでどうだ?」

 アーロンは小さく首肯した。

「では、始めよう」

「どうぞ」

 扇状に束ねた五本の短剣をアーロンは一気に投げつけた。

 音もなく迫る剣先はいずれもイグナートの急所に向けて一直線に放たれている。

 対するイグナートは全くの空手。躱すことしかできない。

 大きく身を捻って、みっともなくナイフの弾丸を掻い潜る。

 全て見きったつもりだったが右の首元と左の大腿部がほんのり熱を帯びた。

「痛って……当ててきたか」

「平民に噛みつかれては私の沽券に関わる。脳天に突き刺してやるぞ」

 堂々と殺意を表明してくる。

 アーロンは短剣の軌道を泉術で微細にコントロールしている。すなわち尋常の経験則で立ち回っては勝負にならないということ。

 投げられた短剣は依然宙を舞って羽虫のようにイグナートの体を切り刻もうと飛び回っていた。

 イグナートは静かに両の手に意識を集中させた。泉術には泉術で対抗するしかない。





「また物騒なことを始めたねぇお姫様」

 背後から声がかかった。ナサニエルの声だった。

 ハクの顔は暗かったが心配している素振りはない。むしろ落胆している故に暗かった。

「ちょっと拍子抜けね。彼、防戦一方じゃない」

 踊る短剣に纏わり付かれて、ただみっともなく逃げ回っているだけ。

 顔だけは両腕で守っているようだが、いつ急所に刃が深々と突き立てられてもおかしくはない。

「喧嘩はよく分からないけど、あれで防御は完璧だと思うよ」

「そう?紙一重で躱しているようにしか……」

「泉術の性質は『波』だといったろう?波である以上、広がれば広がるほど減衰する。そして異なる波とぶつかれば屈折や反射もするし、相殺もあり得る。しかも、アーロンが短剣に刻んだ刻印は極めて初歩的なもので、君が触った色石と何も変わらない。刻印のネタさえ割れてれば、イグナートも干渉できる」

 ハクは目を凝らして短剣の動きに注意を払った。確かに、微細だが短剣の動きに変化がある。

 イグナートは短剣を躱しているのではなく、念じて短剣を反らしているのだ。

 捉えつつある証拠にイグナートは一本一本、短剣を手掴みし始めた。

「お返しだ」

 無造作に奪い取った短剣を投げつける。力任せに放られた短剣は全く見当違いの方向に飛ぶも、直角にカーブしてアーロンの喉元へと突き立てられる。

「よく止めたな」

 にやりとイグナートは笑った。アーロンは剣の柄で短剣を絡め取っていた。

 イグナートは残る短剣の柄に爪を突き立てて、刻印を思い切り傷付けた。木製の柄はイグナートの怪力も相まって深々と溝が出来上がった。

 短剣から手を離すと糸の切れた人形のように地面に落ちる。尋常の物体に戻ったのだ。

「これで俺もお前ももう操れない。それとも、まだ玩具は残ってるか」

「おのれ……かくなる上は!」

 腰から細身の剣を抜き放つと上段から唐竹割りよろしく斬り掛かった。

 対するイグナートは腰巻きに隠した得物を斬り上げるように前へと繰り出した。

 アーロンの流麗な太刀筋とは比べようもない、動きの精緻さも何もないただ速度のみを求めた、力任せの一振り。だが、次の瞬間に静止していたのはアーロンの剣だった。

「貴様……なんだそれは!?」

「ロックピックハンマーだが。知らんか?採掘には欠かせない道具だ」

 ハンマーの嘴が剣をぴたりと受け止めていた。そのまま絡め取るように押し込むと、イグナートは後ろ足を蹴って飛び掛かる。最後の一撃が繰り出されるとアーロンは後ろに倒れ込んだ。

「やりすぎたかな」

 最後の一撃はなんのことはない、ただの頭突き。泡を吹いて倒れるアーロンを確認すると、イグナートは右手を突き上げた。





「ありがとうございやす」

 信じられないような眼でイグナートを引き留めようと裾を掴むハクだったが、無視した。ついでに漁師もオーナーであるハクを無視していた。ふと思ったがカネメダイとかいうゲテモノは買い手のつかない商品なのではないか。笑顔で揉み手をする漁師は売りにくい商品を引き取ってくれる安堵の笑みを浮かべているようにしか見えなかった。

「ちょっと待ってよ。待ちなさいよ」

 呼び止められたが足は止まらなかった。木箱を持ってそそくさと来た道を戻っていく。

 ささやかな復讐を遂げた達成感よりも慣れない真似をした高揚感が止まらない。だが、気分は悪くなかった。溜飲が下がるとはこのことだろう。

「心配せずとも飯に手を抜く気はない。しっかり食えるものを用意してやるから喜べ」

「今の貴方は私に雇われているという自覚はあるのかしら。国元ならこんな栄誉は他にないわよ。私の護衛と荷物持ちをやれるなんて……」

「家に着けば料理人もやらなきゃいけない。なんとも光栄だな」

「報酬を払う以上、貴方は私の言うことを聞く義務があるの。分かってる?」

「だから報酬分の働きをしてやると言っているのだ。それとも雇った人間の飯などいらないと?」

「ぐぬぬ……」

 ハクの静止はあまり耳に入らなかった。というよりも、未知の食材を料理するという好奇心のせいで気が大きくなっていたのかもしれない。

 次に何を云うか思案しながらも歩いていると、ふと後ろで見守っていたナサニエルが疑問を投げかけた。

「そういえばイグナートは、なにも何も賭けなかったのかい」

「特に何も。というかお前は何処から見ていたんだ」

「へぇてっきりその魚か服が原因で口論になったとばかり」

「仕掛けたのは俺じゃなくそこのお姫様だよ。何も賭けてない。いや、強いて言えば命を賭けていたのか?まぁあいつから何か奪ったところでな」

 げんなりしながらイグナートは云った。

 恨みを抱いている人間から何かを奪ったところで悪縁でしかないだろう。むしろ、永遠に遠ざけておきたい概念といえる。

「決闘は名誉を賭けて行うもの。貴方はちゃんと奪っているわよ」

「俺は何も貰ってないが」

 要領を得ないイグナートに対して、呆れたようにハクは云った。

「奪ったわよ。あいつのプライドをね」

「……そういうものなのか」

 理屈では分かる話だ。要はメンツの削り合いといいたいのだろうが、イグナートには縁遠い。

 今度会うときに面倒にならなければいいが。そんなことばかり懸念してしまう。

「しかし随分と血気盛んだな。貴族の極意とやらは、俺には理解できん」

「お転婆だと思ってたけど、もう少しおしとやかな方かと……」

「バカね。先祖を遡れば貴族なんて力のある山賊海賊の成れの果てなのよ。歯向かう人間は力で黙らせるのよ」

 堂々とハクは言い切った。イグナートもナサニエルも眼前の娘が段々と怖くなってきた。

 思えばアーロンも決闘や否やすぐに話に乗ってきた。理解できないがそういう人種なのだと受け入れるしかない。

「俺は金持ち貴族になりたかったが、貴族はやめだ。自分は平和主義者だと思い知った。ただの金持ちでいい」

「それ、さっきも気になったけどどうしてお金持ちになりたいの?」

「大した理由じゃない。単純に生きていく上で金は必要だろう。そしてあればあるほどいい。俺は貧乏人だから一応それを目標にしている。まぁ貧乏人はナサニエルもだが、そっちは知らん」

「一言余計だよね、君」

 我ながら俗っぽい展望だ。だが、俗のどこが悪いという。

 単純過ぎて誰彼構わず言える願望じゃない。だというのに昨日知り合ったばかりのハクに言ったのは、あるいは天上人に言ってみてどんな反応をするのか興味があったからかもしれない。

 当のハクは驚いてこそすれ反応に困っている風ではなく口に人差し指を当てて物思いに耽っていた。その仕草に思わず目を留めてしまう。彼女の現実離れした美しさは妖艷的ですらあった。何を云うのかと息を呑んでいたがやがてハクはイグナートに向き直った。

「じゃあ、やっぱり私の奴隷になりなさいよ」

「お前は何を言ってるんだ」

「奴隷は嫌?じゃあ使用人にしてあげる」

 気が抜けたのをイグナートは感じた。

 いつものと変わらぬ高飛車な声色で当然のように勝ち誇った顔で語る。

「私が見たところ貴方は無欲すぎるわ。性根が使用人向きなのよ。貴方みたいな人は誰かに仕えた方が幸福になれるわ」

「む、無欲……」

「そうよ。でもちょっと変わってて面白いわ。山師ノッカーなんて堅気じゃない職業で身を立てようとするところとか。成金になろうと思えばもっと他の選択肢があるはずだもの」

「同感。イグナートって慎ましいけどちょっと狂ってるんだね」

 付き合いきれない。こいつらは置いていくことにした。走りでも早歩きでもない、通常の歩行と全く同じモーションがそのまま早送りにされているような、超人的な力加減で引き離していく。

「ちょっと!レディを置いていくつもり?」

「俺は誰の指図も受けん」

 本当に置いていかないように気を配りつつ、足早に通りを突き進むことにした。

 日が傾いて、青空がほんのり赤く染まりだす。

 じゃじゃ馬娘のせいで久しぶりの休日はあっという間だった。
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